23)悪魔の所業
元の暮らしに戻り、表面上はいつもと同じように暮らしている。
変わったことといえば教会に通うことになったことと、アマンダとの関係が徐々に変わってきつつあることだった。
このままだとサラの死を受け入れてくれる日も近いかもしれない。
今日はいつも行っている教会ではなく、違う所に行こうと思う。
エブァンの協力を断ってしまって何も無い状態に戻ってしまったけれど、一つだけ気になっていることがあるのだ。
もしかしたら手がかりになるのかもしれない。
「母さん、行ってきます」
「……気をつけて行ってくるんよ、いってらっしゃい」
千鶴に母とよばれ、アマンダの顔に一瞬ではあるが困惑の色が見てとれた。
無意識ではあるが私に母と呼ばれることに違和感があるのだろう。当然だ、私はサラではない。
私とサラは何ひとつ似てやしないんだから。
アマンダの病気が分かった日から隠してきたサラの遺品をやっと手渡せる時がくるのだろう。
私を娘と思っている状態では遺品を見せてしまうと、どうなるか分からなくて隠してきたけれど、母の元にあるほうがサラも喜ぶだろう。
左手につけている指輪を確認して目的の場所へと足を向ける。
この指輪はエブァンにもらったものだ。
守護の力が込められているので襲われてもその力が守ってくれるだろう。
エブァンは攫われてから心配性になってしまったらしい。
気持ちは嬉しいんだけどね、内心複雑だ。
前に辿った道をおぼろげに思い出しながらスラムの道を進む。
奇跡的に目的の場所までたどり着く。
以前と同じように寂れた門はすべてを受け入れるように大きく開いていた。
太陽が高く爛々と輝いているお陰で汚れているステンドグラスに光がとおり、廃れた教会の中を神秘的に演出していた。
壊れかけた女神像は今日も静かに佇んでいる。
千鶴は壊れかけた長椅子に座り、両手を組んで額をつけた。
こうしていると心が落ち着いていくのを感じる。
暫くそうしていると、鳥の鳴き声くらいしか聞こえなかった空間に甲高い金属音が響く。
待っていた人物が来たのだろう。
手を解き、神父様を待つ。
「やはり、あなたでしたか」
「ご無沙汰してます。今日は聞きたいことがあって来ました。聞いてくださいますか?」
神父様はいつもの笑みを苦笑に変える。
きっと、千鶴が来ることをわかっていたのだろう。
「はい、その前に奥の部屋まで移動しませんか?お茶でも飲みながら話ましょう」
千鶴は顔を左右に振ってそれを拒否する。
「一人で来たのであまり長居できないんです。早いうちに戻りたいので」
「え!!貴女お一人でここまで来たんですか!?何もありませんでしたか?」
昼の明るい時間でもスラムが治安が悪いことは変わりない。
いつ襲われても不思議はなかったのだ。
薄々予想していたけれどここまで驚かれるとは思わなかった。
「えっと……あまり人に聞かれたくなかったので。『慈悲深い悪魔』のことはご存知ですか?」
「物騒な事を聞かれますね。やはり部屋までご案内します。帰りは私が送っていきますので」
案内された部屋は正面と左手に小さな窓の下にそれぞれベットと机が壁際に設置され、小さなテーブルがぽつんと置いてある殺風景な部屋だった。
かろうじて机の上においてある聖書と小さな女神像から神父様の部屋だろうと憶測する。
テーブルに座り、お茶の準備ができると神父様が口を開いた。
「さて、質問に答える前にひとつ答えていただかねばなりません。貴女は知ってどうするのですか?」
いつに無い真剣な眼差しに千鶴も覚悟を決める。
「信じていただけるかは分かりませんが、私はここではない世界から来ました。私は元の世界に還りたい。そのために真実が知りたいだけです」
「そうですか……。できれば私としては話さずにいたいのですが、それを止める権利は私にありません」
ライにも頼まれましたしね、と言って神父様はお茶を口に含んだ。
「貴女は昔、魔物が存在していたことはご存知ですか?」
「……はい」
「でしたら話は早い。あの猫は人が認識してる中で唯一の魔物ですよ」
「ヨモギがですか!?」
「ヨモギとはあの猫のことですか。通り名とは随分違う可愛らしい名前ですね、あの猫もいつかそう呼ばれるようになってほしいものです」
「慈悲深い悪魔と呼ばれるようになったのは理由があるんですね?」
「ええ、あの猫は遙か昔から存在し、魔物特有の力で気紛れに人の願いを叶えてきました。しかし、願いが叶ったからといって幸せになれるとは限りません。あの猫はそのような願いばかり選んで叶えるのですよ」
神父様は苦痛に満ちた顔で話を続ける。
千鶴もなんとなく神父様が言わんとしていることが分かる気がした。
「人の願いが善良とは限りません。また、叶ってはいけない願いもある。その認識が魔物には備わっていない。あの猫はただ、面白いから叶えるという程度でしょう。実際にそのせいで争いも起きました。人とは愚かな生き物です。決してあれだけが悪いわけではない」
人が願わなければヨモギは『慈悲深い悪魔』とは呼ばれなかったのだろう。
なんて皮肉。その言葉はそのまま人の願いの名前でもあるのだから。
そしてその醜さを私が痛感したのはこの前の出来事で、これからも自分の愚かさに嘆くこともあるだろう。
けれどエブァンが言ってくれたように未来は自分で作っていくもので、後悔だけはしないようにしたい。
神父様はまっすぐに千鶴の目を見て告げる。
「貴女がこの話を胸の内に止めておくだけにしてくださることを願ってます」
――果たしてこの選択は正解なのだろうか。
この問いに答えてくれるモノは誰もいない。
最近パソにむかいながら鬼束ちひろを聞きながら書くのがお気に入りです。
あの人の歌詞と声、大好きです。
そろそろ物語も佳境です。
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もうしばしお付き合いください。