11)狼少年
首についた切り傷は塞がって、跡もなく綺麗に無くなった。
けれど、あれほど頻繁に通っていた路地裏に足を運ぶことはなく、その代わりにお屋敷に通うようになっていた。
ヨモギは元気にしてるか、気になっても様子を見に行く勇気は出せていない。
メラとはあれからすっかり仲良しになって、一緒にお茶をしたり、買い物をしたりしている。
この世界で初めてできた親友だった。
今日は、午後からお屋敷に遊びに行く約束をしているが、その前にアリアさんの家まで荷物を届けないといけない。
今回はパンの他に、良いワインが手に入ったからと2本ほど籠の中に入っているので結構重たい。
取っ手が手に食い込んで痺れてきた頃、やっとアリアさんの家に着いた。
庭には春らしく、色とりどりのみずみずしい花が咲いて、花の華やかな香りがあたりを優しく包んでいた。
ドアをノックしようと片手を荷物から離そうとしたが、途中で荷物を落としそうになったため、断念した。
荷物を一旦下におろせばいいと思ったが、食べ物なのでそれはしなかった。
「アリアさーん!!サラです」
仕方なく部屋の中にも届くように、少し大きめの声で呼ぶとすぐ返事があった。
「あらあら、重たそうね。さぁ、入って」
「ありがとうございます」
お礼を言ってダイニングテーブルに荷物を降ろし、定位置になっている椅子に座って一息ついた。
「今日の紅茶は知人から貰ったんだけど、珍しい物らしくてね。ミリクは紅茶なんか興味ないから、サラが来てくれて嬉しいよ」
上機嫌で紅茶の用意をしているアリアさんは、今にも歌いだしそうだ。
「ミリクに感想聞いてもきっと『ごっそーさん。うまかった』で終わりですね」
「そうだねぇ…。女の子を一人ぐらい、産んどけばよかったかね」
「子供ばっかりは授かり物ですから」
「まったく、アマンダが羨ましいよ」
「そう…です、かね」
戸惑いつつ答えた瞬間、後悔した。ここは即答しなくてはいけないところだったのに。
きっと、アリアさんの言葉に深い意味はなかったはずだ。
アリアさんは無言で千鶴の前に淹れたての紅茶を置き、ゆっくりとした動作で椅子に座る。
「…ごめんなさいね。亡くなった、あの娘の代わりにしてしまって」
「そんなことないです。私こそ、身寄りがなくて困ってるときに拾ってもらえて、よかったと思ってます。きっと、神様が導いてくださったんですよ。誰も、悪くありません。アリアさんも気にしないでください」
「そう…だね。サラ、ありがとうね。…ごめん、ごめんね」
「いえ」
精一杯の笑顔をしよう。アリアさんが安心できるように。
しかし、アリアさんは泣きそうになりながらも、笑おうとして失敗してしまったかのように歪めた表情を晴らすことは無く、更に辛そうにするだけだった。
はやくこの話を終わろうと次の話題を探すが、思考が絡まって、なかなか思い浮かばない。
沈黙が長くなるにしたがって、ティーカップに入った紅茶はぬるくなっていった。
自然と目の前にある紅茶とお菓子に手が伸びる。けれど、味なんて分からなかった。
それはアリアさんも同じみたいで、私と同じようにお菓子と紅茶の往復が、淡々と、繰り返されるだけだった。
そんな気まずい雰囲気を壊したのは、やはりミリクだった。
「サラ!!」
ドアを壊しそうな勢いで部屋に入ったミリクはまず、千鶴が持っていたティーカップを奪って一気に飲み干した。
ここまで全力で走ってきたらしく、無駄にかっちりと厚い生地の騎士の制服を着ている分、大量に汗をかいていて、髪が肌に張り付いていた。
「そんなに息を切らしてどうしたの。というかそれ、冷めててよかったわね」
近くに水分がそれだけしかなかったとはいえ、熱かったら最悪だろう。
今、気が付いたというように息切れのせいで苦しそうにミリクが言った。
「そう…いえば、そう、だな」
アリアさんと一緒に呆れてため息をついた。
「それで??」
急いで飛び込んで来たからにはそれなりの理由があるのだろう。用件を言うように促す。
「この前の、少年の居場所、分かるか?」
「ええ、今日はこの後会う約束してるから、多分いると思うけど…」
「案内しろ」
「は?」
「急いでるんだ」
千鶴の手を取って走りだそうとするミリクに、理由を聞こうか、手なんか引かれたら転けてしまうと訴えるのが先か、悩んでいるとアリアさんが私の気持ちを代弁してくれた。
「ミリク!!状況くらい説明しなさい」
「ごめん、母さん!!今度ゆっくり話すから」
「けど…」
「ごめん!!」
アリアさんの言葉を待たずミリクが走りだした。千鶴も引きずられるように走りだす。
「ちょっと、ミリク!ま、まって。そんなに早く走れない!!」
前を走っていたミリクが急停止して、あわや背中にぶつかろうとしていた千鶴を、体を捻って器用に抱き上げた。
それはいいけど、荷物みたいに肩に担ぎ上げるのは勘弁してもらいたい。
振動でお腹が苦しいし、前も見れない。
「ちょっと落ち着いて!これじゃあ、道案内が出来ないじゃない」
「んじゃ、どうすんだよ。お前、走るの遅いし」
「…横抱きにしてくれたら案内できるから」
「分かった」
本音をいえば、走る速度を合わせて欲しかったが、顔面から地面に突っ込むよりマシなので我慢した。
ミリクの腕に乗せられて、落ちないようにしっかりと肩に捕まりながら屋敷までの道を案内する。
さすが鍛えているだけあって、私を抱えていても速度が落ちることはなく、私が行くより遥かに早く屋敷に到着した。
「メラ―。サラです」
ドアをノックしすると、がちゃり、と音がして重厚なドアが開いた。
「サラさん!?まぁ……また、派手な登場の仕方ね」
「…あ」
まだミリクに乗っかったままだった。
一方のミリクは乱れた呼吸を整えた後、メラの手を取って挨拶をした。
「初めまして。ミリクと申します。慌ただしい訪問で申し訳ありません」
「…ミリク、せめて私を降ろしてからやろうよ」
まったく、騎士のくせに女性に対する礼儀がなってない。
ばつの悪そうに降ろすミリクはほっといて、メラに話しかけた。
「こんにちは。もうエブァンは来てる?」
「ええ、上にいらっしゃいますよ」
「ありがとう。ごめんけど、その部屋まで案内してくれるかな」
「分かりました」
メラの後について部屋まで案内してもらう。
ミリクは今のところ大人しくついてきているようだ。
この屋敷に来た回数は少なくないが、広すぎて一人で歩き回ると迷いそうになる。
流石のメラは迷う素振りも見せることもなく、エブァンのもとまで案内してくれた。
「こんにちは、エブァン」
「こんにちは。…後ろの人は久しぶりだね」
雰囲気は穏やかだか、微かにエブァンの眉がぴくりと動いた。
やっぱりこの前のことは忘れていなかったらしい。
ミリクがどういう反応をするか気になって、ちらりと後ろを振り返ると拳を胸に当て、膝を折っていた。
「この度は失礼致しました。ご無礼お許しください」
「…そんな畏まって謝られても困るんだが」
「いえ、王子に無礼を働きましたこと、罰せされても仕方のないことと心得ております」
ミリクが耳を疑うようなことを口にした。
エブァンからは頭を下げているので見えないだろうが微かに笑っているのが分かった。
「貴方はこの国の王子。違いますか?」
確信を持って言い放たれた言葉は、やけに部屋に響いて聞こえた。