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狼浪奇譚  作者: ただ
15/47

閑話1 / 扉一枚

「お疲れ、お疲れ」

どすんと草麻はホテルの一室に備えられたベッドに腰を掛けた。

セーミアに紹介されたホテルは冒険者御用達らしく、草麻の巨大な荷物も預けても嫌な顔一つされなかった。


ホテルの作りや部屋の内装は地球にあるビジネスホテルを彷彿とさせる。

草麻が勝手に考えていたベッドだけが置いてある部屋では無く、トイレや風呂が共同と言う訳では無い。部屋にはきちんと三点ユニットバスに近い物が備え付けられていた。使い方に差異はあれど、電気の代わりに魔力で様々な物を補っているのだろう。現代を生きてきた草麻だが、ホテルに不満は無い。


部屋にはシャワーの音が響いている。

草麻より先にヒメが一日の疲れを癒していた。草麻は後帯に差してある鎧通しを抜くと眼前に持って来た。視線の先には刀身に映る自身の瞳。日本人らしい黒に茶色を混ぜた瞳は別段何時もと変わらない様に見えた。部屋には草麻一人。変わらず、シャワー音だけが響いていた。


「出たぞ」


銀髪をタオルで拭きながらヒメはシャワー室から出てきた。

艶やかに髪を濡らし、ほっこりと体から湯気が立ち上る姿はすっきりとした様に見える。草麻はヒメの言葉に遅れる様にして、鎧通しを鞘に戻した。


「了解。じゃ、俺も入るわ」


立ち上がり鎧通しをベッドわきの机に乗せると、草麻は服を脱ぎだした。

その余りにも遠慮の無い様に、ヒメ若干顔を赤くする。草麻の裸はもはや何度も見ているが、場所が変われば気分も変わる物だ。


「バカ者。淑女の前で裸になる奴があるか!」

「いや、今更何言ってんだ。俺の裸なんて見飽きてるだろ」


だが、その機微を判らないのが草麻だった。

草麻はさっさと裸になるとシャワー室に入って行った。ヒメは不満気に頬を膨らませると、バカ者がと文句を呟いた。だいたい人がシャワーを浴びとるのに、刀ばっかり見ておって。バカ者が。ぶつぶと絶え間なく口から文句が飛び出る。


「刀か」


ヒメは机に置かれた鎧通しを抜くと眼前に持って行く。

視線の先には金の瞳が映っていた。何の変哲も無い日本刀が、やけに眩しく見えた。




「便利だねえ」

温かいお湯を浴びながら、草麻は呟いた。

今の今まで体を洗うとしたら水浴びしかなかったのだ。それが今はノズルを捻るだけでお湯が出る。素材が判らない壁や、お湯を出す原理は判らないが、日本に帰って来た気すらする。


不便なのが逆に救いだったのか。

日本という故郷を感じさせない環境だからこそ、昔を思い出さずに済んでいた。明らかな人の営み。町を照らす街灯が、鼻孔を擽る料理の匂いが、談笑する人達が、もう帰れない故郷を否が応にも思い出させた。自分は独りなのだと、戻れないのだと強烈に脳裏を叩いていた。今だって思ってしまう。このドアを開けたらそこは日本では無いのか。そんな錯覚さえ感じてしまう。


だが、自身の拳足が覚えている。

盗賊に襲われた。彼等は本気で命を奪いに来たのだ。愕然とした実力差があり、挑戦する様なシルフィーアとは違う。確かな命のやり取り。鎧通しを攻撃に使わなかったのは、心がぶれると踏んだからだ。殺人に躊躇いを憶えたからだ。グレートグリーンで沢山の命を奪ってきたが、同族殺しはやはり違う。


そんな事を悩む必要も無かったあの頃が、

本当に懐かしい。本当に羨ましい。本当に、かえ


「便利だよ、なあ」


言える訳が無かった。

考える事すらしたくなかった。自分は親友の願いを成就させるまでは、願う事すら出来ないのだ。思考が撹拌され考えが纏まらない。今、自分は何に対して悩んでいるのだろう。この世界の事か、殺人の事か、独りである現実か、解らない、判らない、わからない。自分は何をしたいんだろう。何をすればいいんだろう。


頭上から流れるお湯が強く草麻を打っていた。

水滴が頬を流れ、シャワー音が響く。足元を見ると水滴が無数に零れ落ちていた。ぽたりとぽたりと水滴が落ちていた。本当、なんて無様だ。



「草麻」

不意に扉の外から声が聞こえた。

聞こえたが、認識が間に合わない。誰が、何故、声をかけているのだろうか。


「草麻、聞こえておるか」


間があり、漸く草麻は声の主を認識した。


「………ん、ああ、ヒメか。どうした?」


その声は若干掠れていた。

普通なら気付きもしない差異だったが、草麻と半年以上共に過ごしているヒメに判らない筈が無かった。何か変だと引っ掛かるものがあり、声を掛けたがどうやら正解だったらしい。だが、具体的にどうというものがあった訳ではないのだ。


「いや、どうしたというか……」


ヒメはくちごもると沈黙した。

元々、こうして他人と深く関わり合いになった事が初めてなのだ。上手く悩みを聞き出す等出来る筈も無い。もじもじと両手を不器用に絡ませるだけで、言葉は出なかった。それでも何か伝えなければいけないと懸命に言葉を絞り出した。


「……お主は人を殺した事はあるか」


あ、と口を押させるも遅すぎた。

自分は何を言っているのか。これではまるで詰問に近い。確かに鎧通しを眺める草麻を見て、戦いに関して思う所があったのは事実。だが、もう少し気の利いた言葉を出せなかったのか。大体、草麻が人を殺した事が無いと言うのは、彼の生活を聞いて判っていたことだろう。それなのに、自分は直接聞いてしまった。何て馬鹿だ。


「いや、すま」


「無い。けど、有る。だから、心配しなくていい」


謝罪に被され、訥々と語る言葉は罅割れているようだった。

それでいて、確かな拒絶を感じる。扉一枚が草麻の心の壁に見えた。これが違うタイミングならまだ良かったのだろうが、今の、郷愁の念に浸っている草麻に現実を見せるのは余りにも早すぎた。


「ヒメ、先に寝てろよ。俺はもう少しシャワー浴びてるからさ」


言葉の端から苛立ちが見える。

聞くタイミングも悪かった、聞いた言葉も拙かった。草麻は限界だった。ヒメにもそれが伝わったのだろう。ヒメは俯くことしか出来なかった。


当たり前の事だった。

草麻は未だ十七歳の青年でしかないのだ。今まで生きるだけで精一杯で、二人だけという特殊な環境下だからこそ草麻は普通でいられたのだ。だが、殺人を許容する現実と対峙し、人の営みに触れた草麻では、今の現状に耐え切れない。むしろ、よくここまで持ったとすら思えた。それは偉大な兄の威光に我慢し続けて来た過去が、そうさせたのかも知れなかった。


「そう、か」


ヒメは何も言えなかった。

彼女は【主従契約】で草麻を縛っている。それが、彼女が草麻に踏み込む事を躊躇わさせていた。草麻に拒絶されるのが怖かった。助けられてばかりで、何も返せていない自分が悔しかった。


シャワーを浴びてしっかりと体を拭いたのに、足に水滴が付いている。

ぽたりぽたりと水滴が増えていく。本当に何て無様だ。シャワーの音だけが、狭い部屋を満たしていた。



突然、


「がんばれ~」


鈴の音の様な可憐な声が聞こえた。

ヒメの声だった。彼女はたまに聞こえていた歌を口ずさんでいる。


「負けんな~」


それは、草麻の根底の一つだった。

いつだって、この歌を歌って来た。苦しくて、辛くて、泣きたい時は、何時だって口ずさんだ。それを、今親友が歌っている。何か無性に嬉しかった。


「力の限り生きてやれ~」


とくんと草麻の内側に温かさが宿る。

それは、ヒメの魔力だ。闇夜に浮かぶ月光の様な柔らかい暖かさが草麻の体を包んでいる。独りでは決して感じれない温もりだ。


草麻はシャワーと止めた。

部屋に静寂が訪れ、互いにヒメと草麻の存在を強く意識させる。間には薄い扉一枚だけだ。ヒメが口を開く。


「草麻。儂はお主の主人じゃ。お主の責は全て儂が背負うてやる。じゃから、安心せい」


それは、宣誓だった。

与えられてばかりの自分が返せる精一杯の決意だった。草麻からの返答は無く、部屋にまたシャワー音が響いた。ヒメは溜息を深く吐いた。


「儂は先に寝ておる。おやすみ」


草麻からの返答は無かった。

ベッドに入り布団を被る。冷たいそれは、ヒメの心境を表していた。久しぶりの柔らかいベッドなのに、気持ちよく寝れる気がしない。ヒメはもう一度溜息を吐いた。


それと同じくして、とくんとヒメの内側に温かさが宿る。

それは草麻の魔力だ。青空に光る太陽の様な朗らかな暖かさがヒメの体を包み込む。それが、草麻の返答だった。魔力の受け渡しという【主従契約】ならではの常識外れは独りでは決して行えない。ヒメは微笑むと、文句を口にした。


「バカ者が」


今日は良く眠れそうだ。




「ん、ぅ」

微睡みの中から浮上する。

自分の体は緩やかな網に掛った様に動かない。いや、動きたくない。微かな束縛感はあるが、それ以上に暖かかった。ぷかりぷかりと海月の様に波間を優しく漂う感じ。ずっとそこに在りたい様な、浮遊しているのか下降しているのか判らない。ただ、緩やかだった。


「ん」


眼を開けた。

窓からは太陽の光が降り注いでいる。光量から未だ朝になったばかりだろう。起きるにはいいタイミングだった。目を擦ろうとして、気付いた。腕が動かない。動かない事は無いのだが、後から誰かが自分を抱きしめいているせいで、腕が不自由になっている。


「ん?」


駄目だ、意識が上手く覚醒しない。

自分はベッドで寝ていた。部屋には二人で泊まっていて、ベッドは一つしかない。ならば、ベッドには二人居る事になる。


「んん?」


血液が急速に頬に集まるのを感じた。

自分は後から誰かに抱きしめられている。誰か?首を動かして背後を覗く。黒髪を持ち、見ようによっては端整に見える顔があった。従者の五澄草麻だった。彼は穏やかな表情でぐっすりと寝ていた。今まで本当に疲れていたのだろう、初めて見る本当に安らいだ顔だった。そのあどけない寝顔はどこにでもいる十七歳の青年だった。


「さむ」


呟き、青年は空いた空間を埋める様に密着した。

無意識の行動ではあるが、身体を硬直させるには十分過ぎた。結局、起きるのは諦めた。これ以上動いたら、気配に敏感な青年は直ぐに意識を覚醒させるだろう。彼の寝起きの良さは半端ではないのだ。


「疲れておるから、しょうがないの」


呟き、前に回された腕を握る様に微睡の中に戻る。

後には、穏やかに眠る二人の表情があった。




「んぁ、エークリルさぁん」

「………草麻。おはよう。で、お主は何をしておる」

「痛っ!!……ああ、ヒメか。おはようさん」

「で、お主は何をしておる」

「何って普通に寝てただけだろ」

「主人の寝所に勝手入る従者がおるか!!このバカ者!!」

「痛っっ!いや、何を今更言ってんだよ」

「今更も何もあるか、このバカ者!!だいたい、他の女を出す奴があるか!!」

「いや、知らねえよ!ていうか、ヒメ。痛い、めっちゃ痛い!」

「うるさい!このバカ者が!!」


閑話休題

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