旅立ち3/ お主のせいじゃな
「走れ!草麻」
「はいよー、ヒメ様」
拝啓
父さん、母さん、兄貴、静流。
月日が経つのは早いもので、異世界に来てもうすぐ七か月が経とうとしています。仮に僕が地球に居たら今頃進路に悩んでいたのでしょうか。考えても仕方の無い事ですが、ふと考えてしまう事があるのです。
例えば気付いたら幼女の従者になっていたり、例えばさらにランクが落ちて幼女の乗り物扱いされていたりすると、どうしようもなく思ってしまうのです。俺の人生大丈夫かと。せめて、人並みになりたいと切実に思う今日この頃。
敬具
ラシアナ大陸・グレートグリーン付近にて。
五澄草麻
PS
実際、現在の境遇がそこまで嫌じゃない俺はやばいのでしょうか。
誰か、回答をお願いします。
「ふむ、思うたより進んだのう」
「そいつは、良かった」
時刻は昼飯時、太陽は頂点にさしかかろうとしていた。
朝から走り通しだったので、休憩は望むところ、むしろ休ませて下さいである。やれやれと適当な木陰に移動し荷物を降ろした。ヒメが乗り総重量九十キロ近い荷物は、どすんと乱暴な音を立てた。
ふうと一息つき空を見上げる。
木の葉の隙間から光が流れ落ち、きらきらと乱反射していた。その光景に、ふと昔やった歩荷のバイトを思い出す。あの時の俺は百キロが精一杯だったんだが、師匠の静流はふざけた事に百五十キロの荷物を担いでいたんだよなあ。しかも、結構軽々と。さらに移動中もひいひい言ってる俺にむかつく程に余裕の笑みを向けてくるし、この化け物野郎と何度思った事か。それが今や俺も同類。いずれ辿り着く境地だったんだろうが、なんつうか少し凹むぜ。と、ヒメが怪訝そうに声をかけてきた。
「草麻、どうかしたか」
「いや、今更ながら遠い所に来たもんだなあと」
「何を言うんじゃ。竜の巣まではまだまだじゃぞ」
はは、とヒメの言葉を誤魔化す。
距離的な意味では無いんだな、これが。
「それで、昼飯にするのか?」
「そうじゃな、時間もちょうどよいし、昼食にするか」
「了解」
鞄から干し肉を取り出し、ヒメと分ける。
粗塩を振りかけると、それは立派な食事だった。日本にいた頃では考えられない位質素な物だが、人間の適応能力は存外馬鹿に出来ないもので、すっかり慣れてしまった。ヒメも犬耳をぴこぴこ動かしているし、食事に文句は無いと思う。
昼食が終わり、まったりとした時間。
昼寝タイムに突入しそうなヒメに、ふとした疑問を聞いてみた。
「そういえばさ、エレントって検問みたいなのあんのか」
「……んん、検問か?ああ、あるぞ。じゃが、安心せい。犯罪者として指名手配されとらん限り、普通に入れるわ」
「そうか。いきなり幼女を誑かした犯罪者として捕まる事は無いんだな」
「当たり前じゃ、バカ者。だいたい草麻は人の事を幼女、幼女と。儂よりも年下のくせに生意気じゃぞ」
「そいつは悪い。ヒメと違って若いんで生意気盛りなんだな」
「草麻よ。殴られたいか」
「殴ってから言うもんじゃないぜ、ヒメ」
「ふん、先手必勝じゃ」
言うだけ言って、ヒメはお昼寝タイムに突入。
その傍若無人さは正しくお姫様だった。しょうがないので、俺は基礎練でもするとしよう。そんな何時も通りの午後だった。
木漏れ日の中、草麻は「錬圧」の練習をしていた。
シルフィーアと戦った時に拳に魔力を乗せて撃った。薄ぼんやりとした記憶にあるのは、山吹色に輝く拳。まぐれと言う他ない一撃は正しく至高の一撃だった。問題なのはそれを意識的に撃てない事だ。それは自由自在に身体を操作する事を旨とする彼の流派にとって恥辱といえた。だからこそ、いち早くその感覚を思い出したかった。直向きで愚直なまでに基礎を繰り返す。あの時の一撃を可能な限り思い出しひたすらに再現する。
やがて、正拳突きが千回に届こうかとする時に突然木漏れ日の中に不穏な気配が漂った。
それは、常人なら気付きもしない細かい粒子。だが、草麻ははっきりと感じとる事が出来た。元来の危険感知能力の高さに加え、グレートグリーンでの生活は彼に獣並みの第六感を身に付させていた。草麻は周囲の気配を探る様に気を張り巡らせる。まるで、蜘蛛の巣の様にそれは草麻を中心として広がっていくと、彼の感覚に引っ掛かる存在が七つあった。
草麻は溜息を吐くとヒメに視線を向ける。
彼女は眠そうに眼を擦っているが、額に青筋が浮かんでいる所を見ると、不穏当な気配に起こされた事に腹を立てているようだ。
「ヒメ。そろそろ行くか」
「そうじゃのう」
不穏な気配を意に介さずに、草麻とヒメは出発の準備をし始める。
音も立てずに草麻達の周囲は囲まれた。それに気付かぬ二人ではないが、相手の出方を知りたかった。とはいえ、誘っているのは実際の所二人であり、奇襲されるタイミングが解っていれば、左程脅威ではないだろう。
草麻は木立に置いていた荷物を手に取ると担いだ。
それと同じタイミングで草麻に魔力の塊が飛来する。余りにも予想通り過ぎるタイミングに草麻は苦笑した。奇襲するなら相手の動きが制限された時を狙うのは当然だろう。草麻は焦ることなく荷物を降ろすと魔力弾を躱し、鎧通しを右手で抜いた。
余りにも自然に躱した草麻に周囲の気配が驚愕で揺らぐと、その間隙を縫う様に草麻は疾走する。
弾けた様な初動は野生の獣そのもの、草麻を眼で追えたのは一握りの存在だけだった。
奔り、草麻は一番近くに居た男に狙いを定める。
その男は長剣を握りしめ簡素な鎧を着ているが、草麻の速度に付いていけていない。男は無防備なまま草麻の接近を許すと、長剣を振るう事も無いまま草麻の左拳を顎に受けた。ぐりんと首を支点に男の顔が不気味に揺らぎ、男は呆気なく膝から崩れ落ちた。
先ずは一人。
草麻は油断する事無く周囲を観察しながら、次の標的に奔る。左手に居た男も、先の男と同じ長剣使いだ。二人目の男は既に体勢を整えており隙無く構えている。肉薄する草麻に、男の怒声と共に長剣が振るわれた。袈裟懸けに落とされた剣は威力だけなら大したものだろうが。如何せん遅い。草麻は半身になって剣を躱すと、そのまま男の顎に左拳を合わせた。交差法によるカウンターは男の意識を容易く飛ばすと、そのまま男は物言わぬ物体となる。
これで二人。
ぞわりと草麻の背に粟が立つ。振り返ると左右から二つずつ魔力弾が、前方には鬼気を纏ったハルバート使いが接近していた。明らかに、草麻の武装と戦法を意識した布陣だ。魔力弾に意識が向けば前方からハルバートが、ハルバードに意識を割けば、左右から魔力弾が草麻を襲う。草麻の一瞬の逡巡を誘う策だ。
仮にこれがシルフィーアと戦う前の草麻ならば、有効打を与えていたかもしれない。
だが、草麻は既にこの戦法をより高いレベルで体験していた。あの電光の刺突と、全方位から襲う風刃と風槌に比べれば児戯に等しい。
草麻は躊躇う事無く正面に疾走した。
その潔さを見てハルバート使いは殺気を増し、同時にぼうと赤い魔力の燐光が男の体から吹き上がる。淡い光だがそれは紛れもない魔力の奔流だった。魔力を纏った男を見て、草麻は哂う。到達すべき境地への一歩。草麻は堪えきれずに唇を歪めた。
一瞬視線が絡み、草麻は重心を左側に寄せた。
その偏った重心を見て、ハルバード使いはあえて草麻の右手側に突きを放つ。仮に穂先を避けたとしても重心から左側に避けるだろう、ならば斧刃で薙げばそれで終わる。今まで数多くの人間を屠ってきた彼の必勝パターンだ。
だが、草麻は男の思惑を打ち払った。
その右手に持つ鎧通しを持って、文字通りハルバードの穂先を鎧通しを持って力の限り薙ぎ払ったのだ。ギンと金属同士の鈍い音が響き、ハルバートの軌跡が左側にずれて行く。そのずれた軌跡に侵入する様に、草麻は払う動作をそのまま回転に繋げて刺突を躱す。豪と空気を掘削する音が、回転し半身になった背面から聞こえた。唇を凄絶に歪め男を睨む草麻は、獲物を狙う肉食獣の様であった。
ぞくりと男の背中に氷塊が突き刺さる。
それは、怖気だ。一切の逡巡も無く死に向かう精神、重量武器を軽量武器で薙ぎ払うという発想、それを実現させる常識外れの膂力。その全てが只者では有り得ない。怖気が怯みに、それは刹那の硬直を許し、気づいたら男は前方に体を崩されていた。草麻は回転の途中に左手でハルバートの柄を掴み、男の体を崩す様に誘導していたのだ。
引き付けられ、肉薄された間合いは既に草麻の範囲だ。
長柄を持ったままの男は倒された部下と同じ未来を辿るだろう。だが、男もさるもの、ハルバードを瞬時に手放すと、戦意剥き出しで草麻を睨み返した。
にぃと草麻はさらに唇を曲げる。
男は草麻の鎧通しに意識を傾ける。この距離、短剣は届くが互いに拳は届かないという絶妙の間合い。来るとしたら間違いなく短剣だろう。あの桁外れの膂力、油断等出来る訳が無い。男は覚悟を決めた。鎧通しがぴくりと動く、狙う場所は首筋か。男は手甲に守られた左手に魔力を集めガードに移った。草麻の眼に赤い魔力が左手に集中していくのが判る。鎧通しを受け止め、出来た隙にカウンターを決めるつもりだろうが、甘い。
視線と意識が交錯し、勝ち取ったのはどっちだろうか。
ずぶりと男の腹部から何かが突き刺さる音が聞こえた。同時、強烈な鈍痛が脳に叩きつけられる。瞬時に嘔吐感が湧き上がり、男は腹部に視線を移した。草麻の右爪先が鎧の隙間から脇腹に突き刺さっていた。
草麻の三日月蹴りは完全に男の意識の範囲外。
予想すらしていない奇襲だった。だが、それでも男は左手のガードを下げる事はしなかった。明らかに内臓は損傷している、余りの痛みに呼吸すら出来はしない。しかし、ここで下げたら命が無い。数多の視線を潜り抜けて来た、一介の戦士の生存本能だった。鬼の如き戦気を放ち、膝を屈さないのは見事としか言い様が無い。
草麻は緩やかに鎧通しを振るった。
男の視線が短剣に固定され、不意に短剣が視界から消える。逆再生をする様に鎧通しが戻るのと、草麻の左足が地面から離れるのは同時。
振り抜いた草麻の左上段蹴りは男の側頭部を綺麗に捕えると、容易く男の意識を闇に沈めた。
もし、男が草麻の戦いは拳足がメインという事を知っていればまた違っただろう。だが、男は結局気付けなかった。一度も攻撃に使わなかった鎧通しに、最後まで拘ったのが男の敗因だった。
男の体から赤い燐光が消え、草麻の背後で動揺が広がる。
男達の中での一番の使い手がやられたのだ、揺らぐのは当然で、敗北が脳裏に過るのは必然。だからこそ男達はこの一撃に懸けた。右手の男から炎の竜巻が、左手の男から水の塊が打ち出される。ただ魔力を込めただけの魔力弾とは密度が、威力が違った。
迫りくる二つの魔術、草麻は昏倒するハルバート使いの腰を掴むと、依然ヒメにかけたジャーマンスープレックスを男に使った。
「エイシャコラー!!」
放物線を描き、男の巨体は炎の竜巻に向かって行く。
これで、炎は解決。ならば後は水だ。草麻は直ぐに体勢を立て直すと落ちているハルバートを掴んだ。ずっしりとした重量感が今は有りがたい。
草麻は槍投げの要領でハルバートを水塊に向かって撃ち出すと、それに追従する様に草麻は走る。
草麻の眼前で水塊がハルバートによって弾け飛び、視線の先には狼狽える水の魔術を放った男が居る。肉薄し拳を一閃した。呆気なく男が倒れる中、草麻は振り返る。
炎の魔術師は自身の魔術を受けたハルバート使いに寄り添っていた。
団長という言葉が聞こえる事から、ハルバート使いが盗賊団のボスだったのだろう。草麻は気にする事無く、接近し炎の魔術師をぶん殴った。
周囲に静けさが戻る。
残り二人居た筈だがこの空気を見る限り、結果予想が付く。草麻は鎧通しを鞘に納めた。
「ヒメ、終わったか?」
「とっくに終わっとる」
草麻がヒメの方を見ると、地面から伸びる土の槍に昏倒させられた二人の男が見えた。ヒメの魔術にやられたのだろう。簡素とはいえ鎧が粉砕している所を見ると相当に強い衝撃が与えられたのが伺えた。草麻はとりあえず二人の男達に黙祷する。実は草麻は既に何度か喰らってたりした。
「とりあえず、どうする?」
「そうじゃな、とりあえず身包みを剥がして、七人を並べてくれ」
「了解」
言って、草麻はいそいそと男達の身包みを剥いでいく。
ポケットに入っていた物は全て回収し、腰に巻いてあるベルトで腕を縛り、脱がせたズボンで足を縛る。最後に各関節を外して終わりだ。草麻は手早く処理を終わらせると、七人の襲撃者達を一纏めにした。
「終わったけど、どうすんのさ」
蓑虫の様に転がる男達を見ながら、草麻は抑揚の無い声で言った。
「ま、見ておれ」
ヒメは呪文を唱え始めると、やがて地面に手を当てた。
男達の下にある地面が陥没し、陥没した分の土が男達に覆い被さって行く。やがて、男達は地面から顔だけ出した状態になった。七人の男達の首が並ぶ光景はいっそホラー的でさえある。草麻は凄えな魔術と感心しきりだったが。
「こんなもんじゃな」
「関節外す必要は無かったな。それで、次はどうするんだ」
「ふーむ。儂等が連絡用の魔具を持っておれば、最寄りの街にそれを飛ばすだけで済むのじゃがなあ」
正直に言えば、ヒメも悩み所だった。
人の往来が少ないグレートグリーンへの道筋で盗賊が出る事は稀である。ヒメは、街に到着するまでは、遭遇しないだろうと考えていた。なのに、遭遇した。これは草麻の奇運のせいではないかと思う。
ヒメは草麻に顔を向けた。
怪訝な表情の草麻だったが、やがてヒメから嫌な視線を感じた草麻は、ばつ悪そうに顔を逸らした。ヒメは何も喋っていないが、その金色の視線が語っていたのだ。お主のせいかと。正直に言えば、草麻自身も自分が余り運が良いほうだとは思っていない。でなければ、此処に居る事すらしていないだろう。イヤな自覚である。
ぽりぽりと草麻は誤魔化す様に頭をかいた。
ヒメはじとりと草麻を見ると口を開いた。
「お主のせいじゃな」
ぐさりと草麻の心に突き刺さった。
やがて草麻は気を取り直すと、真面目な顔を作った。
でないと、やってられなかった。
「あー、とりあえず、超ダッシュでエレントに行って事情を説明するとか」
「その間に間違いなくこ奴らは動物のエサになっておるじゃろうな」
「ヒメの魔術で結界的なもん張るとか」
「嫌じゃ。何が好きで人の命を狙った者にそこまでせにゃならんのじゃ」
「こいつら全員をエレントまで連行する」
「面倒じゃ。全員分の魔力封じの魔具があればよいが、こ奴らが持ってた分じゃ足らんぞ」
「なら、リーダーだけで連行して、他の奴らは時の運でどうよ」
「微妙じゃのう。少ない人数を連れて行けば、下手すれば、儂等が加害者に見られる可能性もある」
「あーー、どうする?」
「さて、なあ。もういっそ、お主の言う通り時の運で行くか」
ヒメが言葉を終えたのと同時、周囲に気配が混じった。
隠そうともしない力強い気配は只者ではありえない。草麻はさりげなく後腰に差してある鎧通しに手を向かわせた。もはや、溜息しか出て来なかった。
「何か用すか?」
振り返り、向かいの木立に声を飛ばす。
がさりと木々を抜け出て来たのは二人の男女だった。男の方は年の頃二十半ばといった所か、男にしては長い金髪と眼鏡を掛けた優しげな風貌は町医者と言っても通じるだろう。だが、実用本位で作られた軽装の鎧の着こなしと左腰に佩いている長剣が男が見事にマッチしている。その風貌に騙されると痛い目を見る事は間違いないだろう。
隣に居る赤髪をポニーテールにしている女は男よりは若いが、歴戦の風格があった。
後腰に差した二つの短剣と、最低限の防具から速度を活かした戦闘スタイルと思われる。盗賊団よりも余程厄介な相手だ。負けるとは言わないが、簡単に勝たせてくれるとは思えない。最悪、ここで死ぬ事すら念頭に置かねばならないだろう。
額からじわりと汗が流れる。
どうすると、草麻が視線をヒメに送ったのと、男が動いたのは全くの同時。瞬間的に草麻は抜刀するとヒメの前に移動する。草麻が半身に構えたのと、男が頭を下げたのもまた同時だった。
「君の短剣をくれないか!」
新手の物盗りの手段なのだろうか。
草麻は不意に思った。