エレント4 / んん……!?
「おいおい、本気かおめえ」
ディートリヒは呆れた様に笑った。
楽しげに頭をかき、眼前の青年に視線を向ける。青年も笑っていた。戦闘に酔った哂いでは無い。朗らかな年相応の柔らかな笑みだ。とてもではないが戦闘続行するとは思えない。
だが、少女の声を聴き立ち上がったという事は戦うという事だ。
それは回避した死に再度向き合うという事に他ならない。草麻は口元を苦笑に変えると軽く言った。
「俺は何時だって本気だよ。何より怖い怖い主人が来ちまったからなあ。気楽に寝てられん」
「はっは。大変だな、お前も」
「しょうがねえさ」
それは納得であり諦めた表情でもあった。
草麻は鎧通しを鞘に納めると後帯に差した。その収める行為にディートリヒは怪訝な表情をするが、謎は直ぐに解けた。草麻は何時もの構えを取っていた。それは鎧通しを持って居ないだけで先程の焼き直しだ。
「負けるなと言われた以上、無様は出来ないからな。おっさんには悪いが付き合ってもらうぜ」
それは挑発。
魔術・武具を使わない徒手空拳ならば、狂戦士にすら負けないという誘いである。ディートリヒはにい唇を曲げた。楽しくて楽しくて仕方ないという愉悦に満ちた表情だった。
「はっはっ!!しょうがねえなあ。若輩相手だ。付き合ってやるぜ」
笑い、ディートリヒは野太い声で応えた。
さり気無い動作で鎧を脱ぐと、そこには歴戦の勇士の肉体があった。火山の様な爆発的なエネルギーがそこにはある。
対する草麻も既に上の道衣は脱いでいた。
眼前の巨躯に比べると小さな体だが、内包するエネルギーは決して見劣りしていない。何より先程受けた肩の傷が既に塞がりかけている。未だ血は流れているが、それも後僅かで収まるに違いない。主人の魔力による後押しはあるだろうが、それでも桁外れの治癒能力だ。
それを見てディートリヒはさらに唇を歪めた。
ぎりぎりと引き絞られた笑みは野獣のそれだ。仮に獣に理性があるのならおそらくこういった表情になるのだろう。
ディートリヒの裡に呼応する様に草麻も笑みを造った。
それはぎこちなさの残る笑みだったが、それでも期待させる不思議な雰囲気がそこにはあった。
「ほんじゃまあ」
軽く草麻が言う。
「第二ラウンド開始だ」
太くディートリヒが応えた。
両者弾かれた様に飛び出した。
打撃音が絶え間なく響いている。
肉体と肉体のぶつかり合いのみが奏でる武骨な音。ぐち、ともめき、とも聞こえるそれは、余りにも凄惨で雄々しいものだ。
台風の様に剛腕が唸り、稲妻の様に蹴撃が奔る。
巨躯の男は太い笑みを浮かべ、中肉中背の青年は朗らかな笑みを浮かべている。まるで酒宴の最中、盃を交わし互いに自慢話を聞かせ合っているようだ。
青年の拳が男の頬に突き刺さる、
男は笑った。
男の膝が青年の腹を貫く、
青年は笑った。
男が太く強く拳を握った。
青年が優しく強く拳を握った。
肉が軋み骨が鳴く、痛みが脳髄を焼き、疲労が肉体に絡みつく。
荒々しく野獣の様に視線を交わし、拳を足を肘を膝を繰り出していく。互いに浮かべるのは笑み。痛みと疲労の先にある戦いでのみ得られる光悦だった。
それは、二人だけの時間と空間。誰も入れない聖域だった。
ふと、導かれる様に眼が覚めた。
慣れ親しんだこの感覚は疲労困憊の末に倒れたからだろう。寝ぼけ気味な意識を循気で叩き起こすと、体をベッドから引き起こした。その際、体中から鈍痛が走り思わず顔をしかめる。肉体の奥から響く様な痛みは、切り傷では無く打撲からくるもの。
全く、ぼこぼこにしすぎなんだよ、おっさんの馬鹿野郎が。
心中でディートリヒのおっさんに文句を垂れつつ、周囲を見渡した。ベッドを囲う様に白いカーテンが引かれ、微かに空いたカーテンの隙間から薬品棚が見える。ついでに俺の服も白い簡素な服に変わっていた。
まあ、間違いなく協会の医務室だろう。
そこに思い至ると、はあと意図せず大きな溜息が漏れた。壁に叩きつけられた後、武器を使わない肉弾戦の殴り合いになった事は覚えているが、そこからの記憶が酷く曖昧である。
ただ、俺がここにいる以上、俺はぼろくそに負けたのだろう。
本当、嫌になる。命があっただけ儲けものと考えるべきだろうが、でもやっぱり勝ちたかった。というより認めて貰いたかった。けど、この有様じゃあ無理だよなあ。
はあと、もう一度溜息。
ていうか俺は冒険者になれん訳だ。最終手段は出来る限り使いたくないし。折角フレルさんにチャンス貰えたのにこの有様である。本当どう顔向けしろというのか、フレルさんはもとよりヒメにも顔合わせれねえよ。ああ、まじでどうしよう。また、溜息。やばい、また幸運が逃げた。
「本当、どうすっかなあ」
ぼやき、ベッドから下りる。
とりあえず、起きた事を誰かに伝えようと、近くに置いてあったスリッパを履きカーテンを開けた。広くなった視界には予想通り医務室らしい光景が映り、より一層痛めつけられた事を実感した。
と、不意に医務室の扉が空くと、気怠そうな女性が見える。
肩口で切り揃えられた藍色の髪に理知的な瞳、ボンキュボンのナイスバディを白衣に包むその姿は正しく女医さん。咥え煙草に、どこかだるそうな雰囲気があるがそれすらも魅力的。ならば、やることは一つ。
「草麻・五澄です。治療して頂きありがとうございました!!」
元気溌剌に自己紹介だ。
勿論、手は勝手に握ってるけどね。ともかく、女医さんは一瞬目を見開くと口角をほんの僅かに上げた。それを見てなんか嫌な気配が背中に走る。
これは、なんつうかマッドな気配だ。
脳裏に過去のトラウマが走るなか、女医さんは口角を上げたまま、ゆるりと胸元の握られた手に顔を持っていく。何をと思う暇もなく、女医さんは咥えた煙草の火を俺の手に押し当てた。
ジュっという嫌な音が聞こえるのと、過敏な熱が脳に伝わるのはほぼ一緒。普通なら熱さで手を放すだろうが、この五澄草麻、これ位の痛み程度で手を放す程軟じゃないのだ。手を握ったまま、いっそ清々しい程の笑みを顔に浮かべながら女医さんに聞く。
「すいませんけど、お名前教えてもらっていいですか?」
「ふむ。二十点だ」
女医さんが口を開いた時、首筋にぞわりと嫌な気配が膨らむ。
気付いたら手を離し、一歩間合いを開けていた。
「訂正。七十五点だね」
離れた俺を見て、女医さんは指先に灯った火で消えた煙草に火を点ける。
余裕のある仕草がなんとも絵になる人だ。多分だが、女医さんは自分は熱くない火で俺の手を焼く気だったんだろう。それを回避したので点数が上がったと。うーむ、後二十五点はどうっやたら上がったのか。燃やされた方が良かったかなあ。
女医さんは何事も無かった様に、俺の横を素通りすると奥にある机の椅子に座った。紫煙を吐いて一言。
「危急とはいえ、女からそんなに早く離れるのはいただけない」
成程、勉強になる。
女医さんはぎっと背凭れを鳴らしながら、こちらを向くと漸く俺の質問に答えてくれた。
「私の名はアルク・エンヤードだ。まあ、アルクでいい」
アルクさんか。
脳みその美女フォルダに保護付きで書き込んでいると、アルクさんの視線に促されるまま、対面の簡素な丸椅子に座る。
「ありがとうございます。ところで、俺の短剣ってどこありますかね」
当たり前だが俺の鎧通しはベッドに置いて無かった。
今では後帯に差すのが当然になっているので、軽い腰回りが何とも心許ない。
「ああ、その短剣は君の主人が持っている筈だよ。大事そうに持ってたから間違いないだろう」
「そうですか。それで、フレルさんとかどうしてるか知ってます?」
「君の主人と一緒に食事中だよ。ついでにクロス達も一緒だね」
食事中か。
あれから何時間位たったかは知らんが、壁に掛った時計を見ると十二時過ぎ。丁度飯時である。その席で俺どんな事言われてんのかなあ。むしろ、何も言われてなかったりして。まあ、いいか。
「了解です。それで、俺の事フレルさん何か言ってました?」
まあ、全然よくないよな。
「いや、特に何も言ってないね。ただ心配はしていた」
「そうですか」
「それより服脱いでくれるかい」
「え?」
「診察だよ。君の回復力には驚いているが、まがりなりにもあの狂戦士と戦ったんだ。医者である以上、診察位はするさ」
「あ、了解です」
アルクさんの言葉に反射的にズボンを脱ごうとした俺はわるくない筈。
いや、綺麗な女医さんから診察って聞いたらこう、ドキッとするよね。しかも誰も居ない医務室。もう、わくわくするな。
「十点だ」
氷点下の眼差しが逆に胸を熱くした。
何はともあれ、診察は無事終了した。
髪型がアフロっぽくなっている以外は特に異常も何も無し。全身打撲と各関節に軋みはあるが、安静にしていなさいで終了である。ハッスルタイム突入は出来ませんでした。
ともかく、魔術を使った診察が終わるとアルクさんは煙草に火を点け紫煙をくゆらせる。ぎっと艶めかしく背凭れに体を預ける仕草が何とも色っぽい。ふうと煙を吐き出すとアルクさんは口を開いた。
「しかし驚いたよ。普通なら全治半月はかかるところが、もう治っている。君は本当に人間かい?」
「種族的には間違いなく人間ですが、まあ慣れですよ」
「慣れでここまで回復するなら大したものだ。無駄が一切ないしなやかな肉体を含めそうお目に掛れない。魔力頼りで筋力を疎かにしている奴らに見習わせたいものだ」
診察中やたら体を触ってくると思っていたら、そういう理由だったのか。
ヒートした俺が馬鹿に思えて来るな。まあ、いいけどね。脱いだ上衣を着ながらアルクさんに言葉を返した。
「師匠が嫌になる位に仕込んでくれましたからね。そう言ってもらえて光栄っすよ。それで俺はもう出て行った方がいいんですかね」
「そうだね。怪我人、病人ならともかく君は驚いた事に健康体だ。医務室にいる必要はないだろう」
アルクさんはそこまで言って言葉を切ると、ふと時計に視線を送った。
「ただ、もうすぐ君の主人やセーミアが戻ってくる筈だ。それまではゆっくりするんだね」
「ありがとうございます。それで、少し聞きたい事あるんですけどいいすか?」
「構わないよ」
「それじゃあ、俺ってどれ位寝てたんですかね」
「ざっと丸一日位だね。君が緊急医療室に運ばれたのが昨日の昼過ぎ。容体が落ち着き此処に来たのが夜中で、君はそこからずっと眠っていたよ」
一日か。それは想定範囲内だが、何か聞き捨てならない単語が入っていたな。
「すいません。緊急医療室って、俺そんなにやばかったんですか?」
アルクさんは俺の言葉に、ピクリと眉を揺らすと大袈裟に溜息を吐くように紫煙を吐いた。何つうか、もしかすると怒らせたか。
「零点だ」
拙いな。とうとう最低点数を取っちまったぜ。
アルクさんの切れ長の目の奥が鈍く光り、氷点下どころか絶対零度の視線に貫かれる。どうやら、俺は相当危険な状況だったらしい。記憶が飛んでいるから全く実感は無いが。ややあり、アルクさんが口を開けようとした時にノックの音が聞こえた。
「アルク先生。セーミアです」
あらあ。
何か拙い予感がひしひしとし始めた。アルクさんが何か言う前に立ち上がると、小声でアルクさんに言った。
「アルクさん。急に体調悪くなったんでしばらく寝てます」
くるりと踵を返しベッドに向かう。
意気込みカーテンを開けようとすると、背後でアルクさんの声が響いた。
「セーミア、早く入って来い」
失礼しますと、がちゃりと開く扉。
何時も通り柔和な笑みを浮かべたフレルさんと目が合い、次いで視線が下がる。利発そうな瞳が凛々しい主人と目が合った。ヒメの視線が加速度的に鋭くなり、俺はたまらず口を笑みの形にする。不格好なそれは見事なまでの愛想笑いに成って居る筈だ。ヒメも釣られ嗤う。もとい笑う。
「草麻。大丈夫か?」
凍える吐息が背筋を冷やし、脂汗が背中を濡らす。
たった一言にここまで殺気を伴わせるとは、流石だぜ。
「あ、ああ。大丈夫だ。わりい、心配させたな」
「ああ、本当にのう」
にこりとヒメが笑う。
だが、行動が全く笑えない。ヒメは手に持った鎧通しを抜き放つとそのまま上段に構える。ぎらりと鎧通しが光りヒメが肉薄した。鋭い呼気が漏れるのと白刃が大上段から振り落とされるのは同時。煌めく軌跡を気合で見切ると頭上で手を合わせた。秘技、真剣白刃取りである。
「このバカ者!!毎回毎回、何故お主は儂が居ない間に目覚めるのじゃ!!」
知らんがな!!
ていうかまだ二回目だろうが!!地面に着地し鎧通しを離したヒメはまだ全然言い足りないのか、ふうふうと息を荒げている。
「そも、お主は無茶をしすぎじゃ!!儂も負けるなとは言ったが、あそこまでやれとは言っとらんわ!!このバカ者が!!」
びりびりと怒声が室内に響いた。
なんつうか、居た堪れない気持ちになり視線を泳がせると、セーミアさんが見えた。ポーカーフェイス染みた笑顔が痛い。ふと背後をちらみするとアルクさんも厭らしく口角を上げるだけだ。なんつうか、マジで凄く居た堪れない。
「病室では静かにと言いたい所だが、今は誰も居ないし、その娘の言う通りだ」
さらりと口を開いたのはアルクさん。
気付いたら医務室には、ヴェルンデさんとエークリルさんも見える。じっとりとした視線の数が何とも痛い。それを判っているのだろう、アルクさんはさらに言葉を続けた。
「何せこの男は、自分がどれ程危険な状態だったか知りもしないと言っていたからな。正しく零点だよ」
二度目の零点が入りました。
というか、嫌な予感がばっちり当たりそう。何せ目線を戻すとヒメが俯いていた。んで、綺麗な銀髪が波打っていた。助け船をと室内を見渡すが、フレルさんはニコニコと、ヴェルンデさんは合掌、エークリルさんは溜息、アルクさんは煙草をと、全く役に立ちそうにねえ。本当、何しにきたんじゃ!
ごくりと生唾を飲み込むと、冷静にクールに落ち着いて現状打破の言葉を選ぶ。ここが決死点か。
「俺は不死身だ」
返答は腰の入った右フックでした。
そもそも魔力というのは生命力と言っても過言では無いらしく、魔力が完全に空になるというのは珍しいそうだ。普通なら最低限を残し強制的に意識が落ちるらしい。また仮に火事場の馬鹿力で魔力を使い切ってしまうと、呼び水が無くなると言えばいいのか、回復するまでに時間がかかるのが通説との事。
さっきはさらっと流してしまったが、全治半月というのはこれを計算に入れた期間だったようだ。ただ、基本的に毎日の様にリミッター外しを行い、筋力・魔力ともに空にする習慣がついている俺の身体は例外だったらしい。それを言ったらヒメ以外の皆からの視線が痛ましいものになったが、まあ、何事も慣れである。
ともかく、魔力が空の上に契約しているとはいえ他人の魔力で戦うこと自体ナンセンスで、俺の行った事はハイオク専用の車にレギュラーのガソリンで走ったような物らしい。移植手術も他人のモノは基本使えないので、納得と言えば納得である。
それで、そんな状態のくせに狂戦士と殴り合いを行えばどうなるかと。
記憶が曖昧なので微妙だが、俺の野袴は真っ赤になり、最終的にはヒメ達の横槍で強制的に仕合は終わったらしい。当然俺は優秀な医療魔術師が常駐している緊急医療室に即搬送され、事無きを得たと。そのままだったら、間違いなく死んでいたらしい。あなおそろしや。
ともあれ、
「死ななくて良かった」
この一言に尽きる。いやー、やっぱ人間安全第一ですよ。
服装は何時ものに着替え場所は協会の食堂である。ヒメ達と合流した事でさくっと医務室から退場指令が出たからで、ついでに腹が減ったという俺の我が儘を聞いてもらったおかげだ。去り際のアルクさんのまた来たらいいという言葉が何とも怖いが、それはそれだろう。
個室タイプの部屋に通され、向かいにはヴェルンデさんとエークリルさん。俺の隣にはヒメとその隣にフレルさんが座っている。正直エークリルさん達は仕事があるのではと思ったが、エークリルさんが俺に質問があるらしく付き合ってもらえた。フレルさんは相変らずのニコニコ笑顔で大丈夫と言っていたので、よく判らん。
まあ、俺もヴェルンデさんに頼みがあったので丁度良かったが。
俺とヒメは適当に肉料理を頼み、他の皆は各々が紅茶やコーヒー等のドリンクを頼んだ。ちなみにヒメは連続である。
「本気で思っとるのか、お主は」
「当たり前だ。平和を愛する俺がそんな殺伐とした事思う訳ないだろ」
「さらりと嘘をつくでないわ」
「失礼な」
全く。
心外なヒメの言葉に返すと丁度、ドリンクが運ばれてきた。戸を空けドリンクを受け取りそれぞれに渡す。そのままウェイトレスさんの後ろ姿を見ているとヒメに殴られた。んで、ヒメはフレルさんから謎のでかい封筒を受け取ると、それをテーブルに乗せ俺の眼前に持ってきた。
「ともかくじゃ、草麻。これを見よ」
「あん?」
封筒から一枚の立派な紙を取り出す。
それには大袈裟な位に装飾が施され何の賞状だと言いたい程だ。その上辺には推薦状と書かれ視線を下に移していくと、草麻・五澄の冒険者として力を認め推薦する。準二級冒険者ディートリヒ・ベクターと書かれていた。
「んん!?」
目を擦り、もう一度推薦状と思わしき物に眼を通す。
推薦状
草麻・五澄の冒険者としての力を認め推薦する。
準二級冒険者、ディートリヒ・ベクター
どこからどう見ても推薦状です。どうもありがとうございました。
「ヒメ、何これ」
「何もこれも、推薦状じゃ。これを持って協会に通せばお主も晴れて冒険者の仲間入りじゃ」
いや、そんなざっくり言われてもよく判らんがな。
対面に座る準二級冒険者を見る。二人は視線を合わせるが何も言ってくれなかった。やはりThe説明者のフレルさんに聞くしかないか。
「あの、俺。負けましたよね」
「はい。負けましたね」
「何で推薦されてんすか?」
「やですねえ、ソウマさん。忘れたんですか、私は狂戦士と戦って生き残るだけって初めに言ってたじゃないですか。誰も勝てば何て一言も言ってないですよ」
「いや、確かにそうですけど。俺、凄え手加減されてたじゃないですか」
「はい?」
「魔力特性を使ったのは一回だけで後は普通でしたし、何よりおっさんは俺を殺そうと思えば何時でも殺せたでしょう」
そうだ。
俺は明らかに手加減されていた。魔力特性は使われず魔術の構成も記録より甘かった。何よりも壁に叩きつけた一撃で俺は詰まれていたのだ。あそこで上位魔術を使われるだけで俺は間違いなく死んでいた筈。こっちは全力での闘争だったが、向こうは遊び程度の力しか出していない。それなのに俺は狂戦士と戦ったと胸を張って言えるのか。言える筈が無い。
「俺にこれを受け取る資格があるとは思えないんですよ」
せめておっさんの全力の一端でも感じていれば素直に受け取ったかもしれない。
けど、あそこまで優しくされて受け取れる訳が無かった。
「ディークが言ってたよ。その推薦は手付金だって。もっと強くなって返せってさ」
あっさりと世間話する気軽さで言ったのはエークリルさんだ。
その言葉に、おっさんらしいと苦笑した。何というか、無駄に考えていたのが馬鹿らしく成るくらいの説得力。もう、強くなって、この一言で納得である。
「大人しく特例受けた方が安心ですかねえ」
「かもしれないね」
とは言っても推薦状を大事に胸にしまっては説得力も何も無いな。
それを判ったのだろう周囲の気配が和らいだのが判った。
「ところで草麻。お主特例とはどういう事じゃ」
ヒメが不思議そうに首をかしげた。
ああ、まじいな。言うの忘れてたというか、言うつもりも無かったしなあ。
「ん、何でもないぞ」
「草麻。主に隠し事とはいい度胸じゃな」
だよなあ。
怒気たっぷりの言葉に俺は内心で溜息を吐いた。
「いや、俺の鎧通しがシルフィーアさん謹製の魔具になってるていう話」
さらりとステーキ楽しみだなという位の気軽さで言ったのだが、やはりというか無理だった。ヒメは柳眉を吊り上げると眉間に思いっきり皺を寄せた。それは狼が威嚇する表情に似ていた。当然、他の皆さんは知らんぷりだ。ヒメの容姿に騙される様な人達でも無いしなあ。
「いつ知った」
「つい先日だ。ほらフレルさんにおっさん紹介して貰った後に、鑑定に出してたヴェルンデさんとこ行ったんだよ。その時にヴェルンデさんに教えて貰った」
まあ気付いたのはシルフィーアさんと戦った後手入れした時だが、価値を知ったのはその時だし。気にしない気にしない。
「それでは、お主は特例が利くと判っていて、わざわざ危険を冒したのか」
「まあな」
軽く言う。
ヒメはその言葉が気に喰わなかったのか、金の瞳の瞳孔が縦に裂け始めた。
「草麻。貴様は判っているのか」
弩級の殺気。
何で俺はこう駄目なのか。強く在ろうとする事で何かを零してしまうのか。それでも俺は止まれないのだろう。それでも
「判ってなきゃ出来ねえよ」
きりと刃が背中に刺さる感触。
うすら寒くなる気配は怒りと言うより哀しみだろうか、よく判らん。
その時フレルさんが何時もの笑みのまま、通路と個室を分ける戸に目を送った。タイミングばっちりだな。俺は戸をスライドさせると注文を持ってきたウェイトレスを招き入れた。
「お、お待たせしました」
若干の声の震えは、面子にだろうか、それとも空気にだろうか。前者だったら助かるんだが、どうだかな。机に置かれる俺とヒメの料理。それをヒメに渡すと、とりあえず食事を開始する事にした。
「いただきます」
興が削がれたのかヒメは不機嫌そうに食べ始める。
後で見てろという視線はもちろん無視。しかし、それである程度の固さは取れた。見計らいエークリルさんに出来るだけ明るく聞いた。
「そういえばエークリルさん。聞きたい事あるって言ってましたけど、何かありました?」
「ん。いや、そうだね。そのソウマが言えないなら良いんだけどね」
何となく、エークリルさんが言い淀むのは珍しい気がする。
他の皆も気になるのだろう、視線をエークリルさんに送っていた。やがて意を決したのだろう。エークリルさんは若干早口にその質問を口にした。
「あのディークに使った踏込みの技。どうやるのか教えてくれないかい?」
正直言うと驚いた。
エークリルさんが言う踏込の技というのは、おそらく炎を切った後やハルバートを止めた後の踏込みの事に違いない。
だが、質問するのが恥ずかしいのだろう。
俯き加減でもじもじと身を縮めポニーテールがそれに合わせて揺れている姿は、もうやばかった。こう男勝りな女の人が見せるこういう可愛らしい姿っていいよね。本当、グッとくる。けど、なあ。
「ああー、あれなんですけど」
食事の手を止め頭をかいた。
それを応えれないと思ったのだろう。エークリルさんは大きくかぶりを振った。
「いや、ホントに良かったらでいいんだ。ソウマが言えないんなら全然良い。その変な質問してわるかったね」
ついで、頭まで下げる始末。
そこまでされると大変申し訳ない。まあ、武技にしろ魔術にしろ秘匿のものは一杯あるだろうし、準二級冒険者のエークリルさんが、それをわざわざ質問したというのは正しく恥を忍んでという事だろう。
しかし、な。困った様に頬をかく。
俺が返答に窮す理由を判っているんだろう。ヒメは俺に意地悪く笑うばかりだ。
「いや、話すのは全然いいんですよ。ただ、聞いても多分意味ないですよ」
「良い!全然良い!」
がばっと顔を上げるエークリルさん。
なんつうか、隣で我関せずと紅茶を飲んでいるヴェルンデさんだが、鎧通しに関する貴方とそっくりだから。さておき、俺はエークリルさんに答えた。
「あれ技じゃないんですよ」
「へ?」
ぽかんと口を開けるエークリルさんには悪いが、あれは技では無いのだ。
そもそも魔力も無く、筋力と身体操作が基本の世界でエークリルさん等が求める技らしい技はないだろう。勿論、俺もミオスタチン関連で天性マッチョだった訳でもないし、縮地なんておもしろおかしい技は使えない。だからこそ
「あれは技でも無い、ただの踏込みです。もし、仮に技というならさっき医務室で言ったリミッター外しがそれですかね」
まあ、そうなんだよな。
リミッター外しは疾駆の速度こそ上がるが、エークリルさんが知りたい本質そこじゃないと思われる。知りたいのは単純な速度の上昇では無く、気付かない踏込みという事。だからこそ、俺の言葉にエークリルさんは納得がいかないのだろう、視線が強くなった。
「ソウマは技じゃないというけど、私達にとってはあれは未知だったんだ。気付いたら間合いを埋めていた。あのディークですら初めて感じたと言っていたよ。それなのに技じゃないと言われても信じられないんだよ」
「と言っても、あれはただの踏込みなんですよ。一日一万回とかを毎日十年近く繰り返せば嫌でも身に付く、意を無くしたただの踏込みです」
「はい?」
信じられない様な表情をされるが、そうとしか言い様が無いのだ。
細かく説明するなら、膝を抜くとか滑り足とか色々あるが、あの踏込みの根本は基本の繰り返しにすぎない。俺と戦闘スタイルが違うと思われるエークリルさんに、今更基礎の踏込みを教えるのも何か違うだろうし、結局は練習あるのみとしか言えない。この条件で一体何を教えろというのか。
「その、あれを身に付けたいなら、とにかく反復練習して下さいとしか言えません。強いて言うなら、意識を無くす事を意識しながら踏み込む事、ですかねえ」
とにかくだ、
いくら凡才でもそんだけ練習すれば気付かない踏込みは出来る様になる。ただ、それに時間をかける分、攻撃の練りが俺は甘いのだが。実際シルフィーアさんにも不意打ちだったが、踏込みまでは出来てもその後の刀撃はあっさり防がれたし、おっさんにも靠撃は躱されてるしなあ。理想の一つである無意識の攻撃までは程遠いというのが実情である。
話が逸れたが、エークリルさんには残念ながらこれしか言えない。
「意識して踏み込むから反応される。無意識なら反応されない。けど、無意識は難しい。だったら条件反射レベルまで、熱湯に手を入れたら引っ込めるレベルまで練習する。とまあ、そういう事ですね」
言って、食事を再開した。
エークリルさんはまだ納得いかなさそうだが、他に何も無いしな。種を明かした手品みたいなもんかね。ちょっと違うか。
「セリシアは納得いかんじゃろうが、丸一日倒れるまで踏込みの修練だけをしておる男じゃ。魔術を一切覚えとらん故の深みじゃろうな」
見かねたのか、ヒメがフォローしてくれた。
グレートグリーンで半年近く一緒に過ごしてたからなあ。俺の練習風景も見飽きたものに違いない。しかし、ヒメの言う通りだろう。この世界の人は魔術に時間をかける分か体術がそこまで練れていない。実際、あのおっさんでさえ戦闘技術はともかく体術が若干甘く感じられたしな。でなきゃ、わざわざ肉弾戦に誘う訳も無し。
「そう。正直残念だけど、教えてくれて感謝するわ」
「いえいえ。こっちこそ役に立てなくて申し訳ないです」
いや、本当に。
これで俺が教えれる技とかだったら、手取り足取り胸取りとうっふんあっはんの展開があったかもしれないのに。がっくりである。ともかく、気を取り直す様にヴェルンデさんに視線を向けた。
「ところでヴェルンデさん。ちょっといいですか?」
「なんだい?」
「防具の事なんですけど、良い手甲とかあります?」
「手甲かい?」
「はい、正直鎧通しだけじゃきつい事がわかったんで、せめて手甲だけでもあればと思って」
これはシルフィーアさんと戦った時から思っていた事だが、全身鎧は流石に難しいがせめて手甲は欲しいのである。ヴェルンデさんは考えこむ仕草をするとぽつりと言った。
「一口に手甲と言っても種類があるからね。ソウマ君としてはどういう種類がいいのかな」
「そうですね。手首の動きの邪魔にならない物で、後は袖に入りそうな細身で軽くて頑丈な物ですかね。とりあえず、丈夫ならいいですよ」
「判った。良い物を探しておくよ」
「ありがとうございます。それでお代とかはどうしましょうか?」
「そうだね。十万ギル位で見積もっておくから、用意が出来たら協会のメッセージに書き込んでおくよ。詳しい方法などはセーミアに聞くと良い」
「了解です」
クロスさんはセリシアさんに目配せするとゆるりと立った。
セリシアさんも頷くと同じように立ち上がる。残念ながら美女との楽しい食事はここまでのようだ。
「さて、悪いけど僕達はそろそろ行くよ。わるかったね、セリシアが時間取らせちゃって」
「とんでもない。エークリルさんの用事なら何時でも何処でも大歓迎ですよ」
「はいはい。それよりソウマ。私にしろクロスにしろ名前で良いよ。何時までも他人行儀じゃね」
「マジですか!んじゃセリシアさん。早速ですけど今度依頼一緒にして下さいよ!!」
「いいよ。と言いたい所だけど、せめて準三級まで上がってからだね。まあ、待ってるよ」
「しゃっ!!約束ですからね!」
俄然、気合が入ったぜ。
「あんまり長いと忘れるからね。早めに頼むよ」
ひらひらと手を振ってセリシアさんは立ち去った。
クロスさんとの立ち位置がまたしっくりくるのがこん畜生だが、名前までOKになったのだ、勝負はこれからである。
「それでソウマさん。早速冒険者登録されます?」
ふわりと優しげなフレルさんの声で本題に戻った。
そういえばそうだ。この推薦状がどれ程の効力があるのか知らんが、少なくとも俺は胸を張って冒険者になれるのだ。今更だがじわりと達成感に似た感情が胸に広がる。感嘆を込め言った。
「はい、勿論」
「判りました。食事が終わり次第行きましょうか。登録自体は夕方までやっているので、ゆっくりでいいですよ」
「了解です」
「それと、私の事もセーミアで良いですよ」
食事の手を止め、フレルさんに顔を向ける。
「いいんすか?」
「いいもなにも、ヒメさんは前から名前で呼んでますし、何より私とパーティーを組む人ですからね」
と、また良く判らない言葉が聞こえた。
ヒメも同感だったらしく、あのヒメが食事の手を止めてセーミアさんを見ている。これは、あれだ。どういうことだ?
「ん、パーティーすか?」
疑問をそのままセーミアさんに問う。
セーミアさんは、にこりと以前おっさんを紹介した時の様に、見惚れる様な完璧な微笑のまま、何でも無い事の様に言った。
「はい。実は私、協会の受付辞めてソウマさん達とパーティーを組むことにしたんですよ」
完了形だった。
って、ちげえだろ。そこじゃない。今重要なのは、受付辞めて俺達とパーティーを組むって事だ。完了されてるけどね!
もう、混乱した俺の口からはこんな間抜けな言葉しか出て来なかった。
「んん……!?」