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狼浪奇譚  作者: ただ
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始まりの鐘3/ さよならだね

全身を紅に染め青年が地に伏す。

風の魔術で全身を切り裂かれ、細剣で体を貫かれた体は満身創痍とすら言えない瀕死の状態だ。もはや、青年が地面に転がった回数は数えるのも面倒な程。だが、その度に青年は立ち上がり、女に潰された。青年を殺そうと思えば女は赤子の手を捻る様に容易く殺せるだろう。しかし、女は青年を殺さなかった。


まるで、何かを測るように、

何処まで行けるのかを確かめるように女は青年を攻撃し続けた。


「さて、イズミ。君は何故立つんだい。君は間違いなく死ぬ、それだけの傷は与えているからね。だから、もう眠ってもいいんだ。そんなに苦しむ必要は全く無いんだよ」


「い、ち秒でもな、がく生きれば、なに、かおき、るかも知れない」


口に溜まった血と疲労が、青年の言葉を途切れさせる。

むしろ、意識を保ち女の言葉に返せるだけでも驚愕に値するだろう。事実、女は感動に近い感情を覚えていた。最初に浴びせた魔術からの再建もそうだが、絶望に近い現状ですら眼から光は消えて居ない。


青年も判って居る筈だ。

力の差を、打開出来る策が何も無い事も。だが、それでも尚青年は諦めない。その意志の強さ精神力だけで言えば青年は一流と言える。けれど、それだけでは足りないのだ。根性だけでは、弱肉強食の世界であの子と共に生きる事は出来ない。


「大した夢想だね」


風が舞う。

それは容易く青年を弾き飛ばすと地面を舐めさせる。それが、何度も何度も繰り返される。倒れ、起きて、倒れ、起きて、また倒れて。もはや、地面ですら青年の血によって赤に染まっていた。


女が青年に近づき、身体を切り裂く。

細剣が青年の体を通り抜けたその瞬間、とうとう、青年の眼から光が消えた。前のめりに地面に倒れていく。どさりと、物体が落ちる音がした。意志の光が消えた以上、立ち上がる事は二度とない。


「がんば、れ、負、けんな、ちか、らの限、り生きて、やれ」


ぼそりと青年は何かを呟いた様だが、女は気にも掛けなかった。




女は失望を隠さずに嘆息した。

希望が大きかっただけに、その失望の幅も大きかった。青年が女の琴線を震わすには、後一歩何かが足りなかった。それはきっと小さなモノ。けれどきっと大きなモノ。その一歩に青年は届かなかった。


女は細剣を消すと、青年にも目もくれず丘の淵に視線を送る。

そこには、女の魔術に縛られ姿を消していた狼が居た。戦闘の途中、丁度青年が四連撃を出した辺りから狼は丘に戻って来ていたのだ。それに青年は気付かなかったが女は狼の気配がした瞬間に魔術を発動させ狼を捕えていた。女の当初の目的は既に達成されていたのだ。女は青年の骸に背を向けると狼に近づいていく。


「残念だったよ」


それが、青年に送る女の別れの言葉だった。

これで、始まりもしなかった物語は終わりだ。青年は自己満足を抱えたまま死に、狼はあるべき場所に送られ、女はまた退屈な日常を送るのだろう。ああ、と女は空を眺めた。そこには白銀の月と黄光の月が世界を照らしている。何時の間にか空は晴れ、満点の星空の中双月の満月が一際輝いていた。


「折角合わせたんだが、無駄になったね」


ぽつりと呟き、女は狼を見る。

先程まで唸りに唸っていた狼は青年が倒れてからずっと静かだ。これは諦めたのか。まあ、楽でいい。女は狼にかけた結界を張ったまま、空間転移の術式を編み始める。緩やかに流れる様に構築される術式は結界に捉えた狼ごと移動する高等な物だ。それを容易く操る女の技量は目を見張るものがある。


だが、それでも結界の強度を維持したまま作る事は難しいのだろう。

狼に掛けた結界が弱まったのが判った。無論、多少弱まったとはいえ結界の力は相当なものだ。少なくとも今の狼に破れる代物ではない。仮に狼がこの結界を破壊出来るとしたら、それは奇跡と言って差し支えは無いだろう。故に女はゆるりと余裕を持って術式を編み上げていく。その途中狼の眼が光り、狼の圧力が高まったのに気付かぬままに。


ぴりぴりと狼の内部で魔力が圧縮され練度が上がっていく。

一分ともこの魔力を放出する事は出来ない。この魔力が切り札だ。この圧縮された高密度の魔力が最後の希望なのだ。


狼の脳裏には飽きずに何時も同じ練習をしていた一人の青年。

その魔力循環圧縮技術は、長い時を生きた狼から見ても見事なモノだった。だからこそ、魔力の正しい使い方を教えて上げられない事が歯痒かったが、青年には感謝している。自力で戒めを打破出来る可能性を教えてくれたのだから。


ずっと狼は青年を見ていた。

青年は気付いていないけど、密かに練習もしていた。だから、今なら多少の真似事は出来る。回す、廻す、舞わす。必要なのは一撃だけ。その一撃の為に全てを注ぐ。


ぷちんと血管の切れる音がした。

眼球は真っ赤に染まり、視界すらも紅い。それでも、止める訳にはいかなかった。これでは届かない。これでは壊せない。苦しい辛い、けれど、今限界を超えないで何時超えるのだ。


「おや?」


ふと狼を見ると、女は口角を吊り上げた。

女の眼には静かながら気迫を上げている狼が見えた。諦めたと思ったが、そうではなかったらしい。その狼の姿を見て女は思う。やはりこの日に合わせた甲斐があったと。


今夜は双月が共に満月になる「マッチング」の日。

狼族が月の魔力を多大に受ける種族である以上、何かの足しになると思っていたが、これは予想以上だ。けれど、まだ足りない。女が見る限り、今の狼では結界は破れないだろう。破る為には後一押し何かが必要だ。さあ、どうする。タイムリミットは転移の術式が組み上がるまでだ。


かちりかちりと術式が完成していき、それと同じように狼の魔力も練り上げられていく。

こちらの意図が見抜かれたのは必至。けれど、此処まで来て負ける訳にはいかない。やがて、女の魔術が完成したのと、狼の魔力が臨界点を迎えたのは同時。狼の全身を廻っていた魔力が一点に向け奔り出す。それは疾走であり咆哮。圧縮され練磨された魔力は力ある言葉として狼の口から飛び出した。


「ウォン!!!」


狼の咆哮が響き、結界が破壊される。

今までの強固さが嘘の様に、結界は呆気なく壊された。パリンとガラスが破壊された音が響き、転移の術式も霧散する。それは、女の想定内であり予想外。百に一つの確立が成った奇跡の瞬間。女の視線が狼に固定され意識さえも縛られた。狼の事以外考えていない。それは完全なる空白。ぽっかり空いた隙だった。故に、女は感じ取れなかった。狼が起こしたもう一つの奇跡を。


女の間隙を縫う様に突風が奔る。

それは、意識の底の底から叩き起こされた、小さな、けれどとても大きな意志。全ての景色を置き去りに、倒れ伏した青年が女に向かって肉薄した。




「ウォン!!!」

それは有り得ない光景だった。

青年は確かに倒れ、眼から光が消えた後に意識は涅槃の彼方へ消えた筈だ。だが、血に塗れた青年は今まで見た中での最高速で迫って来ている。否、既に肉薄されてしまった。細剣を取り出すのも間に合わない、それどころか防御すら間に合うのか。


青年の右手に握られた鎧通しが女の首筋目掛け振り抜かれる。

その速度、その重さ、比類なき一撃は容易く女の首を飛ばすだろう。だが、首筋の一寸手前で鎧通しは止まった。風によるガード。無詠唱による女の魔術が致命を阻む。


しかし、青年は止まらない。

左肘を折り畳みそのまま女の鳩尾目掛け肘撃を繰り出す。ごんという鈍い音が周囲に響き、女は軽く宙に浮いた。風のガードで直撃こそしていないが、それでも衝撃全てを受け止める事は出来ない。


ゆったりとした動作で青年は左肘を伸ばしていく。

遅いのに速い、そんな矛盾すら含んだ拳は、とんと、女が張った風の楯に当たった。どこに打つか解らない拳故に女のガードは広く浅い。胸周辺に張られた楯は薄いとすら言えた。だからこそ、貫ける。


青年の震脚に地面が割れ、そのエネルギーは体を伝達し拳に向け走り出す。

凄絶な気すら含んだ拳はもはや破裂間近の爆弾だろう。女の脳に最大の警報が鳴り響く。だが、遅い。予知染みた直感も今回ばかりは役に立たなかった。


女の背筋にぞわりと怖気が走る。

ああ、本当に何て愉快、何て痛快か。それは、歓喜であり熱望であり期待だろう。気付かぬ内に女の唇は弧を描いていた。




パリンと余りにも呆気なく風の楯は消え去った。

風を貫き巻き込むように一筋の光が奔っていく。それは山吹色の拳。研ぎ澄まされた山吹は、翡翠を突き破る必倒の打拳だった。命すら乗せた突きが女の心臓を貫く。命の要が激しく震え、身体全体に衝撃が伝播していく。嘔吐感が湧き上がり、口内に鉄の味が充満すると膝の力さえ抜けていた。有り得ない程の打突。長い人生でこれ程までの打突を受けたのは随分と久しぶりだろう。素晴らしい。全く以て、素晴らしい。


女は気を振り絞って風を操ると、青年から間合いを取る。

そのまま揺らぐ視線を無視し眼前を睨むと、そこには血に塗れた青年がいた。

青年は拳を振り抜いたまま固まっていた。鎧通しを握ったまま、拳を固めたまま、眼光鋭く、青年は立ちながら倒れていた。それは、奇跡の残照であり、最後の一歩だった。




狼が青年の下へ走りよる。

唸り、全身の毛を逆立たせる姿は、魔狼というに相応しい。その威圧感は先までの狼には有り得ない力。まるで、何かが解き放たれた様に思える。しかし、それでも女には遥か遠く及ばない。


「邪魔だよ」


女が右腕を振り抜いた瞬間狼に突風が襲い掛かる。

渾身の力で地面を掴んでいるが足りない。風に弾かれ、狼は地面を無様に転がった。だが、諦める訳にはいかない。この命、この魂、全て投げ打ってでも青年を助けるのだと、狼の眼光が語っている。


「静かにしてくれるかな」


だが、弱い。

風が狼の囲み結界の中に閉じ込める。狼が女の予想を覆し感情を昂ぶらせたのは事実。けれど、今の感動、今の感激には遠く及ばない。それを邪魔する者は、例え狼相手でも許せそうに無かった。


やがて、二人になり静かになった丘に女は満足そうに頷くと、そのままゆっくりと青年に近づいていく。その足取りは、まるで少女がお気に入りの存在に会いに行く様だ。だが、確かにそうかもしれない。青年は女が初めて認めた、前途ある若者になったのだから。


青年は未だ虚空を睨みつけている。

その眼光を見るだけで女は興奮すら覚えていた。やがて、青年の視線を浴びながら女は青年のもとに辿り着いた。


彫像の様に固まった青年が、女にはまるで芸術品の様に見える。

そっと、大切なモノに触る様に女は青年の頬に手を当てた。血が固まり砂すらついた顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。だが、それが良いのだと女の視線は語っている。


これは彼一人の力では無く、狼の力を借りたのは解っている。

けれど、出来るだろうか。肉体の限界を超え、精神の臨界を超え、魂で戦う事が。青年は完全に完璧に意識を失っていた。死に際にいたのだ。だが、青年は戦った。狼の声に反応して、彼は現世に戻って来た。


期待に応える。

言うのは簡単だがそれを成す事は難しい。だが、青年は見事に期待に応えた。狼の声を魂で聴いたのだ。ならば、あの奇跡はもはや必然だろう。青年は積み重ねた過去で未来を変えたのだ。


ぶるりと女の体が興奮で震えた。彼ならば、彼と彼女ならば、本当に届くかもしれない。


「ご褒美だよ」


女は優しげな表情のまま、唇から流れた血をそのままに、青年に優しく口づけをした。

青年の血と女の血が混じり合う。互いの唇を紅に染めた頃、ゆっくりと女は青年から離れた。とたん、青年の体ががくんと崩れる。それを女は優しく受け止めると、地面に仰向けに寝かせた。


結界の中が五月蠅いようだが、気にもならない。彼は自分の希望になったのだから。

女はそのまま地面に座り、青年の頭を膝に乗せると、青年の体に治癒魔術を施す。青年の体がエメラルドグリーンの風に癒されていく。流石に失った血液までは戻らないが、今はこれで十分だろう。青年の髪を弄りながら、青年の体を観察しながら、女はこれからの事に思いを馳せる。実に楽しみだ。是非とも秘蔵のワインすら空けて飲み明かしたい気分ですらある。


その中で、ふと、女は青年の手にある鎧通しに目をやった。

そういえば、戦闘中から気になっていだが正直見たことも無い武器だ。似た様な短剣はあるが、魔具でも無いのにここまで頑丈で切れ味鋭い物を女は知らない。ふむと、女は青年の手から鎧通しを抜き取ると目の前に翳した。その刃に思わず女は感嘆する。


月光に煌めく鎧通しは日本刀の美しさを存分に引き出し、見る者を唸らせる力があった。

また、戦闘中では余り気にもならなかったが、片面が直刃でもう片面が乱れ刃というのも初めて見る物だ。この刀の刃紋に関しては青年の師の趣味だったが、珍しいという意味ではこちらの世界でも同様で、女は貰っていいかなとすら思っている。


様々な角度から、魔具である眼鏡を通して観ると、日本刀の特殊な構造がよく判った。

正しく魔具作成に力を入れたこの世界では到達出来なかった逸品だ。そこまで判別すると、女は眉間に軽く皺を寄せた。いかに優れた武具だろうと所詮は鉄の塊である。いくら魔力を浸透させ頑丈さを上げようとも、いずれ限界がくるだろう。事実、女が刺突を旨とする細剣使いでなく、斬撃や打撃を主体とする武器使いだったら、鎧通しは只では済んでいないだろう。


これ程までの武具が無くなるのは実に惜しい。

どうしたものか。女はしばし思案すると、にやりと笑った。悪戯を思いついた少女の様な笑みだった。




やがて、丘に落ちていた青年の鞄と青年自身の検査を終えた女は、ゆっくりと立ち上がった。

空はすっかりと晴れ、雲一つない夜空が広がっている。その中で一際目立つ二つの月を名残惜しげに女は眺める。双月は光輝き世界を優しく照らしていた。


自分が認めた青年と宿命を背負った狼はこれからどうなるのだろうか。

その先は苦難の道だ。茨の道だ。か細い光を頼りに暗闇を歩く様な道だ。それでも、その道の先により良い未来があると信じたい。何れにせよ、もう後戻りは出来ないだろう。賽は投げられたのだから。


「さよならだね」


ふわりと風が吹く。下した女の黒髪が爽やかに揺れると、美貌の女は消えていた。月の下には青年と狼の姿が残るばかり。余韻は静かに、始まりの鐘を鳴らしていた。

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