第2章 第5話 旅商人と薬師の評判
朝の市場は、昨日より賑わっていた。
露店には干し肉や果物が並び、子どもたちが小銭を握りしめて走り回る。
人々の会話の端々に「神薬師」「アイリス薬房」という言葉が混じっていた。
「昨日、孤児院の夜泣きが止まったんだってさ」
「鍛冶屋の親方も、もう咳をしてないって話だ」
「薬房に行けば、何でも治るらしいぞ」
私は買い物籠を提げながら、人々の囁きを耳にしていた。
少し顔が熱くなる。けれど、胸の奥はくすぐったいほど嬉しかった。
そのとき、市場の外から鈴の音が聞こえた。
幌馬車に荷を積んだ旅商人の一団が、アーデに入ってきたのだ。
王都と辺境を結ぶ行商人――この街にとっては貴重な情報と物資の供給者である。
「おいおい、ここにこんな人だかりがあるなんて……」
先頭の中年商人が驚いたように言い、私の看板に目をとめた。
「薬房? 辺境に薬師なんて残ってるはずが……」
その声に市場の人々が一斉に答える。
「残ってるんじゃねぇ、“蘇った”んだ!」
「神薬師様だよ! 灰雨を止めた!」
商人たちは目を丸くし、やがて好奇心に押されて私の薬房に足を向けてきた。
「噂は本当か?」
中年商人は慎重に私を見据える。
「王都の商会では、辺境はもう死んだ土地だと言われていた。けど……人々がこうして笑っている。これは、お前の薬のおかげだと?」
私は微笑み、棚に並べた薬瓶を指差した。
「毒を薬に変える。それが私の役目よ。必要なら、あなたたちにも分けるわ」
商人たちは互いに顔を見合わせ、やがて声をあげて笑った。
「こりゃ大変だ! 王都に戻れば、商会はざわつくぞ。辺境で薬が売れるなら、交易路を開かねばならん!」
ルゥが机の上に飛び乗り、青い瞳で商人を見上げた。
子どもたちが「かわいい!」と駆け寄り、場は一気に和やかになる。
「もふもふ相棒までいるのか。こりゃ噂以上だ」
商人は感心して笑い、袋から布を取り出した。
「これは礼だ。王都の布織りの新品。街の人々に縫い物をしてやれ。評判が立てば、王都からの客も増えるぞ」
「ありがとう。けれど礼は要らないわ。薬を必要とする人が来てくれるなら、それで十分」
夕暮れ。
薬房の前で布を広げながら、セリスが小声で言った。
「王都に評判が届くのは時間の問題ね」
「それでいいわ」私は頷いた。
「逃げても追われるなら、堂々と立つ。薬師として」
バルドは腕を組み、にやりと笑う。
「なら俺は、護衛として堂々と剣を振るうさ」
ルゥが「きゅ」と鳴き、星空を見上げた。
その夜。
商人のひとりが宿で書いた手紙が、王都へ運ばれていった。
――「辺境に神薬師あり。灰雨を止め、人を癒し、街を蘇らせた」
噂はもう止まらない。
そしてそれは、やがて大きな渦となって王都を巻き込み、私たちの前に新たな試練を運んでくるのだ。
(第2章 第5話 完)