幕間2氷の玉座(side:とある生徒)
卒業パーティーまで、あと一日。
廊下の向こうに、いつものように“彼女”がいた。
近づく者はいない。
話しかける者もいない。
けれど、誰もが視線だけは奪われる。
――まるで、氷の玉座に座る女王。
アイリス・アルガード公爵令嬢。
ウィルヘルム王太子から彼女が見限られたという話は、公然の秘密となっている。
社交場でのエスコートはなく、王太子妃予算もほとんど手つかず。
交流の場でさえ、必要最低限どころか遥かに足りていない。
それでも王太子妃教育を欠かさず、王太子が来ないと知りながらも茶会では定刻まで席を立たない。
その姿は健気というより、滑稽だと嘲られることの方が多かった。
才色兼備、容姿端麗、そして公爵令嬢。
すべてを持つ人間の堕ちゆく姿は、貴族社会では良き余興として好まれる。
しかも、その才媛たる彼女からウィルヘルム王太子の寵愛を奪ったのは、まるで真反対の令嬢だった。
天真爛漫、貧乏男爵家の生まれ、生気あふれる活発な少女。――ミラベル・ウッドウェイ男爵令嬢。
彼女の周りには、いつも人が溢れている。
その彼女を市街で優雅にエスコートする王太子の姿は、噂ではなく、報道として何度も目撃されていた。
男爵令嬢の成り上がりなど、まるで庶民が好むシンデレラストーリーのようだ。
生徒の間でも、「アルガード公爵令嬢がウッドウェイ嬢を遠目に睨んでいた」という証言は多い。
仮にも公爵令嬢が男爵令嬢ごときに婚約者を奪われたのだ。
その氷のような美貌の裏で、さぞ熾烈な怒りが燃えているのだろうと、誰もが想像した。
噂では、明日の卒業パーティーでついにアルガード公爵令嬢が婚約破棄を言い渡されるだの、ウッドウェイ嬢が側室として召し上げられるだの、あるいは異例の王太子妃抜擢だの。
逆に、公爵令嬢が王太子を見限り、第二王子と共に王太子を引きずり落とす画策をしているだの。
嘘とも真ともつかぬ噂が飛び交っている。
一介の生徒に真実など分からない。
けれど、物々しい空気が渦巻いているのは確かだった。
アルガード公爵令嬢は、最後の授業を終えたあとも、ただ静かに学園の庭園に佇んでいた。
その色素の薄い冷たい瞳は、何か遠くを見据えているようで、同時に何も見ていないようにも映る。
真正面に立てば、その凍てつく美貌に身が竦む。
だが遠目に見ると、壊れ物の硝子細工のように繊細で、儚げにも見えた。
アルガード公爵令嬢――現実味のない美しさを持つ人。
だからこそ、公爵令嬢という立場もあって、彼女を公然と嘲る声は少ない。
真正面から突っかかっていくのは、せいぜいオズウェル侯爵令息くらいのものだ。
――そう、思って。ふと。
そういえば最近、オズウェル侯爵令息を見ないなと、一介の生徒は思い至ったのだった。




