旅立ち1/ 行きますか
昔々のお話です。
世界に文明という言葉が漸く出てきた時代に突然それらは顕れました。それらは二つの種族に分かれており、その二種族は余りにも人知を超越し余りにも理解の範囲外にいたので、人々は彼らを神と悪魔と呼びました。
やがて、二つある大陸に神と悪魔は降り立ちます。
神は北西に位置するラシアナ大陸に、悪魔は南東部に位置するゴンドーア大陸にそれぞれ居を構えました。二つの大陸はラシアナ大陸の南東部とゴンドーア大陸の北西部で繋がっており、そこが世界の中心とされました。
もともと彼らの仲が悪かったのか、それとも世界の中心が火種になったのかは判りません。
ただ、神と悪魔は互いに嫌悪しあい常に争っていました。二つの大陸を纏め、一つの世界エンゲア大陸を制覇する為にです。その戦いは何度も何度も繰り返され、世界すら崩壊すると言われる程でした。そんな終わりの見えない戦いに終止符が打たれたのは突然の事です。
始まりが唐突なら終わりさえも突然に、神と悪魔は戦いを止めました。
戦いが終わると神と悪魔は新しく出来た二つの大陸に移住します。南西海に浮かぶアマハラ大陸に神が、北東海に浮かぶナランカル大陸に悪魔が新しく居を構えました。
やがて、人々が戦いの記憶を忘れ始めた時世界は再び煉獄に包まれます。
神と悪魔が再び覇を競いあったのです。そして、文明が滅び、新しい文明が出来る頃に戦いは終結し、神と悪魔はそれぞれの大陸に戻りました。世界の中心は誰のものでも無く、誰のものでもありました。
また、長い月日が流れます。
世界の中心は竜の巣と呼ばれ、世界の中心が不可侵の聖域と呼ばれるのに時間はそうかかりませんでした。また、ラシアナ大陸の住人とゴンドーア大陸の住人が過去の戦を繰り返さぬ様、手を取り合い始めたのもこの頃からです。それから人々は国同士で小競り合いをする事はあっても、世界が黄昏に包まれる事はありませんでした。
神と悪魔は眠りにつき、何時かの時を待ちわびるのでしょう。
五千年前の出来事です。
あの衝撃的な夕方から一週間経った本日。
私、五澄草麻はこの森林を卒業します。今まで色んな事がありました。それでも生き抜いてこれたのは森林の皆様のお蔭です。今まで本当に有難うございました。洞穴を背に森林に向け頭を下げる。気分は完全にアイドル卒業式。私、普通の男の子に戻りますってなもんである。そんな感慨に耽っていると、突然声が掛った。
「何をやっとるのじゃ、草麻」
その良く通るソプラノ声は親友のもの。
ヒメは先程まで出立の準備をしていたので、丁度それが終わり、俺の様子を見に来たのだろう。若干呆れの音色が含まれた言葉は俺の繊細な心をざっくりと傷つけた。何時まで経っても、女は男の浪漫を理解しねえ。やれやれと首を振りたい衝動をどうにか抑え、俺はヒメに振り返った。
「いや、この森ともお別れかと思うと、感慨深くて」
「ま、確かにのう。お主と逢ってから色々あったわ。しかし、むしろ此処を出てからの方が大変じゃて」
ヒメは俺の隣に並ぶと、視線を遠くに送る。
その視線の先にヒメが何を見ているのかは俺には判らない。ただ、俺は既に一蓮托生を義務付られている立場だ。文句なんて言える訳が無い。無いが、愚痴位いいだろう。
「俺は楽がしたいんだがなあ」
「ふん。笑いながらでは説得力の欠片もないわ」
「うるさいよ。まあ、正直に言えば、楽しみな部分もあるにはあるからな」
言って、ヒメと用意した鞄を叩いた。
普通の学生鞄の他に、動物の毛皮と蔓で作ったお手製のバッグが並んでいる。共にぱんぱんに膨れた鞄にはこれからの旅に必要な物が入っており、ヒメと話して必要不必要を振り分けているが、それでも大荷物だ。
これで異世界産の教科書とかが入っていたら選別に悩んだだろうが、その心配は杞憂だった。
あの戦闘の後、気づいたら教科書と携帯電話と財布は無くなっていた。おそらく、シルフィーアさんが勝手に持っていったのだろう。
幸いというか鎧通しと万能ナイフは置いていってくれたので、実質被害は無いがそれでも一抹の不安はある。何せ、シルフィーアさんは高名な魔術師兼研究者らしいので、あれは騒乱の元になりかねん。まあ、多分大丈夫とは思うけどな。
「その意気があれば大丈夫じゃな。それでは、行くぞ」
ヒメは人間形態から狼形態にシフトする。
淡い燐光に包まれ徐々にフォルムが変化していく様は未だに不思議すぎる。あの十歳程度の幼女姿から巨狼姿だもんなあ。魔術って凄い。
ちなみに、ヒメが来ているワンピースは魔力で編まれたものらしく、洋服というよりも魔術衣らしい。なので、仮に普通の服を着たまま狼へシフトすると、サイズの変化に服が耐え切れず普通に駄目になるらしい。流石にそこまでは万能ではないようだ。
しかし、普通の服を魔術衣にする事態は可能らしく、俺の道衣はシルフィーアさんの手によって半魔術衣となっている。これは切り裂かれた部分を直すついでにしてくれたようで、気が付いたらそうなっていた。作成方法は魔力を洋服に編み込み、術式で固定する技術を用いているらしいがよく判らん。
とりあえず、俺が気改め、魔力を小まめに浸透させれば、その内破れてもまた俺の魔力で補修されるらしい。まあ、結局そんな高位魔術を補修に使う位なら、新しく洋服を買った方が早いし、専門の服や鎧の方が遥かに性能が良いので、余程物好きな魔術師しか使わないそうだ。
「よっ」
ジャンプし、狼状態のヒメに跨った。
出会ったときは肩高1m位だったのがいまや1.5m近いので、跳躍しないと乗れやしない。僅か一日でここまで成長するとは、超常現象を通り越して、怪異の類だと思う。とはいえ、魔力を使わず垂直跳びで軽く1.5m跳ぶ俺も大分やばいと自覚はしている。しているが、これからの事を考えるときっと足りないのだろう。シルフィーアさん、マジで化け物過ぎたしなあ。
ともかく、ヒメの急激な成長は封印が解かれたからとの事。
あの戦いでヒメは掛けられた封印を解き、昔の力の一部を使用可能になったらしい。なので、喋れるし、人間形体になれるし、魔術も使える。
そういえば、絵で会話していた時の人になれないと言ったのは俺の誤認で。
あの時ヒメは“今は”人間形態になれないと言っていたらしい。何にせよ、折角魔法ならぬ、魔術が使えるとの事で教えて貰おうと思ったが、とりあえず属性を調べてからという事になった。
それと、魔法と魔術の違いだが、魔法はこの世界でいう異端審問官が使う技術で、魔術はそれ以外が使うモノらしい。かなり大雑把な説明だが、ヒメの知識がそう言っているので、間違い無い筈だ。多分。
ちなみにこの一週間だが、俺は旅の準備の傍らヒメには気、魔力の扱いと魔術に関する基礎知識を習っていた。魔術に関しては凄い為になったが、魔力の扱い方に関しては、シルフィーアさんとの戦いで何となく判っていたので再確認程度のものだ。まあ、何故かヒメは不機嫌になっていたが、困ったものである。
しかし、この世界に来て早半年。
漸く、スタートラインに立てた様な気がする。現在の目的はヒメの封印の完全解除、目標は世界の中心である竜の巣へ到達する事だ。何故封印を解くのに竜の巣かと言うと、そこにはありとあらゆる知識、魔術が眠っているらしく、間違いなく解呪出来るからとの事。むしろ、そこまでしないと解けない封印って何だよと思わんでも無いが、まあ今更だろう。気にしたら負けだ。
それに、竜の巣へ行けば元の世界に戻る術も見つかるかもしれないので行く事に否は無い。
ただ、懸念が一つ。この世界の常識の一つに、黄昏を呼びたくなければ、無闇に竜の巣に触れるべからず。という言葉があるのだが、果たして大丈夫なのだろうか、実に気になる。俺、竜の巣目指してるんだと言った瞬間、捕えられないよなあ。後でヒメに聞いとこ。
ちなみに、現在地点はラシアナ大陸中心から南西に位置するグレートグリーンと呼ばれる場所で、そこから東へ南へ進めば世界の中心に辿り着く。ただ、その間に国やら何やらを通過しなければ行けないので正直三蔵法師並みに大変だろう。気付いたら、おっさんに成ってましたというオチだけは防ぎたいものだ。是非とも、竜の巣へ行かなくてもヒメの封印が解呪出来る事を切実に願う小市民な俺でした。
朝日が昇る。
夕焼けとはまた違う太陽の光を浴びて世界が活性化しだす。木々の葉っぱがきらきらと光り、まるでこれからの旅路を祝福してくれている様にも感じる。本当、色々あったもんなあ。寂寥感が身を包み、今更ながら鼻の奥がつんとした。これから旅を始めるというのに、いきなりホームシックとは情けない限りだがヒメも同じなのだろう。寂しそうな唸り声が小さく聞こえる。
「行きますか」
「そうじゃな」
二人で最後に俺達の家を見た。
小さな洞穴はすっかり片付き、ただの洞穴に戻っている。それでも、俺達の思い出としては十分すぎた。風が吹き、それに乗る様にヒメが駆け出す。もう、振り返る事は無かった。
森林を抜け、三日経った。
一先ず、近隣の街に行かなければ話にならないという事で、現在はグレートグリーンから一番近いエレントの街を目指している。エレントはそこそこ大きな街であり、流通も盛んに行われているよう都市だ。
そこで、冒険者協会という組織に登録したいと思っている。
この冒険者協会というのは最古のギルドの一つで、世界の探索を旨とする組織だ。ただ、既に世界の探索がある程度終わっている現在は、RPGによくある魔獣の討伐や採取困難な材料の調達、商人等の護衛依頼を主な業務としているらしい。
実際、腕に覚えがあり一攫千金を狙うなら冒険者協会に登録すべしと言われる位にその業務は手広く、各種依頼の多種多様さは国からも依頼が出る程。もはや、その規模は各国からも無視出来ない程の大きさを誇る多国籍企業だ。
故に国境や都市毎の検問を通る際にもある程度の融通が利くので、全世界を渡り歩くなら冒険者協会登録は必須だろう。
と言う訳で、エレントに着いたら早速登録できればいいが、出来なかった時の路銀は獣の爪や牙、後岩塩を売るしかない。買い取ってくれる所があればいいが無かったらマジでやばい。流石にこの年で甲斐性無しと呼ばれるのは嫌です。
そんな俺の心境を無視する様にヒメは軽快に走っている。
トップスピードで無ければ一晩中走り切る狼ならではの持久力だ。景色は既に大自然という風景から人の手が入った様な景色がちらほらと見える様になっている。
例えば、今走っている道だってそうだ。
今までは草原を駆けて来たが、今は道と言えるだろう通りを走っている。もっとも、整備は全くされておらず、何時獣道になるか判らない有様だが、それでも以前に誰かが通ったのは判る。近くには川が流れ、この流れの先に目的地である最初の町が有る筈だ。ヒメの記憶が確かなら。ともかく、計算では後三日もあれば到着する筈。凄い楽しみだ。
夜の帳が降り夕食が終わった。
竃の近くで、日課である筋トレの腕立て伏せをしながら、ヒメに声を掛ける。
「ヒメ。エレントの町まで、後どれ位だっけか」
幼女姿になり、俺の背中に重し変わりとして乗っているヒメは一瞬考え、口を開いた。
「そうじゃなあ。儂が狼形態で走れば一日で到着できるじゃろうが、街に近付けば、人の目もある故、狼形態ではいられぬ。冒険者協会で登録した後ならよいが、何も無い状態で目立つ訳にはいくまい」
「そうだよなあ。じゃあやっぱり途中まで狼でそこから歩きか。それなら到着は三日後位か」
「いや、二日もあればつくじゃろ」
「そうかあ」
「何せ、途中からはお主が儂を背負うて走るのじゃからな」
腕立てが止まる。
今、ヒメは何て言った。
「え、悪いんだけど、もう一回言ってくれる?」
「じゃから、草麻。お主が儂を背負うて走るのじゃ。儂だってお主を背負うて走っておるのじゃ、まさか出来ないとは言わせんぞ」
いや、多分言ってる事は同じだけど、中身は全然違うだろ。だが、女の子であるヒメにそう言われたら、頷く他ないじゃんか。
「う、ぐ。判った」
「当然じゃな」
背後というか背中で笑う気配がする。
ちくしょう、完全にヒメ狙ってやがったな。しかし、人を背負って走るか。俺、その内、おすわりとか言われないよなあ。確かに色は違えど道衣と野袴は似てると言えば似てるけどさあ。
「それで、エレントで冒険者に登録するんだっけ。それって、簡単に出来るもんなん?」
「しかるべき身分と実績があれば簡単じゃが、一般公募は一筋縄ではいかんの。ある程度の身分を証明し、その上で試験を合格せねばならん。ま、今のお主の力なら落ちる事はあるまい」
「ふーん、成る程ねえ。けど、試験はともかくとして、俺身分を証明出来るものなんて無いぞ」
いや、今更だけど俺戸籍も何も無いんだよなあ。
しみじみと自分の立場に涙ほろりとするが、背中に乗っているヒメからの返答が一向に無い。何か嫌な予感がしてきたぞ。
「ヒメ。どうした」
「草麻。お主、今何と言った」
「試験はともかくとして?」
「違うわ。その後じゃ」
「俺に身分を証明するものは何も無いぞ」
ぷるぷると背中で震える気配。
微弱な振動が体に伝わり、何か変な感じがするが、今はそれどころではない。嫌な予感がびしばしさ。なにせ、ヒメがまた黙り始めたからな。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもないわ!お主は証明術を受けとらんのか!」
「いや証明術ってな」
【証明術】
生まれた時に体に記憶させる戸籍の様なもの。魔力の波長を刻みそれを読み取る器具に記憶させる事によって本人証明が出来る。また、犯罪等によって前科がある場合は上級術者の手によって、証明術の書き換えが行われる。一般的に生まれた時に証明術を受けるが、受けて無い者は「逸れ者」として差別される事がある。また、初めての証明術を受ける場合は一般的な術者でも出来るが、書き換えになると上級術者の能力が必要になる。
「あー。拙いね」
「拙いねじゃないわ!そもそもお主はグレートグリーンで修行しておった武芸者では無いのか。もしや草麻は一族を抜け出たのか?」
「いや、そもそも俺、異世界からやって来た只の人間からなあ。始めっから戸籍なんてものは無えよ」
「………は?草麻、お主頭でも打ったか?儂は下らぬ冗談等聞きたくはないぞ」
「んん。ヒメに言ってなかったけ。俺、半年前にこの世界にいきなり飛ばされて、右も左も判らん内にヒメに出会って、今に至るんだが」
そういえばと、言って思い出した。
俺ってヒメに何も話してねえや。流石に絵で異世界という概念を伝える事は出来なかったので、そのまま放置してたんだ。その内言わなきゃなあと思いながら、今まですっかり忘れてた。失敗失敗、テヘと笑う前にヒメは俺の背中から降りると、いきなりどげしと俺の顎を蹴り上げた。
「痛ったあ!ヒメ、いきなり何すんだ」
「お主はいきなり何を言っておるのじゃ。儂は訳が判らんぞ」
胸倉を掴むヒメの眼は全く笑っていませんでした。
嫌な予感的中だぜ。さて、こうなっちまたらしょうがねえ。説明も面倒くせえし、使ってみるか。
いざ、必殺のかくかくしかじか、これこれうまうま。
これ、凄い便利。