24)願わない願い
アマンダに本当のことを言おう。
私はサラじゃないって。
時間はかかるだろうが、きっとアマンダは現実を受け入れてくれるだろう。
もし、なんて考えたらやっぱり不安に押しつぶされそうになるけれど、傷つけあうことの繰り返しはもう終わりにしたい。
「こんにちは」
いつものようにアリアさんの家にパンの配達に訪れた。
ダイニングテーブルにはいつもお茶の用意をしてくれて、アリアさんが温かく迎えてくれる。
「いらっしゃい、今日はずいぶん涼しいわね」
「はい」
カーテンで縁取られた、小窓から覗く庭には夏の花が咲いている。
けれど、もうすぐ役目を終えて冬支度に入るのだろう。
「私が来て、もう5年が過ぎましたね」
「5年……そんなにたったの」
すこし驚いてすぐ目を伏せたアリアさんからは、困惑と罪悪感が窺える。
きっとアリアさんはこう思っているはずだ。
「私はかわいそうな子でも、被害者でもありません。だって私が途方に暮れている時、私を助けてくれたのはアマンダとアリアさんじゃないですか」
一拍置いて、気持ちが伝わるように慎重に言葉をかける。
「私は、ずっと感謝してました。今では、アマンダとアリアさんをお母さんのように思っています。私にとって大事な人です」
「サラは、そんなふうに思っていたんだね」
「私はサラじゃありませんよ。私には千鶴という名前があります。サラは、もう、亡くなったんですよ」
ビクリとアリアさんの肩が揺れる。
アリアさんにとって、先ほどの言葉は一番言われるのを恐れていたはずだ。
だって、娘を切望していたのはアリアさんも一緒だから。
「アリアさんには申し訳ありませんけれど、もうアマンダの娘を名乗るのはやめようと思います。だって……そんなことしても誰も幸せになれないから」
「じゃあ、アマンダはどうするんだい!!アマンダはサラがいなくなったら狂っちまうんだよ」
「本当は……アマンダもわかってるんだと思います。サラは、どこにもいないって」
「けれど……」
「死んだ娘をかえしてほしい、なんて願いは叶ってはいけなかったんですよ」
アリアさんは口をつぐみ、今にも泣きだしそうな顔で苦しんでいた。
この人は、ずっとずっと苦しんできた。それなのに、私は自分のことが精一杯で、他人のことなんか見向きもしなった。
もっと早くまわりに目を向けたら、分かったことなんて沢山あるはずなのに、何一つ分からなかった。
「アリアさん、私の代わりに、これからはアリアさんがアマンダを支えてくれませんか」
「あんたはどうすんだい?」
「私は……」
苦しい、悲しい、痛い、辛い。
けれど、自分の出した結果を覆す気はない。
「自分が来た場所へ帰ります」
「帰る場所が見つかったのかい?」
「はい」
「そうかい……よかったね」
アリアさんは精一杯微笑んでくれた。
ぐらぐらと視界が歪む。
「……はい」
頷きながら、泣いた。
我慢なんてできるはずもない。
「アリアさん、大好きです」
「……私も、だよ。チズのことが大好きさ」
アリアさんに抱きついて力いっぱい抱きしめる。
頭を優しく撫でる仕草はまさに母親のそれで、懐かしくて泣いてしまう。
私が元の世界に帰る代償は、とても大きい。
もう、この人達と永遠に会えることはない。
それを、痛感した。
「そんなにお泣きでないよ。せっかく用意してた紅茶が冷めてしまったね。入れ直しておくから、それまでに泣き止みなさい」
「はい」
アリアさんが椅子に座るように手を引き、それに従って腰を下ろした。
手早く入れてくれた紅茶からはゆらゆらと湯気が出ている。
しゃっくりが出てきそうなのを抑えて紅茶を飲むと、温かさがしみ渡り、ぐちゃぐちゃに乱れた心を落ち着かせてくれた。
「チズは、いつ頃帰るんだい?」
「とりあえず、アマンダがあんな調子ですから、落ち着いたら……ですかね」
「そうはいってもねぇ」
「実は、サラの遺品を見つけたんです。アマンダが、倉庫の奥に納めているのを見つけました。それを、アマンダに渡そうかと思って」
アリアさんは浮かない顔をしていた。
当然だろう。
アマンダはサラの死を、いつまでたっても認めようとしなかった。
病的な程、サラの存在に縋って生きている。
けれど、サラはアマンダの娘だ。
家族の絆はそんなに脆くないはずだ。
家族だから失って苦しいだろうし、時にはその存在が支えにもなる。
「大丈夫です。きっと上手くいきます」
だって、一人じゃない。
幸せは誰かと築くモノだから。
「私はアマンダを信じます」
やっと、アリアさんはふっ切れたような笑顔を見せてくれた。
****
アリアさんと二人で家に戻る。
アリアさんも一緒に来ると言ってなかったので、アマンダは少し驚いていた。
「姉さん、店のほうは大丈夫なのかい?もうすぐ開店時間だろう」
「ちょっとアマンダに話があってね。今日は臨時休業にしてきたんだよ」
「話?突然なんだい。とりあえず部屋へ入って待っててくれないか。お茶持ってくるから」
3人でテーブルを囲む。
アマンダが用意してくれたクッキーはサクサクで美味しかったけれど、私の気持ちまでは軽くしてくれなかった。
「渡したいモノがあるの」
千鶴はサラの遺品を取り出した。
それはサラが生前書き残した日記だ。
その中には何気ない日常や、サラが素直に思ったこと。
そして、アマンダに対しての想いが綴られていた。
それをアマンダの目の前に置いたけれど、なかなか手に取ろうとはしなかった。
「これ、見てみて」
「……なんだい、これは」
「サラが書いた日記よ」
「お前がかい?」
「ううん、お母さんの本当の娘が書いた日記。私じゃないわ」
「何言ってんだい。お前は私の娘だよ」
前はその言葉で傷ついた。
けれど、アマンダなりに私を本当に慈しんでくれてるってわかったからもう平気。
今度は私がアマンダに恩を返す番だ。
「サラときちんと向き合って。私を代わりにしても、本当の娘は帰ってこないわ」
「馬鹿をお言いでないよ!!サラは死んでなんかいない」
「アマンダ……」
「お前は私の娘だよ!!」
「うん。でも、サラも、お母さんの娘なんだよ。お母さんを愛してた」
「……」
「お母さんは、それでも、存在をなかったことにするの? そんなこと、できる?」
アマンダはサラの日記を凝視しながら黙った。
どうしていいかわからず、混乱しているようにも見えたし、必死に気持ちを閉じ込めようとしているようにも見えた。
「私の名前はサラじゃなくて、千鶴というの。今まで騙してて、ごめんね。」
今まで見守っていたアリアさんがアマンダの肩を抱く。
そっと優しい様子で声をかけた。
「アマンダ、私達はあの子に甘えっぱなしだった。これじゃあ、どっちが子供なのか分かりはしないよ」
「姉さん」
それきりアマンダは下を向いて顔をあげなかった。
嗚咽を漏らして泣いている。
アリアさんも耐え切れなくなったかのように、アマンダを包み込むように抱きしめながら静かに泣いていた。
千鶴はそっと自分の部屋に戻る。
ドアを背中で閉め、そのまますがるように体を預けた。
――さぁ、お家に帰ろう。私の世界へ。
千鶴はずるずると崩れ落ちながら、雲一つない青い空を見上げる。
次回、最終話になります。