「小賢しい」と婚約破棄された参謀姫ですが、なぜかオネエな王子様に見初められました〜私を捨てた元婚約者は自滅するようです〜
「フレデリカ・オーレルビア! お前のような女との婚約は、今日をもって破棄する!」
――ああ、やっぱり駄目だった。
シャンデリアのきらめく夜会の場で、私の婚約者――ブルーノ・スペンダー侯爵令息は憎々しげに目を細めながら、声高らかにそう宣言した。
「小賢しく俺の仕事に口出しし、男を立てようとしないお前の振る舞いにはもううんざりだ! 賢しらに知識ばかり振りかざす女を、俺の傍に置く理由などない!」
『小賢しい』。
彼が私を罵る時に、お決まりのように使っていた言葉だ。
今まで婚約者として、ブルーノ様を支えようと必死に知性を磨いてきたけれど……。
そんな私の姿を、彼はひとつも知ろうとしなかった。
「『オーレルビアの参謀姫』もついに『更迭』されたか」
「なんでも、ブルーノ様を通じて侯爵家を牛耳ろうとしたとか。恐ろしい……」
不名誉な愛称。根も葉もない噂。
周囲の貴族たちが囁き合う声が、私の心臓に突き刺さる。
(……いけない。淑女たるもの、俯くなど……)
「……婚約の破棄は、スペンダー侯爵様もご承知なのですか?」
「この期に及んで小癪なことを……! 俺の伴侶は俺自身が決めるものだ! 父上に許可をとるまでもない」
両家の繁栄のためにと調えられた婚約だったが、ブルーノ様にとってはただの息苦しい枷だったようだ。
こうなったらもう、彼は自分の意見を取り下げることはない。
示し合わせたように、ブルーノ様の隣に一人のご令嬢が歩み寄る。
彼女はまるで、子猫のような愛らしい容姿をしていた。
「新しい婚約者には、このエミリー・ルルス男爵令嬢を迎える! ……エミリーはお前と違って、俺の仕事に余計な口出しをしない。貞淑で男を立てることをよく知っている!」
「ブルーノ様ったら……フレデリカ様をそうお責めにならないで?」
「エミリー……君は本当に女神のようだ。……フレデリカ。お前の小賢しさで彼女を見習えば、その垢抜けない恰好も少しはマシになるだろうに」
ブルーノ様の言葉に釣られて、周囲から嘲笑の声があがる。
「確かに、フレデリカ様のあの恰好は……」
「服に着られるとはまさにあの姿のことですわね」
「エミリー様に比べたら、なんと見劣りすることか……」
今日の私のドレスには、たっぷりのフリルに、大振りのリボン。
そして至る所に、可愛らしい刺繍たちが施されている。
……大柄で、陰気な黒髪の私には、まるで似合ってない装いだった。
(分かってるわ……こんな可愛らしいドレスが、私に似合ってないことぐらい……!)
「もうお前は不要なんだよ、フレデリカ」
彼は、私がこんな恰好をしている理由も気づかぬまま――吐き捨てるように、そう言った。
「――承知、しました……」
私はもう、婚約破棄を受け入れるしかなかった。
周囲の笑い声が響く。もう前を向いていられない。
俯いて、思わず挫けそうになった時――。
「まったく。見てられないわねぇ」
笑い声を切り裂くように、凛とした声が響き渡った。
声がした方を振り向くと、人の垣根を越えてゆっくりと歩み寄る影がひとつ。
「っ、誰だお前は!」
「胸を張りなさいな、『参謀姫』。アナタは俯くより、背筋を伸ばして立つ方がずっとステキよ」
肩まで伸ばした美しいストロベリーブロンドの髪。
つかつかと小気味良い音を立てる、高いヒールのブーツ。
歩き姿まで美しい貴公子が、私の肩を抱いた。
彼はちらりと私を見ると、軽快にウインクを飛ばしてくる。
――まるで、「安心して」と言うように。
「アタシはアリー。メルビス伯爵家の者よ」
(……メルビス伯爵家?)
私はその言葉にひとつ疑問を抱いたが、話はどんどん私を置いて進んでいく。
「どこぞの伯爵家の人間が、一体なんなんだ!」
「ひとつ確認したいの。これでアナタと参謀姫は、婚約を解消したということでよろしい?」
「ああ。それがどうした」
「なら、アタシがこの娘を奪っても文句言わないわよね?」
「はっ、物好きもいたものだ! そんな女、喜んでくれてやる!」
「言質はとったわよ。……それじゃあ行きましょ、参謀姫」
口を挟めぬまま、あっという間に話が終わってしまった。
急に現れた貴公子にエスコートされて、ホールを後にする。
背後から私たちを笑う声が聞こえてきたが、それどころではなかった。
「あ、あの……」
「急に連れ出してごめんなさいね。……どうしても、我慢ならなかったものだから」
人気のない庭先まで出ると、彼はぴたりと歩みを止めた。
振り向いた蜂蜜のような瞳は、鮮やかに私を映していた。
「我慢?」
「ええ。……申し訳ないけれど、言わせてちょうだい」
彼はひとつ息を吸うと、カッと目を見開いた。
「どういうことなの!? その恰好!」
「えっ」
婚約破棄の場から連れ出しておいて、最初に言うことがそれなんですか?
「いえ、好きで着ているなら他人がとやかく言うことではないけれどね! それにしたって組み合わせがちぐはぐすぎるわ! なんだってこんな素材を殺す装いをしているの!?」
「えっと」
「この綺麗な黒髪なら、巻いてボリュームを出すよりも結い上げて首元をすっきりさせた方が映えるのに! しかもこんな……甘めなドレスよりも、その長身を生かしたモードな装いの方がアナタの良さを引き立てるのに……! 本当に惜しいわ、アタシがスタイリストなら最大限アナタの魅力を引き出してみせるのに!」
「ちょっと待ってください!」
一気にまくし立てられたので、思わず話を遮った。
……決して私を馬鹿にしているわけではないようだけど、こちらにも言いたいことはある。
「私だって、好きで着ているわけじゃないんです……!」
似合ってないことぐらい、分かっている。
しかし――かつてブルーノ様が言ったのだ。
「そういう少女らしい装いをしていた方が、多少は俺の婚約者らしく見える」と。
決してブルーノ様を愛していたわけではない。
でも、婚約者として――少しでも円満な関係を築きたいと思ったから、少しでも彼が受け入れてくれるような装いをしていただけ。
一気に言葉を吐き出した私を見て、アリーと名乗る貴公子は瞳を丸くさせていた。
「……そうだったのね、ごめんなさい。……この装いは、アナタなりにアイツに寄り添おうとした結果だったのね」
彼はそう言うと、静かに私に頭を下げる。
彼の耳元のピアスが、しゃらしゃらと音を立てた。
伏せた目蓋を縁取るまつ毛が、綺麗に伸びている。
目の覚めるような美貌で、上質な衣服を身に纏った貴公子。
私は彼のことが――どうしても気にかかった。
「ところで、貴方様は――どちらの方でしょうか?」
「え? アタシは……」
彼の言葉を制するように、核心を突く。
「アリー・メルビスという名前は偽りですよね?」
「――っ!」
メルビス伯爵家。現王太后様のご実家でもある、由緒正しい家系だ。
しかし私の知る限り――メルビス家に、アリーという名前の殿方はいない。
「メルビス本家にも分家筋にも、アリーという名前の殿方はいらっしゃらなかったはずです。あの場では誰も気づいていませんでしたが……」
洗練された所作。上質な衣服。
そして、メルビスの名を隠れ蓑として使うことのできる立場。
隠し切れない違和感が、彼の本当の身分を物語っている。
(『アリー』がもし本名の愛称だとすれば……第三王子アレクサンダー殿下、王弟殿下ご子息アルフォンス様、ベクシー大公ご子息アライアス様が当てはまるけれど……)
このお三方と目の前の彼は、容姿が一致しない。もちろん、変装の可能性もあるが……。
今見えている情報だけでは、正体が誰かまでは特定できない。
そこまで考えて、ふと我に返った。
高貴な身分の方が、正体を隠して社交界に顔を出している。
その事実を考えれば、こうして正体を確かめようとする行為は非常に危険だ。
「っ、申し訳ございません、踏み込んだことを申し上げました。……今宵のことは忘れます。決して口外いたしません」
目に入った違和感を追究したくなるのは、私の悪い癖だ。
私が内心自責していると、目の前の彼は思いもよらない反応を返してきた。
「……さすがは『参謀姫』。こんな短い間で、そこまで分かってしまうのね」
面白いものを見つけたように、その声は弾んでいる。
その声に思わず見上げると、彼の顔はまるで眩しいものを見るように目を細めていた。
「それだけ聡明なアナタが……アイツのために、そのドレスを着ていたのね……」
慰めるようなその言葉が、私の心に染み込んできた。
今日初めて会った彼だけが――私の姿の理由を、汲んでくれたのだ。
私が何も言葉を返せないままでいると、彼はそれまでの表情をがらりと変えて、明るく笑いかけてきた。
「アナタってとっても可愛い女の子なのね、参謀姫!」
「ええ?」
「アタシ、なんだかアナタから目が離せなくなっちゃったわ」
今まで誰からも言われたことのない言葉を浴びせられて、思わず目を白黒させてしまう。
私のそんな様子に構うことなく、彼は私の髪をひと房掬う。
「アタシ、気に入ったものはとことん追いかけるタイプなの。――また会いましょう、フレデリカ」
そうして彼は、私の前から立ち去って行った。
この夜から――私とアリーの関係が始まったのだ。
*
あの夜会以降、あらゆる社交の場でアリーと遭遇した。
もちろん、彼も理由あって社交界に忍び込んでいるのだろうけれど……それにしたって回数が多い。
今日もまた、人気のあるブティックの新作発表会に彼はいた。
「また会えて嬉しいわ、フレデリカ!」
「アリー……! 本当に偶然ですか!?」
「ふふ、それはどうかしら」
いたずらっぽく笑うアリー。でも、嫌な気はしなかった。
アリーは思いのほか、気が合う殿方だった。
初めのうちは、『小賢しい』と思われるんじゃないかと話題に苦慮していたが、彼から領地経営や宮仕えの話を振ってくれた。
内心怯えながら私の意見を述べると、アリーは嬉しそうに話を続けてくれたのだ。
彼に気安く接するのは少し躊躇われたけれど……彼の正体を隠すためにも、あえて友人として、彼との会話を楽しんでいた。
「最近見かけなかったけど、どうしていたの?」
「領地で長雨が続いていたので、その被害の視察に」
「仕事が早いわね。さすがは参謀姫」
アリーから『参謀姫』と呼ばれても、何故だか不快ではなかった。
……少なくとも、彼が褒め言葉として言っているのは分かるから。
(……やっぱり、アリーと一緒にいると気負わずにいられるわ……)
それにアリーが傍にいると、ゴシップ好きの貴族たちが話しかけてくることもない。
こんなに心が軽やかなのは、一体いつ以来だろう。
領地の話に花を咲かせていると、私たちに歩み寄る人影が見えた。
「ごきげんよう、フレデリカ嬢。そして……アリー様」
このブティックの経営者、グレンツァ公爵夫人だ。
夫人と挨拶を交わしながらも、その身に纏っている新作のドレスに目が奪われる。
「夫人、もしかしてそのドレスは……ムルブ国の絹を使っていらっしゃるのではないですか?」
「まあ! お分かりになる?」
「ええ! 隣国にムルブ国の姫が嫁いでいらしたことで、我が国にもムルブ産の絹が流通するようになったと聞きました! 実物を目にするのは初めてですが……」
「そうなの! 馴染みの商会にお願いしてね、うちにもムルブ絹を仕入れてもらうようにしたのよ」
夫人との話がつい盛り上がる。
その横で、アリーも頷きながら話を聞いていた。
「フレデリカは他国についても詳しいのね」
「そんな……所詮聞きかじりの知識ですわ。お恥ずかしい」
「いいえ。これがムルブ絹だと気づいたのは貴方が初めてですよ。……参謀姫という異名は伊達じゃないのね」
にこやかに笑うグレンツァ夫人に、恐縮してしまう。
「アナタの知識の深さを知る度に感心しちゃうわ。……本当、このままにしておくのが惜しいくらい」
「アリーったら……」
夫人の前だろうが関係なく私を褒めるアリーに、たじたじになる。
さすがに人前で褒められるのは、落ち着かない。
「ところでアリー様は、最近参謀姫にご執心だとか」
「ええ。なんだか彼女から目が離せなくて」
「なんとなく、その気持ちが分かるわ。……フレデリカ嬢とちゃんとお話ししたのは初めてですけれど、とても聡明なご令嬢ですもの」
グレンツァ夫人のその言葉には、悪意は滲んでいなかった。
「婚約破棄の話は聞いていましたけれど……その方が良かったのかもしれないわ。あのような方に貴方を嫁がせるのは、宝を腐らせるようなものですもの」
「え……?」
夫人の口から零れ出た言葉に、思わず聞き返してしまう。
ブルーノ様のことを言っているのだろうけれど……一体なにがあったというのだろう。
「ああ、ごめんなさい。口を滑らせてしまったわ。では二人とも、どうぞ楽しんで」
夫人は何事もなかったかのように扇で口元を隠して笑うと、アリーになにやら目配せをしてから、私たちの元を離れていった。
そっとアリーを見上げる。
グレンツァ夫人とブルーノ様は、特に交流はなかったはずだけれど。
それに、夫人の目配せも気にかかる。
「アリー……夫人とブルーノ様との間に何があったか、知っている?」
「……知っているわ」
予想していた通り、アリーは知っていた。
もしかして……そのことで、アリーは今日ここに?
アリーはさっきまでのにこやかな表情を一変させて、真面目な顔で話し出す。
「……つい先週、ブルーノがこのブティックで恫喝騒ぎを起こしたのよ。新しい婚約者のドレスを注文しようとして断られ、それに逆上したんですって」
「なんてこと……!」
事情を聞いて、思わず背筋が凍る。
時折粗暴な振る舞いをする人だとは思っていたけれど、まさかそんなことをするなんて!
「店側は、ゴシップの渦中にいる人物には関わらないと判断したのでしょうね。まさかこんな騒ぎになるとは思ってなかったでしょうけれど……」
……今はもう関わりのない人物とはいえ、元婚約者がそのような騒ぎを起こしているだなんて。
何も知らずここに来たことが申し訳ない。
そんな思いが顔に出ていたのか、アリーが慰めるように私の肩に触れた。
「ちょうどフレデリカが領地に行っていた時のことだから、知らなくても仕方がないわ。……ほら、そんな暗い顔をしないで。今日はファッションを楽しみましょう?」
その言葉に、私は陰鬱な気持ちを払うように顔を上げた。
彼に手を引かれて、店内をぐるりと歩き回る。
様々なドレスやアクセサリーが、行儀よく並んでいる。
(あ……)
並べられた髪飾りのひとつに、目が留まった。
ひと際輝くゴールドの髪飾り。……彼の瞳に、よく似た色。
「フレデリカ! このドレスちょっと着てみて!」
髪飾りから目を離してアリーの方を見ると、アリーは分かりやすくはしゃいでいた。
手当たり次第に私とドレスを試着室へ放り込む。
アリーが見立ててくれたドレスたちは、どれもこれも私の雰囲気に合ったものだった。
「……どう? アリー」
「……うん、良いわね。そのロイヤルブルーのドレスなら、この黒の帽子が合うかしら……」
色々と着替えてみせると、アリーはその表情をくるくると変えて楽しんでいた。
あれこれと小物を手に取りながら悩む彼が、なんだか可愛らしくてつい笑ってしまった。
「……楽しい? アリー」
「ん? もちろんよ!」
一点の曇りもない笑顔。それに釣られて、私の頬も緩む。
そのまま彼は、手元の黒い帽子を私に被せる。
促されて鏡を見ると、今まで見たことのない、見違えるような姿の自分がいた。
「すごい……」
「うん、満足! どれも貴方の美しさを引き立てるものをチョイスしたつもりだけれど……所詮これも、アタシの趣味を押し付けているに過ぎないわ。……付き合ってくれてありがとう」
やり切った顔をするアリーの横で、私はその言葉を噛みしめていた。
あの時の私は、似合いもしないドレスをただ着ていただけだった。
でも……このドレスは違う。
「……私、このドレスを買うわ」
「フレデリカ……別に、無理しなくても」
「このドレスが良いの。でも……そうね」
ぐるりと辺りを見渡して、近くに飾ってあった白い帽子が目に入った。
それを手に取ると、帽子を変えてもう一度鏡に姿を映す。
「帽子は、こちらの方が好みだわ」
「……最高ね。ね、その一式、アタシにプレゼントさせてちょうだい? 今日の記念に」
「そんな……」
遠慮しようとしたが、アリーの有無を言わさない笑顔に押し切られ、ドレスたちをいただくことになった。
でも――ただ与えられるばかりでは嫌だった。
「アリー。私にも貴方に、プレゼントがしたいです」
「え? そんな、別にいいのよ?」
「私がそうしたいんです! ……アリーには、ずっと良くしてもらっているから……」
婚約破棄の場から連れ出してくれたこと。
私の話を楽しそうに聞いてくれるところ。
私の意志を尊重して、好みを押し付けないところ。
そのどれもが、私をまるごと大事にしてくれているようで、たまらなく嬉しかったのだ。
先ほど見かけたゴールドの髪飾りを取ってくる。
一目見てその色に心を掴まれた。
……私を見ている時の、アリーの瞳にそっくりだったから。
きっと、彼のストロベリーブロンドにもよく似合うだろう。
「アリーのその髪がとても綺麗だから……その髪に似合うものを、贈らせてください」
アリーの正体が誰であるかは、まだ分からない。
でもきっと、アリーの姿がすべて虚像というわけではないはずだ。
ならばせめて、私も『アリー』を輝かせるプレゼントを、贈りたい。
「『アリー』じゃない時も、これを見て……私のことを思い出してもらえると、嬉しいわ」
この時間が楽しいと言ったアリーの言葉は、本当だと思うから。
この髪飾りを見た時に、私との思い出が、彼の心を和ませてくれるように。
一介の貴族である私には、そう願うことしかできなかった。
「フレデリカ……!」
「きゃあっ」
感極まったようなアリーの声。
気が付いたら、足元がよろけて――アリーの腕の中に、納まっていた。
柔らかな香水の香りが、鼻腔をくすぐる。
「今まで貰った中で最高のプレゼントよ……! ありがとう、一生大事にするわ」
「ふふ、大げさね、アリー」
「大げさじゃないわよ……」
抱きすくめられて表情は見えない。
でも抱きしめる腕の強さが、彼の言葉が真実だと教えてくれる。
「……大好きよ、フリーダ」
「アリー……!」
「やっぱり……誰にも渡したくないわねぇ……」
ブルーノ様すら呼ばなかった私の愛称。
独り言のように呟かれた言葉の意味が、まだ私には分からなかった。
*
一方その頃、王宮ではブルーノが苛立たしげに廊下を歩いていた。
「くそっ、なんだってこう上手くいかないんだ……!」
ブルーノが処理した書類の山は、すべて不備で突き返された。
フレデリカがやっていた仕事ぐらい容易に処理できると、ブルーノは思っていた。
「なんでフレデリカがいないだけで、こんなに調子が狂うんだ……!」
ブルーノの悪態は、今この場にいないフレデリカへ向けられている。
新しい婚約者であるエミリーは、彼の仕事を補佐できるほどの知識がない。
ブルーノは、愛玩人形のようなエミリーのことは気に入っていたけれど、実務能力がないことには少々苛立っていた。
(エミリーのおねだりで出費も嵩んでいるし……どれだけ金があっても足りない! フレデリカの時はこんな感じではなかったのに……!)
とげとげしい空気を発しながら、ブルーノは派手に足音を鳴らす。
そんなブルーノの様子を知ってか知らずか、すれ違う貴族たちがなにやら噂話をしている。
「聞いたか? 最近の参謀姫」
「なんだか垢抜けたって聞いたぜ」
「なんでも美貌の貴公子とよく逢引してるとか」
「本当かよ、やるなあ!」
その言葉を耳にして、ブルーノは思わずそちらを睨みつけた。
噂話をしていた集団は、ブルーノの視線に気づくと蜘蛛の子を散らしたように立ち去っていく。
(おかしい、フレデリカは俺に執着していたはずだ……!)
婚約破棄の夜会で見た、意気消沈したフレデリカの顔。
ブルーノは、自分がフレデリカに愛されていると信じて疑っていなかった。
(……そうだ、フレデリカがいなくなったから、すべてがおかしくなり始めたんだ)
ブルーノの心の中に、ほの暗い計画が浮かび上がる。
「……なら、あいつを連れ戻せばいい」
*
グレンツァ公爵夫人のブティックを訪問してからしばらくして。
私はスペンダー侯爵邸にある応接室にいた。
周囲の使用人たちの視線が刺さる中、じわりと冷や汗が滲む。
「待っていたよ、フレデリカ」
「……お久しぶりでございます」
数日前、ブルーノ様から呼び出しの手紙が届いたのだ。
婚約は解消したとはいえ、両家は絶縁しているわけではない。
体面を保つため、仕方なく呼び出しに応じたのだが……嫌な予感がする。
「それで、今日は一体どのようなご用件でしょうか」
「随分つれない態度じゃないか、フレデリカ。こうして婚約者と会っているというのに」
「……元、ですよね」
気味の悪い猫撫で声に、薄ら寒いものを感じる。
自分で婚約破棄をしておきながら、どうして今も婚約者のつもりでいられるのだろう。
「今日はそのことを話したくてお前を呼んだんだよ! フレデリカ……もう一度お前を、我が婚約者として迎えようと思ってね!」
「……は?」
彼の言った言葉があまりにも理解しがたくて、思わず間抜けな声が出てしまった。
彼は一体、なにを考えているの?
私が絶句していることに気付かないまま、ブルーノ様は意気揚々と話を続ける。
「あれから考えたんだ。フレデリカ、お前は仕事に口を出すのが好きだっただろう? お前にそういう環境を作ってやれる寛容な男は俺しかいないと思い直してね」
彼の目が、不気味に細くなる。
ブルーノ様のこの表情は、ろくでもないことを思いついた時の顔だ。
「俺を愛するお前のために、復縁して、思う存分仕事をさせてあげようと思ったわけさ! ……ああ、『小賢しい』と言ったことは謝罪しよう。新しい恋に出会ったとはいえ、お前をこき下ろすのは良くなかった」
「……なにを、言っているのです」
辛うじて言葉を捻り出す。
彼を愛する私? 復縁?
――彼はどんな都合の良い幻覚を見ているのだろう。
彼は驚いたように目を瞬かせると、当然のように続けた。
「だってお前、俺のことを愛しているんだろう? だからあんなに似合っていないドレスを着ていたんじゃないのか? 愛していなきゃ、あんな恰好はできないだろう」
それを聞いた瞬間、一気に頭に血が上ってくる。
目の奥が弾ける。心臓が騒ぎ立てる。
でも。
――今の私は、あの日アリーが選んでくれたドレスを着ていた。
上品なロイヤルブルー。その爽やかな色が、私の心を抑えてくれる。
抗議をするなら冷静に。私は恫喝なんてしない。
「またそんな可愛げのないドレスを着て……そんなものを着るなら、この間のドレスの方が100倍マシだ。用意させるから、着替えてきなさい」
「――結構です」
私は、私のために、ドレスを着るのだから。
「……はあ?」
「このドレスは、私のことを真に思ってくださる方からいただいたものです。私はこれを気に入っておりますので、今までのようなドレスを着ることはもうありませんし……貴方様ともう一度婚約することも、ありません」
「なっ……!」
ブルーノ様の笑顔が、引き攣る。
「なんだってそんな可愛げのないことを言うんだ、フレデリカ! こちらが謝罪をしているんだから、つまらない意地など張ってないで戻ってきたまえ!」
……つくづく彼は、都合の良い思考回路をしている。
彼はまだ夢から覚めていないようなので、決定的な事実を突きつける。
「大きく勘違いをされているようなので申し上げますが……私は別に、ブルーノ様のことを愛していたわけではありません」
彼の言葉が、止まった。
彼が隙を見せている間に、話の主導権を握る。
「そもそも、私たちの婚約は政略的なもの。愛情はありませんでしたが、円満な関係を築くために努力はしていました。服装はその一環に過ぎません」
「冗談だろう……! だってお前はあれほど、俺の仕事を補佐してくれていたじゃないか!」
「それはブルーノ様の実務能力が芳しくなかったからですわ。補佐してあげてほしいと、今は亡き侯爵夫人に頼まれていたのです」
「母上が……」
今は亡きスペンダー侯爵夫人。思慮深い貴婦人だった。
ブルーノ様の行く末を案じた夫人に、秘密裏に頼まれていたのだ。
だからこそあんな扱いを受けても、私から婚約を解消することはなかった。
先ほどとうって変わって、今度はブルーノ様が言葉を失っている。
「それに、私が婚約者に戻るなんて、不可能な話ではありませんか」
私はダメ押しに、最後のカードを切る。
「貴方様には新しい婚約者様がいらっしゃるではありませんか。……ブティックを恫喝してまでドレスを作ってあげたい、私と違って愛らしいエミリー様が」
「お前、なぜそれを!」
ブルーノ様は目を剥いて、机を派手に叩きつける。
思わずその音に怯みそうになるが、ここが正念場だ。
「こちらが下手に出れば調子づいて……! エミリーは妾にして、お前を本妻に迎えてやると言っているんだ! その減らず口を閉じろ!」
「いいえ、閉じません。そもそも、おかしな話ではありませんか」
復縁の話を聞いた時は驚いたけれど……彼の話を聞いていると、その意図は簡単に見えてくる。
「エミリー様は一介の男爵令嬢です。侯爵家嫡男たる貴方様のお仕事を手伝うのは難しいでしょうね。……私を婚約者に戻すというお話も、ただ都合の良い働き手を求めてのことではないのですか?」
「――ッ、黙れ黙れ! 本当にお前は小賢しい頭をしているな! いいからお前は黙って俺の言う通りにしてれば良いんだよ!」
つかつかと歩み寄ってきたブルーノ様に胸倉を掴まれる。
よろけた視界の端で、拳を振りかぶっているのが見えた。
――殴られる!
衝撃を覚悟して、固く目を閉じた。
しかし。
窓ガラスが割れる音。それからすぐに、胸倉を掴まれる感覚が消える。
体のどこにも、殴られる衝撃は訪れない。
ゆっくりと目を開けると、そこには――。
「フリーダ、無事!?」
緊迫した顔のアリーが、そこにいた。
「っ、アリー!」
「っなんなんだお前たちは! いきなり突き飛ばしてきやがって!」
素早く駆け寄ってきたアリーが、私を抱きすくめる。
視界の端では、ブルーノ様が床の上に転がって怒鳴り声をあげていた。
「アリー、どうしてここに……」
「決まってるじゃない。……お姫様を助けに来たのよ」
「おい誰か! 侵入者だ! こいつらをひっ捕らえろ!」
「キャンキャンうるさいわねぇ……。悪いけれど、今日は正当な家宅捜索でお邪魔しているの」
さらりと言ったアリーの言葉に耳を疑った。
周囲にいたメイドたちが、肩を寄せ合い怯えている。
そうしている間に、ドアから続々と人が入ってきた。
王家の近衛兵たち。よく見ると、アリーも彼らと同じ装束を身に纏っている。
近衛兵をこれだけ動かせる立場の人間など、限られている。
「ブルーノ・スペンダー。虚偽の経費申請による業務上横領の罪で出頭要請が出ているわ」
「な、なんの話だ!」
「しらばっくれても、証拠はあがっているの。アナタの部署から備品代の水増し請求が確認されたわ。アナタの部署が仕入れた備品が、急に粗悪品になったと、いくつもの部署からクレームが来ていてね。安価で低品質なものを、従来の高品質なものと偽って申告したのかしら?」
淡々と語るアリー。その罪状に、どんどん血の気が引いていく。
アリーが持つ資料を、横から覗き見る。
「これが実際の納品書。そしてこれが王宮経理に渡った請求書。この差額分と同額の入金が、アナタの口座履歴から確認されたわ」
「なぜ口座まで知っている!? お前はなんなんだよ!」
「それを調べるのがアタシの役目だからよ」
その言葉の重みに、一体どれだけの人が気づいているのだろう。
この役目を全うするために――彼が『アリー・メルビス』として振舞っていることを。
「同時期からアナタ宛のブティックの領収書が急増してる。どれも女性モノのドレスにアクセサリー……随分高額なものばかりね。おねだりでもされたのかしら?」
「ぐっ……!」
ブルーノ様のうめき声を聞きながら、資料に目を走らせる。
これなら――私も、アリーを手伝うことができる。
「うるさい! 俺がやったという証拠はあるのかよ!」
「……あります。これはブルーノ様でないとできないことです」
周囲の視線が、私に集中する。
資料には、彼が起こしてきた事の内容が几帳面に記されていた。
彼がどれだけ言い逃れをしても――その内容は真実だと、私が証言できる。
「フレデリカ、やめろ!」
「……知っているの? フリーダ」
「ええ……備品の仕入れは、以前私がその業務を代行していましたから。この資料を見ると、私が担当していた時と取引先の商会が変わっています。日付から見て、私と婚約破棄した後に取引先を変えたようですね。請求書に書かれた金額は、以前の商会との取引時のものです」
ブルーノ様の仕事のほとんどを、私がやっていた。
彼は私が仕上げた書類に、印とサインをするだけ。
彼は「そんなに仕事が好きなら俺の代わりにやれ」と、王宮での仕事を私に押し付けていた。
「王宮規則上、代表者の承認なく取引先を変更することはできません。私がいなくなった後に商会を変えることができるのは、ブルーノ様だけです」
「俺を裏切るつもりか! フレデリカ!」
「それにスペンダー侯爵家では、婚約者への贈呈品は都度清算だと聞いております。……侯爵家とはいえ、短期間にこれほど大きな金額が簡単に動くとは思えません。別の出所があると見る方が自然です」
ブルーノ様の顔がみるみる青ざめていく。
ブルーノ様の婚約者として、侯爵夫人から女主人としての手解きも受けていた。
……その知識がここで生きるのは、皮肉なことだけれど。
「ありがとう、フリーダ。……証人もいることだし、続きは王宮で聞きましょうか」
「ふざけるな! ……なあ、フレデリカ。なんでこんな得体の知れない男に与するんだ!? お前はいつだって俺を助けてくれていたじゃないか……! たかが伯爵家の人間と一緒にいても幸せになんてなれないぞ!」
「ッ――!」
どれだけ愚かなのだろう、この人は。
「今ならすべて許してやる! だから俺のところへ戻ってくるんだ! フリーダ!」
そう呼ばれた瞬間。
口が自然と、動いた。
「二度と、その呼び方をしないでください。……虫唾が走ります」
私をそう呼ぶのは、たった一人で良い。
私を心から大切にしてくれる人にだけ、そう呼んでほしいのだから。
「……よく言ったわ、フリーダ」
「アリーが守ってくれましたから」
ブルーノ様は口を開けたまま、信じられないものを見る目で私を見上げている。
「……なら、アタシももう少し頑張っちゃおうかしら」
意味深な言葉を口にし、アリーはゆっくりとブルーノ様の前に立ちはだかる。
腰を抜かしたままのブルーノ様は、情けなくアリーを見上げていた。
「アナタは、素性の知れてる高貴な人間だったら、フリーダを幸せにできると言いたいのかしら?」
「っ、ああ! 俺とお前とじゃ立場が違う!」
「……そうねぇ。そうかもしれないわ」
アリーの横顔から目が離せない。
……嫌な予感がする。もう話は終わったはずだ。
まさか、彼は――!
「ではそれを、証明しようかしら」
アリーが羽織っていた近衛兵の上着。
それを派手に脱ぎ捨てる。
その瞬間、周囲のメイドたちがどよめいた。
「っ、え……!?」
「――殿下」
「……やっぱり、気づいていたようね、フリーダ」
真っ白な軍服の胸元に輝く、王家のエンブレム。
国王一家しか使えない、紫地に金の糸の組み合わせ。
それを使える『アリー』は、この国でただ一人。
「我が名はアレクサンダー・ヴォルテウス。国王陛下の治世のため、影から不正を暴くものよ」
アレクサンダー第三王子殿下。
――これが、アリーの正体だ。
私が知るアレクサンダー殿下は、黒髪に眼鏡の物静かな方だった。
今のアリーとは真逆の姿だけど……背丈や瞳の色は、一致している。
「お、王子殿下……?」
「『素性の知れた高貴な人間』ということでアタシと戦うのはおすすめしないわ。だってアナタに勝ち目はないもの」
「お、お許しください! アレクサンダー殿下だとは露知らず……! フリーダ! お前、気づいていたのか!」
さすがにアリーの正体に気付いたのか、ブルーノ様は急いでアリーの足元で蹲り、額を床にこすりつける。
それを見るアリーの目は、冷ややかなものだった。
「情けない姿ね……。フリーダ、最後になにか言いたいことがあれば、言っちゃいなさい」
「……ありがとうございます」
促されて、静かにブルーノ様を見下ろす。
ブルーノ様の憎らしげな視線が突き刺さるが、私はそれを無視した。
「これで分かったでしょう? もう二度と、私は貴方を助けない。ここからは誠実に、罪を償うことですね」
「……ぁああああ!!!!」
スペンダー邸に、ブルーノ様の慟哭が響いた。
*
「じゃああとはアナタたちに任せたわ。アタシはやることがあるから」
「はっ!」
アレクサンダー殿下は迅速に兵たちに指示をし、ブルーノ様は連行されていった。
私はというと、殿下に腕を掴まれて足早にスペンダー邸を後にする。
すれ違う使用人たちはアリーの恰好を目にすると、慌てて深く頭を下げていた。
「第三王子殿下!」
「……」
「……アレクサンダー殿下!」
「……」
彼は振り返らない。
腕を引かれるまま外に出たのは良いけれど、辺りには王家の馬車が一台あるのみだ。
「……アリー!」
「……やっとそっちで呼んでくれたわね」
意を決して、今までの呼び方で声を掛けると、アリーは顔を綻ばせて振り返った。
しかしそんな彼の表情とは対照的に、私の心は陰っている。
「っどうして身分を明かされたのですか!? その姿は国王陛下の治世を守るためのものだったのに、どうして私みたいな者のために……!」
アリーは先ほど、自らを『影から不正を暴くもの』と称した。
つまり――王家のための隠密の役割を担っていたはずだ。
しかし、彼はブルーノ様や使用人たちがいるところで正体を明かしてしまった。
何人もの人が、彼のエンブレムを目撃している。
『アリー』と『アレクサンダー殿下』――どちらが本来の彼かは分からないけれど……もう、彼が隠密として振舞うことはできない。
「あの時は既にブルーノ様への追及は終わっていました。アリーが正体を明かす必要はなかったはずです! それなのになぜ」
「んもう、今日はいつになく饒舌ねぇ。お口チャックしないとチューしちゃうわよ」
思わず、口が止まる。
アリーは残念そうに、眉を下げた。
「あら、残念。チューチャンスだったのに」
「……どうしてですか」
「アタシはただいたずらに正体を明かしたわけじゃないわ。アタシは守りたいものを守っただけだもの」
アリーが言っていることの意味が分からなかった。
彼にそう思ってもらえるほど……私に価値があるとは思えない。
「あのままだと、ブルーノはアナタが伯爵家の男に靡いたと思い込むわ。そうすれば釈放された後、逆上してアナタのところに押しかける可能性がある。その可能性を潰すには、アタシの正体を明かすのが一番効果的だと思ったの」
「それは……そうかもしれないけれど……」
アリーの懸念はもっともだった。
アリーの正体を知れば、さすがのブルーノ様も手出しはできない。
「それにね」
付け足された言葉に、思わず顔を上げる。
「フリーダはその洞察力と知性で、アタシの正体を察していた。アナタの知性を馬鹿にしたアイツに……アナタの素晴らしさを、突きつけてやりたかったのよ。だからこれは、アタシの自己満足」
アリーは満足そうに笑いながらそう言った。その笑顔には一点の曇りもない。
……彼はいつもそうだ。
『自己満足』と言いながら、いつだって私のことを思ってくれている。
「まあ、愚かなことをしているように見えるかもしれないけれどね。……人は恋をしたら愚かになるものよ。アタシだって例外じゃないわ」
「……え?」
不意打ちで言われた言葉に、間の抜けた声を出してしまった。
「あら、気づいてなかった? アタシ、フリーダが好きよ。……なんだ、伝わってると思ってたわ」
「ま、待って! ……まったく伝わってなかったわけじゃないけれど!」
アリーからの好意が、友人へ向ける以上のものであることには薄々気が付いていたけれど。
しかし、私はその理由が分からないのだ。
アリーに恋してもらう理由が。
「だって私、小賢しい『参謀姫』だし、可愛らしくもないのに……」
「やだ、最初に言わなかった? アナタ、とびっきり可愛いわよ?」
『アナタってとっても可愛い女の子なのね、参謀姫!』
その言葉を、昨日のことのように覚えている。
あの日から、アリーとの交流が始まったのだ。
「アナタの知性も、その健気さも。フリーダの全部に、心がくすぐられちゃったのよね。『この子が笑顔になったところを見てみたい』って」
「ア、アリー……」
「それに、アタシの正体を察していても、『アリー』として扱ってくれたこと。……本当に嬉しかったのよ。アタシの素はこっちだから」
ブティックに行ったあの日、アリーに抱擁されたことを思い出す。
『アリー』を思って贈ったプレゼント。
その判断は、間違っていなかった。
「フリーダは、どう? アタシのこと、どう思ってる?」
一歩足を踏み出して、アリーが距離を縮めてくる。
見上げたアリーの瞳は、不安そうに揺れていた。
「アタシはフリーダの心がほしい。でも……アタシが第三王子だからといって、無理に応えようとしなくて良いわ。フリーダの前では、ただの『アリー』でいたいから」
アリーの真剣な瞳に、私が映る。
――私の返事は、もう決まっていた。
アリーの手が、そっと私の頬に触れる。
「アタシのことが嫌なら、そう言って。なにも言わないなら……OKだと受け取って、チューしちゃうわよ」
頬に熱が伝わってくる。
アリーは、最初から私自身を見ていてくれた。
私の知識も、行動理念も、すべて余すことなく拾ってくれて……肯定してくれた。
そのことが、どれだけ嬉しかったか……!
私自身を肯定して、愛してくれたアリーのことを――私も、愛していきたい。
これが――私が出した答えだ。
「いつでもどうぞ。……私も好きよ、アリー」
そう言って、静かに目を閉じた。
アリーが吐息で笑う音が聞こえる。
「っ……本当、アナタって可愛い子ね。……愛してるわ」
頬に触れていた手が後頭部を支えて――唇に、柔らかな温度が触れた。
「ンッ……!」
啄むように、何度も唇が触れ合う。
息継ぎをするのが難しくて、思わずアリーの胸元を叩いて訴える。
「本当たまらないわ、フリーダ……! このまま連れて帰っちゃいたいくらい」
「む、無茶言わないで……! それに、キスされた時の息継ぎの仕方なんて知らなかったもの……!」
「それなら、アタシと沢山キスして、覚えなきゃね」
機嫌よく笑うアリー。
その笑顔に……私は決意を固める。
「アリー……私、決めたわ」
「なに?」
「これからは私が、貴方の武器になる」
私を守るために、彼は『アリー』という世を忍ぶ武器を失った。
それなら――それを補えるくらい、私自身が彼の武器となろう。
「『アリー・メルビス』の代わりになるかは分からないけれど……これからは私の頭脳で、貴方を支えてみせるわ」
「……世界一強力な武器ね。アナタとなら、どんな逆境だって乗り越えられるわ……私の可愛い『参謀姫』――」
そうして私とアリーは、めでたく結ばれることとなった。
それからしばらくの月日が経った。
ブルーノ様はその後、自らの罪を認めた。
王宮の職は解雇。エミリー嬢との婚約も破談となり、スペンダー領で謹慎生活を送っているそうだ。
私たちはというと――。
アリーは本来の姿を公表し、隠密の仕事を退いた。
今では気さくでチャーミングな第三王子として、国民たちに愛されている。
そして私はなんと――『第三王子の参謀妃』という、新たな異名がついてしまった。
しかし今までとは違い、私を好意的に思う人たちから愛称として呼ばれている。
「アタシの可愛い参謀妃はどこかしら?」
今は結婚し、二人で王家の離宮に住んでいる。
私はあのロイヤルブルーのドレスを。アリーはあのゴールドの髪飾りを。
それを目にする度に、私たちの出会いを思い出す。
「もう、アリーったら……」
「ふふ、ごめんなさい」
「あまりふざけないで。……私だけの王子様」
「フリーダ……! 本当、アナタって最高ね……!」
ここにはもう、後ろ指をさされる『参謀姫』はいない。
アリーのそばに立つ『参謀妃』として――私は胸を張って、生きていくことができるのだ。
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