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狼浪奇譚  作者: ただ
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エレント7 / おしおきだ

蜘蛛の巣に掛った様に店内は緊迫していた。

準二級冒険者の肩書を持つクロスも、狂戦士と呼ばれるディートリヒでさえも、シルフィーアの放つ圧倒的な存在感に息を呑んだ。


判ってしまったのだ。

たった一回見ただけで、その空気に触れただけで理解した。眼前にいる女は慮外の化物。呼吸をする手軽さで、指揮棒を振る気軽さで、此処にいる全員を殺せる外れた存在なのだと。


足元は薄氷に覆われ、間違った一歩を進むだけで奈落に落ちるに違いない。先程までの姿勢、椅子に座った状態から皆は動けなかった。立っているのは草麻とディートリヒだけ。慎重に行動をというのが皆が共有する思いだった。だが、一名だけが地に足を付いていた。否、薄氷だと感じてすらいなかった。


「お久しぶりですね、シルフィーアさん。どうしたんですか?あ、一緒に飲みます?」


軽い声と言葉、柔らかな笑顔は知人に向けるそれだ。

その笑みと言動にその場の全員が凍りついた。間違いなく草麻は踏み抜いた。薄氷を粉砕し、虎の尾を踏んだ。もはや、怒鳴る気にすらならない。干乾びた呼吸だけが許された行動だった。シルフィーアは唇を曲げると言った。


「ああ、折角来たことだしね、頂こうか。だが、その前に」


そよ風が皆の頬を撫でた。

はっと気付いたらシルフィーアは草麻の直前に肉薄していた。感知不能なそれは草麻の踏込みに酷似している。シルフィーアは草麻に視線を向けると


「おしおきだ」


唄う様に楽しげに、理解出来ない言葉を口にした。

シルフィーアは自身の肩口を草麻に密着させると、踏み込んだ。それは靠撃。草麻がディートリヒに与えた攻撃である。かっと草麻の肺から空気が強制的に排出された瞬間に、シルフィーアはふわりと穏やかに、圧倒的な速度で連撃を繰り出した。


拳だけではなく、肘、膝、甲すら使い、シルフィーアは草麻を痛めつけていく。無抵抗にやられる無慈悲な光景を見て、漸くヒメとディートリヒが覚醒した。知らぬ内に掛けられた重圧の魔術を気迫で破り、シルフィーアに吶喊する。


威圧が解けたのを感じ、一瞬シルフィーアの顔が歪んだ。

意外というよりも、舌打ちすらしそうな、面倒そうな表情だった。シルフィーアの内心はともかく、ヒメは瞬時に魔術を編み、ディートリヒは躊躇う事無く腕輪型の収納魔具から戦斧を取り出した。


それは僅か一拍の合間。

奇襲、不意打ちという点に於いて十分合格点を得れるレベルである。だが、それ程のスピードでさえ、


「ふう」


シルフィーアの柳眉を動かす事は出来なかった。

無詠唱ですらない意志だけの重圧魔術が放たれる。ヒメが編んだ魔術は霧散し、戦斧は宙空で止まった。肉体は金縛りにあったように動かない。それはもはや重圧魔術を超えた拘束魔術。世の常識こそ非常識と言わんばかりの自己中心的な出鱈目さ。それを可能にするのが特級冒険者、生ける伝説である。


そんな一級冒険者ですら遥か届かない隔絶した実力差を目の当たりにし、狂戦士は嗤った。


それは歓喜の笑み。

それでこそ頂上。それでこそマスターの渾名を持つ存在。

此処に来て恥ずかしながら全てが整った。戦う心構えが、肉体の備えが、漸く整った。


気圧された。そうだ。

威圧された。そうだ。

死ぬぞ。そうだな。


狂戦士は鍛えた肉体を隆起させ、練磨した魔力を加速させた。

脳裏には走馬灯が奔り、経験から打破する術を模索する。しかし、闘争に明け暮れた人生でさえ解決策は一つも出なかった。


だが、それがどうしたというのだろう。

あの時も、今この時も出来る事は変わらない。全力を出すそれだけだ。恐怖に騒ぐ本能を理性で蹂躙する。最期の相手が特級冒険者、何て名誉。何という幸運か。細胞が勝鬨を上げた。


さあ、行くか。


狂戦士は全ての戒めを打ち破ると、高らかに吼えた。



頭の中は疑問符だらけだ。

何故、此処に性悪女が居るのか。何故、今現れたのか。全く以て理解出来ない。その時までの猶予はまだあった筈だ。早まった?見放された?疑問が脳内を駆け巡りるが、不意に思う。関係ないなと。


その時が今だろうと、例え放棄されたのだとしても、それこそどうでもいい。


その男は従者なのだ。

自慢できる程優れた従者では無い。顔立ちは粗暴で性格は軽薄。何より主人に敬意を払わない。


だが、それでも奴は言ったのだ。生きていて欲しいと、命を捨ててくれたのだ。


脆弱な狼一匹のために、あの男は伝説に挑んだ。その想いを無視する事など出来る筈がない。


何より、従者が主人を守る存在ならば、主人が従者を守るのも道理だろう。


性悪女の真意は読めないが、それでもこの女はあっさりと人を殺す存在である。見過ごせる訳がなかった。


精神の荒ぶりに金の瞳が縦に裂け、ざわりと髪が逆立つ。魔力の迸りが心地良い。魔狼は唸り吠えた。


「がぁああ!!」

「あぁぁああ!!」


咆哮が店内にこだました。

狂戦士の剛腕が唸り、魔狼の魔術が奔る。瀑布染みた戦斧と空間を弾いた衝撃波は、ワンアクションながら凄まじいものだ。その迫る暴力にシルフィーアは、悠然と一言だけ零した。


「散れ」


紡いだ言葉は言霊である。

春風の様な爽やかな魔術は、戦斧を受け止め衝撃を解放させると、そのまま両者を弾き飛ばした。小柄なヒメはともかく、ディートリヒの巨躯でさえ容易く吹き飛ばした風は、魔風そのもの。


その風は両者に激突した瞬間に意識を消し去さる程の衝撃を有していた。

だらりと糸の切れた人形が飛ばされる。受け身すら取れずに両者の体は同じように壁に激突した。


覚悟が宿った瞳からは意志の光が消え、磔にされたように体は指一本すら動かない。掃いて捨てるという言葉通りの有様である。それは一合すら交されない、余りにも呆気ない結末。幕間と言うにも短すぎる結果だった。


いかな気迫もいかな気概も、絶対的な実力差の前では全くの無力。痛ましい程の現実がそこにはあった。


事実、その児戯の様な戦闘行為自体、草麻は気付きすらしなかった。

感じたのは不謹慎ながら怒声だけ。それすらも空気の震えで声と認識していない。むしろシルフィーアの一言の方が余程明確で鮮明だった。


これは、カクテルパーティー効果を超えた圧倒的な集中力の弊害だろう。

今、草麻はシルフィーアに全身全霊を傾け、周囲には絶望的な程無関心となっている。この周囲の気配全てを断絶するという姿勢は、他はシルフィーアが対処してくれるという確信であり、信頼に似ていた。


ヒメとディートリヒを払いなお、シルフィーアの肉体は止まる気配を見せない。

草麻の肉体がずた袋の様になり始めても、彼女は動きを緩めない。もはやリンチ染みた光景は陰惨を通り越して無惨だろう。


だがと、クロスやセリシア達は目を背ける事はしなかった。

それは矜持や誇りといった精神の高さでは無く、単純な疑問からだった


「何で……」


そうして、皆の気持ちを代弁するような呟きがセーミアの口から零れた。

眼前の光景がまるで理解出来ない。真向から非道い暴力を受け、何故草麻は微笑んでいるのだろう。草麻の表情は痛みが快感という倒錯的な物では無い。もっと幼く、まるで未知のモノに触れ、ワクワクしている子供の様な純粋な笑みに見える。同じようにシルフィーアも、口元を微かに緩めているのが見えた。


何故だろうか。もはやボタンを掛け違えた様な些細な違和感どころではい、自分達の認識こそ間違っている様な、場違い染みた居心地悪さ感じる。その上で、当事者二人は完全無欠に自分達の世界に入っているのだ。


狂戦士と魔狼の渾身の気迫に気付きもしなかった草麻、その両者を邪魔な羽虫扱いしたシルフィーア。


もう、嫌が応にも気付くしかなかった。自分達は部外者なのだと。

そう想った瞬間、体の重みが取れた。始めにそれを感じたセーミアがおそるおそる動くが、シルフィーアは予想通り無反応だ。


その事実に、まさかと思い、けれどと反芻する。

そして、いやいやながらも納得した。シルフィーアは五澄草麻にしか興味が無く関心を向けていないのだと。二人の逢瀬を邪魔しない限り、彼女は矛先を向ける事はないのだと。


薄氷を踏み抜いたのはヒメで、虎の尾を踏んだのはディートリヒだ。

草麻は初めからある意味安全地帯に居り、重圧はただ邪魔するなという威嚇に過ぎない。それが強過ぎたから過敏反応してしまっただけ。


そのあんまりと言えばあんまりな事態に、かくんとセーミアは珍しく気が抜けた様に肩を落とした。勝手にして下さいと心中で呟くと、ビールに手を伸ばしそまま呷った。もう、やるせなさで一杯だった。



凄えなあ。

シルフィーアの連撃を受けながら草麻は感動していた。靠撃からの連撃は草麻がディートリヒに使おうとしたモノ。手加減しているのだろう。正直威力だけなら自分が使った攻撃の方が上だ。


けれど、注視すべきは速度。

筋力と身体操作だけでは有り得ないスピードで襲い掛かってくる。今まで自分が練磨して来た技術とは余りに異質。魔力という力だけでも壮絶なインパクトあったのに、それ以上があるとは。


強いて言うなら銃火器の創成期にいきなり回転式拳銃を披露された様な驚愕感。それは強くなる為の先を明確に指し示す羅針盤である。草麻が観応を全開にし、シルフィーアの技術に没入するのは当然だった。


その暴風の最中、魔力の基礎をひたすらに鍛錬した成果だろう。

草麻は、火縄式銃から火打ち式銃、そこからライフルを経て回転式拳銃へ移行していく過程を理解し始めていた。シルフィーアの言葉を感じ読み取る草麻の技量も図抜けているが、文字通りそこまでの道程を叩き込むシルフィーアの技術こそ驚嘆に値する。


そう、シルフィーアの一撃一撃は確かに語っているのだ。

この伝達、変換、配合こそが魔力特性を引き出す肝なのだと。草麻はシルフィーアの一言一言に困惑し、同時に納得していく。これこそが魔力特性だと。


ああ、と。草麻は自身の無知さを恥じた。

自分は魔力というものを全く理解していなかった。魔力による筋力等の肉体能力増幅というのは側面の一つに過ぎないのだ。魔力は魔術という異能を成す様に、特性を用いればそれに特化した動きが可能になる。


おそらく、風の属性は速度。

幸い自分は全属性持ちのフルバランス。参考にするにはもってこいだ。草麻は柔軟に貪欲に筋力操作という常識を破壊し、魔力という新知識を柔軟に貪欲に吸収していく。今この瞬間を絶対に逃す訳にはいかない。一秒、一撃、一動作に集中していく。この時、草麻は一つの事柄を除き放棄した。それは無邪気過ぎる情念だった。



殴られ始め早十分。

ヒメとディートリヒを置いて周囲は酒盛りを再開していた。何せ特級冒険者が此処にいるのだ。それだけで話の種は十分だし、そもそもクロスはシルフィーアを目指している。持って来た袋の中身の感想をぜひ聞きたい所だ。


そんな外野を無視して、草麻の動きに変化が現れた。

シルフィーアの間隙に反応する様に、打ち込まれた風の魔力を循気で喚起すると、雲流で身体に流していく。草麻は自然に、そのまま魔力に身を委ねた。最高の教本に加え実技まで教えてもらったのだ。これで出来なければ嘘だろう。


草麻はギアを変えるとアクセルを目一杯踏み込んだ。

燃調が施されたキャブレターは、最適な混合気をエンジンに供給すると肉体を疾駆させる。それこそが兆し。疾走する魔力、草麻の雰囲気のぶれを感じて、シルフィーアは笑みを深めた。別れて半月経つが魔力の基礎を疎かにする愚行していなかったらしい。


そう、五澄草麻の要は愚直なまでの基礎の反復だ。

だからこそ、ちょっとした切欠を与えてやれば、化ける。変貌という程大きな変化では無いが、努力に見合う進歩を遂げるのだ。これが、意外な程おもしろい。それは創造する楽しみに似ていた。


「良いけど、甘いよ」


言ってシルフィーアは拳を草麻に振るう。

草麻の特性変換はまだまだ未熟だ。片鱗こそ見せたが、神経が波打ち伝達が滞るようでは完璧な特性変換とは言えない。その歪みを、シルフィーアは鎚の代わりに拳で叩き直していく。常人ならとっくに気絶しているか、嗚咽を上げ懇願する程の暴力はまるで容赦が無い。


事実、草麻の口からは血が流れ、肉は軋み骨が鳴いている。

その傍から見れば痛めつけているだけにしか見えない光景だが、二人にしか判らない温度が、確かな暖かみがそこにはある。そんな異様であり異常な語り合いが草麻とシルフィーアの関係を如実に表しているようだった。

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