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異世界召喚人  作者: 月森 千尋
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5 娘帰る2

 静まり返った病院の待合室で、時計の針が一秒ごとに音を刻むたび、両親の心の中で不安が膨らんでいった。母は椅子の端に座り、指をぎゅっと絡ませて祈るように手を組んでいる。何かを口にする余裕もなく、ただただ胸の中で「無事でいて」と繰り返すだけだった。目の前にはドアが一枚あり、その向こう側で医師たちが懸命に動いているはずだが、今この瞬間の母にはそれが途方もなく遠い世界のように思えた。


「きっと、大丈夫だ……」と父が小さく呟く。母の隣で肩を落としながらも、そう言わずにはいられなかった。けれど、その言葉はむしろ自分自身に向けたものだった。父の視線は床に落ち、握りしめた拳が白くなるほど強く握りしめられている。彼も、内心は不安と恐怖に押しつぶされそうだった。


 数分が過ぎるたび、母は時折、廊下の向こうから誰かが現れるのではないかと期待してドアに視線を向ける。しかし、そこにはただ、冷たい白い壁と扉があるだけだった。彼女の目は不安と疲労で赤く潤んでいた。どれだけ祈っても、待ち続けても、心のざわめきは一向に収まる気配がない。娘の顔が脳裏に浮かび、微笑む姿とともに無事であるよう願わずにはいられない。


「何か……連絡があったらすぐ知らせるって言ってたのに、こんなに時間が経っても何も……」


 母が震える声で呟いた。父はその言葉にただ黙って頷いた。どうすることもできない時間の中で、不安と焦燥感だけが二人の間に渦巻いていく。


 突然、廊下の奥から足音が近づいてきた。母は息を呑み、父も身を乗り出した。看護師が現れ、安否の知らせを告げに来るのではないかと期待して、二人は息を詰めてその姿を見つめた。


「ご両親……」


 その看護師の声が静寂を破り、両親の表情が凍りついた。看護師の言葉を待つ間、二人の心は張り詰めて、ほんの少しの時間が永遠のように感じられた。


 報せを聞いた瞬間、両親は信じがたいという表情を浮かべ、しばらくは沈黙が続いた。警察から告げられたのは、娘を誘拐した犯人が、家族にとって顔見知りの青年だという事実だった。彼の名が口にされたとき、母は椅子の端で手を強く握りしめ、まるで現実ではないことを願うかのように目を閉じた。


「あの彼が……そんなことを?」


 母が呆然と呟く。数週間前まで、母はその青年を親しみを込めて「良い子だ」と評価し、家族ぐるみで交流していたのだ。夫も、その青年を気遣いのある礼儀正しい人物だと見ており、彼の来訪時には家庭料理を振る舞ったこともあった。


「どうして……私たちは、彼のことを信じていたのに」


 母は震える声で呟き、視線をさまよわせた。目の前の現実と自分の記憶がどうしても結びつかず、頭が混乱している。父も同様に動揺し、複雑な表情を浮かべながら、無意識に拳を強く握りしめた。


 父は、警察から聞かされた情報が理解できないといった様子で、頭を振りながら言った。


「あいつが……? うちの娘に何か危害を加えたなんて……そんなことが本当に……」


 母も、彼が娘を連れ去る姿がどうしても思い浮かばない。娘の顔に浮かんだ笑顔が、その青年にも向けられていたはずだった。親切に接してくれた彼のその心遣いがすべて偽りだったのかもしれないと思うと、母の胸は重く締めつけられ、やり場のない疑念と不安で押しつぶされそうになった。


「……あんな良い青年が……何が、彼に……?」


 母の言葉はやがて涙に埋もれて途切れ、父もただ無言で寄り添うしかなかった。


 誘拐犯が顔なじみの青年であることが判明したとき、二人の胸に込み上げたのは、驚きだけではなく複雑な感情だった。なぜなら、その青年は娘にとって、ただの知り合い以上の存在だったからだ。


 娘はその青年に憧れを抱き、彼が遊びに来るたび、照れくさそうに笑いかけていたのを両親はよく覚えている。彼は娘に親切で、優しい言葉をかけてくれた。父も母も、彼が娘を楽しませてくれるのを微笑ましく見ていたし、娘も「お兄ちゃんみたい」と言ってその青年に懐いていた。彼がいるとき、娘の笑顔はいつもより輝いていた。それは両親にとっても安心感につながっていたのだが、その思いが今になって裏切られる形となってしまった。


「瑠奈はあの人に何も疑いを持たなかったはずよ……だって、いつも楽しそうに話していたんだから……」


 母は絞り出すように言った。彼女の心には、何が起きたのかを考えるときに湧き上がる怒りと戸惑いとがせめぎ合っていた。娘が誘拐された瞬間も、青年に呼ばれて嬉しそうに近づいていったのかもしれない。そう考えると、無邪気に信じる心が裏切られた娘の姿が脳裏に浮かび、胸が締めつけられる思いだった。


「まさか、あいつが……」


 父も声をひそめた。娘にとっての特別な「お兄ちゃん」であった青年が、信頼を裏切り、自分の娘を連れ去ったという事実が受け入れがたかった。彼は娘の無垢な好意を利用したのだろうか? 二人の中には、怒りと共にその信じた相手に裏切られた悲しみが深く渦巻いていた。

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