いい人すぎて、無理……
……バイト先にいる、パートの川田さんが苦手だ。
優しくて、ちょっとドジで、とびきり明るくて、よく笑う、どこにでもいそうな小太りのおばさん。
頼めばすぐに対応してくれるし、気をつかって動いてくれる事も多い。
人の悪口を言っているのを見たことがないし、うそをついたり誤魔化したりしたことも一度もない。ミスをすればすぐに報告をして、上司はもちろん後輩にも真摯な態度で頭を下げるような、素直で真面目で純粋で…一生懸命な人。
従業員数の多い大規模寄りのスーパーマーケットにおいて、貴重な存在として名高い人物。
職場を離れても地域の活動や慈善活動に積極的にかかわっているらしく、友人や知人も多いようでしょっちゅう飲み会やお茶会に参加している。ふくよかな体は、コミュニケーションの賜物なのだ。
誰もが慕うこの人物は、俺にとっては…まぶしすぎる。
別に後ろ暗いことがあるわけではないが、清廉潔白な人を前にすると自分の黒さに…気が付いてしまうのだ。
従業員用の自動販売機のおつりのところに小銭が残っていたので拝借したことがある。
上司に叱られてむしゃくしゃしていた時に悪口を言ったことがある。
不良品が入っていた饅頭の詰め合わせを買わされて、文句の電話を入れたことがある。
近所にあるクソ長ったらしい電車の横断歩道で、よたつく婆さんをスルーして駆け抜けたことがある。
スーパーのパン売り場で、賞味期限が新しいのを後ろから引っぱり出して買うのはいつもの事だ。
キズのついたスイカを値切って買ったこともある。
従業員用の自動販売機におつりが残っていたと、拾得物票を記入して提出した川田さん。
上司に叱られて泣いた後、感謝の気持ちを伝えて成長した川田さん。
不良品が入っていたけれど生産工場の機械に不具合がでていませんかと、心配して電話をかけた川田さん。
線路を横断しきれない婆さんを背負って渡ってぎっくり腰になり、有休をとる事になってしまった川田さん。
スーパーのパン売り場では、賞味期限のひっ迫したものを探して進んで購入する川田さん。
キズのついたスイカがかわいそうだから買ってきてあげたと笑って、職場で振る舞った川田さん。
いい人だとは思うのだが、心のどこかで、拒否したい気持ちがある。
分かり合えない人なのだろうという、予感がする。
見習いたくない気持ちがある。
正直、あまり深くかかわり合いたくない。
ある日、川田さんが珍しく声を荒げていた。
何事かと思って近づくと、パートの人が猫を拾ったのだが状態が芳しくなく、手術が必要だという話をしていた。子猫の手術代は10万円ほどかかるらしく、現金はもちろん貯金もないため、どうすることもできないと…愚痴っている?
気のせいか…、助けられない理由を語る事で、許されようとしているようにも感じた。誰かに仕方ないよと言ってもらう事で、すくえる命を見捨てる選択をしたがっているように思えた。
ほとんどの人があきらめムードで話を聞いている中、ただ一人、川田さんだけが命を諦めることを良しとしなかった。
川田さんは、助けたい気持ちが抑えられないようだった。
カンパを募ったらどうですかというパートの声を遮って、一刻も早く手術が必要だと言っているのにそれでは間に合わないと訴えた。そして…自分も貯金はないけれど、学資保険を解約すればお金は用意できるからと言い出した。
自分が拾ったわけでもない猫を救うために、そこまでしようとする川田さんを見て…怖くなった。
猫を拾ったパートさんも、青ざめた顔で断っている。周りの人達も落ち着いてとなだめているが、聞く耳を持とうとせず、完全に暴走している。
結局、川田さんと猫を拾ったパートさんは、仕事を早退していった。命を助けるという名目で、夕方四時までの出勤を一時で切り上げたのだ。
月末の給料日の翌日の忙しい時期、二人のパートが抜けた穴は大きく、他のパート従業員たちの負担はかなり増えた。地味に自分も残業を頼まれて、なんでだよという気持ちが湧いた。
猫を拾ったパートさんの悪口は聞こえてきたが、川田さんの悪口を言う人がいないのが少し不気味だった。
多くの人に迷惑をかけたものの、猫は助からなかった。
川田さんの車で子猫のもとに駆け付けた時には、もう虫の息だったのだそうだ。
かわいそうな猫のために、高級なキャットフードやおもちゃを段ボールの中にたっぷり詰めて、一流のペット葬儀場連れて行き、戒名までつけてやったのだそうだ。
どう考えてもやり過ぎだと思ったが、誰もそれを指摘しなかった。
俺はただのバイトだから、指摘するのも空気が読めてないよなと思って何も言わなかった。同年代のパートの人達は大人なので、軽くスルーをしていたのだろう。社員たちももちろん余計なことは口にしなかった。一部の従業員たちはひそひそと話をしていたが、やがて興味が薄れ、話題にはしなくなった。
川田さんは子猫の事件で少々落ち込んでいたが、すぐに前向きな気持ちを取り戻し、いつものように良い人全開で仕事に打ち込むようになった。
カスハラ爺さんに立ち向かい、涙ながらに思いやりについて語ってやり込めた。
低学年の女児をゲンコツで殴りつけた虐待ババアに子育てを切々と語り、店内で抱き合う母子の姿を見る羽目になった。
女性社員に付きまとっていた変態親父に説教をかまし、結婚相談所に入会させて縁を結んで仲人を務めることになった。
あまりにもパワフルすぎて、ツヨキャラすぎて…恐ろしくてたまらなくなってきた頃、就職が決まってバイトを辞めることになった。
バイト最終日、川田さんは涙を流しながら前途を祝してくれたが、俺は作り笑いと無難なお礼を言う事ぐらいしかできなかった。
就職して二年ほど経ったころ、俺がバイトをしていたスーパーマーケットが閉店したというニュースを知った。
上場企業ではないものの、長く地元で愛されてきた人気の店の閉店…運営していた企業は倒産。
黒字経営だったためかわりと羽振りが良く、バイト代も良かったので、信じられない気持ちが大きかった。
ニュースを深掘りすると、なんと…内部告発により行政の手が入ったことが倒産劇の始まりだったと判明した。
食品の偽装や違反品の販売、従業員による不正、届け出に必用な書類の改竄…、次々に露呈した暗部。初めは細かく対応しながら火消しに尽力していたようだが、消しきれなかった火が大きく燃え上がり、やがて企業本体そのものまで黒焦げにし、再起不能へと追い込まれたらしい。
……どう考えても、川田さんの活躍があったとしか思えない。
悪を明らかにし、正義を貫くことは確かに…高尚な事なのだろう。
だがしかし、あのスーパーで働いていた人たち、およそ150人が…仕事を失い、好奇な目を向けられる事となったのは間違いない。
……とんだ疫病神じゃないか。
縁が切れて、よかった。
ホッと一息ついた、その時。
「……あれ?!ねえ、森岡君でしょ!!あたし、あたし!!ほら、ゆ○く○スーパーで一緒にレジ研修やったじゃない!!覚えてない?川田さんよぉ!!あ、ちょっと痩せちゃったからわかんないかな?!も~聞いてよ、職場が無くなっちゃって、ホント大変でさあ!!まあ、今日からここで働けるから一か月後には太れると思うけど!!あ、本間さん、ワタシこの人と顔見知りなんです」
部長の、後ろにいる、にこやかで、人懐っこくて、…どう、見ても。
「なんだ、知り合いなのか。ちょうどいい、今日からね、フロアクリーニングで来て下さる事になった川田さん。森岡君、ストコンの事とか教えてあげてくれる?」
「よろしくお願いします!立派になりましたね、さすがです!不束者ですが、ご教授ご鞭撻のほどお願いします!!頼りにしてるからね!」
どう、見ても…。
良い人にしか見えない、元、同僚が……。
………転職先、探してみようかな。
いやいや、今俺が働いているこの会社は、清廉潔白、クリーンが自慢であって……。
「…はは、よろしく、おねがいします」
とりあえず俺は……。
いい人そうな笑顔を、新人のパートさんに向けたのだった。