ある戦士の死
【種族】ゴブリン
【レベル】1
【階級】キング・統べる者
【保有スキル】《混沌の子鬼の支配者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A-》《覇道の主》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《王は死線で踊る》《一つ目蛇の魔眼》《魔力操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《直感》《冥府の女神の祝福》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv1)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv20)オークキング《ブイ》(Lv40)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》
体の力が感じられない。
リィリィ殿が巻いてくれたこの布がなければ歩くことすらままならなかっただろう。
……歩く。
「ギ・ダー……」
声をかけてきた老ゴブリンの顔色が悪い。この妙な寒さのせいだろうか。
振り返れば後ろにいるのは、己が命を掛けて守らねばならない同胞達。答える力すら惜しんで首を振る。
王は西にいるのだ。
ギ・ガー殿から頼まれた彼らを、王の座所まで自分が守らねばならない。
「王の下へ」
それ以上言う力も惜しみ、ただ足を前に進める。
ぽたりと、水滴の音がする。
そういえば喉が渇いた……。ああ、王の元へ行けたなら、まず美味しい水を満足するまで飲ませてもらおう。
なぜこんなにも、歩くのが苦しいのか。
一歩一歩踏み出すたび、呼吸が苦しくなる。だがそれでも枝を払い、後に続くもの達の為に道を残す。
あ、ぁ寒い。
体の力が抜ける……。
──歩く。
「ク……」
足元の根に足を取られ思わず槍を突く。あまりの気持ち悪さに、胸からせり上がって来るものを吐き出す。
……流れているのは、己が血なのか。
なのにどうして、体は軽くならないのか。
さっきまで見えていたはずの景色がぼやける。
まるで水の中を進むように、足が重い。枷がついているようだ。おもい、おもい……鎖が。
体の力が抜ける……。
──歩くのだ。
目の前が暗くなる。月のない夜でも見えるはずの目の前が、被り物を着せられたように暗い。
もうだめだ。こんな苦しい思いをしてまで、なぜ歩かなきゃならない。
ニンゲンも追ってこない。ニンゲン……。誰だったか、王の下へ届けなければならないニンゲンがいたのだ。
誰だったか。
──歩く。
槍を杖にして、体を支える。そうでもしないと、地面にへたり込んでしまいそうだった。
なぜ?
何故、座ってはいけない? こんなに苦しいのに。こんなに寒いのに……。
足元に王の財の灰色狼が寄り添ってくれる。
俺を、勇気付けて?
……寄り添ってはいけない。血で汚れてしまう。
──歩くのだ。
王の命を果たさねばならない。
そうだ。王、王よ! 我らが王。
槍を握っていない方の手には既に感覚などない。歩くたびに胸の傷から血は流れ、草木を掻き分けるのは既に槍ではなく己の体だ。
王、王よ!
その名を呼ぶだけで、少しだけ力が湧いてくる。我らのために戦う王。ワレラの……。
ギ・ガー殿を始めとした、兵どもを従える姿は魂を奮わせる。
王、王よ! 今、行きます。
あなたのワレラの、大事なモノを届けに──。
「グルゥゥウガ」
殆ど潰れた視界の中に、獰猛な鳴き声が聞こえる。これはなんだったか。四足の……あのケモノ。俺モ食べたことのアる。
感覚のない腕がひっぱられる。
噛み付かれた、のか。
記憶が境目をなくしていく。
右と、左からうなり声が聞こえる。
ギ・ガー殿なら、どうするだろう。俺の槍ハ全てあの方の槍ヲ真似たものだ。それがたまらなくうれシい。後ろから悲鳴ガ聞こえる。なぜ? 悲鳴が、なぜ、ギ・ガー殿が。
ああ──そう、あの一騎打ちだ。
あのニンゲンの振るう剣。どうやったか、ギ・ガー殿は、こう突き出した。
ああ、この感触。
このケモノと初めて戦った時、ギ・ガー殿が教えてくれたのだ。
そう、もう一度。
ああ、だめだ。体が崩れテシまう。突き出そウトした槍を引き戻して、バランスを。
それにしても、クらい。なぜこんなに、クらイのだ。
耳を澄まセば聞こえルノはケモノの息遣イ。ああ、ソウだ。目で追うナと、ギ・ガー殿に教エを受けたのだ。
「ギ、──」
そう、これだ。この感触。
耳を澄まシても、もう何も聞こエない。
なら、また歩かねば──。
「──、ギ、」
また、血を吐く。動きすぎタのか。もう少シだと、思うノだ。
ああ、前から大キなものが来る。
大きな、とテも大きな。ああ、王を感じる。
ワレらの王ヲ……。
「ギ・ダー」
その名前ヲ覚えてイル。俺の名だ。王に与エられシ、俺の、俺ダケの……。
王、王よ!
「良くぞ、歩いたな」
大きな、何カに抱きとメられる。
温かイ。
まるで、中天に輝ク、あの太陽。
「オ、ウ──モ、うしワケ──」
貴方こソ、我ラが、太陽……黒き漆黒ノ、我ラ……ガ……。
◇◇◆
俺は腕の中でギ・ダーの死を見守った。
腕は潰れ、胸は貫かれ、だがそれでも尚、このゴブリンは群れを守って俺の前までやってきた。ギ・ダーの切り開いた血路を通って、こいつの後ろから群れのメス達や、戦えない幼生たち、老ゴブリンなどが歩いてきていた。
「……王、ギ・ダー殿は必死に」
老ゴブリンの言葉を俺は遮る。
「何も言うな。いや、何も言う必要はない」
血を流し切った体はひどく軽い。体に巻きつけられた応急用の包帯が真っ赤に染まり黒ずんでいる。槍は半ばから折れ、だがその穂先は戦いの血に濡れている。これを見れば、ギ・ダーがどうやってここまでの道を歩いてきたのかが分かるというものだ。
ギ・ダーは使命を果たしたのだ。
「子供らよ、覚えておけ。これこそが誠の忠臣の姿だ」
命を懸けてその使命を果たしたギ・ダーに最大の賛辞を送る。
そっとその体を大地に横たえると、背中に担いだ鋼鉄の大剣の柄に手を掛け、抜いた。
「……許さぬぞ。許さぬぞ人間めェ!!」
天を震わせ、地を鳴動させる怒号が《天地を食らう咆哮》となって森に響き渡る。木々は震え、近くにいた鳥が地面に墜落し、大型の動物達が一斉に俺の周囲から逃げ去る。
危急を知って、騎獣兵達を先行させ俺自身は他のゴブリン達を率いていたが、身体能力の差が諸に出てしまった結果、俺だけが先行してしまった。
本来ならあまり喜ばれる結果ではないが、今はそれに感謝しよう。一人の戦士の死を看取ることができたのだから。
煮えたぎる怒りが、腹の中で燻っている。
「人間は、この先だな?」
吐く息にすら灼熱を感じながら、俺は老ゴブリンに問いかけた。
「その通りにございます。ギ・ゾー殿、ギ・デー殿は既に討ち死に。ギ・ガー・ラークス殿は行方が分かりません」
なんということだ。
あまりの被害の大きさに、俺は天を仰ぐ。水術師ギ・ゾー。獣士ギ・デー。そして今また槍使いのギ・ダーが逝った。
「俺は先に往く。後続が来たのなら伝令を頼むぞ」
「ははっ!」
「人間どもを森から追い落とす。我らが領分を荒らした罪を、その身に刻みつけてもらおう!」
地面を蹴って走る。
──いる。
大勢の蠢く気配を感じる。
これが、人間。これが人間の気配か!
仇は取らせてもらうぞ!
◇◆◆
冒険者たちは領主軍が正面からゴブリンの群れを叩く間、後背に回ってそこを突くという作戦を立てていた。だが、その際ゴブリンたちがどちらの方向に逃げていくかが分からなかったため、幾つかの場所に分かれて布陣をすることになったのだ。
ガランドが聖女を“救出”したとの報告を受けた後、金剛力のワイアード、白の癒し手、破杖のべランのグループは纏まって帰還の準備をしていた。
朝方に仕掛けたゴブリンとの戦いは粗方片がつき、今冒険者たちは帰還の準備をしているところだった。
「ま、全員無事で何よりだったな……多少ゴブリンの数は多かったが、目的は達成できたし」
熟練の冒険者たるヴィッツの言葉に、金剛力のワイアードも頷き、警句を口にする。
「だが、まだ森から出たわけじゃない。最後まで気を抜かないことだな」
落ち着き払ったワイアードの重みのある言葉に、ヴィッツは焚き火に掛けた食料を口にすることで浮かれる心を誤魔化した。
「そういえば、その聖女様は?」
「一足先に集落に入ってもらったらしい。ミールが付きっ切りで看病してるとさ。白き癒し手、あんたは行かなくて良かったのかい?」
鷹の目のフィックが答える。
「ええ。私の術は体の傷を治すものです。精神的なものを直すのは、いつでも人の絆というものですよ。神様も仰っています」
白き癒し手が柔和に笑う。
「まぁゴブリンに捕まっていたなら仕方ないか……それにしても、これでガランドは英雄様だな」
「ふむ、まぁそうなるな。これからは勇者様とでも呼んだ方が良いのかもな」
重々しくもワイアードが口元を引き攣らせながら冗談を言う。
「勘弁してほしいものだ」
堅苦しいのは好きではないと、元騎士であるべランが返す。
自然と笑いが漏れる。
「まぁなんにせよ。これで目出度く──」
そこまで言って、森の奥から響いてきた咆哮に全員が一瞬身を硬くする。
「──なんだ、今何か」
ヴィッツの戸惑いに、ワイアードが素早く指示を出す。
「火を消せ。フィック周囲の警戒だ。全員油断せずに武器を取れ」
吹き出る汗を拭いながら、ワイアードは自身の武装を確かめる。
「いいか、絶対に騒ぐな!」
普段の余裕ある言動は既にない。
「なんだ、何が来る?」
「わからねえ……俺にも見えない」
フィックの言葉に、息を呑む。
「……少なくとも、今までで最強の部類の敵だ」
少し離れたところに領主軍の一部隊の野営地がある。見張りに立っている者以外は寝入っていたのだろう。慌しく火を炊いて、武装を整え始める領主軍。
大軍故に、森の中で一箇所に纏まって野営できない領主軍は、集落を中心に20人程度の野営地を幾つも張っていた。
「知らせてやらなくて良いのか?」
「行けば貴方が死にます。これも神のお導き」
白き癒し手が本気か冗談か判らないことを言う。
便利な神様だなと思っても、ヴィッツは反論しようともしなかった。茂みを掻き分け木々の間をすり抜け、物凄い速度で走る巨大な影を見たからだ。
「グルウゥゥゥアァァア゛ぁ゛アァ!!」
天と地を震わせる咆哮が夜の闇に響き渡る。
怒り狂う獣の咆哮に、領主軍の野営地にいた者達は残らず竦みあがって、震えながら武器を構えていた。
「投降すれば命は取らん!」
俺なら喜んで投降する。その恐怖から逃れられるなら間違いなく、とヴィッツは考えていたが、ゴーウェン領主軍の兵士は悲しいことに勇敢だった。
「ば、化け物め!!」
一人が剣を振り上げると、他の兵士たちも従う。
だがその勇気は無謀と言われる類のものだった。化け物の大剣が一閃。頭から股間まで一気に叩き割った。鉄で装備を固めた人間を一刀両断してしまえるだけの膂力。
後は一方的な虐殺だった。
さして時間もかからず領主軍の野営地を一つ潰した化け物は、怒りが収まらないのか、なお咆哮をあげる。
その声はまるで、嘆きを振り払おうとする叫びのようだった。
ギ・ダー討ち死に。苦痛の中で最後までそれに抗う姿いかがでしたでしょうか。
そして、ここからやっと王様の出番です。ゴブリンの反撃はなるか?
次の更新は日曜日になります。どうぞお楽しみに。