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異世界召喚人  作者: 月森 千尋
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8 瑠奈の手紙

 吉野瑠奈はあの日のことを思い出そうとすると、まるで霧の中を歩いているような気分になる。映像はぼんやりと、音は遠くから響いてくるようで、現実と幻の狭間にいる感覚だ。解放されたとき、たくさんの大人たちが泣きながら自分に話しかけてきた。母の腕の中に戻った瞬間、もうすべて終わったのだと思っていた。でも、何も終わっていなかった。


(流星お兄さんのことを、どうして忘れられるだろう)


 彼の優しい笑顔、自分が落ち込んでいるときに冗談を言って笑わせてくれた声。彼はまるで光のように輝いて見えた。自分たちは街で行われるイベントでよく会い、いつも自分に声をかけてくれた。彼は犯人なんかじゃない。そんな彼が犯人だと報道されていると知った、頭の中で何かが崩れ落ちる音がした。なぜ、どうしてそんなことが起こったのか、心の中に問いかけ続ける。


 家に帰っても、学校に戻っても、心の奥底に流星お兄さんの影がついて回る。友達が笑い声を上げると、ふと彼の笑い声が重なって聞こえる。そんなとき、胸がぎゅっと痛んで、息が苦しくなる。


 流星お兄さんの姿が浮かんでくる。夢の中では、彼はいつも穏やかで優しい笑顔を向けてくれる。その笑顔に、自分は救われる気がして、でも同時に冷たい恐怖が心を締めつける。夢から覚めたとき、枕が涙で濡れていることに気づく。


 あの日、あの場所に戻ってみた。流星が自分を「何処か」へ連れて行った入口になった場所だ。そこはただの古びた倉庫で、壁にはひびが走り、窓は埃で曇っていた。あの日、ここで聞いた彼の言葉が耳にこびりついて離れない。


「大丈夫だよ、怖がらなくていい」


 記憶をたどっているうちに、彼の表情がふと変わる瞬間を思い出した。疲れ果てたような、孤独を抱えた瞳。それは一瞬で消え去り、いつものように優しい笑顔に戻ったけれど、その瞬間が頭から離れない。彼もまた何かに縛られていたのだろうか? そんな考えがよぎるたび、自分の心はさらに混乱する。


 解放されたとはいえ、心はまだ囚われたままだ。現実は簡単に答えを与えてはくれない。自分はただ、自分の中でその真実を見つけようと、暗闇の中を探し続けるしかないのだ。


 吉野瑠奈は窓際の席に座り、教科書の文字を目で追いながらも、頭の中は別の場所にあった。目の前の算数の問題より、彼のことが気がかりだった。流星お兄さん。彼があの鉄格子の中で今、何をしているのか、どんな顔をしているのか。そればかりが、頭の中をぐるぐると回っていた。


 授業中だというのに、瑠奈の視線は窓の外に引き寄せられる。冬の空は灰色に覆われ、時折ちらちらと雪が舞う。その冷たい風景は、瑠奈の胸の奥に巣食う感情を映し出しているようだった。いつもは騒がしい教室も、どこかぼんやりとして、遠くにあるように感じられた。


 先生の声が聞こえる。


「吉野さん、次の問題を解いてくれる?」



 教科書を握る指先が冷たく感じられる。慌てて立ち上がったが、何も頭に入っていない瑠奈は、教壇に立つ先生の顔を見つめるだけだった。クラスメートのくすくす笑いが耳に刺さる。


「ごめんなさい、わかりません……」


 瑠奈は小さく答え、そそくさと席に戻った。


 机に座り直しながら、流星お兄さんのことを考える。彼が刑務所にいることを知ったのは、先週のニュースをたまたま耳にしたときだった。どうして彼が自分のことを誘拐犯だなんて言ったのか、未だに理解できていない。けれど、あの優しい笑顔と声が偽りだったとはどうしても思えない。警察や裁判所がどう彼を裁こうと、彼が自分を守ってくれた記憶は、瑠奈の中で色褪せることはなかった。


(流星お兄さん、大丈夫かな……)


 彼は寒い鉄の中で、一人ぼっちなのだろうか。お昼ご飯はちゃんと食べられているのだろうか。自分があの日「怖いよ」と泣き叫んだときに、優しく頭を撫でてくれたその手は、今どうしているのだろう。何もできない自分が情けなくて、涙がにじみそうになるのをこらえた。


「吉野、大丈夫?」


 隣の席の友達、菜々が小声で聞いてきた。


「うん、大丈夫」と瑠奈は答えたが、声は震えていた。


 菜々は何か言いたそうだったが、それ以上は何も聞いてこなかった。


 放課後、瑠奈は教室に一人残っていた。誰もいない教室の静けさの中、ランドセルから小さな封筒を取り出す。それは、昨夜遅くまでかけて書いた手紙だった。宛先は、流星お兄さん。彼の刑務所の住所をネットで探し出して、封筒に書き込んだ。手紙の内容はシンプルだった。


「流星お兄さんへ


 お元気ですか?寒くないですか?


 学校では元気にしています。先生は優しいし、友達もいます。


 でも、流星お兄さんがどうしているか、ずっと気になっています。


 もしお返事を書いてくれるなら、教えてください。待っています。


瑠奈より」


 書き終えたとき、瑠奈の目には小さな希望が灯った。手紙をポケットにしまい、ランドセルを背負うと、彼女は郵便局へ向かうため、冷たい冬の風の中を歩き出した。


 彼から返事が来るかどうかはわからない。でも、これで少しでも彼に自分の気持ちが届くのなら、それでいい。瑠奈はそう思いながら、ポストに手紙を落とした。その音は、まるで心の中の重たい何かが少しだけ軽くなったような気がした。

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