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狼浪奇譚  作者: ただ
28/47

月の森2 / ただの従者

天空には二つの満月。

白銀に輝く星と黄金に煌めく星が世界を覗く様に浮かんでいる。地表を照らす眼光は、遥か四十万キロ先の四つの人影を映し出していた。


片や銀髪の主を護る様に立つ黒髪の従者。

片や青髪の主を防る様に立つ金髪の従者。


銀の主は人狼であり従者は人。

青の主は人であり従者は人虎。


互いに契約を交わし人と亜人の主従という類似する二組だが、その裡はあまりにもかけ離れている。それは交わる事の無い二つの月を見ている様だった。




「初めまして、ディーノ・ジンベレルだ。早速だけど、死んでくれるかな」


青髪の男、ジンベレルは爽やかに物騒な事を口にする。

愛想の良い上面は女性受けするだろう中性的な顔立ちだ。その眼前に立つ女性は、金砂を流した様な透明感のある綺麗な髪を肩口で切り揃えている。頭部にはヒメとは異なった獣耳があることから亜人なのは間違いない。両者とも鎧を着ない黒を基調とした服装は地球のスーツ姿を連想させる。


いや、しかしまいったね。

じりじりと圧迫される様な嫌な感覚に加え、さらに情報がほぼゼロ。行動の指針が見えやしない。ともかく、探るしかないか。


「こちらこそ、初めましてでいいんすかね。草麻・五澄です。とはいえ、こんな辺鄙な所まで来て声掛けるんなら、探索教練場で掛けてくれれば良かったのに」


口調は軽く、これで会話の糸口になればいいが。

なお感じる拘束感を払い、少しでも情報を集めねばならん。ジンベレルは穏やかな笑みを湛えたまま、いっそ愛想良く口を開いた。


「はは、何だ気付いてたのか。僕も精進が足りない様だ」


「いやあ、育てられ方が良くて視線には敏感なんですよ。それで、俺達何かしました?そこまで物騒に過ごしては居ないんですけどね」


「そうだね。君達が何かした訳では無いよ。単純に君達の在り方が気に入らないだけだ。だから抵抗も自由だし文句をどれだけ言っても構わない。その権利は十分にある」


きっぱりとジンベレルは言う。

何とも無茶な言い分であるが、奴の言動は清々しく鮮やかでもある。その雰囲気は敵であり全くの不明な相手ではあるが、俺達の虚を突くには十分すぎた。なんつうか、やり辛いな。空いた左手で頭を掻く。


「それじゃ、文句というか質問いいすか?在り方ってどういうことすか?」


「簡単だよ。亜人と共に在り且つ亜人を主人にしている事さ」


「何とも簡潔な理由っすね。他に何か理由はあります?」


その問いに初めてジンベレルの表情が僅かに揺らいだ。

今までの柔和な笑みに一瞬罅が入ったようである。気のせいかもしれんが、突っつかん訳にはいくまい。そう思い、追撃をかけようとした時にジンベレルが仕切り直すように口を開いた。


「さて、時間も良い様だし、死んでくれるかな」


その言葉の途中、不意をつくタイミングで閃光が弾ける。

暗闇を切り裂く突然の光の奔流に視界が白に染まり視覚は潰された。同時に迫る様な閉塞感が完了したのを告げる。


それは明確な戦闘開始の合図だった。

背筋を氷の舌で舐められる様な悪寒が走る中、強烈に舌打ちした。全く自分の迂闊さ、短慮さが嫌になる。ジンベレルが何故わざわざ会話をしたのか、そんなものは時間稼ぎだ。結界を完全なモノにするために俺の言葉に敢えて乗ったのだ。あの圧迫感は結界が完璧に閉じるまでのカウントダウン。


だから、俺達の最善は即撤退だったのだ。

それを自分で捨て去るなんて間抜けにも程があるだろう。くそ、経験が足らな過ぎる。


塞がれた視界、首筋に奔る怖気。

残酷な風切音に向かって風薙ぎを振るう。右手に確かな感触があると同時、鎖がうねる音が耳朶を震わせる。


「サイクル・T」


雷の特性は反射力の上昇。

それは視覚以外の感覚にも有効だ。目が復活するまで後二秒、今は聴覚と触覚の感覚で補うしかない。空気を裂いた音は分厚く、右手に残る重みからして凶器は短剣程度であり、鎖の音からそれは短剣に繋がっているのだろう。初弾は投擲、なら次は決まっている。


斬撃か刺突。

地面を踏み締める音、空気を貫く音。俺の空間を侵す凶器の射線に手甲を置き、相手の首があるだろう位置に風薙ぎを振るう。


ギンという重低音とキンと甲高い音が同時に響く。

前者は凶器と手甲が交わる音、後者は風薙ぎが相手の何かを弾いた音だ。しかし、重音の発生場所は心臓前、当然だがマジで殺す気まんまんじゃねえか。


「草麻!!」


背後からヒメの声が響く。

土の盛り上がる感覚を足先に感じ、躊躇わず跳躍する。眼下には大地の槍が出来上がっているに違いない。大地に手を付くと言う一動作での瞬時の魔術行使、その手際は流石としか言い様が無い。だが、相手もさるもの、ぼんやりとした眼前には人影が見える。俺とほぼ同じタイミングで女も跳躍していたのだ。


「サイクル・M」


金の特性は耐久力。

手甲に魔力を通わせ相手の牙を待つ。二度の攻撃を受け確信していた。相手の凶器は杭じみた短剣だ。刺突を旨とする西洋の鎧通しであるメイル・ブレーカー、それが女の武器に違いない。


霞む視線の先には二振りの短剣。

脳天と脇腹に目掛け死が落とされる。それを防ぐは両の手甲。武器と防具が交わり、跳躍の頂点での一瞬の浮遊感と共に視覚が戻る。


俺の眼が最初に移したのは女の瞳だった。

縦に裂かれた白金の瞳には、敵意も殺意も光も闇も何も宿してはいない。一切の感情を映さない、怜悧で硬質で無機質な硝子の瞳である。


物体の反射を読み取るだけの瞳は伽藍堂もいいところ。

綺麗すぎて神秘的すぎて、むしろおぞましい。この瞳が隷属の証なのか。図書館の記述が脳裏にフラッシュバックする。


それは戦闘時にあるまじき動揺だった。

その無様な揺らぎを女は飽く迄も機械的に判断したのだろう。対象、硬直、攻撃。その蹴りは機械的であるがゆえに、的確で隙が無かった。女の右足が空いている脇腹を打ち抜く。腰の捻りと脚力だけの蹴りだが鋭い。俺は強制的に地面に叩き落とされた。


「ちっ」


即座に立ち上がるが、眼前には雷が迫っている。

ジンベレルの手から射出されただろうそれは、セーミアさんに何度か見せて貰った雷属性の魔術“サンダーアロー”に違いない。威力は火に劣るが何よりも速度が突出している。間違いなく体勢の崩れた俺には躱せない。


だが、もとより躱す必要は無い。

背後から魔術の気配、それは俺の脇を通ると雷の矢にぶつかる。魔術同士で相殺され、雷はパシンと呆気ない音と小さな光だけを残して霧散した。それだけあれば持ち直しは十分、飛び退き右手を前に出しているヒメの前に立った。


「サンキュー、ヒメ」

「女の顔に見惚れるなバカ者」


苦笑し視線をジンベレルに向ける。

女も俺と同様に主を護る様に立っていた。女の顔は変わらず人形じみた無表情で、両手には予想通り杭の様な武骨な短剣。その両の短剣の柄尻は十メートルはある鎖で繋がれている。また癖のある武器なこって。


対するジンベレルの手には杖。

洗練されシャープな印象を受ける黒杖だ。俺達と同じ、魔術師と従者の典型的なコンビだな。両者を観察していると、突然ジンベレルが口を開いた。


「驚いたよ、エルの初撃を受けきるとはね。それ程の若さでその強さ。君は何故、亜人なんかの従者をやっているんだい」


言葉の内容はもとより、何故今になってそれを聞くんだ?

俺が狂戦士のおっさんと戦闘したのは周知の事実。これ位の腕があることは知っているだろうに。罠なのかそれとも強者の余裕なのか、今一判断がつかん。が、結局ここまで来たら乗ってみるしかないのか。くそ。


「まあ、成行きっすかね」


俺の言葉に背後のヒメが怒気を放つが、事実だしなあ。

だが、その言葉にどう反応したのかは知らんが、ジンベレルは眼を剥いていた。


「だったら、君はその駄犬に従わされている訳では無いのかい?」


駄犬ね。

この男の亜人嫌いも相当なものだな。無遠慮な言葉に眉根をよせる。


「そうなりますかね」


「そうか。だったら話は早い。君は自我を失っていないようだからまだ間に合う。僕と共に来い。主従契約を破棄できる凄腕を僕は知っている」


自我を失うか。

あの本に書いてあった通りだな。ジンベレルの言葉にヒメは明らかに動揺しているし、こいつはマジか。


「言ってる事が良く判らないんすけど、あんたとその女性も主従契約してるんじゃないんすか?」


結界が完成した後、この広場の月の魔力は明らかに減衰した。

でなければ、そもそもジンベレルは魔術を使えんだろうし、その為の結界だったのだろう。銀の霧が晴れ、観応が使える様になった今なら判る。ジンベレルと女性を繋ぐラインがうっすらとだが見えるのだ。そのラインは俺達のモノに良く似ていた。ジンベレルは眉間に皺を寄せ、言葉を探している様に見える。


「そうだね、君は主従契約について良く知らないようだから教えて上げるよ。主従契約とは他人を完全に隷属させる卑しい術だ。主の魔力を従者に毒の様に浸透させ、主の望む知識を上書きする。そして、最終的には従者は主の完全な下僕となる。まるで自分の代替えの効く手足の様になるんだ。そこに、従者の感情は一切入らない。ただの人形になるんだよ」


はは、いや、まいったね。

長上の話は調べた通りの事、予め知ってはいたし、予想はしていた。だけど、それを直接突きつけられるとこうまで軋むか。


脳裏に描かれるのはさっき見た硝子の瞳。

別に死ぬのは仕方の無い話だし、親友の頼みで未来が左右されるのも別に構わない。問題はそこに俺の心があるかどうかだ。心が決めたことなら納得出来る。けどさ、その心すら無くなったら俺は誰なんだろう。


何も映せない伽藍堂。

あれが、俺の未来なのか。えずくような吐き気が込み上げる。聞くんじゃなかったか。


「違う!!」


知らず、呆然としていた俺の背後から突然叫び声が響いた。

ヒメのものだ。


「それは劣化した主従契約に過ぎん!真の主従契約にそんな馬鹿げた制約など無い!!」


その叫びに呼応する様にジンベレルが吼えた。


「卑しい亜人が何を言う!!真の主従契約だと!笑わせるな、そんなモノがあるならば、何故彼が知らない!何故教えてないんだ!そんなモノは只の誤魔化にすぎない!」


「それは」


「はっ、本当に笑わせる。貴様等のしそうな事だ。契約が浸透するまでの間、そうやって騙し続ける気だったんだろう。契約が完遂すれば意志なんてなくなるからね」


「違う!」


ヒメの悲鳴をジンベレルはもう聞いて居なかった。

視線を俺に向けると、奴はまるで先達の様に穏やかな表情を作る。


「ソウマと言ったね。まだ間に合うなら僕と一緒に来い。そんな契約は直ぐに消してやる」


「草麻」


ヒメの反応は何時になく儚げだ。

もし、万が一奴の言う通りヒメが俺を隷属させようとして、これだけの演技が出来るなら大した役者だろう。特に真のなんて所が何ともあれだ。だが、俺の進退はともかくもう一つの答えを確実に聞いときたい。


「もう一回聞いてもいいすかね。あんたは何で主従契約してるんすか?」


俺の問いに奴は眉根を寄せた。

確かにさっきの返答で答えの一部は出ている。主の完全な下僕となると、つまり奴にとってあの女性はそういう対象に過ぎないという事だ。でも、だからこそ知りたかった。それはただの希望、それ以外の言葉を聞きたいだけだ。


「別に簡単な事だよ。僕の目的の為に必要だっただけ。それだけさ」

「そうすか」


予想通りの返答に思わず目を伏せた。

人を道具として扱う事は当然という言葉に嫌気がさす。契約の内容とか今の状況とか、白黒できないもやもやした感情は山ほどあるが、俺に出来ることは余りに少ない。背後を見る。ヒメの顔は見ていて嫌になる位に強張っていた。やれやれだな。


「なあ、ヒメ」


前を向いた。

奴の表情は自信に裏打ちされ、静かに待っている。ヒメの顔が見れないのが残念と言えば残念かもしれない。


「俺、ヒメにとって何だ?」


俺はいやになるくらい弱い。

たった一人で前を向ける程強くはない。冨田六合流の練習に耐えれたのだって親友の為だし、強烈な兄貴が居たからだ。だから、こんな問いをする時点で女々しいんだろう。ヒメは逡巡するとやや躊躇いながらも、きっぱりと言った。


「ただの従者じゃ」


その言い様が余りにも、らしくて思わず笑ってしまう。

奴は失笑し、何を言ってるんだと言わんばかりだ。確かに今なら嘘でも愛する者とか大切なとかいうとこだよな。けど、まあ本当にヒメらしい。


「了解。じゃあ、仕方ねえな」


俺の言葉にヒメはどういう顔をしているのだろう。

裏切られたと悲嘆にくれているのか、嬉しいと綻ばせているのか、前を見据えねばならんとはいえ、やっぱ残念だな。だから、これはただの嫌がらせだ。


「けどさ、もちっと色っぽいセリフでも言ってくれても良いんじゃね」


ちょっとした間の後、背後からぶっきらぼうな声が聞こえた。


「………うるさいの。じゃあ、お主にとって儂は何じゃ」

「ただの主人だな」


即答する。

それ以外ならただの親友だろうか?


「お主がモテない理由がよく判るの」

「合法とはいえロリ相手を口説く程堕ちちゃいねえよ」

「ちっ、儂の大人な姿を見て後悔するんじゃな」

「おーおー、楽しみにしとくわ」

「このバカ者が」

「うるさいよ」


そこで、漸くというか奴が口を挟んだ。


「ソウマ。まさか君は隷属するのを承知で、亜人の従者に甘んじるのかい?」


人をおかしな奴みたいに見るなっつうに。

自然な動作で癖の様に首を撫でる様に左手を回す。奴からの死角でヒメにハンドサインを送った。


「いや、その事は後でしっかり話し合いますよ。ただ、初見で命を狙う奴の話を完璧に信じるのもどうかと思いましてね」


「君が亜人の従者というなら、僕は君を殺すよ。それでもいいのかい」


「いや、先ずそれがおかしいでしょうよ」


そんなにおかしいのだろうか?亜人の従者って。

ジンベレルはそれに答えることは無く淡々と最期通牒を下した。


「最後だ。どうするんだい?」

「戦いますか」

「残念だよ。君は道を誤った」

「今更っすね」


深呼吸を一つ。ついでに便利な言葉を胸中で付く。

すなわち、後の問題は後で解決。まあ、何だ。一寸の希望も見えたし、何より親友と敵、どっちの言葉を信じるかと言えば普通に親友だろう。それに仮に騙されるとしたら、まだヒメの方がまだ救いがある。


視線の先にはエルという女。

伽藍堂の瞳は真っ直ぐに俺を見据えている。


「サイクル・L」


光の属性を回し風薙ぎに浸透させる。

魔力は十分だし、俺も偶には魔術を使わんとな。二番煎じで申し訳ないが、やっぱ不意打ちの基本はこれだろう。にやりと笑う。ほんじゃまあ、気合を入れて、せーの


「太陽剣!!」


風薙ぎからビカッと閃光が迸る。

魔術を習い始めて直ぐに覚えた、また覚えられた技の一つだ。ただ、残念ながら放出する資質が無い俺には、少年心を擽る霊界探偵の技とか竜の騎士の技とかは出来そうにないのが非常に悔しい。さておき、


「サイクル・T」


光から金に属性変換し、光が納まった風薙ぎを鞘に戻しながらすぐさま跳躍する。前では無く後へ向かって。バック宙により回転する眼下には銀色に輝く巨狼がおり、その進行方向は敵と真逆。俺も空中で捻りを入れて反転。俺のサインをきっちり読み取ってくれたヒメに跨ると全速力で逃亡した。


即ち、三十六計逃げるに如かず。

訳が判らん奴と訳判らん状況で命張ってまで戦いませんよ。


「ヒメ!ダッシュ!!」

「違約金はお主持ちじゃからな!!」

「マジでか!!」


一瞬、背後を見ると呆けた顔のジンベレルとその従者。

幸い虚は付けたらしい。追い付くにしても十秒程度、最悪五秒は稼げる筈だ。後は結界の強度次第か。結界さえ破れれば、月の魔力の恩恵で俺達が勝つ。しかし、脳裏をよぎるのはあの瞳。もったいねえよなあ、闇に沈んだ森を疾走するなかそんな事を思った。




丸盆に静寂が戻る。

ディーノの視線の先には鬱蒼とした森が映るだけで、妙な装束を着た青年と銀の亜人の姿はどこにも見えなかった。清々しいまでの撤退である。その手際の良さからか、不思議と怒りは湧いて来なかった。不測の事態が起きたならば深追いはせず、何よりも生き残る事こそが冒険者としての必須技能だ。


だがと、ディーノは口元を歪めた。

脇を見ると置いて行かれたリュックサック型の収納魔具。これ位で依頼を投げ出し、何よりも本気であの結界を破れる気でいるのか。準二級冒険者の力量を持つ魔術師が貴重な魔具を使った強固な結界だ。普通に考えて破れる筈はなく、焦る必要は無いだろう。


足掻く姿を見るのも一興か、ディーノは従者であるエルを引き連れゆっくりと歩き出した。エルは何時もの様に背後に付き従う。その慣れた行動にディーノは些細な違和感を感じた。それは言葉に出来ない小さな異質。そんな普段ならもっと入念に確認する異物を、ディーノは月の魔力かと結論づけた。


何しろ此処は月の森の最奥であり今日はマッチングの日なのだ。

この時この場所に人間が居る事自体が異常。それ故にとディーノがそう思うのも無理は無かった。しかし、その判断こそが誤りと気付くのはその時になってからだ。


ディーノは知ってはいたが、思い浮かべる事をしなかった。

五澄草麻という新人が、狂戦士が愉しめるだけの力を持ち、探索特化免状を持つセーミアが認める程の資質を持つ冒険者という事を。亜人の従者、この事実だけで亜人に確執を持つディーノの眼を曇らせるには十分だった。




「草麻。あともう間もなくじゃ、いけるか」

「いくしかないだろ。ついでに後一メートル右に寄ってくれ」


木々の群れを掻き分け、尋常ならざる速度で走るヒメの上で草麻が答えた。何かを耐える様に唇噛み締める草麻の視線の先には、鈍い鉛色の半透明の結界が映る。見るだけでも強固そうな結界であり、周囲に広がる月の魔力を分断している以上、その中身も一級品に違いない。少なくとも、ヒメ一人だけならこの短時間で結界破りを行う事はしなかっただろう。


だが、今は一人では無いのだ。

即座に迫る鉛色の壁。絶対的でさえある拒絶の力を見据え、ヒメは不意に思う。跳躍鳥を狩った時を思い出した。あの時と違う事と言えば、その瞬間にすることが跳ぶか止まるかの違いだけだろう。衝突まで後数秒という時間、ヒメは楽しげに凶悪な口角を曲げた。


「ヒメ!!」


草麻の檄に合せ、ヒメの身体が停止する。

時速百キロを優に超えるスピードからの急制動、草麻の身体は慣性の法則従い、最後の一押しを得る。弾け飛び、草麻の身体は一直線に壁に飛んで行く。


衝突までの僅かの間。

その切り取られた時間の中で、草麻は観応を使うと結界の構成を観る。そして脳のリミッターを全て外すとそこはもう別世界だ。一秒が十秒に、十秒が三十秒に、時間の感覚は曖昧になり身体の動きは酷く緩慢だ。しかし、その動きは飽く迄も精密に何処までも正確に自分の思考をトレースする。


眼前には鉛色の結界。

強化ガラス染みた壁だが、僅かな罅が連なっているのが観える。後は雰囲気。常人には感じる事すら出来ぬ世界の異質を感じると、照準をそこに合せた。そして


「サイクル・F」


回しに回し、暴れ狂う魔力を火属性に特性変換すると、風薙ぎに注ぎ込む。以前までの鎧通しなら内部から破裂してもおかしくない程の力を、風薙ぎは余力を残し容易く吸収した。流石はシルフィーア謹製というところか。


片手持ちから両手持ちに変え、一点を見据える。

刺すような視線を飛ばす主人のプレッシャーに草麻は苦笑すると、鉛の壁に風薙ぎを突きつけた。


ビギと風薙ぎと結界の間で不音が響く。

結界の壁に風薙ぎの切っ先が埋まる。推進力、筋力、魔力、特性、全てを加味した草麻の一撃は確かに壁を穿っていく。


しかし、このままでは僅かに届かない。

一歩ですら無い半歩。後、一押しが足りていない。草麻の顔は酷く歪み、歯を砕けんばかりに噛み締め、腕の筋肉は鋼の様に緊張している。けれど、その進み、じりじりと歯痒いばかりの掘削はいずれ止まるに違いない。どうする、一体何が足りない。


推進力。ヒメの最高速を淀みなく加味した速度、これ以上は無い。

筋力。循気に錬圧を使用しリミッターを解除した力にこの先は無い。

魔力。同上。現状、これ以上の力の放出は有り得ない。

特性。使っている割合は僅か五パーセント。使える余白は半分以上もある。




ならば、やるしかないか。

酷く胡乱かつ精密な世界で自信の裡に埋没する。出会ってから僅か半年間の付き合いだが、この身にありて会話が出来る以上、引き出せない筈が無い。余分は全部捨てろ。極限に集中してる今、向き合うのに最適だ。


息を吸う。

月の魔力が体内に入る。肺胞から酸素が吸収される様に月の魔力が体内に巡っているのが判る。それは植物が地中から水を吸い上げ葉の先の先まで浸透させるよう。そこに些細な違和感を覚えた。違う、もっと深くまで浸透しているモノがある。肉体では無い、精神、あやふやだった魔力。そこに絡み付いている。いや、まるで織物の様に重なり編み込まれている。


認め、体内から爽やかな風が吹いた。

まるで刹那の白昼夢。臆する事無く、呟いた。


「サイクル・F」


現状最高の特性変換。

余白の全てには遥か遠く及ばないが、間違いなく倍は変換出来た。まあ、十パーセント程度だろうが。その兆しを掴む事は出来たと思う。本当、気付くのが遅い。俺はヒメと魔力を分かち合い混同しているのを見落としていたのだ。


風薙ぎの先端から結界の端を穿つ感覚が伝わる。

パキンと硬質な音がすると風薙ぎは結界を完全に貫いた。それを確認すると、全身の緊張を解きながら結界に足を付き、その反動で風薙ぎを引き抜く。十センチに満たない穴では結界を破壊する事も、月の魔力を入れるにも足りはしない。俺一人ではこんなもんか。だからさ、後は主の仕事だろう。


「頼んだぜ、ヒメ」


落下し、逆さまになった視界の先には犬歯を剥き出しに笑うヒメ。

舐めるなと挑戦的な炎を瞳に宿すヒメは、人型になり重なり合った魔法陣の上で高らかに唄っている。その呪文は既に五小節を超えているだろう、黒に濡れた地面を走る銀色の光。幾何学模様であり規則的な文様は一つの絵画のようだ。


やがて、受け身も取れず地面に着地した時、ヒメの魔術が完成した。


「真槍・土神楽」


ヒメの直前、魔法陣が収束すると地面が盛り上がる。

直後、大地は砲弾じみた爆発を残し、強大な槍が結界に向かって射ち込まれる。それは、今まで見て来た土槍が玩具に見える程に巨大で勇壮だった。螺旋状に刻まれた刀身は金属の様な滑らかで、その丈は軽く俺の身長すら超えている。直撃したら間違いなく即死だろうヒメの魔術は、空いた一点の穴に向かっていく。


やがて違う事無く槍の穂先が穴を貫くと、威容を誇った結界は硝子が砕ける音だけを残し呆気なく弾け飛んだ。その巨大な穴から連鎖し結界が崩れていく。空気が変質し月の魔力を含んだ銀の世界を取り戻す。


これで、形勢逆転だろう。

あの従者はともかく、人間のジンベレルはこれで戦力外。月の魔力を緩和する魔具があろうが、魔術まではそうはいくまい。懸念は亜人の従者だが多分大丈夫だろう。多分。うん、自信はねえな。リミッター外し過ぎたせいで、身体ぎちぎち脳みそズキズキ、正直今すぐ寝たいが、そうもいかんか。


引き摺る様に身体を動かす。

奴等を奇襲する為にどっかに隠れなければいかん。これまた二番煎じで格好悪いが、そんなの気にしてる場合ではないしな。


だけど、それが最善と解っているのに俺はヒメを見て躊躇ってしまった。信じると騙されても仕方ないと思う。けど、こうして改めてヒメを直視するとどうしても疑念が出てしまう。本当に俺はこれでいいのか。奴の言葉が耳朶を叩く、何故教えていないと。くそ、どす黒い情念が渦巻くのが情けなさすぎる。


「草麻、どうした」

「わるい、循気を使いすぎてふらついた」


ヒメの心配する言葉で目が覚める。

そうだ、後の問題は後で解決、だろ。様々なモノを振り払う様に言った。


「ヒメ、バックアップ頼む」

「任せとけ」


言葉は少ないが、半年以上コンビを組んでいるのだ。造作も無い。

だから、言って欲しかったな。


風薙ぎを鞘に納め、ヒメと離れたその時、突然森の奥から魔力の爆発染みた熱波が押し寄せてきた。それは動きを止めるに十分すぎる圧力。


「マジかよ」


呟きが森に溶ける暇も無い。

相対するヒメの先、鬱蒼とした闇の中から白金の女が閃光染みたスピードで向かって来るのが見える。先程とは余りにも感じるプレッシャーが違う。もはや変貌と言っても過言では無い程の力の乖離。月の魔力が此処まで狂わせるか。


しかもこのタイミングでの強襲かよ。

女とヒメと俺、ヒメを挟む様に一直線に並んだ位置関係だけでも絶望的なのに、ヒメは塗り潰す様な圧力と月の魔力の煙幕のせいで肉薄する女に気付いてない。俺の方が近いとはいえ、女の速度の前では救いにもならないだろう。


「サイクル・W」


逡巡は刹那、走り前方に居るヒメに押す様な回し蹴りを放つ。

驚きに濡れるヒメの顔、その先には鬼気を纏った虎。先の速度を軽く凌駕する突進は疾風の如く。片足を振り抜いたまま、俺は二振りの銀閃に手甲を置くことしか出来ない。


「ガァァ!!」


女が吼えた。

顔は虎の特徴を強く押し出し、人と言うよりは獣に見える。纏う服は内側から膨れ上がり怒張した筋肉は丸太の様だ。その変質にも驚きだが、何よりも決定的に違うのが瞳だった。


伽藍堂の硝子には殺意という意志が乗り、白金に輝く宝石の様な真摯な光が見える。その美しさに思わず感嘆の声が出そうになるが、それを掻き消すように手甲と短剣がぶつかり合う。崩れた体勢、腕に掛る衝撃、脱力した身体はいとも容易く後方に浮く。


だが、これで何とか間合いは取れる筈。

これで体勢を整える、前に女の前蹴りが砲弾染みた速度で肉薄した。冗談だろ、前のめりになった姿勢からこの速度と威力、正しく獣染みた反射神経。浮いた体では回避する事など出来る筈も無し。


「ぐっ」


腹筋が貫かれる。

槍の刺突の様な貫通力はもはや凶器。反吐を吐きながら俺の身体は吹き飛ばされた。馴染みとなった高速で流れる景色を尻目に、視線だけは前方を見据える。遠ざかるヒメと女。その二人の距離は三メートルも無い。その光景に戦闘の熱が一瞬で氷点下まで落下し、絶望感に胃が痙攣する。


完全に詰んだ。

ヒメの近接戦闘能力じゃあ、今の女の攻撃を凌げない。むしろ、一合も持たんだろう。ヒメが殺されれば当然主従契約している俺も死ぬ。いや、それはどうでもいい。そんな些事よりも大切な事がある。


別に死ぬのは仕方ない。

けど、何も果たせず、何も成就できず、親友すら守れないまま死ぬのは我慢ならない。だが、畜生、余りの悔しさで眼球は灼熱に染まり、自分の馬鹿さ加減に涙が出る。


そこまで想ってるのに、何故俺は惑ったんだよ。

歯を食い縛り歪む視界を無視して精神を疾走させる。しかし、木偶と化した体は左腕を上げるだけで精一杯だ。


「サイクル・F」


呟き、ぶれる腕を女に向けると、手甲からワイヤーアンカーを発射した。これが正真正銘最後の足掻き。飛翔する鈎爪の先には女の姿があり、少しでも注意を引ければ僥倖に過ぎるだろう。その直後、ワイヤーアンカーが女に辿り着く前に、背中が痛打されると一瞬意識が飛んだ。十メートル程吹き飛ばされた体は漸く木にぶつかる事が出来たらしい。


強制的に空気が排出され、ふらつく視界の先。

そこには無詠唱の魔術を空しく発射するヒメと、ワイヤーアンカーを歯牙にも掛けない女が見えた。


ぎろりと女の瞳が俺を居抜く。

殺気に塗れた野獣の瞳は、どこまでも純粋で命を奪う事を躊躇う事は無いだろう。二振りの牙が鈍く月光を反射させる。やめろ、やめろ、やめろ、そいつは俺の親友なんだよ!


「ヒメ!!」


無情な現実に俺は叫ぶ事しか出来ない。

本当に何て無様だ。一度信じると言っときながら、それを違えた罰なのか。ほんの数秒前の迷い、致命的なまでの心の隙。その結果がこれなのだ。無意識に掴む様に伸ばされた右手の先、女は口角を曲げると、獰猛に見せつける様にその咢を開けた。それは一つの終焉だった。

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