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狼浪奇譚  作者: ただ
34/47

グレートグリーン1 / おはようございます

「エルさんそこ右です」

「判りました」


鬱蒼とした森を、巨大な虎が駆け抜けていく。

しなやかで凝縮した筋肉が森の王者の風格を漂わせる。その背中には一人の青年が跨っていた。疾走による激しい上下運動にも関わらず、彼の体幹にぶれは無い。狼と虎、走法に違いはあれど彼は既に虎の走りに適応していた。


「しかし、草麻もこの広大な森で良く道を憶えているモノですね」

「半年近くいましたからね。流石に全域は無理ですけど、この辺りは俺の庭ですよ」

「それは頼もしい」


木々の中に含まれる芳醇な香り、湖から立ち昇る水気。

圧倒的な自然な気配が余りにも懐かしい。鍛錬の為とはいえ、僅か二ヶ月で戻ってくるとは思いもしなかった。


「と、見えましたね。あそこです」


草麻が指差した先には崖が見える。

ヒメと過ごし、修行に明け暮れた我が家と言っても過言では無い洞穴がそこにあった。


「ええ、確かに匂いが残っています」


「ヒメがバカみたいに縄張り主張してましたからねえ。荒らされてなければいいけど」


「幸い、他の動物の気配は感じれませんので、大丈夫でしょう」


「そうみたいですね」


眼前にはただの洞穴。

けれど、そこには思い出がぎっしりと詰まっている。草麻はエルから降りると、軽く体を伸ばした。数時間同じような体勢で居たのだ、筋肉と関節から小気味良い音が聞こえた。エルも虎形態から人の姿に移っていた。


「ほんじゃ、準備しますか」

「そうですね」


草麻は新たに購入した、背中に担いだ収納魔具からテント等キャンプに必要な物を出していく。これから一ヶ月間はここで修行の日々だ。無駄遣いと怒られなければいいが、草麻は苦笑しながらテントを組み立てて行った。




テントや簡単な竃などを造り終えた頃には、既に正午を回っていた。持って来た簡単な肉を竃で焼きながら、草麻とエルは先ず食事をすることにした。


「それにしても、本当に草麻達はグレートグリーンで半年も過ごしていたのですね」


香ばしく焼けた肉を頬張りながらエルが言う。

同じように草麻も肉を咀嚼すると、言った。


「そうですね。けど、グレートグリーンって特別強い魔物は居ませんし、結構過ごしやすい場所だと思いますけど」


「月の森でも思いましたが、草麻の魔力適応力は異様です。此処まで来ると木と土の魔力が強すぎる。普通は魔力酔いを起してもおかしくはないのですが」


「一応、俺はフルバランスですからね」


「それと、グレートグリーンに生息する生物は確かに余り強くは無いですが、その分気配に敏感です。草麻も途中で遭遇したでしょう、あの鶏に似たアンタッチャブルバード。その肉は比類なき美味ですが、その捕獲成功率の低さから大変高価で取引される鳥です」


エルの瞳には確かな捕食者の光が浮かぶ。

亜人は皆グルメなのだろうか、草麻は自身がロケッ鳥と評していた鶏肉を思い出す。


「ああ、あいつですね。確かに凄い旨かったすね」


しみじみとした調子だった。

ロケッ鳥捕獲作戦は草麻にとっては大切なイベントの一つとして記憶されている。ヒメとの連携という過程もそうだが、あの肉は本当に美味しかった。程よく引き締まった筋繊維、ジューシーだがさっぱりした油、部位ごとに味に違いはあれど、全てが一級品だったのを覚えている。


「草麻、貴方はアンタッチャブルバードを食した事があるのですか!?」


咀嚼する手を止め、エルが叫んだ。

草麻は軽く怯み瞬きするが、特に疚しい事でも無いので正直に話した。


「ええ、ヒメとの共調を覚えてからはしょっちゅう食べてましたよ」

「しょっちゅう!!」

「はい、まあ三日に一回位のペースでしたかね」


草麻の言葉を聞き終えると、エルはすくと立ち上がった。

何事かと草麻が視線を上げると、エルの口元は獰猛に釣り上がっていた。


「狩りです」


エルは言う。


「草麻、今すぐアンタッチャブルバードを狩りに行きますよ」


もはや、グレートグリーンに来た理由を置き去りする様な気迫だった。

草麻もロケッ鳥改めアンタッチャブルバードを狩る事に否は無い。旨いし、連携の向上にも繋がるからだ。ただ、草麻は申し訳ない様に頬を掻いた。


「………申し訳ないですけど、今の俺とエルさんのコンビじゃ、多分無理ですよ」


「何故ですか」


エルは座り、草麻を見る。


「いや、単純に俺がエルさんの呼吸を憶え切れてませんし、合わせるのは難しいですね」


「どういう事ですか?」


「あいつを狩るにあたって必要な事は、第一に気付かれない事です。そこはエルさんの気配遮断でいけると思うんですけど、俺がそれに同調出来ないんですよ。それさえ上手くいけば、多分狩れるんですけど」


「ですが、草麻は魔力遮断が出来るでは無いですか。気配を隠蔽することは私が上でも、魔力に関しては草麻が上手でしょう」


この数日間で、草麻とエルは互いの力量を推し量っていた。

気配。肉体が放つオーラというか雰囲気だが、身体操作はともかく、漠然と感じる要素を扱う事はエルが上で、対する魔力の遮断や流通は草麻の方が上と言うのが二人の共通認識だった。


「俺も上手く説明出来ないんですけど、奴は魔力か気配か判りませんが、複数の気のずれを読むんですよ。仮に俺が魔力を零にして、エルさんが一とするじゃないですか、奴はその微かな差異で勘づきます。だから必要なのは、俺が一に合せるか、エルさんがゼロに合せるかという同調が必要になりますね」


「なるほど、アンタッチャブルバードを狩る際の定石は少人数で攻める事ですが、そういう理由なのですね」


「という訳で、エルさんには悪いですけど今直ぐは無理ですかね」


そう、草麻は締めくくった。

エルは肩を落とすと、何かに気付いた様に顔を上げた。


「………ちなみに草麻とサクラはどれ程の期間で成功したのですか?」

「確か二ヶ月半位ですか」

「一か月です。一月で私に同調して下さい」


自分でも未だに名前を付けられない対抗心が、そこにあった。

エルの気概はいいが、草麻にとってはそれでは困る。連携向上とシンクロは良いが、それだけで此処に来た本来の目的を達せられるのだろうか。草麻の疑問はもっともすぎた。


「良いですけど、魔浸術はどうするんですか」


「安心して下さい。アンタッチャブルバードを狩れる程に同調出来れば、私と草麻の波長は十分に合っている事でしょう」


エルは自信ありげにうなずいた。

草麻も教師がそう言うのであれば、何も言う事は無い。


「ま、いいですけどね」


それに主従契約の説明の時に、ヒメも跳躍鳥を捕まえる時にとか言っていたので、意外とポピュラーな訓練方なのかもしれん。草麻は一人納得した。




「やっぱ、強いですね」

「そういう草麻こそ、半端では無いです」


黒鉄の手甲と白銀の短剣がぶつかり合う。

魔力の同調もそうだが、呼吸を憶える為と草麻が提案したのが模擬戦だった。


崖の上に行くと、その丘は二ヶ月前の面影をそのまま残したままだった。シルフィーアと戦った時の残照が至るところに残されている。その場所で、今はエルと戦っている。何と言うか、感慨に近い想いがあった。だが、今は過去に耽っている場合ではないだろう。


眼前には銀閃が絶え間なく草麻の命を貫こうと乱舞している。

エルの戦法の根底はその圧倒的な身体能力による怒涛の連撃だ。鎖で繋がれた両のメイルブレーカーを桁外れの膂力と速度で突き込み、間合いを取ってもエルは弾丸じみた投擲で逃さず、一息で間合いを詰めてくる。


竜巻の様に暴力的。

それが、草麻が感じたエルの印象だった。


そのエルと魔力を用いた身体能力で劣る草麻が、格闘で渡り合える理由はその技術の高さ故だ。観応でエルの攻撃パターンを読み取り、組み立て、間を外す。草麻はエルのほんの僅かな呼吸の切れ目、意識の空白を嫌らしい程的確に読み、その間隙を強打してくる。


水面の様に静謐、それでいて激情。

それが、エルが草麻に感じた印象だった。



やがて、夕日が世界を照らす頃に、蝋燭の火が消える様に草麻は突如倒れ伏した。何の予兆も無い、余りにも唐突な出来事だった。


「草麻!」


エルは慌てて、草麻に駆け寄った。

彼女の脳裏に最悪の想像が駆け巡る。今までの攻防で、致命的な攻撃は当たって居ない以上、エルがそれを想像してしまうのは当然と言えた。


つまり、主人であるヒメの死亡。

全ての前提が崩れ、友が死ぬという事態に、エルが焦るのは当然だろう。エルは草麻を仰向けに寝かせると、彼の口元に手をやる。規則的な呼吸音。エルはそこでやっと安堵の溜息を吐いた。どうやら最悪ではなかったらしい。では、何故草麻はいきなり気絶したのだろうか。


「サーチ」


エルは水の属性が得意とする人体解析の魔術を草麻に施した。

治癒が主になる水属性を持つ魔術師にとって、解析は必須魔術の一つだ。何処をどの様に負傷しているかによって、治療方法は千差万別に判れる。エルの属性は、木と水と金の属性を有し、草麻以上に放出が不得手だがその分、浸透を得手としていた。


「えっ」


エルの言葉は驚きによるもの。

草麻の身体を解析すると、彼の体は信じられない程の惨状となっていた。筋繊維の損傷は当然として、関節の軋みと内臓の歪み。確かに、戦闘の途中で明らかに力と速度が落ちたのだが、もしやあれは魔力切れどころか、魔力が底を付いていたのか。


仮にそれが事実だとすると草麻は素の身体能力と技術でエルと競った事になる。だが、草麻の肉体は未だ途上であり、力と速度が追い付く筈も無い。もしそれを行使するとしたら、肉体の限界を超えるしかないだろう。理解が深まるにつれエルの顔が強張っていく。肉体限界を超えるという事は自壊、自滅するという事。それを彼は、ただの試合でやったのか。それに、


「馬鹿ですよ」


何よりも魔力を完全に空にする等、通常では有り得ない。

それは生命維持に関わる致命的な問題になるからだ。それを草麻はやった、出来てしまった。例えるならそれは心臓の鼓動を自力で止める様なもの。正気の沙汰どころではない、それは狂気に類する行為だ。


「ヒール・イン」


それでも、エルは苦虫を噛んだ様に治癒の魔術を掛けた。

治癒師の側面も持つ彼女からすれば、草麻の無謀さは到底許容できる事では無いが、かといって治療しない訳にもいかない。しかし、魔力、体力を使い果たしのだ。これでは何時起きるのかも判らない。エルは唇を強く噛んだ。



日が落ち星々が煌めき始めた時、草麻は眼を覚ました。

習慣となった循気を使い、意識を覚醒。隣に座るエルと空の暗さを見て状況を把握した。


「おはようございます。エルさん」


むくりと何事も無かった様に起き上がり、草麻は隣に座っているエルに挨拶した。気を失っていた時間は左程長くは無い。おそらくは、三十分にもならないだろう。失神した後に来る倦怠感は無く、快調なのが不思議だった。エルは気楽な草麻を呆と数瞬眺めると、躊躇いなく拳を振るった。ごぎんと首が半回転する程の威力だった。


「あの、いきなり何を」

「何をではありません」


エルの表情は明らかな怒りと心配する様な憂いさがあった。


「どうして、あそこまで無茶をしたのです?」

「無茶ですか?」


エルの問いに、草麻は首を傾げた。

その暢気な仕草に、エルは怒気を強める。


「何故、ただの模擬戦で魔力を使い果たし、身体を痛めつけたかを聞いているのです」


草麻はエルの詰問に、何事も無い様に返した。


「いえ、別に無茶した訳ではないですよ。魔力を空にするのも肉体のリミッターを外すのも何時もの事。此処に居た頃は毎日の様に失神してました」


いや、懐かしいと草麻は頬を掻く。

エレントに来てからは偶にしか気を失う程の鍛錬はしていなかったが、グレートグリーンでは毎日気を失っていた。気絶してる間もヒメという巨狼が居るので安心して励んでいたのだ。


そういえば、初めてヒメの前で、ただの理知ある狼だと思っていた頃、倒れた時も同じ様な反応だった気もする。猫パンチならぬ狼パンチは痛かった。エルは驚愕を顔に張り付けると、震えを抑えた声で草麻に聞いた。


「それでは、この行為は草麻にとっては日常なのですか」


「そうですね。幸いというか、エルさんが居るんで安心して気絶できました、ありがとうござまいす」


下げられた頭にエルは複雑な表情を作る。

信用されたのは素直に嬉しいが、それでも先程の行為は度が過ぎる。魔浸術を提案しておいてどの口がとは思うが、一人の治癒師として、友を案ずる友人として、エルは草麻の行いを注意した。


「いえ、ですが身体の損傷が激しすぎますから、次からは控えて下さい」


「大丈夫ですよ。今回はグレートグリーンという場所のお蔭か、調子は良いですし、何よりも練習の時は、際まで行かないと勿体無いでしょう」


「調子が良いとは、失礼ですが解析魔術を掛けてもいいですか」


「ええ、勿論」


解析魔術と疑問はあるが、草麻としては断る理由は無い。

エルとしては、解析魔術とは肉体と魔力の秘密が大まかではあるが判る魔術の為の礼儀だった。奇妙な擽られる様な感覚が全身に広がると解析の魔術は終わったようだ。エルは眉を顰めながら、口を丸く開けるという不可解な顔をしている。草麻は珍しいなとしげしげと眺めた。


「エルさん、問題ないでしょう」

「………え、ええ。信じられませんが回復しています」


筋肉、関節、内臓。

先程までの損耗全てが通常値まで戻っている。確かに治癒魔術を懸けはしたが、此処まで急速に回復する等通常では無い。肉体の回復力も驚きだが、何よりも、魔力が復活している。頼りないグラス一杯分程の水量ではあるが、確かに魔力が感じられた。この分なら、一晩眠るだけで魔力は全快するに違いない。今まで数多くの傷を診てきたが、此処まで常識外れな肉体は初めてだった。


「と言う訳で、その、エルさんが心配してくれるのは凄い嬉しいんですけど、一応俺にとってはこれが当たり前なんで、気にしないで下さい」


「ですが」


「心配無用ですよ。俺はこれを十年以上やってますからね、むしろ、やらないと調子を崩します」


冗談を言う様に草麻は笑いながら言った。

エルは草麻の言葉の内容に驚きながらも、仕方ないと割り切ることにした。草麻の眼は笑っていなかったから。だから、エルはこう言うしかなかった。


「解りました。ただ、今後気絶した際は私が治癒しますので、何時でも解析魔術を掛ける事だけは了承して下さい」


その言葉で草麻はやっと今の調子の良さを理解した。

エルが自分を治療してくれたのだ。草麻は思わず恥ずかし気に誤魔化す様に頭を掻いた。


「あ、その治療ありがとうございます。解析は別に何時でもどうぞです。えと、今後も俺気絶するんでその間は頼みます」


尻すぼみの言葉だが、エルは十分な信頼を感じる事が出来た。解析魔術もそうだが、無防備な姿を晒して守ってくれと言う頼みが純粋に嬉しかった。


「ふう、仕方ありませんね」

「ありがとうございます」


草麻はやおら立ち上がると、腕立て伏せの体勢になった。

何はともあれ、質問は終わった様なので、筋トレしようと思ったからだ。草麻は前にもしていた様に右手を地面に付くと足を浮かせた。片腕だけの大勢だが、姿勢は真っ直ぐで重心のずれは無い。恐ろしいまえでの体幹の冴えと膂力だった。エルはそんな草麻に溜息を吐くと、どうしようかと視線を彷徨わせる。草麻はもしよかったらとエルに聞いた。


「エルさん、乗ってくれません」


エルは一瞬思案するが、特にする事も無かったので素直に了承した。


「大丈夫ですか?」

「勿論です」

「では、失礼して」


おそるおそるエルは草麻の背中に乗った。

六十キロ近い重量が乗っても、草麻の動きに揺らぎは無い。魔力を一切流さずに筋力のみで百キロ以上を支えるとは、解析はしたが改めて理解した。


「しかし、呆れた筋力ですね」


「完全格闘型ですから筋力増強は必須でしょう。それにこれも一応、循気の練習ですからね。手は抜けません」


「循気ですか?」


不思議そうに問うエルに、草麻は思い返した。


「ああ、そう言えばエルさんには俺の流派の事言ってなかったですね。聞きます?」

「無論です」


草麻の優れた格闘技術にしろ、先の事にしろ、聞きたい事は知りたいことは山ほどある。エルは一も二もなく頷いた。草麻はではと一度前置きすると、冨田六合流の基本を説明しはじめた。



「とまあ、こんな感じですね。実は今脳のリミッターを切りました」

「また、無茶な事をしますね」


話を聞き終え、エルは感嘆というか呆然と呟いた。

脳のリミッターを解除というのは判るが、それを日常的に行うなど無茶にも程があるだろう。草麻は毎度の反応に苦笑した。


「いや、まあ。慣れですよ慣れ。それに今後はエルさんが治療してくれるから大丈夫かなと。それより、魔力同調どうします?」


草麻の問いにエルは開き直って言った。


「実は今、草麻に解析魔術を掛けました。貴方の言うリミッター外しは肉体の限界を超えるモノ、僅かな魔力もそれに追従していますので、実に良い観察が出来ます。これで、ある程度の同調までの練習にはなります」


もう、草麻に遠慮はいらないだろうとエルは思った。

今思えば勝手に主従契約をされ、それをすんなりと受け入れる男が解析程度でどうこう言う筈も無いだろう。というよりも、単純にエルの興味が倫理観を上回った。


「という事は、模擬戦で俺がエルさんの呼吸を読み、筋トレでエルさんが俺の魔力と肉体を読む感じで大丈夫ですか」


事実、草麻は何も気にしていない。

エルに解析魔術の詳細を聞いてもこれなのだ。エルの反応はもっともといえた。


「そうですね。後、忘れてはいけないのが、アンタッチャブルバードを狩る為に、私の走りと一体化することですね」


「了解です」


ううむ。

本末転倒してないかと、草麻は思った。けど、まあ大丈夫だろうと不思議な安堵感がある。草麻は気にせずエルを乗せ筋トレすることにした。背中の重みが今は少し心地よかった。




「サイクル・W」


呟き、水の魔力特性を一気に循環させる。

短剣により刻まれた傷は瞬時に塞がり、疲労も僅かではあるが解消された。エルさんからの薫陶を受け、水属性も多少ではあるが使えるようになった証拠だ。


「相変らず、非常識な!」

「失礼な、俺はまともです!」


怒声と共に投擲された短剣を手甲で逸らす。

非常識と言われるが、弓矢の様に短剣を飛ばす方が余程非常識だろう。


「ここまで与えたダメージを一瞬で無くされる身にもなって下さい」

「良い事でしょうが!ていうか、その魔力量の方がずるい!」

「純血を舐めないで下さい」


くっ、天賦の才はずるい。

なにせ、エルさんの魔力量はざっと俺の三倍程。放出魔術こそ俺と同じく苦手らしいが、魔力量が多いだけでも十分過ぎる武器だ。エルさんは短剣の軌跡を縫う様に肉薄すると、投げた短剣を掴み左右から咢を閉じる様に突き出してくる。虎の膂力を活かした強引ともとれる一撃。水の特性ではきついか。


「サイクル・F」


呟き、水から火へ。

相反する特性変換だが今の俺なら多少はいける。力には力。迫る両の短剣の刀身に手を添え一気に頸を流す。体重移動と筋力の脱力からの硬直で一気に短剣を弾いた。どんという衝撃音を残し短剣はエルさんの両腕ごと外に開くに違いない。がら開きになったエルさんの前身に循気を用いた前蹴りを放つ。しかし、組み上げた必勝への渾身の蹴りは、


「なっ!?」


有る筈の無い両腕で防がれた。

両腕は短剣と共に弾いた筈。それなのに何故間に合った。視界の端には飛んで行く短剣と鎖。マジかよ。エルさんは俺の打撃の直前か直後に、短剣を手放したのだ。普通なら飛んで行く筈の武器は、鎖で繋がれているお掛けで飛散することは無い。


片方のみへの衝撃だったなら飛んでいっただろうが、俺は同時に弾いてしまった。エルさんは刹那の判断で武器を放すと、防御に懸けたのだ。何と言う野生染みた戦闘勘か。だが、ここまで来たら俺は止まる訳にはいかない。残心などをという余裕を切り捨て、今はこの一撃に懸ける。


「おぉ!」


だが、全身全霊、岩すら砕く前蹴りは


「あぁ!!」


泰山には届かない。

犬歯は覗かせ、エルさんはにやりと笑った。やはり魔力を用いた身体能力では分が悪いか。一瞬の静寂、硬直した体、その隙を薙ぐ様にエルさんの右足が放たれる。旋風じみた抉る様な上段蹴り。それを上体をのけ反らせ懸命に躱し同時に特性変化。


「サイクル・T」


雷の特性で反射能力を極限まで底上げする。

ぎんと鎖同士が引っ張り合った音が耳朶を振るわせ、眼前には回転し背中を見せる野獣。軸足を入れ替え、ぼっと、破裂音を残すと後回し蹴りが放たれた。大砲を彷彿とさせる強大な一撃。運動エネルギー全てを搭載した巨艦主義の砲弾だ。


「ふっ」


それを柳の様に受け止めた。

先程とは反対にエルさんの蹴りを両手で防ぐ。手甲越しに伝わる予想以上の威力。クロスさん謹製手甲が無かったら、ガードした両腕は致命だろう。しかし、攻撃向きではない木の魔力特性を流しているのに、これである。もう本当嫌になるね。全身に轟く衝撃をそのまま後方へ、脱力し気体となった俺の体はボールの様に飛んで行く。それを貫くは杭の様な短剣。


「サイクル・M」


相変らずの速度を硬質な金属製で受ける。

それで一拍、次の瞬間にはもうエルさんが迫っている。力技な踏込みではあるが、体勢を問わない圧倒的な脚力には脱帽するしかない。俺の体は未だに宙空で眼前には貪る虎の牙が煌めいている。


俺の着地まで後一秒。

左手を上げワイヤーアンカーを射出した。当然、片方の短剣で受けられるがそれで十分。俺の足は地面に接地している。踏ん張ると、肉薄するエルさんに吶喊した。



「相変らず、非常識な!」

「失礼な、俺はまともです!」


私の罵声に草麻は憤慨の言葉で返した。

だが、一体どの口がまとも等と言うのだろう。ただの人間が魔術を使わずに特性のみで傷を瞬時に癒すなど、普通では有り得ない。叫びながら、草麻は私の投げた短剣を容易く弾くともう体勢を整えている。判ってはいるが、なんと図抜けた格闘技術か。それいでこの回復力。ふざけているとしか言い様が無い。


「ここまで与えたダメージを一瞬で無くされる身にもなって下さい」

「良い事でしょうが!ていうか、その魔力量の方がずるい!」

「純血を舐めないで下さい」


純血の亜人にとってこれ位の魔力量は当然。

だが、精微な魔術は人間の方が得意となる傾向がある。草麻や狂戦士がこれにあたるだろう。肉薄し、両手に持った短剣を左右から牙の様に突き出す。草麻が水の魔力特性を流している今なら対応は鈍る筈だ。しかし


「サイクル・F」


草麻は圧倒的速度で特性変換を終えていた。

相性の良い属性同士ならまだしも、相克する属性へと瞬時に特性変換するなど本当に非常識にも程がある。迫る両の短剣に草麻はゆらりと手を添えた。優しささえ感じる仕草だが、私はその本質を知っている。私は首筋に奔った直感に従い短剣を手放した。


直後、寸勁と呼ばれるらしい無動作からの強烈な拍打に短剣が弾き飛ばされる。呆れる程の打撃、しかしそれすらも草麻にとっては牽制に過ぎない。首筋に致命に至る怖気が奔ると、本命となる決死の前蹴りが迫っていた。


「なっ!?」


その驚きの声は草麻のもの。

私の防御が間に合うとは思っていなかったのだろう。しかし、それでも草麻の感情にぶれはなく、蹴りに力を注いでいる。循気と呼ばれる彼特有の瞬間的な一撃。それを気迫を持って受け止める。


「あぁ!!」


私以外ならそれだけで防御した両腕が壊されてもおかしくない程の衝撃。

事実、数秒ではあるが私の腕は痺れ使えない。けれど、好機だ。全力の後故に願っても無い隙が見えた。草麻の側頭部を狙い右足を振るう。当たれば昏倒する程の力と速度を込めているが、


「サイクル・T」


草麻は容易く私の蹴りを躱すと、もう次に備えている。

あれ程の明確な隙の後ですら躱すか。本当に彼の技術には驚かされる。しかし、次の攻撃はいくら草麻でも受けるしかないだろう。回転し、勢いを乗せた蹴りを発射した。先の草麻の前蹴り並みの威力を持った蹴撃を草麻は両腕で防御している。このまま腕を潰せれば私の勝ちだ。


「ふっ」


だが、巌の様に受け止めた私とは対照的に、草麻の防御は柔らかった。

まるで綿に蹴りを打ち込んだ様な心許なさ。草麻は流れに逆らう事無く後方へ跳んでいた。これでは何の痛痒も無いだろう。命を穿つ攻撃を前に草麻はどこまでも緩い。短剣に繋がる鎖を掴み、慣れた動作で短剣を投擲した。


「サイクル・M」


それを、草麻は何でも無い様に弾いた。

だが、彼の身体は未だに中空。この好機を逃せる筈も無い。疾駆し、草麻へと肉薄する寸前、彼の持つ唯一の遠距離攻撃が発射された。く、相変らず嫌なタイミングで嫌な攻撃をする人だ。手に持つ短剣で逸らすが、もう草麻は地面の上。私のタイミングを外す様に草麻も踏み込んだ。




「この馬鹿力!!」


「乙女に向かって馬鹿力とは、この変態!!」


「変態!?女性の入浴すらそっと見守る紳士に向かって変態ですと!?」


「それはただの覗きでしょうが!!」


「失礼なことを!俺はくさっても従者の端くれ!暴漢を注意しているだけです!」


「私の時は鍛錬しているでしょうが!」


「………………」


「死んで下さい!!」


結界の中、セーミアは二人のじゃれ合いを見ながら暢気にお茶を飲んでいた。

先日、二人に合流した後、草麻とエルの試合を観戦するのがセーミアの日課になりつつある。もっぱら、二人の掛け合いに心中で突っ込みを入れているだけでも、暇は十分に潰せた。


その再生能力は人を辞め始めてますよとか、私の四倍近い魔力量を純血の一言で片すのは止めて欲しいとか、ぶっちゃけ、力にしろ技術にしろ、能力に違いはあれど五十歩百歩で二人ともアレですよとか。まあ、二人が楽しそうで何よりだ。


しかし、だ。

今回はちょっと聞き捨てならない言葉があった。一人の女性としてプライドは守られ、エルに対し優越感をもったが、それはそれだろう。セーミアは呪文をきっちりと唱えると結界を解いた。バチバチと放電する右手を草麻に向ける。今にも暴発しそうな強靭な魔力をセーミアは術によって完全に制御、操作すると、それを放った。


「シャイニング・キャノン」


巨大な閃光がセーミアの手から放たれる。

その魔術は音を超越した電光の速度。大地を抉り空間を破砕し、全てを破壊しながら一直線に対象に走っていく。もはやそれは、電撃を遥かに超える雷撃であり、自然すら圧倒する様な人の技術の結晶だった。


「………え?」


呆然とする間も無い。

物理的なエネルギーすら伴う雷の砲弾は草麻を飲み込むと、丘と言わず森すらも強烈に照らした。


「おお」


エルは少し離れた場所で、その威力に関心していた。

格闘型では難しい殲滅魔術にはやはり憧れるものがある。エルは短剣を上げた。セーミアも応える様に銃を模した右手を口元に近付ける。ふっと銃口の先をかき消すと、セーミアとエルは同じように笑った。前衛の牽制の後に後衛の大打撃。こうまで見事に決まれば快心と言わざるを得ない。ぶすぶすと煙を上げながら、草麻は愛情表現、愛情表現と繰り返していた。実にポジティブな男だった。

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