エレント1 / ご案内しますね
翌朝、草麻とヒメがチェックアウトしにホテルのロビーに行くと、突然声が掛けられた。
「あ、おはようございます」
朗らかな挨拶はつい最近、聞いた事がある。
少なくともホテルの人間では無いが、誰だろうか。ヒメは怪訝な顔をして声の方に顔を向ける。そこには、にこにこと愛想よく笑うセーミア・フレルと、彼女に挨拶をする草麻が見えた。何時の間にとはもう思わない。
セーミアは受付時の服装では無く簡素な鎧を着ていた。
胸当てと腰巻、それに大腿部を護るキュロッスを着ている。全体的に野暮ったい印象を与えるが、彼女の雰囲気が軽やかに見せていた。
「何の様じゃ」
不満さを隠すことなくヒメはセーミアに問う。
ヒメの眼光を受けながらも、セーミアは笑みを崩すことは無かった。
「いえ、ソウマさんが来てくれなかったので、押しかけて見ました」
「マジですか!」
セーミアの言葉でテンションを上げる草麻に、ヒメは冷たい視線を投げかける。
無論、草麻は気にしない。既に頭の中はセーミアと二人で食事に行く約束を取り付けていた。
「嘘に決まっておろうが」
ぼそりとヒメが言う。
「はい、嘘です」
セーミアはニコリと応えた。
一遍の曇りも無い笑顔が眩しく、草麻はがっくりと肩を落とすと先程と同じ言葉を呟いた。
「マジ、ですか」
項垂れる草麻を尻目に、ヒメは改めてセーミアに視線を向ける。
「で、本気で何の用じゃ」
「いえ、お二人はエレントが初めてとの事なんで、水先案内人でもしてみようかなと思いまして」
「それで、お主にメリットは?」
「クロスさんとセリシアさんが目に懸けるお二人と関係が持てます。実は受付って専属受付というのがありまして、優秀な冒険者の仲介をすればする程評価が上がるんですよ」
「成る程の」
つまり、青田買いの様なものだろう。
ここで早い内から友好的な関係を持てば、後々返って来ると。
「しかし、随分と買い被られたものじゃな」
「それだけ、クロスさんとセリシアさんの力は大きいと言う事ですよ」
「儂等というよりもクロス達の方が信じられるか。随分とはっきり言うんじゃな」
「勿論ですよ。だって、私は正直者で通ってますからね」
「ふん、何処かじゃ」
打算的ではあるが、セーミアの提案は望むところである。
実際、町の案内は冒険者協会に着いたらセリシアかクロスに頼もうと思っていたのだ。現状、金を得る手段が獣の牙や爪等を売る事しかないのだが、売れる場所が判らないし、相場すら知らない。これでは対等な取引が出来る訳が無い。
だが冒険者協会の受付が一緒なら、安く買い叩かれる事も無いだろう。
ヒメはふむと思案すると、セーミアに言った。
「先ずは協会に行く。クロス達から依頼金を受け取った後に町を案内して貰うが、良いか」
「ええ、勿論です」
セーミアは頷いた。
何時の間にか、チェックアウトを終えた草麻が巨大な荷物を背負ってい立っていた。その顔はウキウキと弾んでいる。セーミアの様な美人と町を歩けるのが楽しみと表情が語っていた。ヒメはふんと鼻を鳴らす。
「行くぞ」
それに、草麻とセーミアが続いた。
「はいよー」
「はい」
ホテルを出ると、太陽が町を照らしていた。
時刻は十時を少し回った所だが、今日は快晴。強い日差しが降り注いでいた。町は活気に溢れており、草麻の眼を楽しませた。何せ、金髪碧眼はもとより、赤、青、緑と様々な髪の色の人々が歩いているのだ。また、頭髪から覗いてヒメの様な獣耳が出ている人も見受けられる。正にファンタジー。改めて異世界に来たんだなあと草麻は感心していた。一晩寝た事で多少頭がすっきりしたのだろう。現状を楽しむだけの余裕が草麻に生まれていた。
「草麻、あまりキョロキョロするでない。田舎者に見られるぞ」
「いや実際田舎者だしなあ。これだけデカい都市なんだからキョロキョロするって」
「その割に視線が女ばかりに向いとる様じゃがな」
「何言ってんだよ。ヒメ、当たり前だろ」
草麻はさも当然と胸を張るが、ヒメが納得する筈もない。
「バカ者。お主は儂の従者なのじゃから恥ずかしい真似をするでない」
「男が女性に眼を向けるのは自然の摂理。恥ずかしい事でもなんでもねえよ」
「たわけ。それでは獣と一緒じゃろうが」
「人間と獣なんて紙一重でしかねえよ」
「したり顔するでないわ!」
わいわいと騒がしい二人を見て、セーミアは口元を綻ばせる。
何だか、仲の良い兄妹を見ている様だった。
「ヒメさん、ソウマさん。着きましたよ」
セーミアの言葉に草麻は視線を向けた。
眼前には昨日見た巨大な建物が鎮座している。うーむと草麻は唸った。
「何時の間に」
ヒメは嘆息すると
「お主がふらふらしとるからじゃ」
草麻を蹴った。
冒険者協会の扉を開けると、そこには大勢の人が居た。
深夜帯とは違う、明らかな活気が協会のロビーを支配している。世界有数の企業というのは伊達では無い。事実、昨晩と違い皆が皆自分の事で忙しいのだろう、扉を開けロビーに入る位では視線を集める事は出来なかった。その事に草麻は若干安堵しつつ、セーミアに聞いた。
「フレルさん。エークリルさんが来てるか受付の人に聞けばいいすか?」
「そうですね。ただ、ちょっと今受付が混んでるみたいなんで、私が確認して来ますね」
「あ、いいす」「うむ。頼んだ」
「はい」
ヒメの言葉にセーミアはにっこりと微笑むと、受付の方に走って行った。
その軽快な後ろ姿に草麻は腕を組んで感動し、何というか、草麻は癒されていた。ちょっとした人の善意が今更ながら気持ちよかった。というか、セーミアの笑顔にときめいていた。
「いやー、やばいね。俺、マジで冒険者になってフレルさんに専属してもらおうわ」
「ふん、冒険者になるのは当然じゃが、専属にするかは判らんぞ。それ以前に、草麻が愛想付かされる方が先じゃて」
「いや、気合を入れて頑張る。んで、フレルさんを専属にする。ヒメと言えぞ、異論は認めん」
「はいはい、そうじゃな」
憮然としながらヒメは返答した。
若干気怠る気なのは呆れているからだろう。そんな二人に後から突然声が掛った。
「おいおい、兄ちゃん。セーミアを専属にするって本気かい」
声の主は鎧を着た厳めしい男だった。
男の身長は173cmの草麻より頭一つ分程高い。無精髭を撫でながら、草麻とヒメを舐める様に視線を這わしている。草麻は怪訝な表情を隠す事無く返答した。
「本気っすよ。何か変すか」
くっくっと草麻の言葉に男は笑うと蔑む様に言った。
「兄ちゃん。馬鹿な考えは止めな。そんな馬鹿でかい荷物を持ちながら、セーミアを専属にする?はっはっはっ、坊主にゃあ十年は早いぜ」
成程、男の言い分には一理あった。
巨大な荷物持つ者は、一概には言えないが初心者とされる。何故なら、収納の魔具を持たない者だからだ。熟練した冒険者で収納の魔具を持たない者は皆無に等しい。収納の魔具はある意味、その人物の簡単なバロメーターと言えた。
セーミアと会話してから突然増えた視線が、嘲笑となって草麻を貫く。
ある意味慣れ親しんだ感覚だった。
「しかも、ガキ連れで鎧も何も着けずに協会に来るなんてな。坊主。身の程知らずもいい加減にしとくんだな」
男は草麻に向かって凄むと、殺気を放出した。
魔力を伴った殺気は弱い者にとっては威圧に等しい。事実、草麻もシルフィーアの威に一度は屈している。そして、その殺気を止める者は居ない。男にはあのセーミアが何故という、嫉妬心もあるかもしれない。だが、草麻の格好が冒険者を舐めていると感じられた。その気持ちが周囲の者を同調させていた。
「黙ってねえで、何とか言ったらどうだ。ああ!」
恫喝する様に男は草麻を攻め立てる。
仮に、これが冒険者育成学園の生徒クラスならば、これだけで意識を半分飛ばすには十分だろう。男も草麻が話さないのではなく、話せないと踏んでいる。
男はにやりと厭らしく唇を歪めた。
それを尻目に草麻はヒメに視線を向けると、覚悟を決めた。基本的に面倒事は嫌いだが短気な彼女である、額に青筋が浮かんでいる時点で、一暴れも辞さない決意がいるのだ。草麻は仕方ないと溜息を吐いた。面倒事は嫌いで暢気な彼の溜息は、存外大きかった。
「フレルさんが来てるんで、もういいすか?」
「ああっ!!」
気勢を上げる男に、草麻はゆるりと殺気を出した。
その気迫は常人では有り得ない。濃密な気配は恐ろしい程の圧力を有し、ぶつけられた男は、怯み鼻白むと言葉を無くした。知らず、男は一歩後ずさっている。先程までの弱者の雰囲気が一掃され、男の眼前には一匹の獣。獣は口を開け牙を剥いた。膨れ上がった気配に、男は声にならない呻きを口内に宿すと、また一歩下がった。
「じゃ、失礼しますね」
その脇を草麻はにこりと通った。
ヒメはふんと胸を張って草麻の後に続く。残るのは冷や汗に塗れた男だけだ。周囲は何事か判らず怪訝な顔を作る者と、嗤う者に分かれた。一人に集中させたつもりだけど、判る奴には判るか。草麻はまた溜息を吐いた。
「お待たせしました」
「大丈夫ですよ。私も今確認が取れた所です」
にこやかにセーミアは言う。
その言葉に、ヒメは憮然とした表情を作ると言った。
「当然の様に嘘を吐く出ないわ。あのムサイ男が草麻に詰め寄っとる時にはそこにおったじゃろうが。全く、面倒事を呼び寄せるなら、自分で処理位せんか」
「いえ、そんな一人の受付に出来る事なんてたかが知れてますからね。買い被りすぎですよ」
「どうじゃかな」
やんわりとした言葉にヒメは矛を収めた。
試された気もするが、ここで問い詰めてもしょうがないと言ったところか。草麻は気にする風でも無く、軽く言った。
「それで、エークリルさん来てました?」
「ええ。三十分程前に到着されて、今第十四会議室で待っているそうです。クロスさんが待ちきれないと、そわそわしてるらしいですが」
「むう。やっぱりヴェルンデさんも一緒か。つまらん」
今回の件を考えればクロスが居ない方がおかしいだろう。
ヒメは草麻の言葉に嘆息すると、セーミアに視線を向けた。
「セーミアよ。第十四会議室とは何処じゃ」
「はい、ご案内しますね。と、その前に荷物を預けましょうか」
颯爽と歩くセーミアにヒメと草麻は付いて行った。
クロスとセリシアの名前に、ロビーがざわついていた。
第十四会議室と書かれたプレートが扉に埋め込まれている。
重厚な木で作られた扉は通常の扉よりも高級な物だ。その部屋で待てるとは、それだけでクロスとセリシアの立場が判るようだった。セーミアが扉をノックする。
「セーミアです。ヒメさんとソウマさんをお連れしました」
「いいよ」
声はクロスのものだ。
セーミアの声に被さる様に言った言葉は、彼の焦燥感を表しているようだった。例えるなら、待望の玩具を待つ子供の様なものだ。
「失礼します」
セーミアが扉開けると、そこは高そうな調度品に彩られた一室だった。
革張りのソファーがテーブル挟む様に配置され、壁には絵画まで飾ってある。会議室と言うよりは接待に使う部屋の様にも見えた。
「ソウマ君」
「エークリルさん」
片方はクロスのもの。片方は草麻のものだ。
二人は突然走り出すと、見事にすれ違った。というよりは、草麻が迫るクロスを必死に躱した結果だった。
「あれ?」
「エークリルさん。お久しぶりっすね。いやー、本当に来てくれるとは、この五澄草麻、感謝感激です」
「あ、ああ」
虚空を抱きしめるクロスを余所に、草麻はソファーに座るセリシアに話し掛けていた。セリシアは草麻の言葉よりも、クロスを躱した技術に眼を見張っているようだ。ふつふつと闘争心が湧く。自分の方が強いだろうが、試してみたかった。
「じゃ、後で食事行きませんか。俺、エレント初めてだから美味い定食屋とかあったら教えて欲しいんです、よっっ!!」
「話を進めるぞ」
ヒメは草麻を蹴り上げ無理やりソファーに押しやると、自分も座った。
クロスは堪えられない様に急いでセリシアの隣に座り直し、セリシアは対面に座るヒメと草麻を見てから、セーミアに視線を向けた。
「私達は良いけどさ、セーミアが居ていいのかい?」
鍛冶師、クロス・ヴェルンデが興味を持った武器。
これだけで、草麻の注目度は上がるだろう。セリシアはセーミアを信頼しているが、情報はそれだけで武器だ。ヒメ達に促すのは当然と言えば当然だった。
「勿論っすよ」
応えたのは草麻だ。
草麻はセーミアに目配せすると、自分の隣に座らせようとしたが、ヒメの眼力でセーミアはヒメの隣に座る事になった。それだけで、二人の力関係が如実に判るようだ。
「ま、あんた等が良いって言うんなら文句は無いよ」
「それじゃあ、早速始めるよ」
クロスは既に用意していたのだろう。
依頼の報奨金と誓約書を机に取り出した。眼鏡の奥の光は爛々と光っていた。
「いやー、すっきりした」
肩に手を置き、草麻が言った。
場所はクロスの工房の前だ。あれから、誓約書を交わしクロスの工房に移動したのだった。草麻の後帯は鎧通しの代わりにクロスが貸した短剣が差してある。今頃は草麻の鎧通しをクロスがじっくりと観察、調査しているのだろう。草麻の鎧通しを受け取った時のクロスの眼は尋常では無かった。セリシアが「こいつが無茶しない様に私は見張っとくよ」との言葉もまた怖い。今更だが、大丈夫だよなあと草麻は首を傾げた。
「それにしても、結構な値段で売れたのう」
「クロスさんが面倒臭がりましたからね」
ヒメは草麻の背中を見て言った。
草麻の背中にあった荷物は綺麗さっぱり無くなっていた。丁度いいと鍛冶師であるクロスが全て纏めて買ってくれたのだ。獣の爪や牙はともかく、毛皮や岩塩はどうするのだろうかと思ったが、折角買ってくれるのだ。文句は無かった。
お蔭で、現在の所持金は55万7千ギルある。
内訳は依頼報酬が30万・牙や爪等が15万・盗賊達から拾った10万7千である。貨幣価値は日本円と同じと考えていいだろう。
またこの世界の貨幣の種類は大よそ次の様に分類されている。
5万ギル紙幣・1万ギル紙幣・5千ギル紙幣・1千ギル紙幣・500紙幣・100ギル硬貨・50ギル硬貨・10ギル硬貨・5ギル硬貨・1ギル硬貨の十種類だ。
ほくほく顔のヒメに、セーミアは聞いた。
「それで、どうします?」
彼女は飽く迄も水先案内人というスタンスを崩さない様だ。
「そうじゃな。先ずは、食事にするか」
「判りました。何かリクエストとかあります?」
「そうじゃのう。肉系が良いの。折角金も入った事じゃし、多少値が張っても構わん」
「了解です。それでは、ご案内しますね」
「うむ。頼んだ」
先に行く二人を慌てて草麻は追った。
解析専用の眼鏡型魔具をかけクロスは鎧通しを観察していた。
眼鏡を通して観る鎧通しの材質及び構造は、鍛冶師として名を馳せるクロスだが唸る他なかった。先ず、驚いたのは鋼の密度の高さだ。ここまで良質の鋼というのはそう有る物ではない。一体どういう製法をすればここまで鍛え上げる事が出来るのか。さらに、この剣の特徴的な点は、密度の違う鋼を上手く繋ぎ合わせているという事だ。これにより、固さと柔らかさという矛盾を見事に両立させている。
成程と素直に感心した。
剣にしろ包丁にしろ魔力を通せば、確かに切れ味は簡単に上がる。だが、それを当然と考えるのは鍛冶師としては怠慢だろう。そういう小手先に頼らずとも、鋭さを持たせるのが職人なのだから。そして、この剣はそういう小手先に全く頼ろうとしていない。言うなれば、魔力を使わずに何処まで行けるかという、剣の可能性を追求させた末の代物だ。
クロスは興奮していた。
剣の可能性を追求した存在と魔具という性質を融合させたら一体どうなるのか。水と油の様に反発するのか、それとも見た事も無い存在が新たに生み出されるのか。唇が自然に笑みを形作る。ぞくりと膚が泡立った。余りの興奮に上手く感情が制御出来ない。まるで、ランナーズハイだ。精神だけが先走っている。
クロスは荒ぶる精神のまま、柄から目釘を抜き、茎を露出させた。
もしこの剣に銘が切ってあるのならここだろう。ここまでの性能を有するこの剣が習作であるとは思えない。同じ鍛冶師として剣から少しでも情報が欲しいと思うのは当然の事だった。
だが、茎に目線を移した所でクロスは固まった。
今までの興奮が嘘の様に冷めた。それはまるで突発的な事故だった。冷水をかけられた様に血の気が引き、酸欠になった様に喘いだ。茎には斜めを向いたSの字に重なる様にWという字が刻んである。Wの真ん中にSという翼を広げたドラゴンに見えるそれは、一人の人物が使う紋章に他ならない。
天上の存在である特級冒険者にして生きる伝説。
王ですら彼女を従える事は出来ず、国ですら彼女に勝てないとまで言わせた、歩く天災。
「シルフィーア・W・エドウィン」
こぼれた呟きは誰のものだったか。
クロスの思考は紋章一つに支配されていた。