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狼浪奇譚  作者: ただ
18/47

エレント3 / 五澄草麻(弐)

ディートリヒ・ベクター。

狂戦士の渾名を持つ準二級冒険者。ハルバート二刀流という異形のスタイルと一動作で発動する攻撃魔術を組み合わせて戦う魔術使い。冒険者になる前は一流の傭兵として名を馳せた過去がある。


彼を語る上で特筆すべき点は、戦闘能力のみで準二級という地位に就いているという事だ。冒険者というのは、未開の地を切り開く開拓者をさす。故に、必要とされる能力・技術は多岐に渡り、その総合力で位が上がるのが普通だ。


だが、彼は違う。ただ一つ、戦闘能力だけで準二級に登り詰めた。

探索能力が低い訳ではない、走破技能が乏しい訳ではない、決して冒険者としての資質が無い訳ではない。総合能力を鑑みれば二級冒険者か、もしかしたら準一級冒険者に成っているだろう。だが、それでも彼は戦闘能力に拘った。闘争にしか意識を向けなかった。栄光を目前にしながらも、彼は戦場に残り続けた。故に付いた渾名は狂戦士。死に狂った男への渾名だった。



広く丸い空間だ。

直径四十メートル程の円形状の空間は、高さ三メートルの壁に囲まれ、さながら古代ローマのコロッセオを彷彿とさせる。しかし、それも当然だろう。此処は冒険者協会の地下にある戦闘場である。戦う事を前提作られた空間だけに似かよるのは当然と言えた。天上を見ると、闘技場を囲う壁の上端から透明な薄い被膜がドーム形に闘技場を覆っており、外と内とを完全に遮断している。此処は完全に別世界だった。


闘技場には二人の男が対峙していた。

片方は白い道衣と紺の野袴を穿いている。武装は鎧通しと呼ばれる短剣を後帯に差しているだけで、命を懸けて戦うとは思えない程に軽装と言えた。黒髪で中肉中背の男は全身に漲る魔力を静かに循環させている。


対するは重厚な鎧を着こみ、その両手にはハルバートを握る偉丈夫。

褐色の肌に焦げた赤銅色の髪が、男をより一層逞しく見せていた。身長は二メートルを超え、軽装の男との身長差は軽く30㎝を超えている。紅い魔力を纏う姿は鬼を連想させた。


「イズミと言ったな。お前は死ぬ覚悟をしてきたか」


太く重みのある声で、ディートリヒは草麻に聞いた。

その言葉には試合を超えた闘争になる事を示していた。


「まあ、そこそこ。仕方ねえと思える位の覚悟は決めてきたよ」


草麻の声は飽く迄も軽い。

何時も通りの声色には緊張もなく誇張もない。戦鬼の前に立ちながら、草麻にぶれは無かった。シルフィーアとの邂逅が草麻の精神力を底上げしていた。草麻の顔立ちを見てディートリヒは笑う。それは、少年の様な朗らかな人懐こい笑みだった。その笑みを見て、草麻も同じように笑った。二人の男の笑みは戦闘前というには不似合とすらいえた。


「そうか、じゃあ気兼ねする必要は全くねえな」

「若輩相手なんだから、胸を貸す位で丁度いいと思うけどな」


草麻は鎧通しを抜いた。

鞘の鯉口を右手側にずらすと、何時も通りの右半身になる。前に出した鎧通し越しにディートリヒを観ると紅い魔力が揺れ動いたのが解った。


魔力はディートリヒの右手からハルバートに通わされる。

ディートリヒが気勢を上げ、右手のハルバートを地面に叩きつけると、魔術が発動した。土属性の基本的な攻撃魔術である『アースクェイク』だ。地面が盛り上がると、大地の槍が棘となって草麻に迫っていく。草麻は大地の槍を横っ飛びで危なげなく躱すと、眼前には火炎の濁流が迫っている。


ディートリヒの左の一振りは空間を焦がすと一直線に草麻に向かっていた。

直撃すれば、肌は焼かれ一瞬で塵芥になるだろう豪炎だが草麻はゆとりある動作で躱していく。大地と火炎の連続攻撃は威力は半端ないが、速度が無い。躱すだけならば左程難しい事では無かった。


だが、ディートリヒの本領は接近してからの削岩機を思わせる怒涛の連撃である。少なくとも短剣一本で攻略出来る程甘いものではない。さあ、どうする。ディートリヒは笑った。



闘技場を囲う観客席には三つの人影があった。

クロスとセリシアとセーミアの三人である。草麻の主人である銀髪の主の姿は見えない。その事が気になると言えば気になるが、草麻が仕方ないと苦笑していたのだ、三人は何かを言う事をしなかった。実際のところクロスとセリシアは野次馬でしかなく、何かを言う権利を持つとしたら仲介したセーミアだけだろう。そのセーミアが何時も通りの柔和な笑みを崩さなかったのだ。何も言える筈が無い。


「流石と言うべきか、やはりと言うべきか、やるね」

三対の視線の先は闘技場で舞う二人の男。その瞳には、豪炎と大地の槍を高速で躱し続ける草麻の姿が映っている。一撃でも致命傷になる攻撃を危なげなく躱し続ける草麻の技量は確かに強いと思わせるだけのものがある。だが、とセリシアが言葉を続けた。


「このままじゃ、何れ死ぬな」

「だね」


セリシアの言葉にクロスが同意する。

魔術を使えない草麻は接近してから攻撃するしか勝機は無い。だが、その為にはあの暴風に侵入するという事だ。それが如何に困難なのかは言うまでもない。骨まで灰塵に帰す炎と臓腑全てを貫く槍を超えた先は、命を吹き飛ばす竜巻が待っているのだ。そんなもの、考えたくも無いだろう。ならばと、セーミアが疑問を呈した。


「長期戦になりますが、このままソウマさんがディートリヒさんの魔力切れまで粘れたらいけるんじゃないですか?」


セーミアの疑問に答えたのはセリシアだ。


「いや、無理だね。ソウマは確かに上手く避け続けているけど、あいつの魔力消費量はディークよりも多い。魔力総量がディークより少ないソウマじゃ、長期戦になって困るのはソウマのほうさ」


ディークとはディートリヒの呼び名である。彼をこの名で呼べる少ない人物の一人であるセリシアを見て、セーミアは一瞬困惑した表情をするが、直ぐに疑問は氷解した。


「ソウマさんは、身体技能向上に魔力を全て傾けているんですか?」


「そうだろうね。はっきり言ってソウマのスピードは図抜けている。ディークは決して鈍重な戦士ではないのに、ソウマのスピードに追い付けていない。これが風の特性を活かしているのなら、まだ納得もいくんだけどね」


「けれど、ソウマ君は一切魔力特性を使っていない。使えないのかもしれないが、純粋な魔力と体術のみであの速度を出すには、魔力を全て注ぎ込むしかない。ソウマ君は全力疾走して戦っているんだ」


「全力疾走している側と普通に走っている方、どちらが長期戦で勝つのかは子供でも判るさ」


「じゃあ、今のままでは」


「魔力切れした瞬間に、ソウマは負けるね」


はっきりとセリシアは断言した。

そこには、準二級冒険者の顔があった。壮絶とも言える横顔を見て、セーミアは息を飲む。当たり前の話だが、これは死亡を前提とした仕合なのだ。セーミアは視線を周囲に配った。銀髪の少女の姿は見えなかった。




「じゃあな。ヒメ」

光が差さない暗闇の中、ヒメに背を向けながら草麻は言った。

これで何度目だろう。信じようとした者が背を向けて去っていくのは。始めは悲しかったし、裏切られたと怒りも湧いた。だが数が増えるにつれて、感情は平坦になっていった。慣れた事だと、ああまたかと思うだけになった。当たり前の事にいちいち感情を乱す必要は無い。今回もただその当たり前の出来事が起きただけだ。一方的な別離は彼女にとって日常だった。


意識が覚醒する。

ヒメが周囲を見渡すと、そこは闇の空間では無く、薄暗いホテルの一室だった。壁に掛った時計を見ると針は11時10分を差していた。草麻とディートリヒが戦うまで三時間を切っている。


舌打ちし、ベッドから出ると机の前に向かう。

机には昨夜と変わらずパスとメモが置いてあった。昨夜握りつぶし、皺がついたメモには戦闘場所と時刻、あとは一言頑張るとだけ書いてある。一体何を頑張るというのか、シルフィーアに会った時に狂戦士と戦った事を報告するつもりか、それともセーミアに好印象をつけたいだけか。もし、それだけの事であの男と戦おうとするのならば、余りにも浅はかすぎる。


「バカ者が」


時計の秒針の音が部屋に響く。

時間が否応なく過ぎていくのが、嫌でも判る。そう、後数時間で草麻は死ぬだろう。仮に死ななくても心が壊されるのは想像に難くない。それだけの実力がディートリヒにはある。それを草麻も感じ取っている筈だが、あの男は戦うと言った。


何の為に。

冒険者になるためか、モテたいからか、期待に応えたいからか。誰の期待を応えようとするのか。儂か?違うだろう。草麻はシルフィーアにも認めて欲しいと言っていた。何度も何度も思考がループする。それは出口の見えない迷宮の様だった。


一晩経った事で感情にぶれは無い。

力は封印されたままだが、一人で生きていけるだけの力は残っている。だから、人間一人が居なくなった所で何も変わる必要はないのだ。それなのに、何故自分は下を向いているのだろう。上を向けないのだろう。たかだか半年しか一緒に過ごしていない人間の男に何故拘っているのか。ヒメは不機嫌そうに舌打ちした。そんな判り切った事を考えてしまう自分の弱さが嫌だった。


ビーと機械音が部屋に響いた。

来客を告げるベルにヒメは怪訝な顔をする。交友関係が広いと言えない現状で一体誰が。ヒメは警戒しながらドアスコープを覗いた。広角になったレンズの先に居たのは、ある意味ヒメが一番会いたくない人物が映っていた。


「ヒメさん。食事でもどうですか?」


朗らかで柔和な笑顔を浮かべる、セーミア・フレルがそこにいた。




強えなあ。

本気で嫌になる位に強い。向かってくる攻撃は全てが致命の一撃。気を抜いた瞬間に俺の命は容易く吹き飛ぶに違いない。地面を穿ちながら猛進してくる槍も、全てを燃やし尽くす炎も、俺を倒す為のモノでは無い。間違いなく俺を殺す為の攻撃だ。何よりも、男の纏う鬼気は殺気の塊。怖気すら感じる強烈なものだ。シルフィーアさんと戦う前の俺だったら間違いなく呑まれているだろう。


だが、俺はまだ戦えている。

振動する大地が焦げる空気が俺に生きる道を教えてくれる。あの、気付いたら攻撃を受けているという、無映・無音の攻撃と比べれば何と感知しやすい事か。これ位じゃあ俺を捕える事は出来ない。


だが、そこで手詰まり。

呼吸は全力で、疾駆する体は軋みを上げている。身体に循環させている魔力は爆発寸前のエンジンだ。そこまでやって、牽制の攻撃を躱すので精一杯。とてもじゃないが、削岩機の様な暴力に飛び込む余力は無い。回避と言う行動に全精力全体力を注ぎ込んでいる俺に攻撃の術は無い。振り絞った力が底を付いた瞬間が死ぬ時だ。


俺はそれを判っている。

相手もそれを判っている。観戦している皆も判っている。そう。全員がそう思っている。五澄草麻の速度はこれが全力だと思っている。その思い込みを引っくり返し、覆すしか俺の勝機は無い。


あの戦闘記録を観た時から判っていた。

俺にチャンスがあるとするなら、一瞬の空白を埋めての一撃必倒。奇策なんて無い、戦術なんて以ての外。間合いが少ない者が勝つ方法の基本中の基本だ。相手の虚を突く決死の踏み込み。それしか無い。


相手もそれを判っている、その踏み込みが何時なのかを計っている。

そのギラついた獣の視線の奥で注意深く俺を観察している。ぞわりぞわりと押し潰す様な圧力がのしかかる。俺の予想を超えてみろと、試している。ああ、本当に嫌になる位に強い。



「粘るな」

「だね」

呟く様に言ったのはセリシアだった。

視線の先で繰り返される回避劇の変更時間が何時なのかをセリシアも探っていた。まさか、じり貧で負けるという一番おもしろくない結末で終わるというのか。セリシアは密かに期待しているのだ。シルフィーアの紋を知る前から、草麻の行動に期待していた。容易く盗賊団を撃破した手腕、準二級冒険者に物怖じしない胆力、あのセーミアに興味を抱かせた人柄。そのどれもがおもしろい。


事実、関心を抱いているのはセリシアだけでは無い。

最初は刀だけだったクロスも何時しかその持ち主に関心を移している。セーミアだって同じだ。草麻にはどこか人を惹きつける不思議な雰囲気がある。だからだろう、あの狂戦士が笑っているのも。


その関心を感じさせた男は、狂戦士の前に立っている。

立って戦っているのだ。名も無い男があの狂戦士と戦う、人はそれを蛮勇と哂うだろう、無謀と嘲笑だろう。だが、冒険者という存在はそういう者だ。人々が無理と言った事を達成する、出来っこないと諦めた事を成功させる。険しきを冒すのが冒険者なのだ。少なくとも、冒険者の資質は間違いなくある。その男がこのまま負ける筈はない。その想いは確信に似ていた。



草麻の眼前に炎がうねる。

左には大地の槍が壁になり避けるとしたら背後か右手。炎の奥には紅い魔力を纏ったディートリヒが見えた。心なし意識と姿勢が前傾になっている。


それはほんの些細な違和感、だが草麻に決心させるには十分すぎる。

気配が揺らぎ、幽鬼の様に不確かな存在になった草麻は眼前の炎の魔術の綻びを観る。ゆらりと炎がくびれた瞬間に草麻の鎧通しは奔っていた。


同時、草麻の身体も疾走していた。

全身のリミッターを外し、人体の限界を超えた自壊的な疾駆は人知の外。空間を侵し、精神の隙間を縫う踏み込みは正しく絶技。炎の揺らぎを隠れ蓑に、気配を殺し、距離を殺し、今、暴風に突入した。



それは、まるで突風だった。

閃光の様な鮮烈さも無く、稲妻の様な峻烈さも無い。当たって初めて只の風ではなく強風と判る様な不明確な踏込み。今まで見たどんな踏込みとも違う疾駆に皆不気味さを感じた。それは未知という恐れに似ていた。



褐色の男は笑った。

何時の間にというのが正直な感想である。炎の魔術を斬ったのは判った。左右に切断され、熱気で歪められた視界から突然あいつは消えた。いや、消えたのではない、掴めなくなったというのが正解だろう。


まるで幻術。

惑わす魔術の様。あれだけの存在感が一気に消えさり、まるで陽炎のように距離感が曖昧になったのだ。これを幻術と言わずして何という。その踏込はもはや技ではなく術を超えたモノ。存在を殺し、距離を殺し、殺害する。一個の業だった。


台風の目の直前。

草麻の左右から暴風が迫る。無風域まであと二歩という場所で草麻は捕えられた。ディートリヒの培ってきた技が、戦場を渡り歩いた経験側が、草麻の業を上回ったのだ。もはや、草麻に出来る事は閉じられる咢に噛み砕かれることだけだろう。一振りだけなら鎧通しで受けれる、だがもうそれで終わり。もう片方の牙で殺されるだけだ。


ハルバートの刃よりも内側に接近は出来ている。

しかし、ディートリヒの力の前では些細な事だ。ハルバートの柄ですら容易く草麻を捻り潰すに違いない。誰もが草麻が無残な肉袋に変わる瞬間を想像した。それは今まで何度も見て来た光景だった。



交差せんとする二つの刃、迫りくる死を感じながら、草麻は仕方ないと苦笑した。

鎧通しを握っている右手を左側に、空手の左手を右側に交差させる。空手だった左手が鞘を掴むのと鋭い呼気が漏れるのは同時。紫電の如き二つの抜刀は目を見張る程に流麗だった。


「おあっ!!」


裂帛の気合が迸り、激しい金属音がそれに重なる。

草麻の鎧通しと鞘は、寸でのところでディートリヒの双ハルバートを受け止めると草麻の命を繋ぎとめた。だが、互いの得物同士を激しく打ち合わせた余波は地面に罅を入れ、空間を大気を震わせる。強烈なぶつかり合いは正しく衝撃だった。震えたのは闘技場かそれとも各々の心情だろうか。この結果は余りにも予想外過ぎた。あの力の権化たる狂戦士の一撃を軽武装で受け止める等、誰に出来るだろうか。しかも、魔力特性を使用せず、ましてや魔術すら使っていない。何て異常、何という非常識。


ぞくりと全身の膚が泡立つ。

背骨に電流が走り末端まで痺れが浸透していく。久しく感じなかった戦闘での恍惚感。狂戦士が嗤う。唇から犬歯が剥き出しになり壮絶な嗤顔で草麻を見据えると、同じように草麻も嗤った。互いに自身の裡に住まわせた獣が漸く表に出た様だった。常に解放されている獣と常に拘束されている獣、一瞬の爆発力があるのは果たしてどちらだろうか。


幾ばくも無い彼我の距離で、狂戦士と従者の視線が絡む。

時間にすれば一秒に満たない刹那のやり取りの中、両者に去来した想いは決着への予感だった。



ゆらりと草麻の身体が揺らぐ。

ハルバートに挟まれ、レールの上を走る様に草麻はディートリヒへ間合いを詰める。その踏込、遅いが速いという矛盾を孕んだ自然すぎる動作は、ディートリヒを以てしても感知出来ない。まるで亡霊。見えているのに観えない存在はもはや不気味を通り越して異常だろう。


だが、それは草麻に取っては必然の業。

意を消し去り肉体と精神に刻み込んだ反射運動は基本の反復の成果でしかない。ならば、肉薄できるのは当然。ディートリヒの手からハルバートが放された。肉弾戦に於いて、長柄の武器は邪魔にしかならない。ごく当たり前の行動であった。ハルバートが地面に向かって落ちて行く。


ディートリヒに凭れ掛かる様に草麻は緩やかに半身になる。

脳のリミッターが解除され、草麻の箍が外された。蛇口が壊れ溢れ出る魔力を『循気』で身体の隅々まで巡らせ、練り上げられた爆弾を『錬圧』で固く圧縮し、暴走せんとする魔力を『雲流』によって操作する。重心移動と加速度を加え、剄を練り上げた肩口での一撃は正しく一撃必倒。草麻の全精力を掛けた必死の一撃である。


がらんとハルバートが地面に落ちた音と、草麻の震脚が地面を粉砕させたのは同時だった。


「はあっ!!」


草麻の身体から全精力が放出された。

密着状態から、遠当ての原理を利用した靠撃がディートリヒに収束する。大地が気が肉体が吼えた。全身全霊の一撃が草麻の肩口からディートリヒに伝播していく。衝撃は全身を伝う波紋となりディートリヒの身体を侵略し容易く彼の意識を奪うに違いない。


誰もがそう思った。

観戦しているクロス達でさえ、驚愕に眼を見開いている。あの狂戦士が倒れるなど信じられなかった。だが草麻の一撃は傍目から見ていても十分すぎる威力だろう。


ふわりといっそ優しくディートリヒの巨躯が後方に浮かんだ。

意識が飛んだ巨体は地面に着地するとそのまま崩れ落ちるに違いない。時間にするとほんの数秒に満たない空白の時間は決着へのカウントダウンだ。草麻はだらりと下した両腕をクロスさせると息を吐いた。それは終わったという安堵の息の様だった。ディートリヒの身体が地面に向かって落ちて行く。


草麻は脱力すると眼前を見据えた。

草麻の眼には紅い塊が写しだされている。ああ、と草麻は溜息を吐いた。


燃え盛る熱球の如き紅の修羅が其処に居た。

崩れる筈の巨体は地面を捉え、亡失した筈の眼光は爛々と燃え盛っている。その身を包むのは深紅の魔力。今まで見たのが嘘の様な魔力の密度が周囲を焦がし、男から発せられるエネルギーはまるでマグマの様だ。灼熱の威を纏いながら、堂々と男は嗤った。


唇の端から血を零しながら楽しそうに嗤う。

それこそが狂戦士の嗤みだった。



強えなあ。

心底そう思う。渾身の一撃が外れたのは密着状態からの無寸勁を撃ち込んだ瞬間に判った。肩口に残った感触は外された心もとない衝撃だけで、とてもじゃないが、致命に至ることはないだろう。ディートリヒは俺の攻撃に移る気配を敏感に察知すると、俺の一撃を見事に捌いたのだ。攻撃までの気配を寸前の寸前まで消す為の無寸勁だったのだが、俺の技術は呆気なくすかされた。業まで昇華出来ていない故の未熟といえばそれまでだが、本当になんと恐るべき戦闘感だろうか。


眼前には深紅の狂鬼。

震えが来るほどの威圧が全身を貫く。鬼の両手には魔具から取り出したろう斧が握られ、ぎりぎりと身体が引き絞られていくのが判る。さらに魔力の質が変わったのが観えた。これが、魔力特性か。


爆発的な魔力が鬼の斧に収束していく。

烈火の如き一撃は俺を殺すには十分すぎる。全身を覆う虚脱感の中、なけなしの魔力を鎧通しとクロスさせた鞘に通す。イメージは液体。蕩け出した肉体が鬼を見て再度震えた。


極限まで溜めこまれた一撃が振るわれる。

狂戦士の剛腕から生み出された暴風は、一振りで全てを破壊する致命の一撃だ。その引き伸ばされた時間、迫る暴威を感じながら去来した想いは純粋なまでの憧憬だった。遠慮や加減を一切抜きにした攻撃はまるで殺意の結晶。余分なんてなく、澄み渡った意識に不純物等ある筈も無い。その真っ直ぐで愚直なまでの意思の在り方は正しく至高で憧れだった。


やがて、狂戦士の一撃が鞘に当たった。

五澄草麻の全てを吹き飛ばす一撃を受け、弾かれる様に身体が一直線に飛んで行く。撹拌され薄まった意識の隅っこで、壁に激突したら死ぬかなあとか、そんな馬鹿な事を思った。本当、ごめんだよなあ。




弾丸と化し意識が揺蕩う中、草麻は懐かしいと昔の事を思い浮かべていた。

格闘技を習ってから何度師匠である静流に意識を飛ばされただろう。一撃で切り落とされる断絶の攻撃、真綿で締める様な緩慢な攻撃、痛みだけが残り心を折る攻撃。その過剰な特訓で厳命されたのが、意識を失うなという事だった。


それを繰り返し繰り返し、仕込まれた。

一日の練習時間全てを、意識を保つ、攻撃に耐える練習に当てた事もある。発狂しそうだった、拷問のようだった、逃げ出したいと何度も思った。余りの痛みに無様に嗚咽を漏らすのは当たり前で、小便だって漏らした。人体が痛みに勝てないという事を叩きこまれた。自己の弱さに泣き続けた。そんな屈辱の日々だった。


けれど、あの日常を超えてきたから今戦える。

戦うという意志を持てる。あの日々は無駄じゃなかった。悲鳴を上げる意識の一部を切り離し戦闘思考をフル回転させる。


現状は?

流水で攻撃は出来る限りいなしたが、全身に走った衝撃は絶大。身体は空中であり吹き飛ぶ身体にブレーキはかけれない。


足は地面に付くか?

くの字に折れた身体は俺の身体操作技術では受け身で精一杯、立て直しは不可。


受け身はとれるか?

壁への激突までおよそ三秒。完璧な受け身は不可、ただし後頭部を壁に強打しない受け身位なら取れる。戦闘続行可能。


身体及び残存魔力は?

両手首打撲、鎖骨にも甚大な被害あり。また循気に依るリミッター外しで各関節及び筋肉に相応の損傷あり。残存魔力は激突の衝撃への守りで完全に空。


まだ、戦えるか?

当然。



精神と肉体に刻み込んだ不倒の意志を眼光に宿らせる。

ざわりと畏怖に似た感覚がディートリヒの背筋を這った。慢心でもなく油断でもなく、ただの事実として、ディートリヒ・ベクターは五澄草麻に勝つだろう。その圧倒的な事実を草麻も判っている筈だ。だが、草麻の瞳に映るのは強靭な意志。鍛造された一個の輝きである。


ああ、とディートリヒは笑った。

それは期待だった。ディートリヒの双腕が唸り、両手に持った戦斧が投擲される。草麻の弾道をなぞる様に鋭い弧を描きながら戦斧が草麻に迫っていく。うねり肉薄する戦斧は草麻の命を喰らう双頭の蛇だ。普通ならこれで決まるだろう。しかし、この蛇位では草麻は死なないという確信がある。


ディートリヒは落ちたハルバートを一つ拾うと流れる様な動作で投擲した。

大気を掘削し対象を粉砕せんとハルバートが奔る。背後は壁、左右からは双頭の蛇が迫り、正面には必殺の意思が込められた巨大な弾丸。笑える位に手詰まりだろう。事実、草麻は余りの現状に笑っている。けれど、それは諦観の篭った揺らぎではない、打倒する為の武者震いだ。


右手に持つ鎧通しと左手に持つ鞘が、導かれる様に戦斧の射線に置かれた。

背筋を圧縮し鎧に変換。首をすくめ、眼前を睨む。死が圧迫していた。壁に激突するまで後一秒。


覚悟はいいか、俺は出来てる。


体内でシンバルが盛大に鳴らされた。

壁の破砕音と体内を貫く衝撃がけたたましく耳朶を震わせ、余りの五月蠅さに意識が吹き飛ばされそうになる。両足と背中で受け身を取ったにも関わらず、脳みそからは絶え間ない緊急アラームが鳴り響き、肉体の操作を放棄してしまいそうだ。


けれど、俺の両腕は下がっていない。

本当、嫌になる位に主人想いだ。全身に魔力と気を張り巡らせると、干乾びた身体に最後の潤いが与えられる。全く以て足りやしないが今は十全だろう。


気力を振り絞り迫りくる戦斧を迎えた。

がぎんと眼前で火花が散った。同時、ぎちりと筋繊維がちぎれ、骨の芯まで衝撃が貫く。完全に腕がいかれた。握力が持たずに鎧通しと鞘が地面に向かって落下する。これで両腕に掲げた矛と盾は無く掌は空手になるが実質的な被害はそれだけだ。僥倖だろう。


さあ、後はハルバートだけた。

斧刃が上になり、肉体の中心目掛け投擲された矛は容易く俺の命を貫くに違いない。故に必要なのは防御か回避。だが、空手になった両手は防御に適さず、壁にめり込んだ肉体は回避不能。口からひっというか細い悲鳴が漏れ、黒くどろりとした感情が心を覆うが、それでも俺の魂はどうにも意地汚いようだ。


壁に叩きつけた左足を震脚し、前方に向け振り上げる。

弾かれた様に左足は飛び出すと、ハルバートの柄を突き上げ軌道を変えた。だが、足りない。重量武器を片足の力のみで弾ける訳はなく、変わった軌道でさえ俺の身体を容易く引き裂くだろう。


故にこれが最後の足掻きだ。

壁を震脚した衝撃とハルバートを蹴った反動で身体を捻り下方にずらした。互いにずれた距離は僅か三十㎝程だが、俺の命を死から逸らすには十分。ハルバートの矛先は俺の右肩を抉るだけで、壁に突き刺さった。


これで、正真正銘魔力は空だ。

普段からリミッター外しを行っているから嫌でも判る。俺の身体には一滴たりとも魔力は残っていない。これが漫画の主人公なら覚醒して、なんだと、まさか、なんて事が起きるのだろうが、残念ながら俺はただの端役だ。主人公は兄貴に譲っているし、俺ごときならこんなもんか。


ずるずると壁から重力で引き摺り下される。

尻もちをつき眼前を見ると鬼が嗤っていた。右肩からどくどくと血が流れ、全身を強打した衝撃は大絶賛居残り中。薄れゆく意識は軟弱の極みだろう。循気によって意識はある程度保てているが、それも何時まで持つか。震える指に狭まる視界を感じながら、目が閉じられる。


ああ、ここまでだな。

慣れ親しんだ意識の落ちる感覚。脳からの神経が一つ一つ断線され、どろりとした液体になる身体。最後に想ったのは、わりい、ヒメ。という惰弱すぎる謝罪だった。その最後の一本が切れる直前、信じられない言葉が聞こえた。


「草麻!!」


暗闇の中に一滴の雫が落ちる。

優しくも厳しい波紋が全身に伝わり、泥から清流に肉体は変わる。良く通るソプラノの声は間違いなく主人のモノ。何時の間にとか何故とか疑問は山程あるが全く一切関係なかった。狂戦士の奥、観覧席の最前列で立つヒメを見て、意識は強制的に覚醒される。断絶した回路が音を立てて繋がり、五澄草麻という存在が叩き起こされた様だ。


本当、なんでかなあ。

指先は震え、呼吸もまばら、心臓は疾走し、戦意は欠片しか残っていない。けど、銀髪を靡かせ金色の瞳を煌めかせるヒメをみると、そんな事は些細な事でしかない。なにより、あいつの


「負けるな!!」


ヒメの期待を感じると、戦える。戦わなくちゃいけない。

ヒメの魔力が流れ込むのを感じながら瀕死の身体は起動する。落ちた鎧通しを拾い鞘を後帯に差すと、壁に手を付きながら、懸命に立ち上がった。吐血するが関係ない。血に塗れた姿でにやりとヒメに笑みを向けた。ヒメも当然の様ににやりと笑う。


ぼろぼろの俺を見てもあいつは俺を信じている。

本当に敵わない。ああ、もう。流石、親友。それでこそだ。


重心を定め、眼前を見据える。

今更ながら、漸く全て揃った。準備は万全、これで負けるなど有り得ない。息吹き、唄う。


「サクラ・ヒメが従者。五澄草麻、推して参る」


背負ったモノは重いが、心地よかった。

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