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異世界召喚人  作者: 月森 千尋
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7 娘帰る4

 その日、病院の廊下はいつも通りの静寂に包まれていた。消毒液の香りが漂い、カーテン越しに微かな日差しが差し込んでいた。看護師の田村は、病棟内を見回り、患者たちの状態を確認していた。時計は午後三時を指していた頃だった。


「早見流星さんが来ています」と、受付から無線が入った。田村は、流星という名前を耳にするたびに少し心が和むのを感じていた。吉野瑠奈が彼を慕っていたことは誰もが知っており、その存在が彼女にとっての大きな支えであることは明白だった。彼の訪問は日常の風景の一部となっており、特に騒ぐこともなく、誰もが好意的に見守っていた。


 その日も例外ではなかった。田村は、流星が瑠奈の病室に入る姿を見かけ、控えめな笑みを返した。彼は一礼し、病室の扉を静かに閉めた。その後、しばらくして病室から話し声が漏れ聞こえてきたが、それは二人の間に流れる穏やかな時間の証だった。


 しかし、その静けさが破られたのは、数十分後のことだった。田村がナースステーションで報告書に目を通していたとき、病棟の入り口で一人の患者の家族が慌てた様子で声を上げた。


「子どもがいなくなっている!」


 その叫びに驚いた田村は、即座に瑠奈の病室へと駆けつけた。


 そこは、すでに無人だった。ベッドは整然としたままで、まるで誰かが駆け込んだ形跡はなかった。瑠奈の小さなカバンが、そのまま枕元に置かれていたのが異様な静けさを際立たせた。


 後に田村は、警察に証言を求められ、あの日のことを話した。「流星さんは、急ぐ様子もなく、ただいつも通りの穏やかな表情で瑠奈を見ていました。何か不自然な点はなかったんです。ただ、今考えると、彼の瞳には深い決意のようなものが浮かんでいた気がします。まるで何かを守り抜くかのように」


 その言葉が示す真実は、まだ誰も知る由もなかった。青年が何を思い、何を抱えていたのかは、ただ雨に濡れたアスファルトの冷たさが知るばかりだった。


 病院内は、昼下がりの穏やかな光に包まれていた。ナースステーションでは看護師たちが患者の記録を確認し合い、時折、廊下から聞こえる笑い声や足音に耳を傾けていた。その日も、いつものように一人の見舞客がやってきた。背が高く、細身の青年で、清潔感のあるワイシャツに淡い色のセーターを羽織っていた。彼は微笑みを浮かべ、周りのスタッフたちにも感じの良い挨拶を欠かさなかった。


 その青年は、病院にいる少女・瑠奈の訪問者だった。彼が現れるたびに、瑠奈の顔はぱっと明るくなり、病室の空気が変わるほどだった。看護師のひとり、田村はその光景を微笑ましく見つめていた。瑠奈は幼い頃から入退院を繰り返しており、友達や外の世界との接点がほとんどなかった。その青年が現れたことで、彼女の目に少しでも輝きが戻るなら、誰もが歓迎すべき存在に思えた。


 だが、その日、何かが違っていた。


 夕方の巡回時、田村は瑠奈の病室を訪れた。だが、そこには誰もいなかった。カーテンは閉ざされ、ベッドは乱れていた。異様な静けさが部屋を包み、田村の心に不安が走る。


「瑠奈さん?」と呼びかけても、返事はない。瞬間的な不安が一気に広がり、他のスタッフを呼び寄せた。


 病院全体が騒然となり、警察への通報が決まるまでの時間はわずか数分だった。あの青年、彼の名は「早見」だと名乗っていたが、彼のことを誰も詳しく知っている者はいなかった。瑠奈が誘拐されたと結論づけられたのは、青年の車が監視カメラに映っていたことからだった。


 田村は動揺を抑えきれなかった。「なぜ、あんな善良そうな青年が……」


 彼女の頭の中で、青年の優しい笑顔が何度もフラッシュバックした。看護師たちの中には、瑠奈のことを案じていた者も多かった。彼女に笑顔をくれた人が、裏切り者だと知った今、彼らの心の中には怒りと疑念、そして喪失感が渦巻いていた。


 誰もが思っていた。あの青年は一体何者で、なぜ瑠奈を……?


 それは始まりに過ぎなかった。

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