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狼浪奇譚  作者: ただ
40/47

グレートグリーン7 / ご褒美

どす。

もはや何度目になるだろうか。肉を切り裂き心臓を抉る感触は慣れるものじゃない。鼓動のリズムは強制停止し、命の流れは堰き止められた。込み上げる血塊を嘔吐し、逆に明瞭になる視界がはっきりとした意識を連れ戻す。


眼前には砂金の死神。

禍々しい気配を纏った鬼である。鉄に溢れる口から漸く文句だけが零れ出た。


「エルさん、優しさが足りませんよ」


愉しげな表情を誤魔化す様に、呆れ顔を作ったエルさんは、わざとらしく嘆息した。


「身体を貫くのに、優しさは関係ないでしょう」


刺さったままの風薙ぎを抜くと、また一言。


「だいたい草麻が人魔化するからいけないのですよ」

「いやあ、魔浸術の制御って普通に難しいですよ」


胸に空いた風穴に手を当てながら、俺は言い訳がましく言った。

エルさんに殴られ蹴られ刺され説教された後、早速魔浸術の制御に移ったのだが、これがまた難しかった。少しでも魔力制御を誤ると即人魔化。その度にエルさんに殺されているのだが、もはやその回数は二桁を超えた。


うがあ、ドス。うがあ、ドス。うがあ、ドスのエンドレスリターンである。最初は辛そうだったエルさんも、次第におざなりになり、むしろエスっ気を出す始末。如何に死なないとはいえ、心臓を貫かれるのは気分が良くない。過去散々殴られてきたらしい俺だが、流石に心臓は御免である。


俺は観戦モードに移り座っているおっさんに顔を向けた。

奴は人魔化を技術として取り込んでいるのだ、これ以上ない教導役だろう。


「何か上手い方法は無いですかね」


おっさんは、首に手を当てると何とも気の無い返事をした。


「さてなあ、俺の【ハウンテッド・スタイル】とお前の【魔浸術】は根本的に技術体系が違うからな」


「どういうことですか?」


「ハウンテッドスタイルは、魔力を変質させて身体に“纏わせる”術式で、魔浸術は肉体そのものを魔力に“変化”させる術だからな。人魔化するっつう結果は同じでも、過程が全然違うからな。当てには出来ねえだろうよ」


「使えませんねえ」


俺の嫌味にもおっさんはどこ吹く風。


「ま、習うより慣れろってこった」

「でも、心臓抉られるのって結構痛いんですよ」


俺の言葉におっさんは心底呆れたとばかりに、溜息を吐いた。


「心臓抉られて、痛いですんでんだから、問題ねえだろよ」


「いや、ま、確かに問題は無いんすけどね。その、パートナーがちょっと………ねえ」


言いながら、目線だけを素知らぬ顔をしているエルさんに向けた。

おっさんはそれだけで得心したのだろう、ニタリと人の悪い笑みを作る。エルさんは風薙ぎを握り締めながら、まだかなまだかなと、少女の様にソワソワしているのである。マジ、勘弁。


相棒はまさかの刺殺大好き娘。

多分、最初に刺した時にもう色んな感情が湧き出たからそれが切っ掛けなのだろう。多分。だと、いいなあ。記憶が無いから、断言できん。エルさんは、俺達の不躾な視線にむと眉根を寄せた。


「失礼な事を、私は飽く迄も草麻の為を思っての事です。大体、草麻が早く制御出来れば問題は何もありません」


「まあ、そうなんですけね」


エルさんの正論に頭を掻くが、とはいえという話である。

魔浸術の契約に成功したことは真に僥倖なのだが、やはりそう簡単にはいかないようだ。俺は観念した様に溜息を吐くと、止めとばかりにおっさんとエルさんが追撃した。


「何にしてもまだ時間はある。大人しく刺されとくんだな」


「そうですね。事実、人魔化する時間は回数につれて伸びていますので、後、百回程すればいけるのではないでしょうか」


「百回て」


その図抜けた回数に俺は肩を落としたが、仕方ないか。

意識が一気に浸食され浚われるのにも慣れてきたし、やるしかない。もう一度、諦めた様に嘆息すると、俺は魔浸術を使用することにした。


「じゃ、いきますんでお願いしますよ」

「はい、任せて下さい」


嬉しそうに風薙ぎを握るのが納得いかんが、仕方なし。


「サイクル・イン」


俺は魔力を体内に刻まれた核に流しこんだ。

とたん、肉体の細胞がとろんと液体になった様な不可思議な感覚が襲い、津波の様に俺の意識を押し流す。


ブラックアウトする俺の視界。

闇に視界が埋め尽くされるなか、感じるのは周囲の空気。全身の肌がまるで神経を剥き出しにした様に、過敏になり敏感に周囲の魔力素を吸収していくのが判る。循気を使い、闇に染まる視界を抑えようとするが、無理だ。感染した毒素は爆発的に俺の意識を奪っていった。


「ああああああ」


叫び、直後に解放される。

肌の神経は元に戻り、胸に痛み。クリアになった眼前には、風薙ぎで俺の胸を貫くエルさんが見えた。魔浸術を契約した者は全身の細胞が飛躍的に強くなるらしいが、その影響だろう。俺の神経は痛みを感じにくくなったのが判る。おっさんも言っていたが、いくら人魔化しているとはいえ、心臓を抉られて痛いで済むとか、もはや人として駄目だろう。


「今回は何秒持ちました?」


エルさんに治癒魔術を懸けられながら聞いた。


「三十秒程ですね」

「了解。けど、意識も取られ、三十秒で人魔化じゃ何も出来ませんね」

「だな。後一週間でどうにか出来んのか」

「するしかないんじゃないすか?」


塞がった胸の穴を撫でながら言う。

楽観的とも言えるが、ぶっちゃけやらなきゃ終わりなので、それ以外の言葉が無いのである。気を取り直して、魔浸術の制御の続きにいこうとすると、ある意味、懐かしいとも取れる凄絶な魔力が丘を覆った。大気を鳴動させる次元の違う覇気は、間違いなくマスターと呼ばれる者。


正直に言えば、驚きはなかった。

何となくではあるが、来てくれる気がしていたのだ。魔力に振り返ると予想通りの人が居た。


「お久し振りですね。シルフィーアさん」


黒髪をアップに纏め、指揮者の様な黒い服を着こなすのは、ウインド・マスターことシルフィーア・W・エドウィンさんである。


面識のあるおっさんは緊張しているがまだ余裕があり、対してエルさんは絶句と言う表現が正しいか。俺とシルフィーアさんが知り合いと知っていても、なお焦りを禁じ得ないというのは、やはりマスターの存在は余程なんだろう。俺にとっては厳しいが良い人なのに。


「ああ。そうだね」


そんな彼女は、俺が初めて見る能面の様な無表情で俺を見ている。

疑問に思う必要も無く、エマージェンシーランプが盛大に鳴っているが今更だろう。


「先ずは判っているだろうが、おしおきだよ」


言うと、シルフィーアさんは音も無くすっと俺に肉薄していた。

俺の踏込みとは違う異様な踏込みだが、なんとか反応出来る速度だ。バックステップし間合いを拡げる。


だが、流石はウインド・マスターか。

全方位からの空気の圧力で俺の体は容易く束縛された。まるで巨大な手に握り潰される様なシンプルな圧迫感と力強さは、以前の俺ならば脱出の手立ては無かっただろうが、今はある。そして、シルフィーアさんもそれを望んでいるに違いない。


決意は一瞬。

全身の神経を張り詰めると、一切の躊躇いも無く、魔浸術を敢行した。


「サイクル・イン」


上書きされる暴虐、だが今回だけはすんなりと、安らかな気持ちで受け入れられた。爆発的に盛り上がる肉体能力、過敏な肌は万力の様な風の魔術すら吸収すると、俺の体は容易く開放される。地面を蹴ると、即座に奔った。


「いいね」


俺の疾走を見てやっとシルフィーアさんが微笑んでくれたが、彼女が繰り出した拳の速さは絶望的である。突風染みた速度で迫りくる、右と左のコンビネーションブロー。ワンツーと矢継ぎ早に飛ばされる拳を弾き、喰らうと、さらにシルフィーアさんは間合いを詰めている。次弾は判っていても避けられない。


左拳によるレバーブロー。

筋繊維が破壊され、肉体の中から爆発した痛みによる呻きを我慢しながら、左肘を鎌の様に頭部に振るう。だが、彼女は屈み容易く烈風を回避すると、打ち上げる様に右拳を俺の鳩尾に突き刺した。


この岩すら粉砕するだろう威力。寸での所で退いていなきゃ拙かった。

しかし、打撃を受け流す様に背後に吹き飛んだのはいいが、地面に足が付かん以上、無防備も良いところ。


さて、どうするかと前方を睨むと、シルフィーアさんが悠々とレイピアを取り出すのが見て取れた。何だか懐かしいな。


「エルさん!」


叫び、右手をエルさんに向ける。

エルさんは一瞬呆けるが、直ぐに理解してくれたのだろう。風薙ぎを投げてくれた。飛来する風薙ぎを掴み、刀に魔力を浸透させる。異質な魔力が流れても風薙ぎは揺るぎもしない。流石はシルフィーアさん謹製だな。


にやりと笑う。

何だかとても楽しかった。だからだろう、構えると、ついあの時の言葉を口にしていた。


「冨田六合流、五澄草麻。推して参る」


俺の宣言に、シルフィーアさんはぽかんと表情を崩した。

何とも珍しいなと考えていると、彼女はさらに優しく表情を変えた。


それは、俺が初めてみる柔らかな温顔。

シルフィーアさんの美貌は変わらないが、その雰囲気のギャップに見惚れるのを自覚した。ちくしょう、折角戦闘モードに意識を切り替えたのに。循気循気と、俺が必死にギアを変えていると、シルフィーアさんも唄うようにかつての名乗りを宣言した。


「ウインド・マスター。シルフィーア・W・エドウィン。参る」


何とも気の良い人である。

もう、言葉はいらなかった。踏込むと、真っ直ぐに風薙ぎを振るった。




「ま、こんなもんだね」

シルフィーアは倒れ伏すソウマを見て言った。

丘の上はもはや原型を留めていない。先のソウマとディートリヒの戦闘に加え、今回の模擬戦で丘は局地的な大地震を受けた有様になっていた。その脇、ディートリヒとエルは早々に造った結界の中で観戦している。二人が見つめる中、ソウマは人為的に丸盆となった大地で気を失っていた。シルフィーアが手加減していたとはいえ、三十分も持たせれば十分といえば十分だろう。


「さて、それではご褒美だ」


シルフィーアはソウマを仰向けにすると、その隣に膝を付く。

垂れた前髪を手で避けながら、シルフィーアは唐突にソウマに口付けた。結界の中が騒々しいが、気になる訳もなし。以前と違いたっぷりとソウマの舌まで絡め捕る様にキスをすると、やっとシルフィーアは口を離した。


ふうと色のある吐息を出しながら、シルフィーアが立ち上がる。

それに、合わせる様にソウマの身体が弾けた。内部から血液が爆ぜた様に噴出している。その様子に耐え兼ね、とうとうエルがディートリヒの結界から飛び出した。直ぐにソウマに解析の魔術を掛けると、きっとシルフィーアを睨む。シルフィーアとしては、全く意に介さぬように知らぬ顔だ。そこに小さなか細い声が響いた。


「シルフィーアさん、俺じゃなかったら死んでますよ、多分」


ソウマが息も絶え絶えにシルフィーアに文句を言う。

周囲の魔力素が薄くなったところから、魔浸術を使い肉体の治癒を向上させたらしい。どうやら、キスの事は覚えてなくとも、身体の痛みで意識を取り戻したようだ。


「何、信頼だよ、草麻。君はこの程度では死なないだろう」

「確かに」


ソウマは起き上がると頭を掻いた。

今も魔浸術を使用し、エルの治癒魔術もあり既に傷は完治している。ソウマは申し訳なさそうに、シルフィーアに顔を向けた。


「毎回ありがとうございます」


シルフィーアはソウマの礼に軽く頷いた。


「君は私のお気に入りだからね。これ位は当然さ」

「ありがとうございます。それで、結局魔浸術の使用条件て、何だったんですかね?」


あれだけ苦心していた魔浸術の制御。

それが、シルフィーアとの戦闘でコツを得る事が出来た。ソウマが疑問に思うのも当然だった。


「簡単だよ。受け入れる事さ、破壊も殺戮も全てね。君は最初に呑み込まれ時の恐怖で無意識に拒んでいたんだろうね。だが、私相手なら遠慮はいらなかっただろう」


シルフィーアの答えに、ソウマは納得する様に頷いた。

確かに、初めて人魔化した時の衝撃と恐怖をソウマは忘れてはいない。そもそも、あれからまだ数時間も経っていないのだ。ソウマが魔浸術に対して躊躇するのは当然だろう。


しかし、ウインド・マスターに対しては、絶対的な信頼がある。

別に人魔化しても構わない。その開き直りが結果として、魔浸術の制御に繋がったということだろう。


「ですね。おかげで何かすっきりしました」


無意識の躊躇いがトラウマとなる前に解決できてよかった。

ソウマは確かな手応えに感動し、シルフィーアは爽やかに微笑んだ。師弟というには、歪すぎる関係だが、違い様の無い強さが見える。エルはその光景を複雑そうに眺めることしか出来ない。そこに、シルフィーアが爆弾を落とした。


「どうやら、記憶も戻ったようだね」


エルと近くに来ているディートリヒは目を剥いた。

確かに、魔浸術という例外的な魔術を会得した以上、記憶が戻ってもおかしくは無い。何故、教えなかったのだと非難の視線を二人はソウマに向けるが、当の本人は困った様に頭を掻いた。どう説明するか、心底言葉を選んでいるようだ。


「いや、申し訳ないんですけど、断片というか欠片というか、そんな小さな感じは思い出したのか?って感じで、完全には程遠いですね」


ソウマの言葉はどうにも要領を得ない。

事実、話しているソウマ自身が理解していないのだろう、無理もない話である。シルフィーアは柳眉を軽く寄せると、ソウマを睨む様にして見た。


「だが、さっきの名乗りはどういう事だい。私には完璧に見えたのだが」

「あーー、それは、ですねえ」


ソウマは泳ぐ目を一瞬だけエルに向けた。

正直、先程の問いよりも余程答えるのが難しい。シルフィーアもそれをソウマの視線を感じ取ったのだろう、口角を上げた。


「で、どうなんだい」


ソウマは観念したように諸手を上げた。

もう、後の問題は知らんと投げやった。


「単純に、シルフィーアさんの記憶だけは残ってるんですよ」


シルフィーアは感心するようにほうと溜息を零し、エルは怒気を露わにソウマに詰め寄った。


「何故ですか!そもそもウッド・マスターからウインド・マスターの名を教えておけという言づけもあったでしょう!」


「いや、それは俺も判りませんけど、完全に俺がシルフィーアさんの事関知したのは、種を開花し、悶絶している途中だったからじゃないですか」


「では、何故、親友の名前すら無くして、その、なんですか!!」


ソウマはエルに肉薄されるなか、懇願する様に周囲を見渡した。

ディートリヒは既におらず、シルフィーアは納得する様に頷いているだけ。孤立無援もいいところだった。ソウマはしどろもどろに弁明を始めた。


「あの、ですね」

「何ですか」

「俺、痛みと戦う術は覚えているって言ったじゃないですか」

「そうですね」

「だから、ですね。その、ね」


ぐるんぐるんとソウマの目は泳いでいるが、それでもシルフィーアに目線が向かう事はない。エルも言葉を省いたソウマの真意を察したのだろう、ほんの少し怒気が納まった。


だが、変わりにシルフィーアから不穏な気配が溢れ出す。

冷や汗に加え、胃痛がソウマを襲い始めていた。エルは、つまりと、ソウマが省いた部分を纏めた。


「ウインド・マスターとの記憶は、痛みしか無いので、忘れなかったと」


言い方である。

だが、結論するとそういう事で有る為にソウマは上手く否定出来なかった。シルフィーアとの出会いから喫茶店の出来事は、痛みと戦う術が集約された部分である。何しろ会う度に、未だ三回目だが、死ぬ半歩手前までやられるのだ。そりゃあ、遺伝子レベルに刻まれるってなもんである。


「へえ、じゃあ私の存在は草麻にとって重みでしかないのかな」


ぞくりと、ソウマの全身が総毛立った。

何しろ言葉を違えると即座にデッド・エンド確定である。ソウマは壊れた絡繰り人形の様に、かたかたと身体全体をシルフィーアに向けると、文字通り命懸けで弁明し始めた。


「そんな訳ないじゃないですか!シルフィーアさんは俺を導いて道を教えてくれた大切な人ですよ!シルフィーアさんと出会ってなければ、俺はろくでもない事になっていたでしょう!俺を救ってくれた恩人相手にそんな馬鹿げた事思う筈無いじゃないですか!!」


まあ、出会わなければもっと平穏だったろうが。

さておき、


「そうだろう、そうだろう」


大袈裟とも取れる動作でシルフィーアは頷くと、彼女はついとソウマの顎を持ち上げた。何をと言う前に、ソウマの口はシルフィーアの口で塞がれた。先のキスの様に濃密に舌を絡めながら、シルフィーアはエルを見る。唖然とした顔がシルフィーアの優越感を満たした。


「ふむ。美味しかったよ。草麻」

「あ、はい。どうも」


シルフィーアとのキスが終わり、呆然と、ソウマはそれだけを返した。

対するシルフィーアは悠然と唇を舐めると、じっと赤面しているソウマを見詰めた。覗き込むというよりも、逢瀬の後のしっとりとした視線である。


「今度はもっと楽しい事をしよう。では、またね」

「あ、はい。また」


ソウマがはっと返答するのを見て、颯爽とシルフィーアは立ち去った。

風が流れるともはやその姿は消えている。ソウマは気を抜かれた様に居ない後ろ姿を見詰め続けた。疑問符に溢れかえる脳だが、でへとソウマの口元が乱れた瞬間、背後から剃刀の様な鋭い蹴撃が繰り出された。




あの後、怒髪天を付いたエルはソウマを残して何処かに行ってしまった。

流石に戻って来てくれるとは思うが、何も記憶の有無で、確かに重要だが、あそこまでブチ切れなくてもいいのにとソウマは溜息を吐く。それに、シルフィーアさんの行為も唐突過ぎて訳判らんし、いや嬉しかったけどさあ、とソウマはまた深い溜息を吐いた。


溜息を吐くと幸せが逃れるらしいが、魔浸術で再吸収出来んかなあと、不意に思う。いや、無理というかバカな事を考えたとソウマは頭を振ると、一先ず拠点である洞穴に戻ることにした。崖から飛び降り、もはや五点接地着地法を使う事無く地面に着地すると、洞穴には見慣れた男が居座っている。


「おう、ソウ。無事だったか」


ディートリヒである。

ソウマはディートリヒの他人事すぎる言葉に、怒りよりもがっくりと気を抜いてしまった。


「おっさん、何してんですか」

「いや、暇だったんでな。テント張って、ついでに飯も作っといたぞ」


見ると、何時も使っているテントが二つ張られ、簡易的な竃には鍋が煮込んである。確かに夜も更けて飯時ではあるが、なんだかなあと、ソウマは嘆息した。けれど、結局どうでもいいやと大人しく食事の席に付いた。ディートリヒもソウマの対面に座ると、鍋から椀に具材を移す。ソウマも同じように取った。


「そういや、エルの嬢ちゃんはどうした?」

「怒らせちゃいました」


ソウマの言葉に、ディートリヒは、ははんと笑った。

どうにもこうにも、難儀な奴である。


「しっかし、手え出してない女絡みで争い起こるとか、実はお前凄いな」

「感心する前に、何かアドバイスないすか?」


椀で顔を隠しながら、ソウマは伺う様にディートリヒを見た。

男には反発する事が多いソウマらしからぬ仕草である。ディートリヒはこの青年の年相応の姿に、思わず噴き出した。ソウマはじとっとディートリヒを睨むが、何処か力が無い。ソウマの心底困っている様子に、ディートリヒは漸く笑いを収めた。


「わりいわりい、ついな」

「ついて」

「アドバイスくらいはしてやるよ。丁度良い物もあるしな」

「本当すかあ」


疑う視線だが、ディートリヒは気にせず肉を咀嚼すると飲み込んだ。


「おう。今回はマジだ」

「それで、どうするんですか」

「怒らせた女には贈り物。基本だな」

「おっさん」


自信満々に言うディートリヒに、ソウマはあからさまに失望の念を見せた。確かに、プレゼントは効果的かもしれないが、ここは人の手の及ばぬ深い森の中である。そんな場所で一体どうしろというのか。ディートリヒはソウマの不満な視線にも動じることなく言葉を続けた。


「早まるなよ。さっき言ったろ、丁度良い物があるってな」


ディートリヒは椀を簡素なテーブルに置くと、懐に手を入れた。

そこから取り出されたのは、月光の様な淡い光を感じさせる、指輪と腕輪だった。ソウマは突如取り出されたタイミングの良すぎる物を怪訝に見た。


「どうしたんすか、それ」


「契約の前に渡すもんがあると言っただろ。お前が記憶失う前に造らせた、ムーンライトの魔具だ。お前、クロス・ヴェルンデは判るか」


「ええ、一応。確か、準二級冒険者の鍛冶師ですよね」


「そうだ。お前がグレートグリーンに行く前に、クロスに造らせたんだとよ。で、それを俺が預かった訳だな。それで、クロスからの手紙がこれだ」


自分の事なのに、判らないのは余り気持ちの良い物では無い。

ソウマはむうと呻くと、ディートリヒから魔具と手紙を受け取った。


椀を置き、ソウマは一度魔具を懐に仕舞うと手紙の封を切る。

クロスからの手紙には、サクラが予め注文していたサクラ用の指輪と、草麻の為に準備していた腕輪を、草麻の案でエル様に拵えた旨が書いてある。ただ、先に言っていた通り、サクラの指輪分のムーンライトをエルの腕輪分に分けたので、当初よりも効能が落ちると注意書きがあった。また、後書きに、もう一つの依頼品はまだ完成していないので、今度取りに来てくれと書いてあるが、一体何のことやら。ソウマは眉根を寄せると、まあいいやと問題を先送りにした。


「そいつを、エルの嬢ちゃんに気の効いた言葉と一緒に渡せば、楽勝だろうさ」


ディートリヒは置いた椀を取ると、食事を再開した。

ソウマは手紙を懐に仕舞い、エル用と書いてあった腕輪、ブレスレットを取り出し様々な角度から眺め見た。シンプルだが意匠を凝らしたデザインは、確かに贈り物には最適だろう。だが、とソウマは不安を口にした。


「受け取ってくれますかね」


「安心しろ、クロスブランドであり、何よりもムーンライトの魔具だぜ。気に居られねえ、亜人の女は居ねえよ」


何かを含む様な言葉だったが、ソウマは気にすることも無く、ブレスレットをじっと見ている。不安と期待、ソウマの胸中を手に取る様に理解したディートリヒは、何も言う事無く食事を進めた。


やがて、ディートリヒの椀から中身が無くなった時、森の奥に気配を感じた。隠してはいるが、本気では無いのだろう。ディートリヒは苦笑すると椀を置いて、立ち上がった。


「ソウ、俺は久しぶりに本気出して疲れたから先にエレントに戻る。迷宮の準備もしといてやるから、きちんと媚売っとけよ」


気配を察しているのか。

ソウマは力なく頷いた。


「頑張ります」


ディートリヒは今度こそ笑い、テント脇の荷物を取ると、あっさりと森の中に消えて行った。それを見納めると、がさりとディートリヒの消えた陰から砂金の女が出てきた。


彼女の着る白のワンピースの魔術衣は見慣れたものだが、軽く裂けた瞳孔から彼女の怒りが鎮火していないのが判る。


何時か見た無表情のまま、エルはソウマの対面に座った。

それきり、エルは口も開かずにじーとソウマを凝視するだけだ。奇妙な圧迫感がソウマの双肩に圧し掛かる中、おずおずとソウマは切り出した。


「あーー。おっさんが飯作ってくれてましたけど、食います?」


「いりません」


「アンタッチャブルバードの肉も入ってて、美味しんですけど。俺、全部食べちゃいますよ」


「どうぞ」


「はい」


沈黙。

ソウマはとりあえず、椀に入った中身を全部食べることにした。見つめられて食べづらい事この上ないが仕方なし、ソウマは循気を使うと黙々と食べていく。味はしない食事が終わりると、ソウマは一先ず空いた椀をテーブルに置いた。


未だ、エルからは反応がない。

ソウマが頭を掻き、いよいよどうするかという所で、ようやくエルが言葉を発した。


「………ディートリヒと何を話していたのですか」


言葉は大変冷たく真意の隠された言葉だったが、正しく渡りに船である。

ソウマは意を決すると懐に手を入れた。


「何か俺が記憶を捨てる前に頼んでた物が、出来上がってたらしいです。すみませんけど、手出して貰って良いですか」


むすとしながら不精不精出されたエルの掌。

ソウマは懐からブレスレットを出すと、そっとエルの手に乗せた。


「何ですか、これは?」


渡されたブレスレットをエルは不思議そうに見た。

強力な月の加護が付与されている事は判るが、月に関するモノは簡単な魔具では無い。装飾具に心は揺れたが、出所が判らない以上、怪訝な想いの方が強かった。まさか、ウインド・マスターがと妄想逞しくソウマを睨むが、彼は軽く言った。


「いや、俺も記憶が曖昧すぎて詳しくは判らないんですけど、此処に来る前に俺がヴェルンデさんに依頼したムーンライトの魔具らしいです」


「それでは、これは私の為に作ったのでしょうか?」


「そうみたいですね」


「そうですか」


淡々と腕輪を眺めながら、エルは言う。

嬉しいのか喜んでいるのか、そういった感情がソウマには一切読み取れなかった。自分の記憶にないプレゼントであり、いきなりおそらくは高価な装飾品はやはり重かったかと、不安な気持ちがどっと押し寄せてくる。ソウマは困った様に頭を掻いた。


「あの、迷惑でした?」

「いえ、ありがたく頂戴します」


エルの間髪いれぬ即答に、ソウマは鼻白んだ。


「あ、ありがとうございます。後、ヴェルンデさんから魔具の詳細が書かれた説明書きが、これです」


「ありがとうございます」


ソウマから説明書を受け取るが、エルは未だに呆としている。


「草麻、私は先に寝ますね」


突然にエルは立ち上がると、テントに入って言った。

余りの展開に置いてきぼりをくらい、ソウマは何も言えなかった。テントを呆然と見るが、事態が好転する筈も無し。


はあ、失敗したなあと、ソウマは何度目か判らない溜息を吐いた。

女性に物を贈るのが初めてだったが、正直に言えば多少は機嫌を直してくれると期待はしていた。けれど、やはりそう簡単にはいかないか。女心は難しすぎる。


ソウマはまた溜息を吐き、とりあえず鍋を空にするかと竃に火を点け直した。煤けた背中に冷めた鍋。何となしに情けなかった。




エルはテントに入ると、直ぐにブレスレットを左手首に嵌めた。

手首の大きさに合わせてブレスレットはサイズを変えると、丁度良い具合でエルの手に納まる。


それをエルは嬉しそうに見た。

彼女の表情は、だらしなく崩れ、微笑みというには余りにも幼く映る。テントに入るや否や、誰にも取られないようにと、魔具の効能すら読まずに嵌めたのが、エルの感激具合を如実に表していた。


えへへと普段のエルらしかぬ声を無意識に漏らしながら、彼女はブレスレットを改めて撫でた。突然の事に大変素っ気無い態度になってしまったが、いきなりこんな奇襲を掛ける草麻の方が悪い。


草麻は間違いなく知らないだろうが、亜人の間ではムーンライトは神聖な花であり、それを用いた魔具は大切な人へのプレゼント、時には婚約品として使われる事がある。それを不意に贈られたのだ。動揺を表に出さなかったのを誉めて欲しい程だ。


しかし、エレントでサクラ用にムーンライトの魔具を造ると聞いた時、実はその近しい関係が羨ましかったのだが、私にも造ってくれていたとは。


くふとまた含み笑いが零れた。

魔具の効能か湧き上がる魔力がひどく心地よい。エルは一通り魔具を観賞すると、漸く説明書に手を懸けた。効能は、月の魔力持ちの人物の魔力を底上げする他、魔具本体にも魔力を溜め、予備電池として使えるらしい。溜められる魔力容量も、エルの総魔力の半分程ではあるが、十分な貯蓄性能といえる。


流石はクロス謹製の魔具であろう。

今日一日で大変な目にあったが、終わり良ければ全て良しという言葉もある。まあ、本当に仕方ないので、草麻の事は許しても良いかもしれない。


エルは弾む胸を楽しみながら、飽きることなく、ずっと草麻からのプレゼントを眺めていた。



とはいえ、この魔具の事で相当な一悶着後日起るのだが、今のエルには関係のない話だった。

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