表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/25

第2章 第1話 辺境に店を構える

 灰雨が止んで三日。アーデの街は、信じられないほど明るさを取り戻していた。

 屋根を覆っていた灰は洗い流され、子どもたちは咳をせずに走り回る。井戸の水は澄み、鍛冶場の火は赤々と燃え続け、教会の鐘もよく響く。

 街の人々は「神薬師」「救世主」と私を呼んだ。けれど私は笑って首を振る。


「私は神様なんかじゃない。ただの薬師よ」


 そう言って、私は古い薬師ギルド跡を掃除していた。

 埃を払い、棚を磨き、作業台に布を敷く。窓際に乾かした薬草を吊るすと、甘い香りが風に乗る。

 ルゥが棚の上で丸まり、尻尾を振った。青い瞳はすっかり元気だ。


「看板はどうする?」

 バルドが木板を持ち上げて尋ねてくる。

「そうね……『アイリス薬房』でいいわ。堅苦しくなく、誰でも入れるように」

「神薬房じゃないのか?」

「それは呼びたい人が勝手に呼べばいい。私は薬師として名乗るだけ」


 木板に文字を刻むと、小屋は本当に“店”らしくなった。


 開店初日。

 扉を開けると、すでに人が列を作っていた。老婆が杖をつき、鍛冶屋の親方が胸を押さえ、孤児院の子どもたちが目を輝かせて並んでいる。


「順番にどうぞ。無理に押さないでね」


 私は笑顔で迎え、薬棚から小瓶を取り出した。

 腰の痛みに効く膏。肺を守る吸入薬。夜泣きに効く糖衣。どれも辺境の人々にとって必要なものばかりだ。

 ルゥが人の足元を走り回り、子どもたちを和ませる。笑い声が絶えない。


 セリスは後ろで記録を取りながら、静かに言った。

「十年前、夢見た光景よ。薬師の店に人が集まり、笑顔で帰っていく……」


 私は少し照れながら、彼女に頷いた。


 昼過ぎ。

 行列がひと段落した頃、一人の旅人が店に入ってきた。灰色の外套をまとい、目だけが鋭く光っている。

 私はすぐに気づいた。――エドリンだ。


「視察かしら?」

「いや……薬を買いに来た」


 彼は低く答え、腰の袋から銀貨を出した。

「この街は、王都の報告とは別の道を歩み始めた。だが……君が“灰雨を止めた女”であることは、隠しようがない。いずれ王都は動く」

「だからこそ、店を開いたのよ。逃げ隠れせず、誰でも迎える。薬師として」


 私が差し出した瓶を受け取ると、エドリンはほんのわずかに笑った。

「……強いな。君は」


 彼は背を向け、外套を翻して去っていった。


 夕暮れ。

 店先に腰を下ろし、私は息をつく。

 ルゥが膝に乗り、バルドが隣で欠伸をした。セリスは帳簿を閉じ、ほっとした表情を浮かべる。


「思っていたより忙しかったわね」

「でも……いい店だ」


 私は空を見上げた。

 灰雨はもうない。澄んだ空の下、辺境の街はゆっくりと息を吹き返している。


「ここからが、本当の始まりよ。薬師としての、私の生活が」


 ルゥが「きゅ」と鳴き、私の言葉に応えるように尻尾を振った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ