幕間◇人の鍛えし力
話の流れのとおり書いていたら、なぜかまた幕間……。局面が離れているからどうしてもこうなってしまいますね。
【固体名】ギ・ゴー・アマツキ
【種族】ゴブリン
【レベル】65
【階級】ノーブル・サブリーダー
【保有スキル】《剣技B-》《叩き上げ》《歴戦の戦士》《侠気》《武士の魂》
【加護】剣神
【属性】なし
「速すぎる、か」
追い付けないことを悟ったゴーウェンは、視線を周囲に転じる。あのゴブリンが撒き散らしていった破壊の跡は想像以上に凄まじい。アレの進路上にいた者は軒並み薙ぎ払われ、命を落とすか戦いを継続するのが難しくなっている。
あんなものが領地のすぐ横にいたのだと言う事実に愕然とするが、その思考は伝令の伝える言葉に遮られた。
「急報!」
「言え」
動揺を欠片も見せず続きを促すゴーウェンに、伝令は堰を切ったように話し始める。
「西方よりゴブリン再襲来。その数100近く」
「……追い散らした群れが再結集したか」
「いえ、見慣れぬゴブリンも確認されております。別の群れかと」
「或いはそれこそが本隊か」
髭を一撫ですると目を瞑る。一瞬、苦悩から眉間に皺が寄るが、直ぐ様決断を下す。
「兵を集落から撤退させる。指揮はユアンが執れ」
「御意!」
「殿は私が勤める。急げ。これからは時が要だ!」
静かに叱咤された兵士は直ぐに立ち上がると、他の伝令と共に各地に散っていく。
「やぁ、鉄腕の騎士殿。随分忙しそうだね」
気軽に掛けられた声は、血に酔った恍惚としたもの。普段の皮肉に吊り上がった口元はそのままに、狂気の瞳は獲物を探して周囲を探る。手にした雷よりも迅きものは、根元から滴る程の血に濡れていた。
「さっきこっちに来るときに見つけたゴブリンやオークを20ほど殺しておいたけど、狩りはさァ、やっぱり良いね。撤退しようとしている鉄腕の騎士様の、役に立ったかな?」
「卿の性癖にまでとやかく言うつもりはない。雑魚をいくら殺した所で物の数ではあるまいよ」
挑発するかのようなゴーウェンの言葉に、ジェネの口元が更に吊り上がる。血によって見境を無くし始めているジェネに対する挑発は、そのまま殺してくださいと言っているような物だった。
それを見逃すジェネではないし、断る理由もない。
「へぇ……」
「だが、そんな卿だからこそやってもらいたい仕事がある」
「それは美味しい相手なのだろうねェ?」
暗にお前の首以上の価値があるのかと問いかけるジェネに、ゴーウェンは頷いた。
「ゴブリンのロード級以上のモノが出た」
「……ロード級以上、とする根拠は?」
恍惚を帯びていたジェネの瞳に知恵の女神の輝きが戻る。ロード級より上など、存在しないはずだ。それはあるいは伝説の魔物というやつかもしれない。歴戦のゴーウェンや冒険者であったガランドほどではないが、魔物と呼ばれる存在をいくらか狩るジェネは、その話に興味をそそられた。
「今まで確認されているロード級よりも巨大だった。更に、右腕には冥府の女神の刻印を持っている。左腕には見たこともない宝珠があった」
「……ゴブリン・キングだとでも?」
オーク・キングは数十年前に一度確認されたきりだが、ゴブリン・キングというものは未だに確認されていない。
「その可能性はある。そうでなくともここら一帯は異常だ。オークが弱く、ゴブリンが強盛であるなど普通ならば有り得ないことだ」
考え込むジェネは、だが直ぐに口元に不敵な笑みを貼り付ける。
「良いじゃないか、伝説の魔物。君の言葉を信じるとしよう。で、それはどこにいるのかな?」
「この先だ。聖女様を追って行った」
「おやおや、それは大変だ」
悠然と構えるジェネの瞳には、既に恍惚としたものが戻っている。
「じゃぁ行かないとね。雷迅の騎士の出番というわけだ」
「そういうことになる」
「急報! 第4小隊がゴブリンの群れに捕まりました。負傷者多数。救援を請うとのことです」
その報告を聞きながらジェネは微笑む。
「じゃあ、鉄腕の騎士様。後ろは任せるよ」
高笑いをしながらジェネはセレナの髪を引っ張る。
「小道を開きなよ。この道が行く先までだ。出来るだろう?」
憔悴しきった妖精族の乙女は、言われるがまま、妖精の小道を開く。亜人の血を無理矢理飲まされ、一時的に能力を引き上げられているのだ。
彼女達妖精族でさえ、本来簡単に開ける筈のない“妖精の小道”を頻繁に狙った場所に開かせるなど、後でどんな副作用が出るか分かったものではない。
だが彼女は隷属の首輪によって、逆らうことが出来なかった。セレナが祈れば、木々の蔦が門を形成していく。
「じゃあね」
ジェネは邪悪な笑みをゴーウェンに向けた後、その扉を潜っていった。
「ふむ。ここに来て運が向いたか」
ならば、と長剣を振るう。
「ユアン、指揮権を一時預けるぞ。救援には私が向かう」
鉄腕の騎士が動き出した。
◆◇◇
老ゴブリンから王の向かった先を聞いたギ・グー・ベルベナを始めとする遠征軍の先陣は脇目も振らず人間に突撃して行った。
「人間め、一人も逃さん!」
猛り立つギ・グーは部下に檄を飛ばす。
「皆殺しだァ!」
ギ・ズー、ギ・ドーらレア級のゴブリンを従えると、敵を発見するやいなや即座に切りかかった。腰に備え付けた斧を振りかぶり、ノーブル級の膂力を持って振り下ろす。如何に外が頑丈な鉄製防具で覆われていようとも、中身は人間であることに代わりがない。
鉄製の武具がぐにゃりと凹み、頭を潰された人間が倒れ込む。
「ゴブリンだ! 多いぞ!」
悲鳴に近い報告と共に、人間を包囲するようにゴブリン達が展開する。野営の為に平地を使っているとはいえ、森の中はゴブリンの領域だった。昨日ゴブリンの大群を追い払ったことと、王が単騎で駆け抜けたことにより、人間の野営地には緩やかな油断があった。
そこに押し寄せたギ・グー率いるゴブリン達はあっと言う間に人間を血祭りに上げる。膂力は元々ゴブリンの方が強いのだ。連携によるゴブリン同士の攻撃は、混乱する人間をあっという間に窮地に追い詰めた。
「荷車を盾に堅陣を敷け! 救援要請の連絡を入れろ!」
だが人間側にとって幸運で、ゴブリン達にとって不運だったのは、この野営地に王に追われた金剛力のワイアードを始めとする冒険者達が紛れ込んでいたことだった。
混乱する人間側を瞬く間に掌握すると、周囲の荷物を積み上げて即席のバリケードを作り上げてしまう。
「落ち着いて対処しろ! ゴブリンどもが荷車に近付いたら槍で突き殺せ!」
「風よ、啼け!」
風術師ギ・ドーの放った一撃も。
「金剛!」
死んだ兵士の盾を使ってスキルを発動するワイアードの前に防がれる。尚厄介なことに、白き癒し手がこの野営地の中心で負傷者を片っ端から癒してしまうことだった。これによって、死にさえしなければ人間側は戦線復帰が可能となる。
対してゴブリン側は、一度負傷してしまえばそのまま戦線を離脱せざるを得ず、統率力の高いギ・グー・ベルベナをもってしても容易に崩すことができなくなっていた。
だがゴブリン側にも勝算はある。ギ・グーが無理をしない理由は後続から来る筈の、氏族を中心とした部隊を当てにしていたからだった。
破壊力のあるガイドガのラーシュカ、遠距離から攻撃できるガンラのラ・ギルミとナーサ。彼らの部隊が到着すれば、攻撃の幅は格段に広がる。
無理をする必要はない。だが、無為に過ごす必要もない。被害を出さずに人間を追い詰めるにはどうしたらいいか。
ギ・グーは自身に言い聞かせると、じわりと包囲網を縮めていった。
◇◆◆
ギ・グー・ベルベナが真っ先に近くの人間を襲いに行ったのとは対照的に、ギ・ゴー・アマツキは見開く瞳のギ・ヂー、隠密ギ・ジーら少数の者を連れて真っ直ぐ集落へと向かった。
確かに人間は許し難い。だが、王が先に進まれたという事態の方をギ・ゴーは重く受け止めた。
「王の下へ急ぐ」
言葉少なく判断したギ・ゴーは、ノーマル達ギの集落出身の者の大部分をギ・グーの主力に合流させて、少数で王の下へ急ぐ。彼にしてみれば、同格のノーブル級の下に付くのも業腹だったし、統率に優れている同輩に指揮を任せた方が結局のところ上手くいくというのを確信しているからこその判断だった。
ギ・グーからは了解と共に餞別として、ギ・グーの右腕ともいえる見開く瞳のギ・ヂーと他数匹を付けてもらっている。
「前ニてキ、数15」
隠密のスキルを利用して、先導をするのはギ・ジー。彼の先導に従って立ち塞がる者を容赦なく倒していく。
「立ち塞がるなら、斬って捨てるのみ」
腰に佩いた曲刀をすらりと抜き放ち、同数以上の人間に向かって奇襲を掛ける。内なる剣神の囁きに、ギ・ゴーの剣筋は冴え渡る。
全身を鉄製の防具で覆っているとはいえ、どこにも付け込む場所がないというわけではない。人間が動いて戦う以上、関節の箇所は必然的に薄くなってしまうし、敵を見るためには視界を確保せねばならない。
その極々小さな弱点を、ギ・ゴーは冴え渡る剣捌きで貫き、切り裂いていった。
振るわれた剣を握る腕の肘に向かって曲刀を振るい、肘から先を刎ね飛ばす。悲鳴を上げる人間の眼球に剣を突き立て絶命させると同時、左右から振るわれた槍と剣を身を沈めて躱す。直後水平に振るわれた曲刀が人間の膝の裏筋を断ち切り、倒れ込む前に首筋に剣戟を叩き込む。
吹き出る血潮を浴びながら、ギ・ゴーは剣神の囁きが前よりも強くなっていることを感じていた。
──もっと……もっと、もっともっともっと!!! 強いやつを斬りたい!!
強いやつを斬りたい。この剣の冴えを、もっと上、天上の遥か高みにまで届かせてみたい。狂気に似たその思いが日増しに、時間が経つに連れて強くなっていく。
敵を葬るたび、ギ・ゴーの渇きは増していた。
──強い者、強い者は居ないのか。そう、例えば……あの、王のような。
王と戦う自分の姿に、ぞくりとギ・ゴーの全身の毛が逆立った。頭を振ってその考えを否定する。王は付き従うべき存在。決して戦うべき存在ではないのだ。
「やってくれる」
低い声がギ・ゴーの耳を打つ。禁忌に触れるようなその想像を振り払い、視線を転じれば、銀色の髪に髭を蓄えた人間が悠然と歩み寄ってくるところだった。老齢に近い筈のその人間から感じる圧力は、今まで相対したどの人間よりも、重い。
「名を、聞こう」
ギ・ゴーの言葉が意外な申し出だったのか、人間は僅かに眉を跳ね上げた。
「聖騎士ゴーウェン・ラニード」
「ギ・ゴー・アマツキ」
名乗り合った二人の歴戦の戦士が、互いの得物を構えて距離を詰める。
「ギ・ゴー殿」
人間を囲もうとするギ・ジー、ギ・ヂーらを、ギ・ゴーは制した。
「一対一の立ち会いだ。何人も手を出す事まかり成らん」
声を掛けながらも視線は一瞬たりともゴーウェンから外さず、ギ・ゴーは距離を詰めた。長剣を片手で構えて、下段に取るゴーウェン。対してギ・ゴーは刀身を背に隠すように脇に構える。如何なる攻撃にも対応できるよう構えたゴーウェンに対して、すり抜けざまの一撃を見舞うギ・ゴーの構えだった。
救援に向かう途中のゴーウェンはこの先々のことも考えなければならない。傷を負うわけにはいかぬゆえに防御を重視した構えを取り、急所を鉄製の武具で固めるゴーウェンのその隙間を狙わねばならないギ・ゴーだからこそ、その構えに辿り着く。
対峙は一瞬。左から抜けると見せ掛けたギ・ゴーの一撃に、ゴーウェンの剣先がギ・ゴーの喉を突く。だがそれはギ・ゴーの罠。
「死ねィ!」
左へ流れかけた体を急停止。長剣の切っ先を寸でのところで躱し、そのまま脇腹に向かって突きを繰り出すギ・ゴー。並の人間なら間違いなくギ・ゴーの一撃の餌食になっていたところを、引き戻した剣で被せるように軌道を逸らす。
ギ・ゴーの突進速度より早く、手元に引き戻した長剣がギ・ゴーの突きを払い落とし、驚愕に目を見開くギ・ゴーの両足を左から右へ水平に一閃、ゴーウェンの一撃が切り裂いた。ギ・ゴーが痛みを感じる間もなく、右に切り払ったゴーウェンの剣先がギ・ゴーの肩を貫いて手元に引き戻る。
瞬時に切り刻まれたギ・ゴーが、重心を維持できず倒れ伏す。
剣の速度があまりにも違いすぎる。だがその速度は、ジェネのように武器の力を借りたものではない。修練に修練を重ね、練り上げたもの。幾年の年月を重ねて、人の力で鍛え上げた武の力であった。
「ギ・ゴー殿!?」
悲鳴に近い叫びを上げて、ギ・ジーとギ・ヂーがギ・ゴーの前に立ち塞がる。二匹ともレア級であり、その戦闘力は決して低くない。
「やめろ、貴様らの勝てる相手ではない!」
ギ・ゴーの叫び。だがそう言われて引き下がれる筈もない。ギ・ジーとギ・ヂーがほぼ同時にゴーウェンに仕掛ける。左右同時、ギ・ヂーが敵の注意を引き付け、ギ・ジーが一撃を加える。《隠密》《連携》の2匹のスキルを利用した一撃を、事も無げにゴーウェンは引き裂いた。
ギ・ヂーの一撃は一振りで吹き飛ばされ、ギ・ジーの一撃を鉄腕で受け止めるとギ・ヂーを吹き飛ばした長剣でギ・ジーの足を切り裂き、ギ・ゴーと同じように肩を突き刺す。
「おのレ!」
再び向かってくるギ・ヂーも寸分違わず同じ斬り方で倒す。その時点でノーマル級のゴブリン達は恐怖に竦み上がった。彼らにとって絶対の存在である筈のノーブル・レア級の強者をまるで子ども扱い。
「くっ……」
傷む傷口を抑えて立ち上がるギ・ゴーに更なる一撃を見舞う。
──せめて一太刀!
その思いと共に飛び込んだギ・ゴーの顔に一閃、頬から額までを切り裂いた一撃がギ・ゴーの視界を血で覆う。
「……充分か」
倒れるギ・ゴーらゴブリン達を目を細めて確認し、ゴーウェンは止めを刺さずに救援を求める者の元へ歩む。彼に従う護衛の兵が、訝しげに鉄腕の騎士に問いかけた。
「止めは、我らが刺しましょうか?」
主に気を使った護衛の一言に、ゴーウェンは首を振る。
「敢えて殺さずに居たのだ。捨て置け」
「しかし……」
尚も食い下がる護衛に、鉄腕の騎士は振り返ることもなく答えた。
「分からんか。私が奴らを殺さぬよう、慎重に傷付けた理由が」
「申し訳ありません」
「奴らは普通の魔物ではない。群れを統括するあの巨大なゴブリンには知性がある。ならば、その部下にも当然その影響はあるだろう……先ほどのゴブリンは足を怪我して動けぬ。ならば、誰かがその体を運ばねばなるまい?」
その答えに護衛の兵は身震いした。目の前を往く老境近い騎士が、幾百の戦場を渡り歩いた歴戦の騎士なのだと再認識したからだ。
仲間に態と奴等を助けさせ、此方に向かう敵の兵力を減らす。
その為に殺さないよう慎重に奴らを傷つけ、歩けないように態々足に傷まで作った。それも致命傷を避けて。
確かに力ならガランドが上であろうし、狂気に満ちた戦意ならジェネが上だろう。だが、戦場全体を見据えて動けるのは、この鉄腕の騎士だけだろう。
「了解しました」
戦慄を覚えながら護衛の兵士は聖騎士の後を追った。
鉄腕の騎士、動く。
次回の更新は水曜日。