第3章 第18話 毒と薬の決戦
牢を満たす紫の霧は、重く粘りつくように広がっていた。
バルドの呼吸は浅く、苦しげに胸が上下している。
総帥の声が闇に響いた。
「どうした、“魔女薬師”。お前の言う救いが真実なら、示してみろ」
私は震える指を押さえつけ、薬袋を開いた。
白露の種、青月草の粉、薄青石の欠片。
これまで人を救うために用いてきた材料を、次々と掌に乗せていく。
ルゥが肩で「きゅ」と鳴き、霧の中で小さな光を放った。
その光に導かれるように、私は声を絞り出す。
「――〈反転調合〉」
掌が淡い蒼光に包まれる。
薬草が音を立てて混ざり、霧の粒子と絡み合っていく。
紫の毒が光を浴びるごとに、透明へと変化していった。
「ば、馬鹿な……」
青いローブの女が後ずさる。
バルドの痙攣が収まり、閉じていた瞳がゆっくりと開いた。
「……アイリス……」
その声を聞いた瞬間、胸が熱くなり、涙が頬を伝った。
だが、総帥は冷笑を崩さなかった。
「救ったか。だがそれは一人。群れを覆う毒には抗えまい」
彼は再び瓶を砕いた。
今度は牢の外、広間全体にどす黒い霧が噴き出す。
床石が溶けるほどの猛毒。兵士であろうと、息を吸えば即死に至る。
セリスが顔を覆い、咳き込む。
ルゥが私の前に立ち、必死に霧を払った。
「……みんなを巻き込むつもりなの……?」
「当然だ。薬師とは選別の職。救う者を選び、救わぬ者を見捨てる。それが真理だ」
私は拳を握った。
――救う手順は止めない。
どんなに深い毒でも、絶望でも。
「なら私は、その“真理”を覆す」
薬袋の奥から取り出したのは、これまで調合し続けてきた薬瓶の数々。
灰雨を鎮めた反転霧、夜泣きを和らげた眠り滴、心を癒やした光草の粉……。
「全部……人を救うために作った薬。今こそ重ねる時!」
私は瓶を割り、霧の中で反応を走らせる。
蒼、白、金――光の色が次々と重なり、紫の毒を呑み込んでいく。
「……っ、こんな反応は……!」
総帥が初めて声を荒げる。
広間の毒霧が晴れ、代わりに澄んだ風が流れ込む。
兵士たちの咳が止まり、目に光が戻る。
セリスが驚きと涙を同時に滲ませ、バルドがゆっくりと立ち上がった。
「俺たちは……救われたのか……?」
「そうよ」私は総帥を睨みつけた。
「毒は薬に変わる。支配の道具じゃない。生きるための力よ!」
総帥の仮面がわずかにひび割れた。
その奥から見えた瞳は、怒りとも恐怖ともつかぬ揺らぎを帯びていた。
「貴様……“薬師”の名を……侮辱するな!」
叫びとともに、彼は最後の瓶を掲げる。
闇よりも深い黒の液体。
砕かれれば、この場すべてを呑み込む究極の毒だと直感した。
私は一歩踏み出す。
「いいえ。あなたこそ侮辱してる。薬師は救う者――それだけは変えられない!」
光と闇、薬と毒が交わる決戦の幕が上がろうとしていた。
(第3章 第18話 完)