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狼浪奇譚  作者: ただ
27/47

月の森1 / あるー日、月の森、鷹さんに、出会った

「ここじゃな」


鬱蒼とした木々を目の前に狼姿のヒメが言う。

時刻は夕方で、此処はエレントから北西に三百km程にある月の森と呼ばれる場所だ。その名の通り月の魔力を豊富に含む森林であり、月の加護を持たない者の侵入を拒む魔の森である。


簡単に言うと、月の魔力を持たない者は例外を除き、この森林では魔術はもとより魔力すら使えなくなり、方向感覚さえ狂わせるらしい。その上、この森の主である一角獣が、強欲な者には容赦ない制裁を加えるとのこと。


「ていうかさ、ヒメはともかく本当に俺も大丈夫なのかよ?」


ヒメから降り観応で見た森は銀色の薄い霧に覆われている。

この霧が魔力を阻害するのだろう。月の加護を持つ純血の人狼らしいヒメはともかく俺は人間である。魔力が使えない状態で探索するのは流石に勘弁してもらいたいのだが。


「多分の。まあ仮に駄目じゃとしても魔力全てが使えなくなる事はあるまい。何せお主は儂の従者じゃからな」


俺の心配を余所に人姿になったヒメは薄い胸を張って言う。

従者という言葉に一瞬胸が疼いたが、それは今はおいとくべきだろう。俺は苦笑を作るとヒメに言った。


「本当かよ」

「主従契約を舐めるでない」


にやりと力強く笑い森に進むヒメは自信に溢れていた。

それ程までに主従契約とは強力なのか。じとりとした焦燥感がいやになる。俺は先程作った表情のまま返答した。


「了解。それでここの主である一角獣と遭遇した場合はどうするよ」

「無論逃げる。即、儂が狼姿になり脇目も振らずに退散じゃ」

「やっぱ、そんなに強いのか」

「まあ、一口に一角獣と言っても当然個体差はあり、儂等でも勝てる奴もおる。じゃが、ここまで月の魔力を含む森の主というなら、間違いなく上級じゃろうな」

「具体的な強さは?」

「言いたくはないが、性悪女が真面目にならねばならん位かの」

「よし、すぐ逃げよう」


そりゃあ無理だ。

おっさんでさえ溜息一つだったらしいシルフィーアさんが真面目にとかどんだけだよ。仮にシルフィーアさんをラスボスとしたら、相手は魔王城に住む側近レベル。そんな化け物がいる森に今から突入するのか。


例えるなら、隣町の草野球場に意気揚々と乗り込んでみたら、そこでワールドシリーズがやってましたみたいな感じだろうか。良くわからんな。


「なあ、ヒメ。撤収しねえ」

「するかバカ者!」

「だってなあ、遭遇しただけで即死級とか、人間安全第一だぜ」

「安心せい。これだけ広い森でそう易々と会う訳も無く、なによりも此処の主は余程乱獲せねば穏やかに見守ると聞く。今回の依頼程度なら問題あるまいよ」

「だといいけどな」


鼻を鳴らし遠慮なくずかずか森に侵入するヒメを見ると凄い自信ねえけどなあ。さておき、地球でいう一角獣、ユニコーンは気性荒く凶暴らしいが、この世界ではどうなのか。それとこの世界でもあの伝承はあんのかねえ。即ち、処女に弱いと。


ムーンライトの匂いを探し、前進するヒメを見る。

今はあれでも昔はバインバインだったらしいが、飽く迄も自称だしなあ。と、俺の不躾な視線に気付いたのか、突然ヒメが振り向いた。


「どうかしたのか、草麻」

「いや、一角獣について考えてたんだけど」


じとっとした、疑わしい目。

何と勘の鋭い奴だろうか。だが、流石の俺でもヒメが処女か考えてましたなんて、直接言える筈も無い。というか、見た目少女のヒメに、君処女かい?とか、変態以外の何者でもねえよ。やがて、ヒメは不本意ながらもなんとか溜飲を下げてくれた。


「先も言ったが、会ったら逃げるからの。変な欲をかくでないぞ」

「当然だ。むしろヒメより先に逃げるわ」

「おい従者」


グレートグリーン以来の本格的な森。

はてさてどうなることやら。




「草麻、体調はどうじゃ」

「全然問題ないな。むしろ好調かもしれん」


月の森に入って三十分。

ヒメと俺の懸念を余所に調子は問題なかった。言葉のとおり、むしろ元気一杯である。ヒメはふむと頷くと考えを纏める様に言葉を紡ぐ。


「この状態で好調とはの。純血の儂は当然じゃが、人間であるお主が調子を崩さんというのは異常じゃな。儂と契約した事により月の加護が活性化したのか、それとも草麻の不明という属性が関係しとるのか」


ふとヒメの言葉に変な単語が入っていたのに気が付く。

異常ってなんだよ。此処を出るまでは仕方ないと割り切った契約についてはともかく、他の点までは無視せんぞ。


「おいコラ、ヒメ。異常って言うことは、お前最初から俺が不調になる事前提だったんかい」


「うむ。いくらお主が儂と契約を結んでおるとは言っても人間だからの、多少は調子を崩すと予想しておったよ。ただ、その分儂の魔力は上がるからの差引零じゃろ」


「いや、その計算はおかしい」


当然とばかりにヒメは言うが、明らかに間違っている。

テストでも過程をすっとばして結果だけを書いたら減点されるというのに、この計算式。なんと恐ろしいロリだろう。ゆとり教育とはここまで進化したのか。まあ、俺もゆとり教育だが。ともかく、何時もの俺に安堵しつつ、ヒメにデコピンした。それ位は許される筈だ。


「仕方ないじゃろうが。それだけ今回の依頼が魅力的だったんじゃ」


赤くなった額をさすりつつ、上目使いでこちらを見るヒメ。

特殊な嗜好の人にはグッとくるだろうが、こちとら健全な青少年。ボンキュボンなお姉さんじゃないと駄目なのだ。


「魅力的っつてもなあ」


今更だが、依頼料とか聞いてねえや。

まあ、気にしないけが。金庫番がヒメだからあんまり関係ないんだよな。さておき、嘆息する俺を余所にヒメは続きを話し出した。


「うむ。実は今回の依頼の趣旨は儂の魔具を造ることじゃ。何せムーンライトから出来る魔具じゃからの、さぞや素晴らしい物ができるじゃろうよ」


「いや、今回の依頼マジで百パーセントお前の用じゃんか」


「何を言っとる!主人の為に一肌脱ぐのは当然じゃろうが」


ヒメの自己的な言葉は何時も通りの平常運転。

それに慣れた俺も俺だろう。結局俺も何時も通りの言葉しか出なかった。


「まあ、いいけどね」


俺の諦観たっぷりの言葉にヒメは機嫌を良くしたらしい。

尻尾を揺らしながら、楽しげに先陣を切る。


「うむ。それでこそ草麻じゃ。行くぞ!」

「はいはい」

「はい、は一回じゃ!」

「はい」


このやり取りも多くなったなあ。




「それで後どれ位で着きそうなんだ?」

「そうじゃな。儂の鼻に狂いがなければ後三時間といったところかの。今が十八時じゃから、ムーンライトの開花には余裕を持って間に合う筈じゃ」

「了解」


丁度良く木々の間が空いた場所で、小休止兼夕食中である。

結界を張り、広間でぐつぐつ煮える鍋の中にはさっき狩った熊のモノ。ヒメの純血魔力が効いているのか、月の森でモンスターに遭遇する事は稀だった。その分か判らないが襲ってきたモンスターはそれぞれが強く、正直冷や汗をかいたのも一度や二度じゃない。流石は魔力に満ち溢れた森である。


しかし、どこか懐かしくもある気配というか感覚はなんなんだろうな。月の魔力とやら関係しているのだろうか。


「ところでヒメ。今更なんだけどさ、月の魔力ってなんなんだ?」

「うん?そうじゃなあ」


と、ヒメが口を開きかけた時に頭痛が一つ。


【月の魔力】

神と悪魔が有したと言われる力の一つ。魔力属性とはまた違う力であり、神と悪魔を祖に持つと言われる亜人が多く持つ。通常の魔力とは相性があり、主に阻害する能力がある。月の魔力がどういうモノなのかは未だ明かされておらず、月齢と関係があることから月の魔力と呼ばれる。人間が月の魔力を持つ事は稀である。


なるほど。

俺が顔を顰めたことで知識の流入が起こった事が解ったのだろう。ヒメは言葉を変えた。


「草麻、他に月の魔力で聞きたい事はあるか?」


「そうだな。魔力属性とは違うらしいけど、月の属性みたいな魔力特性はあんのか?」


「いや、無いの。あくまでも月の魔力は下地でしかない。その上に各属性があり、月の特性はというものは存在せん。仮に特性ということなら、通常魔力を持つ者への魔術の効きが変わるくらいかの」


「ふーん、それって治癒の魔術とかの効果が薄くなんのか?」


「その通りじゃ。油と水の様に反発はせんがやはり完璧には合わん。水と火・金と木の関係の様に相性が悪くなるの」


「成る程ね。しかし、そんなんで良く俺とヒメは契約を結べたな」


「あのな、草麻よ。お主は気付いておらんようじゃが、お主の同調する力はずば抜けておる。呼吸を読むというか盗むのが上手いんじゃろうな。空間を感知する“限定探知”といい同調力といい、お主の何処が才能無しの出涸らしなんじゃ」


何故かむすっと拗ねたようにヒメは言う。

けれど、そもそもヒメが言った呼吸を盗むというのは格闘技、特に待ちを基本とする流派なら覚えていて当然の技術であり自慢出来るものではない。


あと“限定探知”俺命名の探知能力は、主に空間のずれ、世界の異質を感知しているだけで、セーミアさんの持つ、危険・異常等を含めた正しい意味での“絶対探知”ではないのだ。この能力は、異世界という境界を超えた経験と結界等に触れる機会が俺の能力を開花させたのだろう。多分。


「とはいえ、俺が弱いのは変わらんし、魔術の方があれだしなあ。この世界の基本が今一だから誉められたもんではねえだろうよ」


熊肉を咀嚼しながら言う。

新鮮な肉と芳醇な魔力が俺の身体を癒していくようだ。さておき、実際のところ仮に兄貴が来ていたらチート万歳頑張るぞになっていた気もする。


その時こいつの隣に居るのが俺では無く兄貴だったら、シルフィーアさんも安心してヒメの事を任せられただろうに。今は何故か思案顔で鍋を漁るヒメを見ながらそう思う。本当に何で俺だったんだか。


「まあよいわ。それで草麻よ。お主、儂に何か聞きたい事でもあるのか?」


ヒメは自分で鍋から椀に熊肉と汁を取ると、普段は俺によそおわせるくせに、何処か余所余所しく、ようやくかもな、核心の言葉を口にした。


何時もは無駄に自身満々のくせに、こと俺に関してはとたんにヒメは気弱になる。負い目なのか。


「ん?それなんだけどさ」


結局、俺は弱いんだろう。

俯き、緊張しているヒメにぼそりと言う。誤魔化しでしかない、俺が望む延命の言葉を。


「ヒメって、封印とけたらよぼよぼのお婆ちゃんにならねえよな?」


「………は?」


「いや、昨日空いた時間に図書館で人狼の封印に関して調べたんだけどさ。その記述の中に封印解けて少女から婆ちゃんに戻ったってあったんだよ。ヒメって口調が爺くさいからさ、もしかしてと思って」


ふと、言いながら思った。

これ、マジだったらどうしよう。動くお城の逆バージョン、封印解いたと思ったらまさかのご臨終。儂の望みは畳の上で死ぬことじゃった。それが、ヒメの最期の言葉だった。


………縁起でもないが、ここはファンタジー。有り得ない話でも無いな。


「………草麻よ」

「何だ?」


ヒメは俺のバカバカしい言葉に深刻な雰囲気を纏うとじっと俺の目を見詰めてきた。嫌な感じに冷や汗が出るが、逸らす事は出来ない。ややあり、ぽつりと罪を告白する様にヒメは口を開いた。


「儂がお婆ちゃんになったら、どうする?」


ま・さ・か。

というか、マ・ジ・か。瓢箪から駒、晴天の霹靂、塞翁が馬、他になんか良い例えあるか。ていうか、意外と頭働いてるな俺。いや、そんな問題じゃねえよ。もう、何か契約の内容とかどうでも良くなって来たんだけど。ちょ、どうする、どうしよ、どうすれば。教えて!大気圏ぶち抜いた坂田先生ーー!!


「安心しろ、ヒメ。末期の水は俺がとってやる」


ご臨終確定ーーー!!

俺なに言ってんの!マジで縁起でもねえよ!!せめて、鬼嫁を持つ諸星の息子さん並みの言葉を言いたかった。あ、全然意味は違うや。


そんな俺の言葉をヒメはどう受け取ったのか、視線を伏せるだけだ。もはや、冷や汗が全身を濡らし、冗談だよなとか言える雰囲気では無い。それでも、言葉を紡ぐしかないだろう。


「あのさ、ヒメ。そのヒメがお婆ちゃんでも、俺にとってヒメはヒメだから。だからさ、最期まで付き合わせろよ」


結局、情けない事に俺の口からはこんな言葉しか出て来なかった。

例え親友が幼女からお婆ちゃんにジョブチェンジしようが、関係は変わらない。せいぜい縁側で日向ぼっこする位だろう。だったら別にいいか。いい筈だ。この世界の介護方法、勉強しなきゃな。


「………ヒメ」


長い銀髪に隠れてヒメの顔は伺えない。

主従契約で悩んでいた筈が、たった一つの冗談でそれが遥か彼方だ。本当、人生ってままならん。


「草麻」

「何だよ」

「……先の言葉は真か」

「当たり前だ、バカ」

「そうか」

「ああ」


止まっていた箸を動かす。

それで、止まっていた時間も動き始めたのか、漸くヒメもぎこちなさは残るが箸を動かす。教えた甲斐あってヒメも箸捌き上手くなったよなあ、何てどうでもいい事を思った。


「草麻よ、お主は本当にバカじゃな」

「失礼な」

「本当にバカじゃ」

「うるさいな」

「バカ者じゃ」


ヒメのどこか楽しげな口調。

若干震える声がヒメの感情を表すようで、余韻は軽やかにヒメの笑い声が聞こえた。その事に安堵し椀から顔を上げヒメを見る。なんか予想外にメチャクチャ爆笑していた。


「くく、ははっ!はははっ!!」


目尻に涙さえため、腹を抱えての大爆笑。

今までの話を全て吹き飛ばす奴の笑いは、何時もは綺麗に聞こえるソプラノでさえ甲高い雑音に聞こえる。


「はははっっ!!」


笑いの嵐は未だ止まない。

これは、あれか。俺の今までのシリアスを返して欲しい。もう今更かもしれんが、それでも、聞かない訳にはいかなかった。


「あのさ、ヒメ。婆ちゃんになんの?」


俺の疑問にヒメは笑い声を滲みなせながら答える。


「くく、いや儂とて何時かはなるじゃろうが、はて、それが何時になるかは正直検討もつかん。何せ儂は純血の人狼じゃ。まあ、少なくとも一世紀以上は先じゃろうて」


「あ、そう」


椀の中身をすすり終わり、静かに地面に置いた。ごちそうさま。

ヒメは愉快そうに言葉を続ける。


「じゃが、末期の水まで取ってくれるとはの。儂は老後まで安心じゃ。それでこそ我が従者。感心したぞ、草麻」


「だろう。そんな偉い従者を苛めるのはどんな主人かなあ」


食事の後の挨拶からそのまま、ゆっくりと右手を伸ばし、ヒメの小さな顔を掴んだ。逃れられない様に、こめかみの窪みを親指と人差し指で固定する。


さて、この世界に来て筋トレを重ねた俺の握力は一体どれほどになっているのか。少なくとも石を粉砕出来る位になっているが。


「お、い。草麻。主人の可愛い冗談ではないか。そも、お主の戯言も悪いわけじゃが」


視界を塞がれ、俺の本気度を悟ったのだろう早口になるヒメ。

みき、と指に力を入れるまでもなく送った血流で骨が鳴った。いっそ不気味な音にヒメの身体が震えたのが判る。


「そうま」


声も震えてるな。

じゃあ、覚悟完了ってわけだ。俺が言うのはたった一言だけだ。それで全てをヒメは悟るに違いない。


「サイクル・F」


攻撃力特化の火属性。

俺の呪文にヒメの顔から血の気が失せる。まあ、遅いがな。小気味良い感触が掌に広がった。ヒメ、安らかに眠れよ。




「あるー日、月の森、鷹さんに、出会った」

「何度目じゃ、その歌」


夜になり上空から飛来したでっかい鷹を倒した後の出来事である。

適当に材料になる羽だけ毟って鷹は放置した。羽もまだ十分にあるし、強靭な胸肉にサマーソルトキックを入れただけなので、運が良ければまだこの野生でも生きていけるだろう。


「だってなあ、飯食い終わってから結構な数襲われてるぜ。そろそろ近いのか?」


「そうじゃな、月の魔力が濃くなっておるし、ムーンライトの芳しい香りも強くなってきおったわ」


「確かに観応で森を見るともはや濃霧だもんな。今後を考えると大気中の魔力と対象物とのピントをずらす練習しないと、こういう状況で観応使っての戦闘は厳しいな」


「確かにの。儂の鼻も濃すぎる魔力で微細なものは感じとれん」


鬱蒼とし、強い月の光だけが頼りの森。

視界が効かない夜に魔獣一杯の森林を踏破するのは普通は無茶だろうが、初級魔術である“灯り”を瞳に掛け続けている為に視界は問題ない。というか、もともと魔術を憶えて無い時もある程度夜目は効いてグレートグリーンで過ごしていたし今更だろう。


「じゃが、月の魔力の濃度が予想以上に強いの。お主が変態で良かったわ」


「その変態を従者にしてるのはどこのどいつだ」


「ははっ、さてのう」


やたら機嫌の良いヒメは、森を苦も無く進んでいく。

道なき道を何の迷いも無く進んでいく様は、俺よりも余程冒険者らしい。途中途中でマーキングの魔術も残したし、帰り道もばっちりだ。しかし、何というか意外と呆気ないな。


ヒメが言うには後一時間もしない内に、ムーンライトの群生地に到着するようだし、希少であるらしいムーンライトの採取がこんなに容易くていいのだろうか。何つうか、正直不安ではある。簡単なのは良い事だが、それが過ぎるとどうにも落ち着かないのは臆病者だからだろうか。


「おい草麻」

「判ってる」


不意に止まったヒメを護る様に抜刀する。

耳を潜め漸く聞こえてくる唸り声。野犬というか狼の群れか。木々の茂みを隠れ蓑に獰猛な殺気だけを漂わせる。やれやれ前言撤回かねえ。


今までは単体が多かったが、此処に来てチームワーク抜群の魔狼の群れ。グレートグリーンでも偶に遭遇していたので、対処方法は変わらんだろうが、問題は魔術を使うということか。俺達の魔術とは厳密には違うらしいが、結果が同じなら脅威は変わらない。


ヒメも駄狼がと威嚇全開だしなあ。

ホント、喧嘩ぱやいな。じわりと高まる緊張感、ピンと空気の弦が弾かれた瞬間、四方八方から死の咢が襲い掛かって来た。




「着いたぞ、草麻」

「ようやくか」


ヒメの言葉を証明する様に、鬱蒼とした森の先に暖かな光が溢れているのが見えた。それは空から照らす天上の光では無く、大地に咲き誇っているのものからだろう。


得も知れず興奮して来た。

もうすぐ双月が共に満月になる“マッチング”の夜にしか咲かない希少な薬草、ムーンライトがあるのだ。知識だけでは満足できない、純粋な好奇心が胸に湧き上がる。


主従契約の知識でどういう姿をしているかは知っている、だが直接見ないことには感動できる筈が無い。しらず、口元が緩んだ。ヒメも軽やかな雰囲気を隠そうともしていない。


一歩一歩、大地を踏みしめ光が零れる空間に歩いて行く。

そして、最後の遮蔽物である木を避けると、そこには月光が広がっていた。


森をくりぬいた様に真丸に広がる空間は正しく月面。

普段は閉じられた十六個の白銀の花弁を存分に開き、ムーンライトは一個の球体じみた花となる。それはまるで蒲公英の綿毛のようだが、自光する花弁があまりにも鮮やかだ。それが何千何万と咲き誇り大地に月を作り出していた。


「凄いな」

「うむ、久方ぶりに見たがやはり美しいの」


感嘆の声が勝手に口からもれた。

遥か彼方に聳える山々を絶景と呼ぶ人も居るだろう。それは人には届ない自然の力を感じているからに違いない。それを、こんなにもまじかな景色で感じるとは。


「正に秘密の花園ってか」

「また似合わん表現を使うモノじゃな」

「失礼な」

「さて、感動も良いが採れるうちに採取するかの」

「ヒメ、浪漫がねえぞ」

「何を言っとる、野を駆け森を抜き月夜に笑う。十分、浪漫じゃよ」

「ちぇ」


唄うように事実笑いながらヒメはムーンライトの園に入っていく。

それはまるでお伽噺の一幕の様だった。夜を灯す月光とそれを映す白銀の絨毯。そこに舞うのは一人の妖精。現実感を無くす絵画の様な光景に言葉すらでない。なにより、そのヒメの姿が今宵一番の感動だったのは、全く以て不本意なことだった。ちくしょう、ヒメのくせに。


「それで、本当に俺でも大丈夫なのか」


照れを隠す様にややぶっきらぼうに言う。

ヒメはくるりと振りむく。その姿がまた幻想的で、ちくしょう、ゲレンデ効果抜群じゃねえか。


「そうじゃな、試しに一輪摘んでみよ。それで枯れたら仕方あるまい」

「了解」


言ってみたものの、ここまで可憐な花をみすみす枯らしてしまうのは、凄くもったいない。是非とも枯れないで欲しいものだ。


「ヒメ、枯らさないコツとかある?」

「そうじゃなあ、邪心を持たんことじゃないか」

「じゃあヒメも駄目じゃん」

「バカ者!さっさとやれ」


屈み、ヒメの言葉に後押しされるように、外輪のコスモス程度の大きさのムーンライトの茎を掴む。意を決しムーンライトを摘んだ。そのまま目の高さまで持って来るが、ムーンライトは変わらず輝きを放っていた。その事に思わず安堵の溜息を吐き、ヒメに見せびらかすようにムーンライトを持ち上げた。


「やはり俺は清らかな心を持つ男だったな」

「ふん、ムーンライトも憐れんだのじゃろうよ」

「言っとけ」

「まあ、よい。それではお主は一輪一輪摘んでいくのじゃ。そうじゃな、五百輪程あればよいじゃろ。言っとくが、面倒くさがって風薙ぎで刈ったり魔術を使ってはいかんぞ。繊細なムーンライトは即刻枯れるからの」


ヒメの残酷な言葉に思わず天を仰いだ。


「浪漫が足りねえ」

「何、無論儂も手伝うのじゃ、意外と直ぐ終わると思うぞ」

「頑張るしかねえかあ」

「じゃな」




「で、ヒメよ。摘む作業が終わったのはいいが、俺が四百輪お前が百輪っておかしくねえか?」


眼前にはムーンライトの束が並べられている。

一輪一輪はそうでもないが、流石に五百輪ともなると容量が半端ない。だが、それでも月光の輝きを失わないのは本気で凄いな。さておき、ヒメはというと俺の文句を聞いても馬耳東風全開だった。


「なに、おかしくはあるまいよ。単純作業でも何でもお主の集中力は凄い、それだけの話じゃ」


言って、ヒメはムーンライトの前で屈んだ。


「何より、問題はこれからじゃ」

「というと?」

「ムーンライトを保護する収納魔具は協会から借りてきたが、それだけではムーンライトを枯らしてしまう。それを防ぐために一度ムーンライトが咲いておった場所の魔力ごと月の魔力を含む結界で覆わねばならん」

「それって難しいのか?」

「うむ。いつもやっとる結界を少し強めた感じじゃ」

「おい、こら」

「静かにせい!集中が乱れる!」

「まあ、いいけどさ」


んで、何時も通りの結界でムーンライトを覆い、言われた通り協会から借りて来たリュックサック型の収納魔具にムーンライトを詰めた。行きは俺のヒップバッグに入っていた魔具だが、帰りは容量の問題でリュックを担がねばならん。正に行きはよいよい帰りは恐いってなやつだな。


「それで、どうすんだ。直ぐ戻るのか?」


「なに、折角ここまで来たんじゃ、空と大地の月見酒というのもわるくはあるまい」


「ごもっとも」


ヒメの提案に、早速バッグから徳利とお猪口をとりだした。

月のど真ん中で飲むのも良いが、今回は月見だ。俺達は場所を変えずに月の外に陣取った。互いに猪口に注ぎ合う。三つの月を眺めながらの月見酒とは何とも豪勢な話じゃないか。


「浪漫だな」

「じゃな」


二人して笑う。

猪口をかかげるとヒメも合わせる。


「ほんじゃまあ、ムーンライトに乾杯ってか」

「色気が無いのう。ま、お主らしいわ」


しんと静まった空間。

期せずとも猪口を合わせるタイミングは一緒だった。


「乾杯」


その一瞬。

猪口が触れる間際で、俺は前方に飛んだ。驚くヒメを抱え宙に浮いたまま抜刀する。


風が鳴く。世界が閉じた。月が雲に隠れムーンライトも一斉に花弁を閉じた。あれほど明るかった丸盆は闇に沈む。限定探知、強大な結界がこの世界を覆っていた。地に着きヒメと背中を合わせた。


「草麻。すまん」

「俺は従者だ。気付いたか」

「ああ、たった今の」


言葉少なく現状を把握する。

不意打ちこそなかったが、丸盆全て覆うほどの結界をヒメの鼻すら気付かせなかった手際。洒落にならん。しかも、ムーンライトが閉じたってことは、おそらくは人間であり突然の結界から十中八九、敵意ある者だろう。まったく情緒も風情も判らん奴だ。


やがて、じっとりとした汗が背中を伝う頃、再び風が鳴いた。

雲が流れ双月が丸盆を照らしだす。闇を払う月光のカーテンが丸盆をさらうと、闇の中には二つの影が生まれていた。


一つは蒼い髪のぞっとする微笑を湛える怜悧な男。

一つは男の背後にいる透明な金砂の髪をたたえる能面じみた女。


余りにも異質な二人はゆっくりと嬲るように歩を進める。

彼我との距離は僅かに二十メートル程。呼吸一つ半で埋めれる絶妙の間合いだ。男は場のイニシアチブを握る様に、悠然と泰然と言った。


「初めまして、ディーノ・ジンベレルだ。早速だけど、死んでくれるかな」


これ以上ない、明確な敵意と確実な殺意を持った言葉を。

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