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狼浪奇譚  作者: ただ
24/47

エレント8 / 風薙ぎ

「んじゃ、改めて改めて乾ー杯!!」

ジョッキを掲げ、何度目かになる音頭を取ったのは草麻だった。

ヒメとディートリヒを起し、事情を説明して皆が席に付いたからであった。しかし、シルフィーアの魔術で治療されたとはいえ、ぼこぼこにされ魔力ゼロになったとは思えない程のタフさではある。


「乾杯」


草麻の両隣にはヒメとシルフィーアが位置取り、対面には誰も座っていない。後の面子はディートリヒも含め違うテーブルでそれぞれ談笑し、テイルとシンは食事を作ったりしている。


「で、性悪。何しに来たんじゃ」


唸り声が聞こえそうな低い声はヒメのものだ。

あからさまな喧嘩腰の言葉に、店内に緊張が走ったのは当然と言えば当然。だが、シルフィーアは悠然とした調子でヒメに返した。


「それは既に説明しただろう。相変らず細かい奴だね。折角の美味しい酒が不味くなる」


シルフィーアの様子にヒメは舌打ちする。

その仕草に隣に座る草麻の背中から冷や汗が滲み始めた。何時の間にか自然とこういう席になっていたが、今更ながら危険な気がする。何しろ、魔力が枯渇した状態で機嫌の悪い主人とウインドマスターに挟まれているのだ、生きた心地がしないとはこの事だろう。だが、目の前には美味い酒で隣には憧れの美人。結局、まあいいかと草麻はビール飲むと宥める様に言った。


「そうだぞ、ヒメ。確かにシルフィーアさんは俺をぼこったが、それは特性変換を教える為だ。教育が悪い筈ねえだろ」


「あれを教育と呼ぶのなら、虐待という言葉自体存在せんわ」


草麻の大らかさにヒメは呆れる様に言った。

何しろ、彼女が目覚めた時には草麻は血塗れで、死んだように倒れていたのだ。殺人一歩手前の暴力を教育と呼んだ草麻は確かに楽天的だった。


「草麻は本当に良い事を言う。私が少しでも眼を掛けた奴等は直ぐに死んでしまうか、逃げ出すかのどちらかだったからね。草麻のおかげで私の教育が正しい事が証明されたよ」


ビールを飲みながらシルフィーアが言った。

過去死人が出たという事実に草麻は顔を引き攣らせるが、ですよねーと言う事しか出来なかった。シルフィーアはそれに気付いているのかいないのか、ふと微笑むと、優しく言った。


「安心していい。君は死なないよ」


意外と言えば意外なシルフィーアの言葉に草麻は一瞬戸惑った。なんというか、らしく無い。ヒメも同様だったらしく、皮肉るように言った。


「ほう。ウインド・マスターともあろうものが、甘くなったものじゃ」


ヒメって俺の主人だよなあ。草麻がそう思ったのも無理はない。

シルフィーアは微笑の質を変えると、美味しそうにビールを飲んだ。そして、愉快そうに言った。


「なあに、今回の事で確信しただけだよ。草麻は呆れる程に頑丈だ。手加減しているとはいえ、死んでも仕方ないという攻撃を受けきるんだからね。師が余程良い者だったんだろう」


いや驚いたとばかりにシルフィーアは言う。

彼女の、余りに激しいというか杜撰な教育方針に、驚いたのはこっちじゃとヒメは口角を歪め、草麻は、何というか耳が痛いと乾いた笑み浮かべた。


「それで、草麻。君はどういう風な指導を受けてきたんだい?」

「そうですねえ」


草麻は脳裏に師匠である静流を思い浮かべた。乾いた笑みを出させた元凶を。


「基礎しか教わってないです。十年以上基礎だけで、それ以外は何も教わってませんね」


「へえ、ちなみに君の流派の名前と基礎とはどういうモノだい」


「うちの流派の名前は冨田六合流と言って、基礎は四つ。気というか脳を操作し巡らせる“循気”肉体操作の“雲流”気と筋肉を圧縮する“錬圧”最後に対象を観て学ぶ“観応”勿論、格闘技術も習いましたけど、基本はこれだけです」


「ふむ、君の流派は対人戦というより暗殺に特化した流派なのだね。それで、循気と言ったかな、折角だ。詳しく教えてくれるかい?」


シルフィーアの暗殺という言葉を草麻は敢えて訂正しなかった。

魔術が使えない上に、身体操作に比重を割いた技術からそう思われても仕方がないと言えば仕方ないし、シルフィーアだけならともかく、他の人達に異世界出身ですなどややこしくて言える訳が無い。草麻は素知らぬ風に口を開いた。


「良いですけど、多分おもしろくないですよ」


草麻はそう前置きしたところで、テイルが酒と摘まみを持って来た。

自慢のビールもあるが、テイル秘蔵のワインもそこには用意されている。シルフィーアが頼んだものだ。


とりあえず、シルフィーアは彼女の舌に適ったビールを受け取りワインを机に置かせた。続いてシルフィーアは構わないと草麻に続きを促す。じゃあと草麻は新たに用意されたビールを飲みながら説明を始めた。


「先ず冨田六合流の概念は気、精神力が要訣です。だから、気を扱う循気は流派の基礎中の基礎。んで、気っていうのは言わば精神力で、精神力とは脳の力じゃないですか。それを踏まえた上で、肉体を操作するのが脳である以上、先ず脳を鍛えるというのが、うちの教えです」


そこまで言って、草麻は乾いた喉を潤す様にもう一度ビールを飲んだ。


「循気を習熟すると、集中力と想像力が上がります。拳を振るう際の最適を常にイメージし、筋トレする時は機能的な肉体を思い浮かべ、時には肉体の枷を外す。ひたすらに、脳が持つ力を最大限かつ効率的に使う術、それが循気です。だから、後の三つを教えられたのは循気を習ってから数年後、まあ、筋トレや柔軟、簡単な突き蹴りや踏込みは教えられましたけど、組手は殆どしませんでしたね」


「幼少期から数年間それだけか。………徹底したものだ」


シルフィーアは思案する様にそれだけ呟くと、再度草麻に質問した。


「草麻、循気の習得方法は教えられるモノかい?」


シルフィーアの問いに、草麻は悩む素振りも無く答えた。

彼女すら知らない名の流派故に秘伝秘匿の技法と考えたのだろう。一人の戦闘者としての一線がそこにはあった。


「別に問題ないですよ。ぶっちゃけ、循気にしろ他の基礎にしろ、天才だけが学べるという凄い技術では無いですし、何より必要なのは才能よりも根性、師匠はそう言ってましたしね」


草麻は何時の間にか静かになった店内を気にしながら口を開く。

正直、皆が真剣に聞いて為になる話では無いと自覚しているからだ。


「循気の練習方法は単純。殴られる事と筋トレです」


ことさら静かな店内に草麻の言葉は余計に響いた。

シルフィーアは眉間に皺を寄せると、確認する様にもう一度聞いた。


「草麻、本気かい」


本当ではなく本気という言葉が気になったが、草麻は慌てることなく頷いた。


「ええ、マジです。詳しく言うと、脳が一番頑張る時って死を感じる時じゃないですか。火事場の馬鹿力しかり、走馬灯しかり。だからそれに繋がる痛みを、正確に認識し制御するのが一番簡単な練習方法としたんでしょうね。筋トレも肉体を痛めつけるという点では一緒ですし。最初に言った通り、循気は天才・凡才関係ない、根性論なんですよ」


軽く草麻は言ったが、そこには確かな自負があった。

兄という天才に挑む為に、過去の自分を超える為に地獄を耐えたという、草麻が持つ唯一の自信である。


「成る程、納得したよ」


草麻の答えにシルフィーアは頷いた。一つの謎が解けた。

出会いと今回、不明だった草麻の痛みに対する異常な程の耐性の高さ。幼少期から数年間、毎日納得付くで激しい痛みを与えられ続けるなど正気の沙汰では無い。


それでいながら、彼はまともだ。

奴隷として、戦闘人形として幼い頃から非日常を歩んできた存在には無い普通さがある。つくづく興味深い。それは、ともかくシルフィーアはもう一度頷くと、感慨深く言った。


「暴力が修行とは、やはり私の教育方法は正しかった」


うんうんと頷く仕草は感動によるものか。

異端たる彼女でも普遍的な正しさには一定の感情があるらしい。まあ、聞き耳立てている者達。特に新人冒険者の教育をする事もあるセリシアは、心中でそれはお前等だけだと突っ込んでいたが。


そりゃあ、R-18、お子様厳禁なスプラッター映画さながらの暴力を毎回の練習方法として教えられる訳が無い。指導者は廃人生産が仕事では無いのだ。


そんな馬鹿げた事二人にしか出来ないと、セリシアは声を大きくして言いたいが、言える筈も無い。しかし、彼女の鬱憤を晴らす様に草麻の主人が口を開いた。


「それはお主等だけじゃ」


正論である。

皆が内心そうだと頷いたのと


「失礼な」

「失礼な」


草麻とシルフィーアの反論は一緒だった。

殴り殴られた者として不思議な一体感が出来上がっていた。草麻ははにかみ、シルフィーアは微笑んだ。その行動に、ヒメの機嫌が下がり、店内の温度が下がり、草麻の危機感知能力(事後限定)が上がった。


「貴様の教育方針はよいわ」


ヒメは草麻を躾けると、話題を変えるようにシルフィーアに矛先を向けた。


「しかし、結局草麻に対するおしおきとは何だったんじゃ?」


ヒメの問いに、そういえばと皆が思った。

言葉の後の行動が苛烈過ぎて忘れてしまっていた。シルフィーアはヒメの問いに、ああと、おしおきの中身を語り始めた。まあ、やはりというか、どうしようもない程に個人的な内容だったが。


「草麻。君の名前はイズミではないじゃないか」

「へ?」


草麻はシルフィーアの言葉に怪訝そうに返した。

確かに五澄というのは名字で名前ではないが、一体それがどうしたというのか。他の皆も草麻と同じ反応で、唯一ヒメだけが固まっていた。


「君はあの時言っただろう。イズミ草麻推して参ると」

「えっと、はい、確かに言いましたね。それが、どうしました?」


ぼひゅと草麻の顔が吹き飛んだ。

閃光の様なシルフィーアの拳が草麻の頬を捉えていた。


「どうしました、じゃ無いだろう。君は私のお気に入りなんだよ。君の故郷ではそう言うのかもしれないが、名前と名字を入れ替えるとは。全く、それを知った時には、いい度胸をしていると思ったものだよ」


沈黙した草麻を余所に、しみじみとシルフィーアは言う。

彼女がそれを知ったのは、エレントの冒険者協会でディートリヒとの戦闘記録を観た時だ。


ヒメが、草麻と叫んだので草麻が名前と気付き、

サクラ・ヒメが従者という草麻の名乗りで、彼の故郷では反対なのではと感づいた。


「先ず、それが一つ」


す、と優雅に人差し指をシルフィーアは立てると、続いて中指も立てた。


「そして、もう一つ。これが最も大変なことだね」


その行為はシルフィーアとの出会いを彷彿とさせ、草麻の背筋をぞわっとさせた。


「こんな子供の従者になるとは何事だい?」


シルフィーアは片肘を机につくと、草麻を覗き込むように見る。

彼女の絡め取るような雰囲気に草麻は視線を右から左に移した。その先には青筋、もとい瞳孔が裂けたヒメが居た。背後を見ると白々しく私達は無関係ですと会話している奴等が見える。孤立無援だった。草麻はわざとらしく朗らかに言った。


「いやー、あの後気付いたらヒメに契約結ばれてたんですよねー」


あっはっはと草麻は言う。

その内容に無関係者達はえ、マジでという視線を向け、シルフィーアは一瞬だけ表情を崩すとにたりと笑った。ヒメの瞳孔は戻りぎこちない笑みに変わっている。


それはそうだろう。

主従契約とは条件こそ厳しいが従属契約とも言われている非情な魔術だ。そんな契約を気付いたらされていましたなど、詐欺どころの話では無い。訴えれば間違いなく勝てるレベルだ。


「成る程。草麻、どうだい私ならそんな契約容易く破棄出来る。今からでも遅くは無い、契約破棄するかい」


シルフィーアはいっそ優しく言葉を紡いだ。

彼女の口元は何時か見た三日月が浮かび、悪魔のそれを連想させた。人の願望を叶える無形の存在、その口元に開く闇を見ながら草麻はあっさりと言った。


「いやあ、まあ、約束しちゃったんで。それを遂げるまでは従者ですかねえ」


へらりとした暢気な表情は酒精にこそ染まっているが本気そのもの。

惚気にすら聞こえるそれに、シルフィーアは口角を僅かに歪めた。


「主人の道連れになってもかい」


主従契約の最大の懸念。

もし、それを彼が知らないとしたら、そして、知ったらどうするのだろう。純粋な興味がそこにはあった。その問いに、何時の間にか再び静かになった店内に草麻は怪訝な表情を作るが、軽く言った。


「親友の頼みじゃ、仕方ないですよ」


たった一言、仕方ない、と。

自身の命も、未来すらも他人の手にある事を知りながら、草麻はその一言で片づけた。その簡潔すぎる答えに、シルフィーアは怜悧な表情を崩すと、笑った。


「ふふ。はははっ!はははっっ!!」


周囲の視線を集めても、目尻に涙が浮かんでもなお、シルフィーアは笑う事を止めなかった。本当に何て愉快な男だろう。


草麻は気付いている筈だ。

その先に安寧は無いと。シルフィーアの刻印が入った魔具を提示しない事から、彼が名声等を求めていないのは解る。そんな彼だからこそ、平和な時を好む筈なのに、やはり、よりによって彼は彼女を選んだ。何て不条理。


「はははっ!本当に君は良いね!最高だよ!」


また、おそらく彼は何一つ知らない。

けれど伝説が関わっている時点で事は甚大と認識している筈だ。それすらも納得づくで、彼は命と未来を委ねている。


栄光や富が約束されている訳では無い、恋愛感情すら無いだろうに、彼は仕方ないと割り切っているのだ。その何処までも背理的な潔さは正しく人間のモノ。後天的に培われた歪んだ精神性である。


それを承知し真っ直ぐであろうとする生き方が、こんなにも琴線に触れるとは。彼の過去に生き様といい、つくづく飽きさせない。シルフィーアは目尻に溜まった涙を拭った。


「いやあ、流石だよ」

「何がすか?」


本当によく判らんと草麻の顔には書いてあった。

シルフィーアはテイルに出させた秘蔵のワインを開けると、いやと首を振った。そのままシルフィーアは視線をヒメに向けると、彼女は複雑な表情をしていた。


それも当然か。

草麻の場合、従う理由が他者には不合理に映る。納得はしているが、不安を完全に無くせる筈も無い。彼女の過去を考慮すれば尚更だ。そこまで読み取ると、シルフィーアは満足気に微笑し、あっさり話題を変えた。自身の楽しみを優先させた証拠だった。


「気にしなくていいよ。それより草麻。君の属性は特殊なフルバランスだったね」


「え、はい」


いきなり振られたが、何故知っているのだろうかと言う疑問は持たなかった。彼女は特級冒険者。気にする方が無駄である。


「君の不明という部分は、おそらく色を持たない無色透明の水だよ。何色にも染まるが、何色にも侵されることなは無い純水。それが、君の属性だ」


草麻はシルフィーアの言葉を咀嚼すると、言った。


「じゃあ、俺の不明っていうのはどの属性にも変化するって事ですか」


つまり、草麻は魔力特性に習熟すれば、不明の50%の部分をどの属性にも適応させられるという事になる。だからこそ、


「そう。全ての属性を含むからこそ、検査魔具は不明としたんだろう。」


「なるほど。それでシルフィーアさんは俺の鎧通しの能力を全属性の特性付与にしてくれたんですね」


「そうだね。君が趣の違うフルバランスというのは判っていたから、勝手とは思いながらそういう能力にしたよ。まあ、割合しだいで調整しようと思っていたが、その必要はないようだね」


至極当然とばかりにシルフィーアは言う。

その言動に今度こそらしいと思いながら、草麻は今更ながら礼を言った。色々突然すぎて忘れていたのだ。草麻は居住まいを正すと、シルフィーアに向き直る。


「シルフィーアさん。遅れましたが、本当に何から何まで、ありがとうございます」


シルフィーアは唐突な草麻の謝辞に苦笑した。


「何、君の短剣は見事だからね。それが失われるのは惜しいと思っただけだ。感謝する必要はないよ」


「それでも、ありがとうございます」


頑なな草麻の態度に、シルフィーアは苦笑のまま、どういたしましてと言うと、一つ草麻に質問した。


「そう言えば、君の短剣の銘は鎧通しでいいのかい?」


気に掛け、手を施した武器だからだろう。

名前というものに拘りを持つ彼女にとっては、捨て置けない疑問だった。


「いえ、一応この短刀は鎧通しという種類であって、銘という訳ではないですね」


「短刀ね。折角だ、鎧通しの銘を教えてくれないかい?」


む、とシルフィーアの問いに草麻は固まった。

隠し事というよりも、どう言おうかと悩んでいるようだった。しばし逡巡すると草麻は言った。


「この鎧通しに製作者の名は無いんですよ。元々造った人も引退し趣味がてらに造ってくれた物ですし、自分の名はどうでも良かったらしいです」


草麻は確かめる様に、鎧通しの柄に右手をおいた。


「だから、俺がこれを持つと決めた時に名前を付けてくれと言われました」


あの時、冨田六合流の基礎全てに及第点を貰った日に、草麻はこの鎧通しを送られた。鎧通しの製作者がどんな気持ちだったかは判らない。ただ、平和な時代ではあるが、観賞用では無いという心意気は伝わって来たものだ。


だからこそ、草麻は今まで名を与えなかった。

その覚悟が無かった昔と、異能に溢れる今、繋ぎとして終えるかもしれない物に名を付けられる筈も無い。


「そうか。それで、君は決めたのかい?」


武具とは命を預ける存在だが、間違いなく代用品でもある。

それが始まりに近ければ尚更だ。シルフィーアは手を加えた鎧通しに名が付けられなくても当然という気持ちはある。だが、もし名が無いとしたら少しだけ悔しい。


草麻はシルフィーアにとって、初めて出来たお気に入りの若者だ。そんな彼に初めて渡したのが鎧通しの改造。滅多に刻まない自分以外の道具への刻印が草麻への期待を表していた。草麻は少しだけ恥ずかしそうに、けれどしっかりと、その名を口にした。


「はい。こいつの名は風薙ぎです」


はにかんだ草麻の言葉にシルフィーアは柳眉を僅かに動かした。

風という単語を入れるとは、お為ごかしなのか、違うのか、草麻の真意を測りかねていた。


「風薙ぎね。それで由来は?」


「俺の故郷に草薙の剣っていう伝説の剣があるんですけど、それをもじって風薙ぎにしました」


なるほど、それはもっともと言えばもっともらしい答えだ。しかし、草麻の言葉は他の人には普通に聞こえたが、声色に隠された僅かな変調はシルフィーアとヒメの耳を誤魔化す事は出来なかった。


事実、草麻の声と表情にヒメの視線は剃刀並みの鋭さになり、シルフィーアは意地悪な笑みを浮かべている。何となくだが、二人には草麻の真意が読めた気がした。


「それだけじゃ、ないんだろう?」


シルフィーアの楽しげな言葉と視線を逸らす様に、草麻は頭を掻くとそのまま目を閉じビールを呷る。草麻に出来る精一杯の抵抗だった。だが、観察されている様な生温かい視線にとうとう草麻は根負けした。


「あーー、その、秘密ってことでお願いします」


草麻のか細い声にシルフィーアは口元を緩めた。


「まあ、今回はそれでいいよ」

「すみません」

「その分、次に会う時までのつけにしとくさ」


からかう様な言葉に草麻は苦笑に近い笑みを漏らすが、それでも確かに言った。


「はい、了解です」

「うん、良い返事だ」


二人して微笑む。

そこには絆という程ではないが、確かな繋がりが見えた。主従という確固たる形があるヒメだが、逆にそんな形が無い二人に嫉妬の感情が浮かぶのは当然といえば当然だった。ヒメは三白眼でシルフィーアを睨むと、威嚇する様に口を開いた。


「話が終わったんなら帰れ。草麻には儂がきっちりと特性変換を仕込んでおく」


低く圧力のある声は少女には似つかわしく無いが、困った事にヒメには似合っていた。草麻の額から冷や汗の流れる音が聞こえる。外れた事の無い嫌な予感がしていた。


「いや、話はこれからさ。第一お前の属性は土だろう。風と相性が悪い属性を最初に覚えさせるのは頂けないね」


「何を言っとるんじゃ。主従契約しておる儂と草麻なら魔力の受け渡しが出来る。効率的に考えても土に決まっとろうが」


「ふん、草麻の魔力は風が突出している上、前回と今回で十分私の魔力を組み込ませた。無理に土に合せる方が余程無意味だよ」


「はっ!1%にすら満たない割合等突出とは言えんし、組み込んだところで、儂と草麻の間にあるパイプに比べれば、それこそ些細なモノじゃ。風に拘る必要は全くないの」


「それが、あるのさ。風薙ぎは勿論全属性に対応しているが、それでも風が通り易くなっている。唯一の武装に合せるのは当然だろう?」


バチッとシルフィーアとヒメの間で火花が散る。

ヒメは唯一の従者の最初が、性悪女の属性に染まる事など許せる訳が無く、シルフィーアも無二の存在であるお気に入りの始まりが、風と相性の悪い土に染まるのを見過ごす訳にはいかない。


「関係ないの………」

「お前は何を………」


草麻を挟んで二人の口論は加熱していく。

利点欠点はもはや明後日の方向に飛び、感情論が交差している。草麻に出来る事は一縷の望みを掛け、微動だにしないことだけだった。やがて口論が納まると、二人の顔が間に座る青年に固定された。


望みは絶たれた。

さあ、晩餐会の時間である。土の槍でのミンチか、局地的な竜巻で切り刻まれるか、さて、どちらを選ぼうか?もちろん、草麻は………




「火の属性なんて良いですよねー」


どっちも選ばないぜ!

ヒメとシルフィーアさんの視線圧力が一瞬弱まる。チャンスは今しかない!行け、逝くんだ五澄草麻!


「いやあ、良かったわ。おっさんも火の特性を教えてくれるって言うし、クロスさんも確か火でしたよね。うん、男は情熱の炎!炎の鎧通し使い五澄・草麻。早速明日からご鞭撻お願いします!」


立ち上がり、後ろで飲んでいる二人にそれぞれ手を伸ばす。

だが、その両手は呆気なくすかされた。ジャブ並みの速度で出したんだがそこは準二級冒険者、危険察知が伊達じゃない。


「悪いな、ソウ。俺如きが人にモノを教えるなんて出来ねえと思い知ったばかりだ」


しんみりとおっさんは言う。


「すまないソウマ君。僕の本職は鍛冶師だ。君の望む技術は教えれないよ」


視線を伏してクロスさんは言う。

この二人マジで役に立たないんですけどーー!!おっさん、狂戦士は何処言った!クロスさん、憧れのシルフィーアさんが其処にいるよ!眼を逸らすのは止めて!視線を彷徨わせるが、皆が皆無関心を装っている。四面楚歌どころの話じゃない、全員が敵だ!


「それで、草麻。もちろん君は風を選ぶだろう」


空気で解る。俺の首下には無映の刃が掛っている。ぼこぼこにされた経験が敏感に察知した。


「草麻よ。主人の命であり、お主自身の意志も土じゃよなあ」


気配で判る。俺の足元には準備万端の槍が居る。今更の過去が鋭敏に捕えた。行きは良い良い帰りは恐いどころの話じゃねえ。進むも地獄引くも地獄、ここは地獄の何丁目って話である。遺書くらい書きたかったなあ。


「俺は………」


ごくりと生唾を飲み込む。緊張の一瞬を超え、出た答えはこれしかなかった。


「風、土、両方覚えます!!!」


正しく一か八かの出たとこ勝負。お二人の返答は如何に!


「へえ……」

「ほう……」


豪雪なみの冷たさでした。

もはや、出来ることは納得することだけ。空気が魔力に犯され悲鳴を上げる、変質した世界はもはや魔界じみた異空間。片や伝説、片や魔狼。天災さながらの暴威に、矮小な人間一人如きが何を出来るというのか。ああ、諦める事は一種の強さなのだと俺は悟った。悟りたくもなかったが、ドッカン。




星の光すら届かない曇天の空。

街灯だけが道を照らす唯一の光源だ。その淡い光が照らす煉瓦造りの歩道を一人の女が歩いていた。


指揮者を彷彿とさせる燕尾服を纏い、アップスタイルに纏めた黒髪は烏の濡れ羽な艶やかさがある。怜悧な雰囲気を宿す女は美女というよりは美貌の女だった。


その女の先には一人の男が見える。男は女が近づくと、躊躇う事無く女に声を掛けた。


「久しぶりだな」

「ああ、そうだね」


女は男の言葉にそれだけ返すと、変わらず歩みを進める。男は女の隣に移動するとそのまま女の歩調に合せる様に歩きだす。


その男を一言で表すと大樹であった。

長身でありながら体に揺らぎは無く、顔には年輪の様な深い皺が刻まれているが、決して老いを感じさせない瑞々しい力強さを感じさせる。不動であり泰然、それでいながら穏やかさを併せ持つ大樹。それが男の印象だった。


「珍しいな。お前が随分と長い事留まっている」


「私とて流れてばかりではいられない。お気に入りが現れたら気には掛けるさ」


寒風染みた低温の声にも、男は動じることなく言葉を返す。


「ふ、そうか。あの少年はお前の眼に適ったか」

「ああ、お前の様な朴念仁とは一線を画す」


初めて女の言葉に微かな温度が灯った。余人には判らぬ変化を感じ、男は微かに表情を変えた。


「それは興味深い。差し支えなければ教えて貰えるか」


静かだが明確な男の問いに女は口角を上げた。

まるで良くぞ聞いてくれたと言わんばかりの表情だった。男はその笑みを見て、気づかない程度の、普段の男にとっては最大級の驚きで、眼を見開いた。いよいよもって珍しいこともあるものだ。女は男の反応を見て、楽しそうに流れる様に言った。


「ああ、何せ私の教えを理解してくれる」


嬉しそうな響き、言葉の内容、女の答えが浸透しきった時、男は今度こそはっきりと笑った。


「はははっ!!」


豪快に雄々しく男は笑う。

女の教えを流す訳でも、諦観するでもなく、受け入れるとは。狂人には反応を示さない女が気に入った以上、少年はまともだ。まともな癖に納得するとは、中々良い不合理さなのだろう。しかし、対象もそうだが、何より女の声色が意外であった。


女は突然の男の笑いにも意を介さぬ様に歩みを進める。

やがて、男が笑いを収めた頃には女の姿は消えていた。それに男は何事も無かった様に空を見上げると、分厚い雲を押し流す風の行く先を見た。その双眸には月が映されていた。


「どうなるか」


呟きは風に消えた。

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