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狼浪奇譚  作者: ただ
42/47

エレント15 / 想い違い

男は歯噛みしていた。

男以外誰も居ない暗い室内で、男は鬱々した感情を持て余していた。色素の抜けた金髪をオールバックに綺麗に撫でつけ、細い双眸はまるで爬虫類の冷たさが宿っている。見るからに神経質という印象を与える男だ。名前をピエール・ドールマンという。


「何故、今更掘り返す!馬鹿共が!」


ピエールは溢れる感情を机に叩き出した。

高級な木製のデスクが揺れ動く。ピエールはエレントにおける有権者の一人だ。エレントに住む貴族であり、また迷宮ヨルミナを監督する者である。そして、親戚にあたる前責任者ミゲールからヨルミナの秘事を受け継いでいた。


もし、あの秘事が表に出れば折角手に入れたこの椅子を手放し、また上に行ったミゲールからの追及もあるだろう。


そうなったら、ピエールは終わりである。

少なくとも今後数年に渡り、権力の中枢を担う事は叶うべくも無い。だからこそ、ピエールはヨルミナに関しては、疑心を抱かれぬ様に細心の注意を払い事を動かしてきた。今回も前探索隊のセーミア・フレルが動いた時点で干渉する予定だったのだ。しかし、それも叶わなくなった。


「あの、女のせいで」


ぎりぎりと憤然冷めやらぬとピエールは呪詛の様に言った。

そうだ、あの黒衣の女さえ現れなければ、今まで通り全てが上手く回っていたのだ。


仕事を終え、家に帰り自室の扉を開けると女は佇んでいた。

何の前触れも無く、風の様に突然表れた絶対者。今後関わる事も無いと思っていた別世界の住人。


シルフィーア・W・エドウィン。

あの女の言葉のせいで、ここまで苦しむ必要が出来たのだ。ヨルミナの探索権には手出し無用。奈落の様な深遠の瞳に覗かれると、ピエールは無言で人形の様に頷く事しか出来なかった。白昼夢の様な出来事だったが、一言、伝えたよという簡素すぎる刻印つきのメッセージカードが、現実の出来事だと告げていた。


ミゲールから過去には気を付けろと言われていたが、こんなものは貴様の尻拭いでは無いか。ピエールは益々苛立ちを募らせた。その時、ノックが響いた。



「入れ」


入室し、一礼すると、女は顔を上げた。

其処に立つのは、ぞっとするほど怜悧な印象を与える、白い女だった。





「自分の家を人に教えられるとは、なかなかショックだ」

「自業自得でしょう」

始めて見る街並みの中、エルさんの後を付いて行く。

グレートグリーンからエレントに戻ったのは良いが、家どころか道すら覚えていなかったせいだ。エルさんの案内で冒険者協会に行き、ディートリヒのおっさんにメッセージを送った帰りである。


「到着しましたよ、草麻」

「此処ですか」


若干古びたアパートメントの三階の角部屋。

それが俺達の部屋らしい。エルさんが普通に合鍵を持っているが、まあ今更なんだろう。ドアを開け、玄関を潜ると閑散とした室内が見える。二ヶ月近く人が居なかった事を考えれば、綺麗といえば綺麗だろうか。


「それで、俺の部屋は何処ですかね」


「右手側の部屋ですね。左側はサクラの部屋で今は私が使っています」


「了解です。買ってきた酒とかはどうしますか?」


「とりあえず、冷蔵庫に入れておきましょう。まだ、昼前ではありますが正直ゆっくりしたいです」


「ですね。おっさんからは連絡が来ると思いますし、それまではだらけますか」


全ての荷物を俺の部屋に置くと、漸く一段落と言ったところだ。

ヨルミナ探索までもう幾日も無い筈だから、準備を考えるとゆっくり出来るのは今だけだろう。さて、どうしたもんか。首筋を撫でながらキッチンに戻ると、エルさんが着替えを持って立っていた。


「草麻、シャワー先に借りますね」

「どうぞ」


いきなりの事に何も考えずに返答してしまったが、二ヶ月も使っていないシャワーは大丈夫なのだろうか。まあ、エルさんが使うと言った以上問題はないと思うけど。というより、羞恥とか躊躇いも無く普通にシャワーを浴びにいく時点で、やっぱ男として見られてないんだよなあ。そういうのが許される立場では無いとしても軽く凹む。


嘆息しながら俺はやれやれと椅子に座った。

頭の後ろで手を組むと、ぼんやりと天井を眺める。だらけるとは言ったものの、やる事は色々あるのだ。エルさんに気を使わせるのもなんだし、先にやっとくべきだろうか。椅子から立ち上がると、シャワー室のエルさんに声を掛けた。


「エルさん。俺、ちょっと出掛けて来ますね」

「え、草麻?」


驚いた様な声が聞こえるが、最後までに聞かずに部屋を出た。

向かう先は冒険者協会と、ヴェルンデさんの工房である。




「エルさん!遅くなりました!」

協会での野暮用とクロスさん達への謝罪が終わると、気が付いたら日が暮れていた。クロスさん達が俺の罪を許してくれたのは真に僥倖だったが、まさか此処まで時間を忘れてしまうとは情けない話だ。


ていうか、別に何も約束してなかったし大丈夫な筈。

どきどきと不安に喚く心臓を無視し玄関を開ける。慎重に足をキッチンに運ぶと、山姥が居た。いや、イメージだが。


「おかえりなさい、草麻」


きーきーと流し場で、杭の様な短剣に砥石を掛けるエルさん。

以前俺が買ったらしい服の上にエプロンをつけた可愛らしい服装だが、水に濡れ、煌めく刃を据わった目で見据える姿はもはや恐怖しかない。震える声を抑えながら改めて帰宅の挨拶をした。


「ただいまです」

「何処に行っていたのですか?」

「いや、ちょっと、そのクロスさんの所へ」

「そうですか。クロスの所でこんなに時間が掛るのですね」

「あ、はは。ちょっとクロスさんの工房の場所が判らなくて、はい」


俺が言い訳を呟いた瞬間、銀線が閃いた。

胸元に投擲された短剣を懸命に躱すが、流石に完全とはいかず道衣の前が裂かれる。ちっとあからさまな舌打ちが耳に届いた。相変らず躊躇いの無い人だ。


「いきなり何すんですか!」


慌てて文句を言うが、エルさんは全く気にした様子も無く、しれっと言うだけである。


「何、切れ味を確かめただけです」

「人で試さないで下さいよ」

「剣は所詮凶器、他に何で試せと」

「俺以外?」

「私に犯罪者になれというのですか?」


論点が大分ずれているが、確かに刺突大好き娘であるエルさんを野放しにするのは拙い気もする。出会った時は、憶えていないが、こんな危険な人では無かった気がするんだがなあ。はあと溜息を吐くと、とりあえず椅子に座った。


「おっさんから連絡ありました?」

「ええ。というよりも、草麻の部屋で寝ています」

「え、マジですか」

「はい。食材も買ってきたから、作ってくれとのことです」

「あのくそおやじ。もっと早く言っとけよ」


俺が悪態をつき終わる頃には、もう流し場は片付いていた。

砥石の代わりにまな板を置き、短剣に変わり包丁を握る姿は素直に美しい、というか、嬉しい。ロングスカートに簡素なブラウスとエプロン。若奥さんいらっしゃいである。


手伝ってみようかな。

こう脇によって、手取り足取り腰取りみたいな。むふとエルさんの後姿に妄想していると、唐突に俺の部屋の扉が開いた。


「おう、ソウ。邪魔してるぜ。エル、顔洗ってくるわ」


簡素な室内服を来たおっさんは、挨拶もそこそこにシャワー室に消えて行った。寝惚け眼で髪を掻く姿ではあるが、ぐうの音も出ないオヤジなイケメンである。むしろおっさんの自然な態度に俺が客みたいな雰囲気さえあるのが何とも悔しい。


何か、日曜日に遅く起きて来た夫と、苦笑しながら料理をする妻みたいな。自分の家なのに疎外感が酷い。ていうか、何で俺は部屋の中でも一人だけ道衣を着てるんだよ。血がついたり破れるからだよ。畜生。


「ソウ、お前なにぶつぶつ言ってんだ。気持ちわりいな」

「おっさんみたいな、顔の良い男には判りません」


むすっと言うが、おっさんには通用しないようだ。

おっさんは、タオルで顔を拭きながらエルさんに声をかけた。


「ん、そうか?エル、グラスはどこだ」

「そこに入っているので、勝手に取って下さい」

「仕方ねえな。ソウはどうする?」


グラスを二つ持ち、おっさんは目を俺に向けるが、さてエルさんだけに料理を任せていいものか。エルさんに顔を向けると、微笑みながら頷いてくれた。


ど真ん中直球の笑みに思わず胸が跳ねてしまう。

その穏やかな表情に、さっきの投擲は白昼夢だった事を俺は確信した。


だって、そうだろう。

こんな綺麗で優しい笑みを浮かべられる人が、躊躇いも無く凶器を向けるか。向ける筈がないだろ。確かに魔浸術を契約してから、さらに容赦が無くなった気もするし、何回か内臓まで入ったけどそれも気のせいなのだ。そう、悪い夢なんだよ。俺は自分を納得させる様に頷くと、おっさんに言った。


「夢にしとこうぜ」

「何言ってんだお前」


おっさんとエルさん、二人の可哀そうな目がきつかった。




さておき、おっさんと向かい合う形で座り、酒を酌み交わし始める。

おっさんがわざわざ買って来たのだろう。食前酒に近いワインはあっさりとして美味かった。肴はとりあえずチーズ。ばっちりだ。


「で、だ。先ずはこれがヨルミナ探索における契約書だ」


おっさんから数枚綴りになった書類を受け取る。

日付は四日後か。ヨルミナの場所は馬とかで三日程だから、そこまで余裕は無いな。ぱらぱらと流し見てる内、ある一点に目が止まった。


「おっさん、マジですか」


俺の非難染みた視線におっさんは大袈裟に肩を竦めた。

書類には、アルフレッド・ノエルと共同探索と書いてある。


「仕方ねえだろ。支部長命令だぜ。というよりも、俺達の面子で同日探索が許されただけでも儲けもんだぞ」


「………まあ、そうですけどね」


探索メンバーの欄に目を落とすと、確かに支部長の豪胆さがよく判る。

俺等は本来探索に比重を置かない狂戦士を筆頭に、四級冒険者と準三級冒険者という頼りないメンバーで、対する相手には俺とパートナー登録しているサクラに専属受付のセーミアさんが居る。アルフレッド側は他にもメンバーがいるが、誰が見てもおかしいと思える話だ。


「とはいってもだ。堅苦しい事は無くしてあるから、迷宮に入って直ぐに殺すのもありだぜ」


清々しくも爽やかな笑顔で物騒極まりないセリフを吐く狂戦士。

俺こんな奴と戦ったのかよ。頭わるいだろ。ふうと息を吐くと、突然隣から声が追従した。


「それでは、ジンベレルは私が殺しますか」


机にパスタとサラダを並べながら、ごく自然にエルさんは言葉を繋げた。気負いも無く冗談の様な軽さも無いのが実に判断に困る。というよりも、服装と言葉の内容のギャップがひどい。


「じゃ、俺はネーヴェって奴だな」

「ええ、頼みます」


そう言うと、また料理に戻るエルさん。

また直ぐに殺すとか殺さないとか、やれやれ、やはり常識人は俺だけなのか。非常識な面子相手に、俺は思わず首を振ってしまった。


「言っとくがな、一番おかしいのはお前だからな」


にやりとやらしく笑うおっさん。

あっさりと心を読むな。


「そんな訳ないでしょう」

「おい、エル。ソウがまたバカ言ってるんだが、何か言ってやってくれ」

「強いていうなら、私が一番まともでしょう」

「心臓貫くのが好きな人が何を言ってるんですか」


エルさんの言葉に先の願望を無視して、つい速攻で突っ込んでしまった。

だが、俺の的確な言葉もブーメランの様に戻って来る。


「心臓を貫かれて平気で生きている人が何を言うのですか」


はあと溜息、その後、ばちとエルさんと俺の間で火花が散る。

果たして心臓を貫くのが好きな変態と、貫かれても生きている変人。いや、普通人。どっちがまともなのだろうか。けれど、生きるというのは嗜好ではなく極めて自然な生物の状態なので、先ず間違いなく俺が勝つだろう。うむと、自信満々に腕を組んだ。しかし、対面に座る奴から信じられない言葉が発せられた。


「てえことは、この中じゃ俺が一番常識人か。まいったなこりゃ」


照れた様に頭を掻く褐色の男。

俺とエルさんは同時におっさんを見るが、直ぐに追撃できなかった。なぜなら、戦うのが趣味というのは、冒険者ならずとも珍しい話では無く、また、それを除けば一番真っ当な人な気がせんでもない。


そう、一瞬でも思った時点で俺達の負けだった。

俺は机に突っ伏し、エルさんは膝を付いた。おっさんの笑い声だけが空しく部屋内に響き渡る。狂戦士に常識人の座を奪われる俺達って、一体。




俺はちょっと身体が丈夫な一般人。

骨が折れようが、筋肉が千切れようが、内臓が破裂しようが、事も無しな、丈夫が取り柄の一般人。自己暗示による自己再建を終了させると、おっさんを睨む様に見た。


「それより、おっさん。迷宮探索にあたって俺等がすることは何かあるんですか?」


「そうだな、ヨルミナはいわゆる変化型迷宮だから地図は無いに等しい。だから、トラップ等の傾向と通路における支点を覚える必要がある位か。その辺はセーミアに聞いてるか?」


「ええ。ランダムに、だいたい数日おきに迷宮内の通路及び配置されている罠が変化すること。ただ、支点と呼ばれる場所は変わらないので、そこを基準に攻略するのが変化型迷宮探索の基本になる、ですよね」


「そうだ。ヨルミナは洞窟みたいな自然を利用した迷宮ではなく、人工的な基地みたいな印象も特徴だな」


「おっさんは、潜った事あるんですか」


「ま、一応な。ただ、その時は一人で探索したんでそこまで深い階層にはいけてねえ。それもセーミア達が探索するよりずっと前だ。当てにはなんねえな」


「そうですか。俺もヨルミナの罠は一通りセーミアさんに教わってますけど、出たとこ勝負になりますかね」


俺は観念したようにワインを一口飲んだ。

おっさんは、俺の言葉に頷くとじっと俺を見る。


「最初から分の悪い話だから、仕方ねえな。というより、お前はそこは憶えてるんだな」


不信というよりも、興味の視線がありがたいが、俺としても曖昧な部分なので、意図せず他人事の様な口調になる。


「人の脳で一番容量を使うのは、感情の記憶らしいですからね。知識は捨てる必要が無かったというよりも、知識を無くして会話すら出来なくなったらという考えがあったんじゃないですか?」


自分のやった事だが本気で判らないので、疑問形になってしまう。

だが、おっさんも、例の無い事と、何よりも大雑把な性格も相まって、追及する事はなかった。


「そうか。一応ヨルミナの資料も持ってきたから、後で読んどけ」


「ありがとうございます。食料とかはどれ位いるんですか?」


「そうだな。ま、三日分てところか。準備は出来てるからよ、明日教えてやるよ」


わかりましたと頷く。

その時、エルさんが肉のソテーを置き、俺の隣に座った。追加のワインも一緒だ。改めて三人で乾杯を終え、ふと間が空いた時におっさんがとんでもない事を口にした。


「それで、お前等は魔浸術はともかく、ヒメの嬢ちゃんを解放する手立ては何かあんのか?」


………………あ゛。

解放!?だと。


「ああ、介抱ね、介抱。サクラは衰弱してるかもしれねえからな。うん、だけど、エルさんは治癒魔術の使い手だからその辺は何の問題もねえよ」


「おお、そうか、そうだな。エルに掛れば、弱ったヒメの嬢ちゃんの身体も快方に向かうだろうよ」


はっはっはっと、二人して笑う。

実に白々しい会話に、嫌な汗が背中どころか全身を伝うのが判る。初手で笑って誤魔化すというちゃちな手は使わなかったが、それを軽く返すのはやはり年の功だろうか。


「………………で、だ」


長い沈黙の後、おっさんが据わった目で俺を見る。

だが、こちらからは空笑いしか出せやしない。何せ全く何も考えて無いのだ。そもそも、その手の発想自体が無かった。魔浸術を収めれば何となく万事解決という気がしていたのである。


というか、普通に考えてそうだよな。

ぐーで殴って事件が終わる訳がない。やがて、俺の乾いた声が途絶えた時、おっさんの呆れた声が虚しく響いた。


「お前、分の悪い賭け、本当に好きだな」


純度百パーセントの感嘆の声にぐさりとくる。

と、そこにエルさんが何でもない様に言った。


「草麻、貴方は気付いて居なかったのですか?」

「何がですか?」


ぱちくりと、ワインを片手に目を開くエルさん。

何か俺は見落としているのだろうか。エルさんは視線を俺の腰元に向けると言った。


「貴方の持つ風薙ぎは、一級の解呪魔具でしょう?」

「え?」

「え?」

「あん?」


上から、俺、エルさん、おっさんである。

三人共にクエッションマークがついているが、さもありなん。どういうことだ。再び嫌な沈黙が食卓を包む中、意を決して俺が先陣を切った。


「えっと、エルさんどういう事ですか?」

「あ、と」


動揺し、エルさんは眉根を寄せながらも、予想を口にしてくれた。


「草麻が、風薙ぎで私を解放してくれたではないですか」

「何かありましたっけ?」


エルさんのとの出会いは、もはや記録だからなあ。

あやふやもいいところだ。俺の疑問にエルさんは一度口淀み、はあと溜息を吐くと改めて説明をしてくれた。


「あの月の森で、草麻は私を縛っていたヨルミナ謹製の魔具を破壊したのです。一番初め、閃光の中で草麻を奇襲した私に貴方は見事に反撃しました。その時の風薙ぎの攻撃が、丁度私のチョーカー、魔具に当たり、私にかけられた呪いを解く切っ掛けになったのです」


「はあ」


うむ。

思い出せん。いや、確かに一連の戦闘は古ぼけた紙芝居の様に残っているが、ページが落丁しているからなあ。さっぱり判らん。


「ともかく、あの時は完全に私の魔具を捉えなかったせいか、時間が掛りましたが、完璧に魔具に攻撃を与えれば、おそらく解呪できるでしょう」


そう言って、エルさんは短い説明を締めくくった。

話を聞き終えたおっさんは、鷹揚に笑いワインをぐいっとはしたなく呷ると、その後、爆笑した。


「だーはっはっ!!ソウ!お前、馬鹿だろ!本気で馬鹿だろ!」


指などを指しながら、馬鹿を連呼する良い年したくそおやじ。

もう、爆発すればいいのに。いや、爆発位じゃ微妙か。いっそ憤死すれば良い。だが、文句も何も言えないのが悔しすぎる。ていうか、もっと早くいってよエルさん。というよりも、


「シルフィーアさぁん」


元凶の名を情けなく口にする。

腰に差している特級の魔女に侵された相棒に手をやるが、その内バンカイ!とかしねえよなあ。


「ですが、草麻はクロスに解析して貰ったのではないのですか?」


「いや、して貰ったんですけどねえ」


「クロスでさえも、完全には解明出来なかったんだろ。流石はウインド・マスターということだな」


「成る程。ですが、そうなると私の想い違いかもしれませんね」


「一応、もう一回クロスさんに見て貰いますかねえ」


「多分、意味ねえだろうけどな。ウインド・マスターの紋章を見た時点で、クロスは徹底的に調べた筈だ。それでも判らなかったんじゃ、仕方ねえさ」


「了解。ま、何にしてもサクラの解呪はこれで目途が立ちましたね」


あえて胸を張って言うが、エルさんとおっさんの目は実に白い。

こう、可哀そうな目、パート二である。もう、本当やだなあ。戦闘狂とドS女にそんな視線を送られると、一般バンピーの俺は本気で悲しくなるじゃないか。


「後、何かする事ありますかね」

「酒飲んで、寝てればいいんじゃねえか」

「………そうしますか」


ぴくぴくと寝るという単語でエルさんの耳が動いた。

やはりというか、なんというか、耳の裏は猫にとっての弱点だったのである。エルさんの声が余りにも色っぽいのが本気であれだが。男として意識されてないパート二だ。悲観はしないでもないが、俺の立っている場所とエルさんの立っている場所は違い過ぎるので、これ位の距離感が結局はベターなのだろう。


俺は大袈裟に溜息を吐くと、ワインを飲んだ。楽しい時間は噛み締めるべきだと、再認識したからだ。と、そんなおセンチな事を考える時点で、ずれてる気がして嫌になる。ちくしょう。




酒宴というには小さい食事も終わり、おっさんはふらっと帰って行った。

疼いて仕方ねえと言っていたので、花でも買いにいったのだろう。俺も付いて行きたかったが、背後から誤射されたくないので、渋々見送ったのである。


こんな街中で人魔化したら、自称正義の味方方に必殺技のオンパレードされるのは目に見えた話だ。一対多数が正々堂々とかやっぱ半端ねえよなあ。しかも使ってるのは最新兵器。こんないらん知識ばかり残した昔の俺を殴りたい。


さておき、窓際のベッドに寝転びながら、クロスさんに依頼していた指輪を手の中で弄る。ぼうと窓に切り取られた世界には月が一つだけ映っている。俺が俺になってからは一週間程で、五澄草麻が来てからはもうすぐ十ヶ月位か。


早かったのか、遅かったのか。

何となし指輪を宙に投げ掴むという動作を繰り返す。窓から視線を天井に向けるとじっとりとした闇がそこにあった。


顔しか判らない親友、ヒメ・サクラ。

指輪をまた宙で回して掴む動作を繰り返す。俺は彼女の為に命を懸けるのに躊躇いは無い。だが、サクラがソウマ・イズミを其処まで信頼しているのだろうか。


書類に書いてあった通り、セーミアさんはアルフレッド側であり、サクラに俺の罪を伝えている筈だ。家族どころか親友との絆を捨てた男を許せるだろうか。いや、何かを得る為には何かを捨てなければならない。そんな言い訳にすらならない戯言で許される筈はないだろう。


エルさんにしても、憧れたのは過去の五澄とサクラの関係であり、魔浸術契約に必要だったのがイズミだっただけの話だ。それに、あの笑顔が見られただけで俺には十二分すぎる。


………結局、俺は何も掴めそうにないな。

天上に浮かぶ月さえも顔を隠すと部屋は真っ暗になる。似合いだろう。自嘲し、ベッドから立ち上がった。机に置いてある収納魔具のポーチに指輪を入れると、クロスさんからもらった最後の依頼品が見えた。思わず箸程の大きさのそれに頬を緩めてしまう。先の二つは義務にしても、これ位は俺にも権利はあるだろうと思ったからだ。


ポーチからそれを取り出すとベッドに戻った。

手の中でそれを握りながら天井を見つめ直す。五澄のバトンは決死で絶対に果たし、その後は………。ぼうと、何も写さない瞳のまま、手の中で唯一の権利を握り締めた。




「隠れましたか」

窓際の椅子に座りながら空を見上げる。

部屋の光量が落ちたので、外を見たら丁度雲で月が隠れた所だった。ふとあの月の綺麗な夜に、草麻達に出会わなければ私はどうなっていたのだろうかと、疑問を感じる。


苦笑した。

考えるまでもない、意志を持たない人形として、あの男に使い捨てられるだろう。確信として予想できた。


だから、私は幸運なのだろう。

用無しと故郷を追われた後、独りで世界を見て回ったが、その内実は何も見つけられない空虚の日々の繰り返しだった。疑念と諦念を繰り返し、ひたすら歩いた日々だ。


けれど、今は違う。

少しずつではあるが、姉様の言っていた事が判り始めた気がするのだ。本当に、あの時草麻に無理にでも付いてきて良かったと思い、また逆にあの時追わなかったらと思うとぞっとした。間違いなく、私は独り夢幻を彷徨い続けていただろうから。


私は優しく左手首に収まったブレスレットを撫でた。

硬質的な感触だがどこか暖かい。


ヨルミナの件が終わったら、草麻が何処に向かうのか私は知らない。

だけど、私はまた無理を言ってでも付いていくのだろう。それに文句を言いながらも草麻は了承してくれるに違いない。サクラの事は判らないが、おそらく草麻が宥めるのだ。そして、それを私は楽しく見ている。


くすりと笑った。

未来を想う事がこんなにも嬉しいということを思い出したからだ。きっと草麻の側に居れば私は答えを見つけられる。また、草麻も自分を許せる日がくれば良い。そう、想った。


月が何時の間にかまた世界を照らしていた。

うん、明日も良い日になりそうだ。




顔に掛った月光に顔を上げた。

部屋にはネーヴェと儂の二人だけ。ネーヴェは死人の様にベッドで寝ておる。奴の機械人形染みた色の無さは、意志の希薄さが浮き彫りになり、ネーヴェという人格がどうしても感じられん。


………儂はどうじゃろうか。

子供の姿には大きめの椅子で膝を抱えながら、俯くことしか出来ない儂の無様さに比べれば、まだ無慈悲なネーヴェの方が好ましいのではなかろうか。


セーミアに聞いた草麻の意志。

それを聞いた時、頭の中が真っ白になった。草麻のバカさ加減は判ってはおったが、ここまで致命的とは思っておらんかった。


出会って半年、番の誓いすらしとらん女の為に、何故あそこまで献身できる。家族を持ち故郷を懐古し、帰りたいとすら言っておった男が、どうして儂なんかの為に捨てる事が出来るのじゃ。


儂は役立たずなのに、儂にそれ程の価値など無いのに。


………本当にバカじゃ。バカすぎる。

けれど、もはや返せぬ程の有り難みを受け、それ以上の想いに身を震わせる儂こそが一番欲深で愚かじゃ。


草麻は儂から離れた方が苦難は無い。

それを儂は理解しておるのに、儂は草麻を離しとうないのじゃ。魔浸術の契約者と一緒にいる姿など、見たくも無い。儂が重みになり、草麻にとって苦しみになろうと、儂は草麻と共に在りたい。


自身の余りの汚さに反吐がでそうになるが、儂は草麻を離す事はできないじゃろう。


それが、情けなくて嬉しくてどうしようもない。

本当に草麻のバカ者が。

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