幕間1 薔薇園にて(side ローズ)
国内有数の公爵家、アルガード家。
我が伯爵家はアルガード家に隣接する領地を持っており、その縁で嫡男のエリーク様と縁を結ぶことになった。
いい意味で固くはない家風の方達で、きっとローズにとっては最良の縁になると思う――そう父に言われ、緊張しながらも訪れた公爵邸。
御伽話のように整えられた素敵な庭園に、大きく綺麗な屋敷。統率の取れた使用人たち。
我が家も過不足なく恵まれた家だと自負していたけれど、レベルが違うというのは一目見ればわかった。
思わず後退りしそうになった足下を縫い止めてくれたのは、じゃれているとも怒っているとも取れない叫び声だった。
「おまえ! いっつもアイリスいじめやがって!」
「少しからかっただけだろう」
「少しでアイリスが泣くか!」
「お、お兄様……いいの、ごめんなさい、私も大袈裟だった……」
三人の子供の、騒がしい声。
振り返れば、整えられた温室の前で二人の令息がいがみ合っており、その間にはさまれるように、私と同じくらいの女の子がいる。
女の子はおろおろしているけれど、はっと息を飲むくらい美しい子だった。
この庭園に相応しい、お姫様のような女の子。
後にその女の子を挟んだ二人の令息も相当きらびやかなお顔立ちをしていることに気づくのだけど、その時の私は女の子――アイリスのことしか目に入らなかった。
それくらい、アイリスは私の中にある「可愛らしいお姫様のような女の子」を、そのまま具現化させたような子だったのだ。
じっと集団を見ていると、まずアイリスが私に気付いた。そうして、怒っている方の令息――エリーク様の服の裾を引っ張る。
その控えめな誘導に、人を小馬鹿にしたような顔をしていたもう一人、ウィルヘルム殿下も私の方を向いた。
(その時の私は、彼がウィルヘルム殿下だと分からなくて、後で紹介された時に腰を抜かしそうになった)
「お前の婚約者候補が来たようだぞ。こちらに構わずどっか行けよ、エリーク」
「ッおっまえなあ! お前がまたアイリス泣かせない保証がどこにある!」
「お、お兄様。私たちのことはいいから……」
「ダメだアイリス! …………あー! トンプソン伯爵令嬢!」
いきなり名前を呼ばれた私は、びくりと肩を揺らす。
エリーク様は私をまっすぐ見ながら、「すまない! 俺はこのバカと妹を見張らなくちゃいけないから、顔合わせの茶会は四人でもいいか!?」
なんて言う。私は度肝を抜かれたし、アイリスは慌てて、ウィルヘルム殿下も呆れた顔をしていた。
公爵家との初顔合わせの場でそんな提案を、早速受けるだなんて。
しかし、なんだか妙に肩の力が抜けて笑えてしまった。
「いいですよ」と言うと、エリーク様はぱっと笑い、アイリスは驚き、ウィルヘルム殿下は相当嫌そうな顔に変わった。
その三者三様の反応もおかしくて、さらに笑ってしまう。
そうして、私は憧れを絵に描いたようなアイリスと出会い、初めてのお茶会をしたのだった。
アイリスには、頻りに謝られながら。
▲▽
出会いから数年。
アイリスは年を追うごとに綺麗になっていく。研ぎ澄まされていると言ってもいい。氷上に咲く奇跡の一輪花のようだ。儚く、しかし強い。
元々多才な子だったけれど、最近は一層勉学や武芸に身を乗り出し、同じ年代の令嬢としては突出した存在として社交界に名を馳せている。
「アイリス、少し痩せた?」
「そんなことないわよ」
「……本当に? 無茶してない?」
「してないったら。こうやってお菓子もたくさん食べているでしょう」
おどけるように彼女は軽く笑い、ケーキを掬って口に入れる。
それだけの動作も、はっと息を呑むくらいに綺麗だ。
彼女の美しさは、完成していると言ってもいい。小さな時はあどけなく可愛かったけれど、今は隙がない。
彼女は完璧主義で、ストイックだ。
王太子妃となる子だから、そうじゃなければいけないのだけれど、弱音の一つも最近は吐かない。
彼女の家族もとても心配していて、もちろん私もそうだ。
昔はもっと、顔いっぱいで笑ったり泣いたりしていたのにな。
少し寂しく感じる。昔と違い、敬語も敬称もやめて、距離が近くなった私がそう感じるのもおかしな話だけれど。
「ならいいけど……。最近は殿下との時間も切り詰めるくらい、勉学にのめり込んでるって聞いたから心配してるの」
「そうね、でも、必要なことだから」
アイリスと殿下は、私から見ても仲睦まじい婚約者同士だ。
それだというのに、教育のために一緒に寄り添えないなんて。
やるせない気持ちを感じていると、アイリスが笑いながら「でも、息抜きならあなたとできてるから」と笑う。
「そう? そうなら嬉しいけど。でも私との時間に宛てるくらいなら、殿下と会ったほうがいいんじゃない?」
「ううん。貴方との時間が、私には必要だから」
そう、アイリスが柔らかく言う。
……のが、嬉しいんだけど、なぜ私は――違和感? のようなものを感じるのだろう。
嬉しい、……嬉しいはずなのに。
「ねえ、アイリス。クッキーを食べるのに、その手袋は外した方がいいんじゃない?」
「………似合わないかしら?」
「似合ってる、けど……」
「じゃあ、いいじゃない」
そう言って、彼女は笑う。綺麗な、誰しもが見惚れるような素敵な笑顔で。
でもなぜ、私は不安になるのだろう。
手袋が似合っていると、言わされた気になるのだろう。
彼女に言いしれぬ不安感を覚える時、何だか無性に、そのシルクの手袋に隠された手のひらを見たくなるのだ。
そこに、全ての秘密が隠されているように思えてしまって。




