第2章 第7話 旅商人の噂と刺客の影
アーデに朝日が差し込むと、広場にまた行列ができていた。
昨日の勅命騒ぎがあったにもかかわらず、人々は薬房の扉を叩く。
夜泣きの子を抱いた母親。咳をする老人。怪我をした冒険者。
「どうぞ、順番に」
私は笑顔で迎え、薬瓶を渡す。
バルドが扉の前で護衛に立ち、セリスは帳簿を整える。ルゥは子どもたちにじゃれつき、笑いを誘った。
――王都が何を言おうと、この街は私を必要としている。
その確信が胸を強くする。
昼過ぎ、再び旅商人の一団が街へやって来た。
幌馬車には王都の品が積まれ、商人たちはにこやかに人々と取引をしている。
だが耳を澄ませば、彼らの口から出る噂はひとつ。
「辺境には神薬師がいる」
「灰雨を止め、死者を蘇らせる奇跡を起こした」
「王都が放っておくはずがない」
噂は鳥よりも速く広がる。王都に届くのは時間の問題だ。
その夜。
薬房の灯を落としたあと、私は机に広げた薬草を仕分けていた。
静かな時間。けれど、背筋に冷たいものを感じた。
――気配。
ルゥが耳を立て、低く唸る。
次の瞬間、窓の外から黒い影が飛び込んできた。
「っ!」
バルドが剣を抜いて立ちはだかる。刃と刃が火花を散らし、暗がりに仮面の男が現れた。
「暗殺者……!」
セリスが叫ぶ。
男は無言のまま短剣を振るい、矢継ぎ早に襲いかかってくる。動きは鋭く、訓練された兵のそれだった。
「王都の差し金ね」
私は薬袋から白露の種を掴み、床に撒いた。
粉が光を放ち、霧のように広がる。
暗殺者の体が一瞬よろめく。その隙をついてバルドが斬り込む。
仮面が割れ、血が飛んだ。
だが、男はなおも執念を見せる。
「……王の命だ。生かしてはおけぬ」
彼は毒の刃を抜き、こちらに向ける。
私は咄嗟に小瓶を投げつけた。
瓶が割れ、霧が立ち込める。――解毒滴。
刃が私の頬をかすめた瞬間、毒が反転し、刃自体が黒く崩れ落ちた。
「なっ……!」
暗殺者の目が驚きに見開かれる。
そのままバルドが剣で彼を叩き伏せ、地面に沈めた。
「捕らえた……!」
バルドが息を切らす。
セリスが仮面を外すと、そこにはまだ若い兵士の顔があった。
彼の唇は震え、掠れた声を漏らす。
「……命令だった……従わなければ、家族が……」
私はその手を握り、小瓶を口に含ませた。
「大丈夫。毒は薬に変わる。絶望も、希望に」
彼の呼吸が落ち着き、涙が頬を伝う。
「王都は……次は、もっと大きな力を……」
兵士の言葉はそこまでだった。
私は立ち上がり、唇をかみしめた。
噂が広がれば広がるほど、王都は私を脅威とみなし、力を増してくる。
けれど――
ルゥが頬を舐め、バルドとセリスが隣に立つ。
守りたい人がここにいる。
「来るなら来ればいい。私は薬師。救う手順を止めたりはしない」
夜空には星が瞬いていた。灰雨のない澄んだ光は、明日もまた朝が来ると約束してくれているようだった。
(第2章 第7話 完)