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狼浪奇譚  作者: ただ
41/47

エレント14 / 死にました

「んじゃ、後は頼むぜ」

「了解しました」


強い風と日光が照り付ける中で、ディートリヒは近寄って来た整備員に言った。場所は冒険者協会エレント支部のビルの屋上である。ソウマ達と別れ、グレートグリーンから離れた後、協会からレンタルしたワイバーンでエレントに戻って来た所だ。


ちなみに、ワイバーンのレンタル資格は、準三級冒険者以上でありワイバーンの騎乗資格を持つ者に限られる。


さて、ヨルミナの攻略までもう一週間も無い。

セーミアが抜けたのが予想外だったので、彼女がやる予定だった攻略準備をやる必要がある。ディートリヒは首を撫でると、協会のビルに入って行った。



「ディートリヒだ。入るぜ」

威厳のある重厚な扉、それに見合った支部長室と書かれたネームプレート。冒険者協会エレント支部の最高責任者の部屋である。普通なら緊張の為に固くなり必要以上に畏まる口調が、ディートリヒには一切無い。また、部屋の主もそれを望んではいなかった。


「入れ」


錐の様な鋭く硬い声色だ。

威圧さえ感じる声を受けながら、ディートリヒは室内に入った。先ず、部屋に入って感じるのは射抜くような品定めの視線。部屋の奥にあるデスクから掃射される眼光に、初めての者は委縮し本人が意識しない恐怖の癖を出してしまう。それ程の眼光を素で出す人間を、ディートリヒはそう知らなかった。


「相変らず目付きわりい女だな」

「貴様等の様なぼんくらを相手にするのだ。悪くもなる」


ぎっと高級な椅子に深く座り込み、皮肉そうに女は肩を竦めた。

髑髏の様な真っ白い髪に、対照的なルビーの様な強い輝きを秘める双眸。針の様な直線的な髪を振りかざし、暴虐的な戦闘力からついた渾名が白髪鬼。


彼女こそ、エレント支部最高責任者、イースティナ・エレンシカである。


「で、何だ」


単刀直入。

ぴしりとした黒い軍服の様な戦闘服を着こなす才媛は睨む様に言う。ディートリヒはわざとらしく肩を竦めて見せた。デスクの前にはテーブルとそれを挟む様に配置されたソファーがある。ディートリヒはその片方に勝手に座ると顔を横に向けた。


「セーミアが申請してたヨルミナ攻略だがな、俺がやる事になったからよ。その変更だけ、一応言っとこうと思ってな」


「へえ」


モノクルの奥で、紅い輝きが強まった。

迷宮と言うのは支部長にまで話が行く場合がある。黄昏時の残骸と呼ばれる宝は未知すぎるために、探索には制限がかけられる。それが、最奥の再探索といえば尚更だ。その上で専属受付であり申請を変更する等普通では無い。怪訝な瞳がディートリヒを打った。


「ソウがバカやってな、代わりに俺が引率だ」

「イズミはどんなバカをやったんだ」

「過去を捨てて先を取ったんだと。セーミアとしては、まあ駄目だったんだろうな」


ディートリヒの説明は曖昧すぎて要領を得ないが、それは何時もの事だ。イースティナは両手を呆れた様に広げると、もう一つの疑問を口にした。


「それで、お前がか。だが、それ位で動く狂戦士ではないだろう?」

「まあな」


ディートリヒは、イースティナの問いにやりと口角を上げた。

それは、どこか楽しげな少年の様な笑みである。そして、この男が悪戯に満ちた顔をする時は、大抵がろくでもない話だ。経験則でそれを知るイースティナは微かに眉根を寄せた。予測通り、ディートリヒから出た言葉はろくでも無かった。


「ソウが、魔浸術を体得した」


その単語に凭れていた椅子から姿勢を戻すと、やっとイースティナの口が開いた。


「………………冗談だと助かるんだがな?」


たっぷりとした間が、イースティナの驚きの高さだった。

しかし、こと戦闘に関する事でこの男が冗談を言う事は無い。イースティナは身を僅かに乗り出した。ディートリヒは彼女の狼狽した姿に満足気に頷くと、破顔した。


「本当になあ。楽しい奴だよ、ソウは」


言いながら、過去を回想しているのだろう、ディートリヒの言葉はしみじみとした感情が見える。イースティナはふうと溜息に近い吐息を漏らした。


「強かったかい」


「おう。あいつがリミッターを外した時なんだがよ、久しぶりに使ったぜ、ユナイテッド・スタイル。それでも、仕留めれなかった」


ディートリヒの身体から獣気がもれだす。

上げられた口角は戦いの光悦だろうか。今度こそ、イースティナは滅多につかない深い溜息を吐くと、愚痴の様に言葉が出た。


「類は友を呼ぶとは良く言ったものだ。エレント屈指の実力者が殺せないとは、爆弾も良い所だよ」


正直に言えば、厄介どころの話では無い。

戦闘存在たる魔浸術契約者。その狂気に近い在り様を持ち、未だ四級。かつ、イズミの内情を此方は殆ど知らないのだ。獅子身中の虫にならねば良いが。イースティナはモノクルを直すと、苛立たしげにテーブルを指で叩いた。


「………イズミは、何者だ?」


彼女らしからぬ窺う様な発言にディートリヒは笑った。

自身の聴力で見定め、眼力で見極める事を信条とする彼女からすれば、漠然とした問いは弱気もいいところである。逆に言えば、それ程までに魔浸術とは異端なのだ。ディートリヒは淡泊に言った。


「判らん。が、おもしれえ奴だよ」


「そうか。一応聞いとくが、魔浸術のパートナーはヨルミナに同行するエルメス・パールで良いか」


「ああ。だから、ヨルミナには俺がトップで、ソウとエルの三人で向かう事になるな」


「判った。ヨルミナに関しては私も思う所があったのでね、しんせ」


ピーピーと、イースティナの言葉を遮る様に、デスクに取り付けられた通信魔具が突然音を鳴らした。デスクに置かれたタブレット型の魔具の画面を見ると、珍しい単語が並んでいる。イースティナは眦を疲れた様に揉むと、諦めた様にタブレットに文字を打ち込んだ。どうやら、今日はそういう日らしい。


「お暇した方がいいか?」

「いや、むしろタイミングは良かった。人が来るから少し待て」

「判った」

「それで、折角だイズミとパールの事をもっと詳しく教えてくれ」

「あいつらはな………」


その後、新たな客が来訪するまでの十数分は、イースティナの情報収集に当てられた。とはいえ、ディートリヒの説明は彼らしい情緒に溢れており、明確に判ったのは、先に言った通り同類という事だけである。



さて、イースティナとディートリヒの会話の途中、無機質なノック音が響いた。


「ヒーラです。ノエル様をお連れ致しました」

「入れ」

「失礼致します」


凛とした女性が室内に入る。

その背後には、太陽の様な金髪が特徴的な偉丈夫が立っていた。礼をし、秘書然とした女性が退室すると、男が会釈した。


「アルフレッド・ノエルです。この度は、ヨルミナの探索の許可の確認に参りました」


イースティナの眼光を受けても、アルフレッドから過度の緊張は見えない。流石は準二級ということだろう。イースティナは男の態度に力を認めると、鷹揚と言った。


「座ってくれ」

「畏まりました」


うやうやしく、アルフレッドはディートリヒの対面に座った。

突然の闖入者にもディートリヒは野太い笑みを口元に作るだけだ。アルフレッドも表情にこそ出さないが、内心は同様の笑みをつくっている。


「さて、早速だがノエルよ。ヨルミナの探索だがな、同時期に違うパーティーが申請している。そのトップが、貴様の前でふてぶてしく座っている男だ」


イースティナは目線だけをディートリヒに向けた。


「迷宮探索の後、余計な手間は困るのでな。日付をずらすか、共同作業の契約を結んで貰う」


手間というのは、迷宮で得た産物や損害に関することだ。

迷宮に限らず、依頼で他人の目が無くなった時に起こる、人災と呼べる被害に基本的に協会は深入りはしていない。決定的な証拠があればよいが、無ければ、あいつが悪い、いやあいつのせいだと水掛け論になり、またそれを立証するすべがないからだ。


その意味では探索日時を被らせないか、共同作業の契約を結べば面倒はなくなる。しかしと、イースティナの指示に、ディートリヒは不服そうな顔を作った。


「イースよ、そいつは確定か?」


中級冒険者以上になれば、報酬は早い者勝ちという考えは至極当然であり、損害に関しても自身の実力不足で済ませる。変に見知らぬパーティーが共同作業をして、双方が納得するだけの契約条件を見つける方が余程面倒なのだ。


じゃあ、報酬は折半にしよう。

それで探索内で消費する魔具の負担はどちらが?どの様に探索し、どっちがリーダーになる?契約違反の条件は?考えるだけでも、かったるい。ディートリヒの顔には明らかにそう書いてあった。


「ああ、確定だ。普通なら提案で済むんだがな、今回は命令だ。理由は自分の胸に聞け」


責める様な、強い視線だった。

実を言えば、ディートリヒもアルフレッドも、まあ確かにという思いで支部長の話を聞いている。


何しろ、今回の探索メンバーは、問題児筆頭の狂戦士に、魔浸術契約者のソウマと、エレントに急に現れた準三級冒険者であるエル。


まして、アルフレッド側に到っては、ついこの間までMIA(任務中行方不明)扱いだったアルフレッドに、ソウマの専属受付且つソウマ側のトップだった筈のセーミア。その上ソウマとパートナー登録しているヒメ・サクラの名が連なっているのだ。


それが、同日に探索申請をしているなど、怪しいを通り越して疑って下さいと言っている様なものである。むしろ、条件付きにしろ、同日探索を許したイースティナの度量を誉めるべきだろう。


「判ったよ。ノエルも良いよな」


「勿論だ。契約条件だが報酬は折半。迷宮内の損害は個人の自己責任で良いだろう」


「だな。イース、契約書類の準備頼む」


予測通りか。

イースティナはこれみよがしに舌打ちすると、タブレットに文字を打ち込み始めた。


「ま、ちっと遅いが初めましてだな。俺は準二級冒険者ディートリヒ・ベクターだ」


「こちらこそ、初めましてか。同じく準二級冒険者アルフレッド・ノエルだ。噂の狂戦士と探索出来るのは光栄だな」


「へっへ、俺もさ。ところで、セーミアや嬢ちゃんは元気にしてるか?」


「ああ、家族水入らずとは言えんが楽しくやってる。嬢は、流石につまらなそうだがな」


「そうか。それで、ヨルミナではどうするよ?」


「そうだな。一先ず入り口で合流した後にでも話合うか」


ディートリヒは数瞬考えると、言った。


「嬢を抑えるのはお前だからな」


アルフレッドは反射的に言う。


「坊主を抑えるのはお前だぞ」


くくと、二人して笑い始めると、哄笑となって室内に響いた。

イースティナは二人の猛者を観察する様に眺めていると、三度目のノックが響いた。


「ヒーラです。書類をお持ちしました」

「入れ」


先程、アルフレッドを連れてきたヒーラであった。

ヒーラは入ると、ディートリヒとアルフレッドにそれぞれ書類を渡した。共同作業における契約書である。それぞれが、書類を読み合わせると、二人はサインをした。実にあっさりとした契約である。ヒーラは書類を受け取るとイースティナに渡した。


「良いだろう。後になっても文句は受け付けんぞ」

「判ってるよ」

「了承しています」


二人は頷いた。


「話は以上だ」


イースティナはさっさと退室を促した。

ディートリヒはやれやれと、アルフレッドは颯爽と部屋から去った。存在感を持つ強者が去った事により、室内から圧迫感が無くなり広くなった様に感じる。


イースティナは、椅子に深く凭れ掛かると目を閉じた。

瞑想に近い精神状態に没入する寸前、ピーと通信魔具から無粋な音が鳴った。イースティナはあからさまに舌打ちすると、タブレットに視線を落とす。そこには、ピエール・ドールマンとあった。イースティナは顔を不快に歪めた。本当に今日はそういう日であるようだった。




協会の廊下に二つの巨躯があった。

悠々と歩く姿には自然な自負が見え、常人とは一線を画す何かを有しているようだった。ディートリヒとアルフレッドの二人である。ディートリヒは隣を歩くアルフレッドに言う。


「しっかし、まさか此処まで真正面から来ているとは驚いたぜ」


てっきり、アルフレッドはディーノとやらを隠れ蓑に迷宮に来ると思っていた。冒険者協会に所属する者を誘拐した男が、堂々とエレント支部長に会うのは予想外だったのである。だが、だからこそおもしれえなとディートリヒは笑ったのだが。


「相手は迷宮で、それにアルフレッド・ノエルを捨てるのは惜しくてな。それから、セーミアが其方に付けば問題ないと踏んでいた」


「そうかよ。流石に堂々と女攫うだけはある」


しかし、アルフレッドにとってもディートリヒとの対面は慮外の外であった。


「はは。それを言われると何も言えんな。だが、さっきの状況で俺を殴らなかったあんたも大概だろう。正直に言うとな、支部長室では心底肝を冷やした。俺が知らない新しい支部長に加え、当事者のあんただろ。何時、捕えられるかとびくびくだった」


苦笑する様にアルフレッドは言うが、とてもそうには見えない。

呆れた様にディートリヒは言った。


「そいつは随分と面の皮の厚いことだ」

「あんたには、負けそうだがな」


他者が聞けばどっちもどっちである。

罪を犯しながら豪放にも協会に顔を出したアルフレッド。その罪を暴く好機をおもしろいという理由で見逃したディートリヒ。豪放磊落といえば聞こえは良いが、両者ともに自身の欲求に従っただけの話だ。ディートリヒはにやりと笑った。


「どうだか。ま、俺は愉しめればそれで良い。せいぜい期待してるぜ」

「任せとけ」


ディートリヒは、その言葉を聞くとあっさりと立ち去った

その後姿をアルフレッドは視界から消えるまで眺めた。アルフレッドの手には汗が溜まり、背中のシャツも濡れている。


初めて相対したが、男から滲み出る圧力が半端では無かった。

伊達に狂戦士と呼ばれている訳では無い。単純な戦闘では勝ち目は無いな。純然とアルフレッドはディートリヒとの戦力差を見極めていた。


だが、関係は無い。

子の反意を無視し、それでも進むと決意している。アルフレッドは抗う様に犬歯を剥き出しに笑った。脳裏にはセーミアとの再会が蘇っていた。




「父さん、ただいま」

「おう、おかえり」


もはや見慣れたとも取れる宿の一室である。

ディーノは意気揚々とその戸を空けた。セーミアとも合流し、漸く家族三人揃ったのである。これで嬉しくない筈が無かった。


部屋にはアルフレッドが一人だけだ。

ヒメとネーヴェは隣室にいるのだろう。セーミアは椅子に座っているアルフレッドを見て、思わず声を失った。生きているとは知っていたが、やはり目の前に触れる距離で会うのでは実感が違う。震える声でセーミアはアルフレッドに声を掛けた。


「お父さん」


アルフレッドははにかむ様にセーミアに答えた。


「セーミア、久しぶりだな」

「バカ!」


セーミアはアルフレッドに近づくと、平手を打った。

ばしんと高い音が響くと、セーミアは泣いていた。泣くまいと決めていたが、どうしても駄目だった。アルフレッドはディーノにした様に、セーミアを抱きしめた。嗚咽が響くと、ディーノも涙ぐんだ。


セーミアが落ち着くと、三人はテーブルを囲んだ。

隣室に居るヒメは昼寝中で、ネーヴェは相変らず彫像の様に椅子に座っているのだろう。親子三人水入らず、邪魔は入らなかった。


「それで、こんな事は言いたくないんだがよ。………セーミア、お前イズミはどうした?」


びくりと、セーミアはアルフレッドの問いに震えた。

アルフレッドと再会し、グレートグリーンでの決意が薄まったのを理解していた。このまま、三人でぬるま湯じみた幸福に浸りたいと感じている。それでもと、セーミアは漸く口を開いた。


「ヒメさんを解放してくれませんか」


セーミアの言葉に、虚を付かれたのはアルフレッドだけでは無かった。

ディーノは信じられないとばかりに、セーミアを見ている。アルフレッドは、すとこわい目になった。


「セーミア、お前はそれを言いに来たのか?」


「それだけじゃなくて、お父さんと会いたかったのは本当。ただ、別にヒメさんやソウマさんと敵対する危険性よりも、素直に解放した方が良い。そう思っただけよ」


アルフレッドは、至極面倒くさそうに頭を掻いた。

セーミアは昔から、これとなったら頑固になる一面がある。その時と同じ瞳で見詰められると、どうにも弱い。


「現状では無理だな。サクラが言った真のというのも気になるし、ネーヴェを失った後、最奥が開かなかった時の予備を失うのも惜しい」


「それでも、無関係の人を巻き込む必要は無いでしょう」


挑む様な瞳。

碧眼の輝きがアルフレッドを睨んでいた。そこにあるのは、家族の信頼を除いた一個人の思念が見える。二年か。アルフレッドは時の流れを噛み締めると、言った。


「悲願なんだよ」


痛切な響きがその一言にはあった。

たった一言ではあるが、腹の底から捻り出し、万言を凝縮した様な言葉だった。


セーミアは回顧する様に目を閉じた。

素直に悟ってしてまったのだ。ソウマが彼岸の先に居る男だとしたら、アルフレッドも彼岸の先に居るのだ。間に立ちはだかる溝は谷よりも深いのだろう。それを飛び越える事はセーミアには出来ない。


仮に一命を賭すまでの覚悟があれば、渡り言葉を届けられたかも知れない。けれどどうして奇跡に近い家族との再会を壊せようか。冷たい事を言えば、ソウマとヒメはビジネスパートナーでしかない。


出会って未だ半年も満たない存在と、長年絆を育み漸く揃った家族。

比べるまでも無いだろう。セーミアは目を開けると、そこには微かな諦念が見えた。


「ヒメさん達の生存を前提に挑み、彼女達を犠牲にせずに最奥が開いたら、解放すると約束して下さい」


それが、セーミアが許せる最後の譲歩だった。

グレートグリーンでは、あれ程の覚悟があったが、もう駄目だ。やはり、揃った家族は暖かすぎた。


「判った。だが、最奥の解明が最優先だ。セーミア、お前もそれを念頭におけ。でなければ、お前は連れていけない」


「父さん!!」


「………判りました」


「約束だぜ」


アルフレッドがにたりと笑う。

セーミアも柔らかく微笑んだ。それで、話は終わりだった。ほっとした様に胸を撫で下ろしたディーノがほほ笑ましい。そこに、闖入者が現れた。


「セーミア!!」


隣室で昼寝を敢行していたヒメである。

起床すると聞き慣れた声が耳に入り、そのまま盗み聞きしていたところだ。ヒメが扉を開けるとそこには予想通りの顔がある。髪の色こそ、栗色から青色に変わっているが、その柔和な笑みは間違いなく、専属受付の者だった。


「あ、お久し振りですね。ヒメさん」


瞳孔が裂け、射殺す様な視線を受けても、セーミアは全く動じていない。

ここ暫く見ていなかった、彼女らしさを取り戻していた。逆にヒメはその余裕さに逆上した。


「ふざけるな!!」


叫び、銀髪が逆立った。

魔力の奔流が殺気となって、セーミアに叩きつけられる。魔具によって力を抑えられているが、それでも常人には不可能な圧力である。少なくともセーミアの助けたいという意志を聞いていなければ、ヒメは激発していただろう。


「ふざけていませんよ。むしろ、今、お父さん相手に貴女の保障を取り付けたところです。それに、この短期間でグレートグリーンから此処まで来るのにも骨が折れましたよ」


心外だと、セーミアは微笑みのまま首を振った。

ヒメはまた怒声を張ろうとしたが、彼女の言ったグレートグリーンという単語に矛を収めた。数日前に感じた従者の異常、あの場所と関連付けするのは自然な成り行きだろう。


「草麻は、どうしたのじゃ?」


あえて、静めた声が逆に動揺を表していた。

セーミアは数瞬、思案すると言った。


「死にました」


なんとも朗らかな台詞だった。

絶句し、激昂していたヒメの銀髪が一瞬で垂れ落ちた。まだ、ラインは感じているが、万が一という事もある。様々な思考が脳裏を渦巻くなか、ヒメから零れたのは安直な言葉だった。


「嘘じゃろう」

「はい、嘘です」


にっこりと、また一言。

ヒメが爆発する寸前、セーミアが被せる様に言った。


「ですが、それに近いです」


微笑みから一転した表情に、ヒメは一先ず口を閉じた。

次にふざけた事を抜かしたら我慢はしないと決めたが、結局ヒメの決意は空振りに終わった。


「ソウマさんは、ある術の習得の為に記憶を捨てました」


「………捨てたじゃと?」


「ええ。ソウマさんは術の為に、痛みと戦う術以外を切り捨てました。私は勿論、ヒメさんの事でさえも、彼が言うには記録としか残っていないそうです」


「…………あやつは、生きておるよな」


セーミアの言葉は完璧には信じられないが、それでも先ず大切なのは生存の確認であった。セーミアはアルフレッドとディーノの視線を感じながら続けた。


「正直、判りません。私は生死を懸ける試練の前に、ソウマさんのバカさ加減に愛想を尽かして帰って来ちゃいましたから。だから、ヒメさんが生きていると感じていれば、死んではいないと思います」


ヒメは眉根を寄せた。

考え込む仕草を見せ、セーミアに疑問を呈した。


「生きてはおる、の。じゃが、草麻は本当に記憶を無くしたのか?」


「無くしたではなく、捨てたですよ。私はソウマさんの言葉を鮮明に覚えています」


セーミアはあえて一拍おくと言った。


「俺は貴女達との記録を知っているだけで、もう主人の名前すらも思い出せません、ですって」


最後はおどけて言ったが、それでも哀しみが篭っていた。

ヒメは何も言わない。セーミアの隣に座っているディーノは、不意に湧いた苛立ちを誤魔化す様に笑った。想い人であるセーミアの哀愁の声色に嫉妬があった。


「馬鹿な男だよ。記憶を捨てて一体何を守るつもんなんだろうね。セーミアさん、あんな男、愛想付かせたのは正解だよ」


「本当にね」


しみじみとセーミアは頷いた。

何と言うか、ディーノの言葉が正論過ぎて弁護の余地が無い。けれどと、セーミアは沈痛な面持ちのヒメを見て、微笑みを湛えて言った。


「ただ、主人は親友だった。それだけは憶えています。だそうです。ソウマさんって、本当にバカですよね」


セーミアの微笑は皮肉の様な嫌味の様な、形容しがたいものになっていた。


ヒメも似たようなものだ。

従者の度を越えた献身に、怒ればいいのか、誉めればいいのか、実に複雑怪奇な心情である。それでも、やはり嬉しかった。


ディーノは彼女等の共有が判らない。

ふんと鼻を鳴らすだけだ。そこに、重い言葉が降った。


「で、だ。あの坊主は何の術を会得しようとしたんだ」


アルフレッドである。

月の森で草麻の執念をアルフレッドは知っている。あの青年がその執念を燃焼させてまで、取得しようとした術。思わず冷や汗が出た。セーミアは、アルフレッドに顔を向けた。


「それは、秘密ですよ」

「何だと」


責める様な響き、セーミアは意に介さずに言った。


「流石にそこまで言うとフェアじゃないですし、何より、お父さんはネタバレ嫌いでしょう」


ぽかんと、アルフレッドは顔を崩した。

次いで、丸くなった口を横に広げると声を立てて笑った。


「はは、はっは!!確かにそうだな。ああ、セーミア、お前の言う通りだ!坊主にやった時間を、坊主は無駄にしなかった。それだけの話だな」


「ええ、きっと驚きますよ」


なお豪快に笑うアルフレッドに、ディーノが不満そうに言う。


「父さん、それでいいのかい」


「おう、セーミアが勿体ぶって言うから、つい聞いてしまったがな。それは懸念ではなくて、楽しみなんだよ」


「そういう訳なんで、ちょっとヒメさんと密談に隣の部屋使いますよ」


セーミアは立ち上がると、ヒメの背中を押して隣の部屋に消えて行った。

入れ替わりに、ネーヴェが出て来る。しばし、アルフレッドとディーノが言葉を交わしていると、隣の部屋からヒメの怒声が響いた。反射的にディーノが立ち上がるが、続くヒメの言葉を聞くと腰を下ろした。しかし、あのバカ者がはまだ判るが、浮気者がという罵声はどういう意味だろうか。


まさか、セーミアとではあるまい。

しかし、グレートグリーンでは男女二人だったという可能性もある。セーミアがグレートグリーンに向かったという情報だけで、彼はあそこに向かったのだ。あれ、いや、まさかと忙しないディーノの心内を見破ると、アルフレッドは笑った。平和と言えば平和な、とある宿での一幕だった。




その頃、グレートグリーンでは、とある二人が見詰め合っていた。

ソウマとエルの二人である。頬を紅潮させながら、エルはソウマに言った。


「草麻、優しくして下さいね」

「はい。けど、俺も初めてなんで痛かったら直ぐ言って下さいよ」


ソウマは頷くが、初の行為に上手くやる自信は無かった。

エルもそれは承知している。しっとりと顎を落とした。


「判りました」

「では、早速」


ソウマはエルに手を伸ばす。

指先に毛が絡むと、何とも言えない背徳的な気分がソウマの背筋を駆け上がった。ソウマの指が少し固くなった部分に当たると、エルが嬌声を上げた。


「うぅ、んっ」

初めて聞くエルの艶めかしい声に、ソウマはまさぐる指を止めた。


「あの、大丈夫ですか」


心配そうに聞くソウマを、エルは潤んだ瞳で見上げると、ねだる様に言った。


「………ぁ、はい。ですが、もう少し強くしても良いですよ」

「あ、はい」


エルの弱々しくも媚びる様な雰囲気にソウマは呑まれた。

言われるがままに、ソウマは指先に力を込めた。また、エルの身体が震える。


「ん、はぁ」


滴る様でとろける様な声が零れた。

また、ソウマの背筋にぞくりと電流が走る。先程より大胆にソウマの指先がエルを弄った。その度に、ん、や、あ、とエルは言葉を上げる。砂金から覗いた一瞬に思わずソウマは生唾をのんだ。


「草麻」

「エルさん」


銀の瞳と黒の瞳が交錯する。

ほうと、獰猛そうな唇から吐息がもれると、エルはそっと言った。


「これで約束は果たしました」


エルは視線を上げると、頭を一度振った。

巨大な顔にソウマは一歩下がると礼を言う。


「ありがとうございました」


ソウマは手の感触を確かめる様に握った。

約束であった、虎の耳を触らせて貰ったところだ。耳の裏は柔らかく、もふもふした手触りが実に心地よかった。


エルも満足したのだろう、マタタビを嗅いだ猫の様にだらんと身体を伸ばした。そのまま大きく欠伸をすると、口内から生える牙が覗いた。ぐると唸りながらエルは身体を丸めると、ソウマも慣れた様にその巨躯に身を預ける。


砂金の体毛に包まれると、直ぐに眠気が襲ってきた。

何の事も無い、人と虎のもふもふコミュニケーションが終わり、昼寝に突入したのであった。これを浮気者ととるかは、まあ、人次第であろう。少なくともソウマは何時も通り暢気に何も考えては居なかった。

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