18)還る場所
この教会に来て3日。
いや、攫われた日からみれば4日だ。
千鶴はこの教会に預けられてから一度もライの姿を見ていない。
何もできずにずるずると、時間だけが過ぎていく。
早く、帰して
早く、手遅れになる前に
早く、壊れてしまう前に
千鶴をせきたてる声が止まない。
日を追う毎に、胸に焦燥感と、苦しい思いだけが積もっていく。
千鶴の気持ちは知っているはずなのに神父様は相変わらず笑って帰す気配を一向にみせない。
何度帰してと訴えても「ご家族は大丈夫だから少しの間この教会の仕事を手伝って」と言われ、教会に尋ねてくる人の世話をしている。
いつ帰れるかわからない日々に我慢がならなくて一度、教会から逃げ出したことはあった。けれど、迷路のような道に翻弄されて途方にくれた時に神父様が迎えに来ただけ。
逃げたことについて何も言われなかった。
結局のところ、何の進歩もないままだった。
苦しくて、苦しくて。
重たくて、重たくて。
この気持ちから解放されて楽になりたいと思った時、一人で佇む女神像が目に入った。
次第に時間が空いた時、ぼんやりと女神像を見ることが多くなった。
助けを求めるわけでもなく救いを求めるわけでもなく、ただ眺めているだけ。
この穏やかさは、前にエブァンやヨモギ達と過ごした路地裏に似ているのかもしれない。
いつものようになんとなく女神像を眺めていると珍しく声をかける人がいた。
「何を考えているのですか?」
音も無く傍に来た神父様が口を開く。
千鶴は答える気になれず、神父様の姿を確認しただけで視線をすぐにもとに戻した。
「このスラム街に皮肉にも教会はあり、そして訪れる人もいます。皆、疲れ果て休息をもとめてこの場所まで来ます。神は平等に心に安息を与えますが、それは救いを求めた者に限られます。貴女はどちらですか?」
穏やかな声音で尋ねられる。
千鶴は無言のまま顔を伏せた。
「では、貴女は神に許しを請うているのでしょうか」
千鶴は思わず目を見開いて神父を凝視した。
そんな事を言われる謂われもないし、心当たりもない。言葉が見つからず、二の句を継げないでいる千鶴を意に介さず更に質問は続いた。
「心当たりはありませんか?しかし、貴女が女神像を見る目は酷く辛そうですよ。そう、まるで罪滅ぼしにくる人達と同じ目をしてます」
そういう人たちは土地柄的に多いんですよ、と悲しそうに神父様は微笑んだ。
神父様はいつもこんな顔で千鶴を見ていたのかもしれない。
「今は分からずとも答えは自分の中にあります。ゆっくりと自分と向き合ってください。他の人だけではなく、自分も見るということを忘れないでください。」
これで話は終わりとばかりに返事を待たずに踵を返す神父に千鶴は堪らず声をかけた。
救いを求めているのではなく、ましてや教会の訪問者ですらないのだ。
教えなど必要としていない。
「答えってなんですか?自分だけ幸せになる答えですか。自分の我が儘だけ突き通して他人が不幸になればいいんですか。そんな幸せはただの欺瞞です。私さえ我慢すれば幸せに過ごせる人もいることを知っていながら自分だけ幸せになって、楽になれって言うんですか」
「そうですね。ある意味正解です。けれど不正解でもあります。一人ではなく、大切な人達と築く幸せもあると私は思います。けれどその道はとても困難で、途中で挫折したくなるほど苦しい道です。私もそんな理想を追い求めていますが、終わりが見えたためしがありません」
神父様からくすりと苦笑がもれた。
その余裕のある態度が気に障って半分意地になって言い返す。
「そんなのは、ただの理想です。夢です。現実はそんなに上手くいくはずありません。夢を追い求めて今が壊れたらどうやって元に戻せばいいんですか」
「何もかも諦めて、箱庭のような夢に浸っていても何も得られませんよ。貴女はひどく自分中心にことを考えている節があります。人を信じてないんですか?」
理不尽な思いにかられ、言われた瞬間に頭に血が昇る。
限界まで膨らんだ風船に針で刺したかのように気持ちが破裂する。
それは本当に一瞬で、止められなかった。
「知ったような口を聞かないで。何にも、知らない、くせに。私だって、幸せになりたいわ。元の世界にだって……本当の家族のもとに帰りたい!!何の憂いもなく日々を過ごせたらどんなにか幸せでしょうね。それでどうしろっていうの!?アマンダは、私を通してもうこの世にいない娘を支えに生きてる。私だって知らない世界に一人ぼっちで、何にも持ってなくて、アマンダがいないと生きていけない。私はサラとして生きるしかなかったのよ!!」
ああ、もう嫌だ。
エブァンやメラ、ライやこの神父様といい、何故ほっておいてくれないのだ。
どうしてぬるま湯のような自己愛に満ちた偽りの中から引き出そうとするのだ。
本当は私だって分かってはいるのだ。
アマンダと私の関係はいびつなものだと。
それは歪みを伴って小さな軋みをあげ、いつか壊れる時に着実に向かっていることを。
大切に守ってきたモノが壊れてしまうことを。
ぼたぼたと子供のように流す涙を神父様は拭って頭を撫でた。
「貴女は人を信じなさい。見守るのも愛の一つです」
神父様はひとしきり頭を撫でると去り際に一言残して部屋から出て行った。
相変わらず女神像は微笑み静かに佇んでいる。
それをみた時、頭に神父様の言葉が浮かんだ。
--見守るのも愛の一つです
やっと千鶴に変化がでたかなぁって感じです。次回から多分エブァンさんとかでてくるようになるのかな?あと少しでこの物語に決着が着けばと思います。
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