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序章:風と雷

時代は、今から400年ほど前だろうか。ひどく雨の降る夜だったと聞く。ヨーロッパの片隅にある小さな国。世界で一番小さいのではないかと評判のその国に、嵐がきた。風が吹き始め、雷鳴がとどろき、夜が更けていった。そして、轟音が響いた。何事かはわからなかったが、次の日の朝になって人々は驚いた。自分たちの見上げる、棒きれを組み合わせただけのくそったれなシンボルが、粉々に壊れて落ちていた。まあそれだけの話だ。それ以外は、何も起こらなかった。


はあ、とため息をついて資料を閉じる。一体オレは何をしているのだろう。フリーライターなどと言えば聞こえがいいが、要するに小間使い、使いっ走り。出入りの出版社のお抱え作家が、資料が必要だと言いだしたらしい。そりゃあオレは学生時代に少しかじっていたし、必要な知識も混じっているから調べたことはある。だから、代わりに調べようと思えば調べられる。そのことは向こうも知っているはずだ。……沈黙が続いて、その気もないのに言ってみた。一種の社交辞令だ。

「何かしましょうか?」

言わなければよかった。すぐに話が進んで端金とも呼べない額の仕事が舞い込んだ。いくらやったって稼ぎにはならない。せいぜい心証がよくなるくらい。ライターとして原稿を持ち込むとき、気まずくない……それくらいしかやる理由はなかった。


たかが礼拝堂の飾りが雷で壊れたなんて、よく記録しているものだ。資料を見ながらある意味感心した。オレはそういうのが嫌いだ。人間以外の大いなる意思に救いを求めようなんて。オレはあまり考えない。自分でなんとかすればいい。できなければ死ねばいい。それくらいで生きているから、調べていると嫌になるのだ。信じていないわけではないが、知れば知るほど反吐の出る話だと思う。


でも、今の時代には学問が細分化しているので、こんな話を真面目に研究して本など出そうという酔狂がいくらでもいる。出すヤツがいるからには、買うヤツもいるのだろう。世の中はどこに行ってもどうかしていると思っていたが、そういうことか。実際どうかしているのだ。そんな悪態を心の中でささやきながら、次の資料を開く。これも400年前、というかほぼ同時期の話。ある男が夢を見た。男は普段からおかしなことを言うヤツだったらしい。未来がわかるとか、死んだヤツが見えるとか。カードを伏せてもだいたい何が書いてあるかわかる。ただ、絶対ではないそうなので、まあ知れているのだろう。


男の見た夢は、世界の終わりとかその類だった。夢だと思えば、よくある話だ。嵐が起こり、雷が落ち、世界は炎に包まれた。そこで夢は終わってしまい、その後は何もなかったという。最近ならこんなことをいちいちメモに取るヤツもいると聞くが、何百年前であろうが人間のやることは大して変わらないらしい。こんな記録を後生大事に残すヤツもどうかしている。特筆すべき点があるとすれば、この男だけが見たのではないそうだ。世界中で似たような夢を見たヤツが、結構な数いた。霊能者とか、予言者とか、あるいは芸術家とか。そんなよくわからないことを声高に叫ぶ連中だ。たどっていけば夢を見たのはみんな同じ日だったようだ、ということだが、いつもそんなことばかり言っている連中だから、相手にされなかったらしい。普段の行いが悪いんだよ。


なじみの喫茶店で黙々と資料をあさっていたが、もう座っているのが疲れた。一度会計をすませて店を出る。せめて気分を変えなければやっていられるものか。バカげている。嵐が起こり、雷が落ち、世界は炎に?しかもその夢の中身は、いつ頃のことかだいたいわかっているという。たぶん今年の四月くらいの計算だ。……もう五月だというのに、嵐どころか空は晴れ渡っていて、火が上がる気配は全くない。空の色と来たら青すぎて、腹が立ってくるくらいだ。まだ仕事が山ほどあるというのに。

「場所は大陸の東、海の向こうだろう……って?」

不満がたまって、つい口に出してしまった。世界には大陸など六個かそこいらしかなく、東に大きな島があるとなればさらに限られる。だから資料を信じるなら、場所はほとんど日本しかないと言っていい。今にでも嵐がやってきて世界を焼き尽くす。せめて九月と言えば、世界は燃えなくても嵐は来るのに、下手な作り話だ。横断歩道で立ち止まりふと横を見ると、道ばたに男が立っていた。何かを見つめている。正確には、何も見ていないのに見つめているように見える。ああ、なるほどな。男は道に踏み出す。大型トラックが来るのは、前を見つめすぎて見ていない。オレはため息をつくと、指を鳴らした。得意ではないのでさほど音は鳴らないが、これくらいのモーションがちょうどいい。

オレの指の音より大きな悲鳴が聞こえた。甲高い、金切り声。誰が叫んだかは……まあ、普通は見えねえわな。周りの連中がキョロキョロしている。オレは後ろから男の肩を捕まえて、背中をどんと叩く。男はハッとしたようだ。意識がなかったのか、正気でなかったのか。まあ通りすがりだから、それ以上の興味はない。

「イビル・フェアリーだよ。気をつけな」

悪趣味ないたずら好きの妖精は、疲れたヤツに寄ってくる。まあそいつらも元気なヤツに悪さをしようという感じではないので、たまには仕事を休んで羽根を伸ばすといい。オレも今疲れているので、少し親身になっていたようだ。無理すんなよ、と言ってとっとと立ち去った。まったく、余計なものが見えて、余計なことを知っていて、余計なことができる。おかげでオレの人生は、休まることがない。


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