第2章 第10話 王都軍との邂逅、毒と薬の境界
夜明け前。
アーデの街道に土煙が立った。
それは朝靄を裂き、規律正しく進む王都軍の姿だった。
甲冑の音、槍の列、旗に描かれた王家の紋章。
「……来たな」
バルドが剣を握りしめる。
セリスの指が白くなるほど帳簿を握りしめ、ルゥは低く唸った。
街の人々は不安げに家の戸を閉めながらも、薬房の前に集まっていた。
鍛冶屋の親方が前に立ち、農夫たちが鍬を握る。孤児院の子どもたちまでもが、私を見つめていた。
街道の先頭に立つ将校が馬を降り、鋭い声を響かせる。
「辺境の薬師、アイリス・グランドリア! 王都の名において命ずる。投降せよ!」
広場に緊張が走る。
人々の視線が私に注がれた。
私は一歩前に出た。
「……私は投降しない。私は薬師。必要とする人のそばにいる」
将校の顔が険しくなる。
「ならば“偽薬師”として処罰するのみ!」
兵たちが槍を構えた瞬間――。
「やめろ!」
灰色のマントを翻し、エドリンが前に出た。
「この女は確かに灰雨を止めた。人々を救った。それは俺も見た事実だ!」
「しかし、陛下の勅命は――」
「勅命に従うために街を滅ぼすのか? それが王国の誇りか!」
将校は歯を食いしばり、手を止める。だが兵たちの緊張は解けない。
そのとき、背後から咳き込む声が響いた。
――街の子どもが、毒に侵されて倒れていた。
昨日の商人が持ち込んだ荷に、毒霧が仕込まれていたのだ。
「……また王都の仕業か」
セリスが顔をしかめる。
子どもの頬は青白く、呼吸は浅い。周囲の母親が泣き叫んだ。
兵たちもざわめき、槍を下ろす者までいた。
私は膝をつき、薬袋から瓶を取り出す。
白露の種と薄青石を合わせ、掌で祈りを込める。
「〈反転調合〉……!」
小瓶が光を帯び、滴が生まれる。
それを子どもの唇に落とすと、数秒後に小さな胸が大きく上下した。
青ざめた頬に血色が戻り、目がゆっくりと開く。
「……お母さん」
子どもが囁く。母親が泣きながら抱きしめる。
兵たちの間に、沈黙が落ちた。
そして、誰かが呟いた。
「……本物だ」
その言葉が波紋のように広がり、兵たちの槍が次々と下ろされていく。
将校は顔を引きつらせた。
「だが……王都の命令が……!」
エドリンが低く言い放つ。
「王都の命令がどれほどあろうと、ここに“救う薬師”がいる。俺はそれを報告する」
私は立ち上がり、将校を真っ直ぐに見据えた。
「私を“偽薬師”と呼ぶなら好きに呼べばいい。
けれど――人を救う手順を止めることはできない」
風が吹き抜け、広場の人々が一斉に声を上げた。
「神薬師!」「アイリス様!」
兵たちの目が揺れる。
王都の威光よりも、目の前の事実が心を動かしていた。
やがて将校は沈黙のまま背を向け、軍勢に退却の合図を送った。
兵たちは戸惑いながらも、槍を収めて街道を去っていく。
残されたのは、安堵の吐息と歓声だった。
私は肩で息をし、ルゥを抱き上げる。
もふもふの毛並みが震える手を包み、胸の奥の不安を和らげてくれた。
「これで終わりじゃない」
セリスが呟く。
「王都は必ず、もっと大きな力で来る」
私は頷いた。
「それでも、私はここにいる。毒を薬に、絶望を希望に変えるまで」
(第2章 第10話 完)