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狼浪奇譚  作者: ただ
33/47

エレント13 / 魔浸術

セーミアさんの話は特別長いものでは無かった。

幼少時、亜人に襲われ孤児になった際に、アルフレッドにディーノと共に拾われた事。

親同然のアルフレッドに憧れ、弟子になり冒険者となった事。

三年前、ヨルミナ攻略の為にエレントに訪れた事。

その際にアルフレッドが亜人と主従契約したと告げられた事。

一年間パーティーを組み漸くトラウマを克服出来た時に、ヨルミナの最奥で亜人に裏切られアルフレッドが死んだ事。

その後はディーノは旅立ち、セーミアさんは受付で希望を探し続けた事。

髪の色を変えた理由はヨルミナ探索完了メンバーで有る事を少しでも隠したかったからで、別段深い理由は無いらしい。


ここまで聞いて、正直、俺はどう反応すればいいのか判らなかった。

平和な日本で過ごし、両親と兄貴という家族に囲まれ、静流という認めたくは無いが得難き師匠と出会えた。親友とも僅かではあるが、共に在れた事を想えば俺の人生は光だろう。


同情も出来るし憐憫もある。

けれど、セーミアさんはそんなモノ望んで無いだろう。彼女が望んでいるのは過去では無くこれからだ。俺はそんなセーミアさんの手助けを少しでも出来るだろうか。震える身体を抑えて視線を上げるとセーミアさんは笑っていた。


「ソウマさん、反省しましたか」

「はい、しました。これからも誠心誠意セーミアさんに尽くします」


強制正座して早一時間。

俺の足は既に限界間近で、潰された末梢神経がもう無理だよーと叫んでいる。雷をシャワーの様に浴びた後の正座である、そりゃあ気持ちよくもなるわ。


あの後、話の前に実はと、パールさんを紹介したらこうなった。

先程までの良い雰囲気を全て吹き飛ばす絶対零度の視線と微笑み。しどろもどろで言い訳していた時、パールさんの、所詮仲介ではそんなものでしょうと言う一言も酷かった。


その後は語るに及ばず。

動物にも鳥にもなれない蝙蝠さんは哀れ、串刺しからの雷焼きになりましたとさ。ただ、雷が当たり痺れた所をうっとりと見るセーミアさんと、焼かれ香ばしくなった体を見てじゅるりとしたパールさんを俺は忘れない。


「よろしい」


解放され、ふらつきながら椅子に座る。

対面にはセーミアさん、隣にはパールさんという位置だが、痺れる足を蹴りつけるセーミアさんはマジで鬼畜。ヒメなら瞬間沸騰瞬間冷却だから、その辺は助かるといえば助かるんだが。


「大体ソウマさんがいけないんですよ。ディーノの従者を寝取りその上盗み聞きさせるなんて、人が悪すぎます」


「いやあ、なんでちゃんとセーミアさんの話を聞く前に紹介したじゃないですかぁ」


「へー、やっぱりソウマさんは私を信用して無かったんですねー」


「いや、そういう訳じゃなくて、何つうか、ね。ほら、いきなり紹介してもあれだなあと思った訳ですよ」


「あれ、ですかあ」


じとりと粘着質な目をセーミアさんは向ける。

ぐ、と怯むがここまで来たら勢いで乗り切るしかないだろう。


「まあ、まあ、兎も角ですよ!後は何とかおっさんを説き伏せてヨルミナ攻略、そしてヒメの救出を成功させましょう!!」


だんとテーブルを叩き、ノリだけの言葉を明後日に飛ばす。


「ふう」


セーミアさんは飽く迄も冷静に大袈裟な溜息を吐くと、失望したという蔑んだ視線を送ってくれました。もう、ぞくぞくするね。と一人でアホな事を思っていると、隣に座るパールさんが口を開いた。


「もういいでしょうセーミア。仲介しかしていない貴女を草麻が警戒するのは当然では無いですか。後、私はあの男に一切合財尽くしていません。変な事を妄想するのは止めて欲しい」


もう、メンチ切るパールさんに冷や汗が止まらない。

折角多少は大人しくなっていたセーミアさんの気配がまた危険水域になってるじゃないか。


「ソウマさん達を文字通り殺そうとした人が良く言いますね。警戒するならむしろ貴女でしょう。ソウマさんがバカじゃなかったら貴女は今頃死んでます」


「草麻がバカなのは認めますが、少なくとも私の方が貴女よりも草麻に近い。伊達に剥き出しで戦ってませんからね」


言葉自体は丁寧ではあるが、何故ここまで喧嘩腰に聞こえるのか。

セーミアさんの微笑みはニコリからニヤリに変わり始めているし、それ以前に、パールさん、挑発的に今日買った服を見せない!ほら、セーミアさんの目がマジになったでしょうが。


「へえ、名前ですら呼ばれていないのに、良く言いますね。パ・ー・ルさん」


怖え、もう、ニヤリからニタリに変わったよ。

微笑みという表情一つでここまで印象を変える人は、そうはいないと思う。ていうか、それ以前に、またおかしな方向に話が進み始めてる。本来向かうべきパールさんの目線は隣にずれ、セーミアさんの目線もちょいと横にずれてる。あ、パールさんの瞳孔、裂け始めた。


「草麻。私の名はエルメスです。エルで構いません」


背中に痛み。

杭の様な短剣がセーミアさんに見えない所で脅迫していた。だが、それは例えば背中を抓るとかそんな可愛いらしいものでは断じて無い。何しろ普通に刺さってる。机の下では向う脛キックを超えた閃光が瞬きして、俺の頭髪はさいや人もかくやになり始めているし、本当俺にどうしろいうのか。


来たか、俺のモテ期と叫んだ一時間前が本気で懐かしい。

二人にぶっ飛ばされ、ゴミみたいな目で見られたのはもはやトラウマもん。ヒメとシルフィーアさんですら、あんな視線をした事はないのに。女性のプライドって怖え。


やがて、道衣に付いた赤い染みが無視出来んほどになり、ビリビリがバリバリになり始めた時に玄関から粗暴なノックが聞こえた。それは正しく天恵。蜘蛛の糸である。俺は雷の魔力特性を纏うと、瞬速で玄関に向かっていた。


「おっさん、待ってたぜ!ありがとう!!」


ドアを速攻で開け、狂戦士ことディートリヒのおっさんを迎え入れる。

余りの嬉しさに失言した気もするが気にしない。今はこの褐色のオヤジが心強かった。だが、おっさんは身の危険をいち早く察知したのだろう、じゃ、とばかりに敬礼する。


「すまん、邪魔したな」

「いや、邪魔何てとんでもねえよ。旨い酒と上等な肉。それに何と言っても美女がいる。な、ゆっくりしていこうぜ」


「馬鹿、お前判ってて言ってるだろ。あんな風に笑う奴等を俺は女と認めねえよ」


ああ、ますます振り返りたくない。


「おいおい、おっさん。男には無謀と承知でもいかねばならん時があるだろ」


俺の言葉を遮る様に、背中に衝撃が奔った。

振り返り見ると、普通に背中から杭が生えていた。突っ込みが比喩になってねえとか、マジでファンタジー恐ろしいな。


何故か抜けない短剣に引っ張られ空中に飛ばされる俺の体。

拳を腰溜に構えたセーミアさんの手から雷の矢が射出された。空中コンボ炸裂である。ナイスコンビネーション。ぶすぶすとパンチパーマになった俺の髪がその威力を物語っていた。


「それでディートリヒさん。何時まで其処に立ってるんですか?早く入って下さいよ」


「確かに。何時までも玄関を開けたままにするのは、不躾だ」


微笑みながら夜叉達は言った。

引き摺られる様に、おっさんは観念した様に戸を潜る。何はともあれ、助かったか。



「しっかし、お前が毎日その服で過ごす理由がよく判るな」


あの後、何事も無かった様にキッチンで料理をする草麻に、ディートリヒが感心した様に声を掛けた。穴が開き、赤く染まった道衣はすっかり元通りで、草麻は簡単なサラダを作っている。


「まあ、道衣に穴が開かない日は無いからな。ホント、助かってるよ」

「しかも、エプロンもいらねえしか?」


道衣に野袴でキッチンに立つ草麻は見慣れたもの。

最初は違和感があったが、理由を聞くと納得したものだ。


「血液だけじゃなく、油汚れにも強いからな」


とはいえ、シルフィーアお手製の魔術衣をエプロン代わりにするバカ野郎はきっと草麻だけだろうと皆は思っている。草麻はサラダをテーブルに並べると椅子に座った。隣にはエルが座り、対面にはセーミアとディートリヒ。皮肉にも聞こえた草麻の台詞にも、女性二人は我関せずとばかりにワインを飲んでいた。


「それで、どうしたんですか?」


草麻が席に付いたのを見計らい、セーミアがディートリヒに聞いた。


「いや、何。お前が仕事から上がったのを聞いたんでな、ちょいとタイミングを計って来てみただけだ」


「タイミングを計ったんなら、もうちょっと早く来いよなあ」


「馬鹿、俺を殺す気かよ」


肩を竦めるディートリヒ。

二人は素知らぬ顔のままだ。ディートリヒは逞しいなと思いながら、セーミアに目を向けた。


「それで、まあ聞く必要もねえだろうが、どうするんだセーミア」

「ええ、ソウマさんとパーティーを組んでヨルミナを攻略します」

「そうか」


ディートリヒはワインを飲んだ。

まあ、予想通りではある。さて、どうしようかと思った矢先に草麻から声がかかった。


「おっさんの席は余ってるぜ」

「そうだな」


ディートリヒはグラスを置き、肘をテーブルに付くと、その巨体をぐいと乗り出した。


「なあ、ソウ。お前、期間内に強くなる手は見つけてんのか?」


「いんや全然。奴が提示した期間は二ヶ月だぜ。その間に強くなれる方法があるなら、是非とも教えて欲しいね」


「ふうん」


乗り出した体を戻すとディートリヒは曖昧に答える。

草麻は眉を寄せた。白黒つけず先延ばしにするのは、この男にはそぐわない。


「何だよ、おっさんらしくねえな。はっきり言えよ」


「いや、此処で俺が同行するって約束しちまうと、お前のレベルアップの妨げになりそうでな。そうすると、つまんねえだろ」


つまり、保険を掛ける事による飢餓感の減少をディートリヒは懸念しているらしい。確かに、準二級冒険者をパーティーに出来れば、心に甘えが出来てしまうのは否めないだろう。しかしだ、草麻は困った様に言った。


「つまんねえって、仮にヒメを助けれなかったら、俺は死ぬんだぜ」

「それは其処までの男だったってことだろうよ。気にするまでもねえ」


余りにもあっさりとした淡泊すぎる回答だった。


「………おっさん」


つくづく狂戦士。

これでも友人の筈なんだがなあ。草麻が落胆した様に零すと、セーミアが言った。


「では、期間内にソウマさんが強くなり、ここで死ぬには勿体無いと思えれば同行してくれるんですね」


セーミアの提案にディートリヒは視線を彷徨わせた。

成程、そういう考えもあるか。確かに草麻とヒメを一蹴したネーヴェの強さも気になっている。セーミアが離れていれば間違いなく付いていった筈なのだ。ディートリヒはとりあえずワインを飲んだ。その間隙をつくように、凛とした声が通った。


「安心して下さい。私が期間内に草麻を鍛えます。目論見通りにいけば、今より格段と強くなります」


エルだ。

周囲の視線を集めるなか、エルは堂々と言った。


「草麻には“魔浸術”を覚えて貰います」


聞き慣れない単語に草麻の脳が疼く。

エルの言葉に、ディートリヒは野獣の笑みを浮かべ、セーミアは微笑みを消した。


“魔浸術”

身体強化型の魔術の一つ。高位の術者からの核を宿し、魔力を肉体に浸透させる事により、武器と鎧、攻防一体の能力を示す。副作用として、核を与えた者が死亡すると宿した核が無くなり、その影響で最悪死亡する事がある他、核の制御次第では人魔化、人獣化し、人に戻れなくなる場合がある。


草麻が新たな知識を咀嚼する間に、セーミアが厳しい視線をエルに向けた。その光からは敵意すら感じ、冗談では済まない烈火が宿っている。エルは知っている筈だ、魔浸術の危険を。


一瞬の沈黙、その凍った時間を草麻は的確に感じていた。

それはシルフィーアの問い、セーミアの提示に似ている。即ち命を天秤に乗せる行為に違いない。草麻は口角を痙攣した様に歪めながら、エルに視線を向けた。


「パールさん。俺は強くなれますか」


「勿論です。魔浸術とは戦闘存在になる一つの道。仮に草麻が会得する事が出来たなら、過去の貴方は弱者に成り下がります」


それは断言。絶対の宣言である。

だからこそ、草麻は確信していた。先に感じた死の予感。背筋がひりつき、粟立ちが生まれる。


「貴女は判っているのですか」


そこに、セーミアが口を挟んだ。

正直、草麻にだけは魔浸術の可能性を知って欲しくは無かったのだ。彼はどれ程分が悪くとも賽を投げる。それはきっと誰にも止められない。エルは冷徹だが、真摯さを交えた表情でセーミアに返した。


「無論です」


その一言に、エルは魔浸術の危うさと利点を詰め込んでいた。セーミアはなお募る様に言う。


「貴女に、核があるのですか」


「ええ、私はこれでも純血で十分な核を有しています。それに、私は鍵を見つけていませんし、丁度良いでしょう」


鍵とは核を解放させるためのモノだ。

核とは、芳醇な魔力の結晶体と言われている。膨大な魔力を持つ存在がふとした時に感じるモノが核だ。核は高密度の魔力の集合体で、予備タンクとも言えるモノだが、その核にあった鍵が無いと使えない。それは人によって千差万別。喜怒哀楽といった強大な感情であったり、人体の限界を超えた肉体の損傷などが例に挙げられる。


「何が狙いですか?」


「言った通りですよ。此処で草麻に死なれては困りますし、草麻には借りがあります。何より、無理を言って見届ける事を許して貰ったのです。これ位は当然です」


「そうですか」


目を伏せ、セーミアは矛を収めた。

エルの言葉を信じた訳では無い、ただ、対面に座る草麻から執念にも似た情欲が溢れていた。エルの本意は未だ判らないが、もはや草麻は止まらないだろう。破滅を背中に貼り付けながら、他人を置き去りに、草麻は歩みを進めるのだ。


「けど、いいんですか?何か俺だけが核を貰って得して、パールさんは損しかしないみたいですけど」


「安心して下さい。草麻が魔浸術を会得すれば相対的に私のレベルも上がります」


「どういう事ですか?」


「核を練磨するとその核の創造者の魔力も増えるのです。普通なら核というものを自分で鍛える事は不可能です。ですが、他人ならばそれが出来る」


「へー、理屈は判りませんが便利なものですね。だったら、核を所有する人はそれで簡単にレベルアップ出来たりするんですか?」


「理論上は可能です。ですが、その理論を実行に移す人間は極めて稀でしょう」


エルはそこで言葉を切った。

一度目を閉じて、草麻を居抜く。ぞくりと殺気すら伴うエルの白銀の瞳に草麻の心臓が不整を奏でた。


「魔浸術を会得しようとした者の大半は、死にますから」

「なーるほど。貴重な核を渡して死なれては、元も子もないですね」


にやりと笑い頭を掻きながら草麻は軽く返した。

死の確信を抱きながらも、草麻は変わらない。セーミアはそんな彼を見て、少し苛立ち、少し悲しくなった。


過去の自分を省みて、ヒメの気持ちが僅かではあるが判った気がする。

草麻は自分の命を粗末に扱いすぎる。あれ程の怖気の直後だが、彼はもう平常だ。


「そういう事です。魔浸術は会得する際の成功率の低さと、会得したとしても契約者が死亡した際のデメリットの高さから、覚えようとする者も覚えさせようとする者も先ずいません。下手をすると、主従契約よりも数は少ないでしょうね」


ゆっくりと何でもない様にエルは言う。

それに今まで黙っていたディートリヒが乗った。


「だが、その恩恵は計り知れねえ。俺も一回だけ戦場で見た事あるんだがな、あれは楽しいぜ」


犬歯を剥き出しに、過去の情景をディートリヒは回想する。

鎧を着ずに己が肉体のみで、戦場を縦横無尽に走り回っていた魔浸術体得者。豪炎の如き攻撃力を持ち、疾風の速度で駆け、金剛の防御力で弾き、再生と見紛うばかりの回復力で復活する。


その姿は正しく魔人。

不覚にも羨望したのを憶えている。その領域に青年が踏み込んだら。やばい、股間に疼きが生じる。


「まあ、どっちにしろ選択権は無えっぽいな」


手を頭の後ろで組みながら、だらしなく草麻は背凭れに体重を預けた。

心配そうで不服そうなセーミアが視界の端に移るが、彼女は何かを言う事はしなかった。彼は主人の抑止すら振り切るのだ、そんな男に何が言えるだろう。草麻はエルに体ごと視線を向けた。真っ直ぐと白銀の瞳を見据える。


「エルさん。魔浸術のご教授よろしくお願いします」


それは不退転の決意。

畏れを抱き、破滅を知りながら、なお未来を望む瞳の輝きは正しく青年のモノ。その独善とも取れる光にエルは頷いた。見届けようと改めて思った。



「それで、実際の所どうするんだ?」


ディートリヒが楽しげに言う。

エルは思案する様に視線を浮かせた。


「そうですね。先ずは私と草麻の魔力の波長を合わせないと話になりません。ですから、取り敢えず邪魔の入らない静かな場所で訓練ですね。その後、正式に魔浸術の契約になります」


「じゃあ、グレートグリーンに行きますか。それで、エルさんの見立てではどれ位掛りそうですか?」


「大雑把にですが、一応、一月半で魔力を合わせてその後契約。無事でしたら、そのまま一週間程魔浸術の訓練になります」


「了解です。じゃあ、ムーンライトの件もありますし、出発は明後日位でいいですかね」


「本来なら今直ぐにでも出立したいのですが、まあ仕方ありませんね」


「流石パールさん、話が判る」


草麻は指を鳴らした。

そこにセーミアから横槍が入る。


「ソウマさん。貴方、探索者としての勉強はどうするんですか?」


セーミアの問いに、あ、と草麻の視線が泳いだ。

完全に頭から消し飛んでいた。


「あー、そのすいません。本当に申し訳ないんですけど、今は魔浸術に集中させて貰っていいですか」


当然とばかりに頷くエル。

その姿に、セーミアの胸中にめらっと燃えるものが現れた。まがりなりにも二ヶ月間は師弟関係だったのだ。それがいきなり現れた新参者を優先するとは。無論、現状で必要な事は理解しているが、こうまで大きい顔をされては気持ちいい訳が無い。何よりも、自分の知らない所で決着が付くのはやはり納得がいかなかった。


「一週間です。一週間後に合流します」


「どういう事すか?」


「私も探索特化免状持ちとしてのプライドがあります。教えた者がひよこのままで終わってしまっては、沽券に係わりますので、私もグレートグリーンに行きます」


「………マジですか」


「マジ、です」


柔和な微笑みを浮かべているが、いい加減草麻もセーミアの本気が判るようになっている。草麻は自然を装い困った風に顔を伏せた。


「くく、やはり来てた俺の時代。エルさんはともかく、セーミアさんと大自然で生活。何かが起こらない筈が無い」


ぐふぐふと胸中で呟き、何事も無かった様に顔を上げる。

晴れやかささえ感じる所に、どんよりとした視線が突き刺さった。


「やはり、行くのは止めておきますか」


微笑ながらセーミアが言う。


「私ならともかくとは、どういう事か説明して貰えますか?」


裂けた瞳孔でエルが言う。


「どうでもいいが、普通に口に出てたぜ」


呆れた様にディートリヒが言った。

あらーと、草麻は明後日の方向を眺めることしか出来なかった。蛇の様に鎖が舞い、閃光となって雷が奔った。ぶすぶすと焼けた匂いと痙攣した体が床に転がる。ハーレム、床に血文字が描かれた。




石畳みの街路をガス灯に似た光が照らしている。

規則的に並んだ光を、褐色の巨躯と柔和な笑みが時折遮っていた。ディートリヒとセーミアの二人だ。あの後、一通り食事と酒を楽しんだ帰りだった。ディートリヒが酒精に染まった顔でセーミアに話掛けた。


「お前があそこまでムキになるとこ、初めて見たぜ」


「そうですか?ああ、でも確かに受付になってからは、そんな余裕なかったかも知れません」


それ以前に、こうやって誰かとのんびりと夜道を歩くこともなかった。

あの焦燥に満ちた日々、後悔と不意に襲ってくる無力感に、どれだけ苛まされたことだろう。この二ヶ月は随分と充実していたと今更ながら思う。深くなったセーミアの笑みを見て、ディートリヒがからかう様に言った。


「惚れたか?」


無いと思っていても、聞いてしまうのは年を取ったからだろうか。

ディートリヒの問いにセーミアは何の感慨も無く答えた。


「まさか。確かに、ソウマさんは前途有望良物件ですけど売却済みでしょう。それに、あの無鉄砲さはちょっと、ですね」


セーミアは親指と人差し指で隙間を作る。

その表現にディートリヒは軽く噴き出した。一センチも無い空間が、隔絶した距離というのをディートリヒは知っているし、何よりその無鉄砲さに初めて火を点けた奴がと苦笑すらしてしまった。


「そうか。俺はあのバカさ加減が気に入ってるがな」

「似た者同士、波長が合うんでしょうね」

「それは俺をバカと言ってるのか」

「ふふ」


微笑みの肯定に、ディートリヒは肩を竦めるしかない。

自覚はあるし、もうこの年だ、舵を切る事の困難さも理解していた。石畳みに二人の足音が響く。不意にセーミアが独り言の様に呟いた。


「ディートリヒさんは、ソウマさんが魔浸術を無事に会得出来ると思いますか?」


遠い視線。

闇を見据える瞳には何の感情も見えない。ディートリヒは何でも無い様に口を開いた。希望も何も無い事実を。


「無理だろうな。賭けるんだったら、間違いなく死ぬ方に賭ける」

「そう、ですよね」

「ああ。魔浸術は禁術に近い魔術だ。お前が知らない筈ねえよな。百五十年前にあった悲劇を」


それは、もはや伝聞だけの古い話だ。

だが、誰もがその話を知っている。教わっている。遠く離れたゴンドーア大陸で確かにあった動物には無い、人間の闇。


「はい。カルマイの大虐殺ですね。人類史に残る壮絶な殺人」


カルマイの大虐殺、それは戦争の狂気だった。

国家間の戦争。敗北間近に迫った国が劣勢を覆す為に選んだ手法が、短期間で強力な戦闘存在を生み出せる魔浸術だった。万の完全な戦闘存在を造る為に、国は全精力を投入した。外法により量産された核。外道による人体改造。


屍山血河。

倫理、道徳、人道を外れた先にあったものは、幾万の実験において成功例零という現実だけ。結果、国際法にて魔浸術の研究は禁止とされ、その非道のみが残された。ディートリヒは先程と同じような口調で言う。


「今なら間に合うかもしれんぜ」


「もう遅いですよ。パールさんが魔浸術と言い、貴方が嗤った瞬間に、ソウマさんは彼岸の人になりました。もう、何も届きませんよ」


知ってますよねと、セーミアは続けた。

寂しげな響きに、ディートリヒは草麻と初めて対峙した時を思い出す。あの丸盆で確かにあった共感。エゴイズムで構築された自己の信念。同類が其処に居たのを憶えている。


「悪い。野暮だったな」


「いえ、そもそもの切っ掛けは私ですしね。だから、せめて成功するにせよ失敗するにせよ、見届けようと思います」


過去の清算、未来への展望。

セーミアも背負っているモノがある。だけど、草麻は良くも悪くも子供なのだ。子供の意地を大人は止められない。セーミアは何時もの柔和な微笑みを浮かべていた。ディートリヒは一度困った様に頭を掻いた。


「もし、ソウが死んだらヨルミナには俺を連れてけ。何にしろ、ネーヴェとやらには興味がある」


「らしくないですねえ、お酒に当てられましたか」


「へへ、安心しろ。お前を口説くための戯言だ。どうだ、少しはグッときたろ」


「はい、ちょっとグッと来ました」


ちょっとね。

ディートリヒは思わず笑った。風がセーミアの髪を揺らした。穏やかにセーミアは正直な心情を吐露した。


「でも、何となくなんですけど、グレートグリーンでソウマさんとディートリヒさんが戦ってる様なイメージがあるんですよね」


それは魔浸術を知る者からしたら嘲笑されそうな言葉だ。

もし、草麻という人物を知らなければ自分も笑ったに違いない。けれど、思ってしまったのは仕方ないだろう。ディートリヒも同じように太く笑った。


「そいつは気が合うな。俺も大穴が来そうな気がしてるんだよ」


それは酔っ払いが言う冗談だろうか。

少なくとも一筋の期待を二人の冒険者は胸に宿していた。




薄暗闇の中、ディーノは目を覚ました。

ぼんやりと定まらない視線で天井を眺める。今の現状が全く把握できなかった。身体を起し、周囲を見渡す。何処にでもある様なホテルの一室だろうか。しんとした寝室には自分しか居ないようだった。


ディーノは一度頭を振った。

シェイクされた脳は、フラッシュバックする様に昨夜の記憶を呼び起こす。月の森、結界が破壊された瞬間に復活した、濃密な月の魔力を吸った事により昏倒し、制御出来ない暴力的な魔力を感じた事。覚えているのはそれだけだ。


闇の魔力属性を起動させるが、自己の影に従者が入っている感覚は無い。それ以前に、主従契約していたラインが完全に消失していた。


もう、訳が分からない。

此処が何処か、セーミアに拒絶され切り札を失い、どうすれば良いのだろうか。ディーノは無意識に溜息を吐いた。その時、部屋の扉が空いた。くすんだ茶色の髪の偉丈夫が其処に居た。


「おお。ディーノ起きたか!」


馴れ馴れしく余りに近い距離感の言葉に、ディーノは面食らった。

何よりも、その太陽を思わせる眩しい笑顔にはがある。髪の色こそ違えど、その顔は。おそるおそるディーノは声を出した。


「………父さん?」


か細い小さな声だったが、男には十分聞こえた様だった。

アルフレッドと呼ばれた男は、ずんずんと部屋に入ってくる。


「久しぶりだな!元気みたいで安心したぜ」


にかりと晴れやかな笑みを浮かべる。

子供の様な純粋な笑顔。その笑みに何度助けられたことだろう。それでも、ディーノは眼前の出来事が信じられなかった。それこそ夢にまで見た幻想があるなど信じられる筈も無い。


ディーノは警戒した。

戦士の心で身構え、子供の心で受け止めようとする。これは、夢だと都合の良い幻覚だと、ディーノは苦しく前を見据えた。


「ん、ああすまんすまん。下手に目立ちたくねえから、髪の色変えてんだ」


アルフレッドは簪に似た釘を髪の間から抜いた。

くすんだ茶色から、輝く金の髪へ。悪戯を成功させた子供の様な闊達な笑顔は、二年前に無くしたものだった。


「本当に、父さん。なのか」


途切れ途切れにディーノは言葉を連ねる。

ベッドから立ち上がり、アルフレッドの正面に立った。


「当たり前だろ。こんな良い男が他に居てたまるか」


自信に満ち溢れた笑み。

暗い部屋なのに、それだけで明るくなった様な感覚になる。もう、夢でもいい。ディーノは父親の胸に飛び込んだ。


「父さん」

「おお、心配かけたなディーノ」

「本当だよ。どれだけ、僕達が悲しんだか判ってるのかよ」

「すまん」


嗚咽が部屋に響く。

やがて、ディーノは赤くなった瞳を隠す様に離れると、椅子に座った。アルフレッドもにやにやと笑いながら電気をつけ椅子に座る。お互いに聞きたい事は山ほどあった。



「何はともあれ、本当に良かった、父さんが生きててくれて。セーミアさんも間違いなく喜ぶよ」


「まあな。俺もこの二年間動くに動けんでなあ。本当にすまんかったな」


「いや、いいよ。父さんの事だから仕方ない理由があったんだろう。それより、どうやって生き残ったんだよ」


「正直、俺も判らねえんだよ。死んだと思ったら生きてた。実際、俺の眼が覚めたのもほんの半年前だ。それで、まあリハビリとか色々やってな、オヤジとして恥ずかしくねえ体に漸く仕上がったんで戻ってきた訳だ」


「そっか。じゃあ早速セーミアさんに会いに行こう。アルフレッドさんが生きてる事が判ったら、間違いなく俺達と一緒に来てくれる筈だ」


「いや、それなんだがな」


アルフレッドは自分の影に手を入れるとむんずと少女を影から出した。

銀色の髪が鮮やかな一人の少女。その細い首には見慣れたチョーカーの様な魔具が巻いてある。意識を失っているようだが、ディーノは眼を剥いた。絶句するディーノを置いて、アルフレッドは亜人の少女をベッドに寝かせる。


「月の森でお前が気絶している間にな、ちっとした賭けをしたんだよ」


そう前置きし、改めて椅子に座るとアルフレッドは月の森での出来事を話し出した。



最初に感じたのは明らかな拘束感だった。

ヒメが目を開けると、アルフレッドとディーノが見える。激発し、倒れた体を起こそうとするが、全く言う事を聞かない。精神だけが囲われ、肉体と乖離された感覚。透明な箱の中から自分の体を見る様だ。その間にもアルフレッド達の会話は進んでいく。


「じゃあ、父さんは亜人が言った真の主従契約とやらを信じるのかい?」


「まあな。それが嘘でも本当でも、手札があるにこした事はねえからな」


「そうか。でも、何でわざわざ二ヶ月もの猶予を与えたのさ。別に直ぐでも良かっただろう?」


「ま、確かにな。ただ、おもしれえガキだったんで、つい時間をやっちまった。これから二ヶ月、どうなるか楽しみだよ」


「………別にただの馬鹿な奴だったけどね」


アルフレッドの言葉にディーノは唇を尖らせる。

あからさまな拗ねた様子に、アルフレッドは苦笑した。


「くく、昔からお前は負けず嫌いだったからな。ただよ、お前あいつに一杯喰わされただろ」


「それは、そうだけど」


「だからよ、リベンジの機会を作ってやったんだ。感謝しろよ」


「はいはい。それで、全部終わったらどうするのさ」


呆れた様子のディーノの問いにアルフレッドは言い切った。


「おもしろかったら生かす。つまらなかったら殺す」


余りにも簡潔な答えにディーノは懐かしそうに目を細める。

その仕草をアルフレッドは楽しく見ていた。ディーノはアルフレッドの視線に、気付くと早口に言った。


「別に亜人だから生かす必要はないだろ」


「まあな。ただ、必要な鍵ではある、だからお前もうっかり嬢ちゃんを殺すなよ」


「判ってるさ」


「だったら良い。という訳だ、嬢ちゃんはまだ眠っときな」


アルフレッドがヒメに視線を向けた。

魔具の効能により、ヒメの意識が遠のく。従者の姿が最後に過った。

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