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異世界召喚人  作者: 月森 千尋
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2 弁護士

 刑務所の面会室は、冷たいコンクリートの壁に囲まれ、薄暗い照明が点々と灯っている。室内は静まり返り、時折、遠くから聞こえる足音や金属音が響く。面会用のテーブルは、透明なアクリル板で仕切られ、受刑者と訪問者の間に物理的な距離を作っている。


 受刑者は、白い囚人服を着て、無表情でテーブルの向こう側に座っている。彼の目は鋭く、周囲を警戒するように動いているが、どこか達観した様子も見受けられる。髪も乱れず、顔には生気があった。誘拐犯としての罪を背負い、ストレスが重くのしかかっていたりはしないのだろうか。


 一方、弁護士はスーツを着て、手元に資料を広げている。彼女は冷静で、プロフェッショナルな態度を崩さない。面会室に入ると、彼女は受刑者に向かって微かに頷き、彼の目をしっかりと見つめる。彼女の表情には、彼を助けたいという強い意志が感じられる。


「こんにちは、早見さん。今日はお話しできることがたくさんありますね」と、弁護士が言うと、受刑者は少しだけ顔を上げ、彼女の言葉に反応する。


「そうですね」と、彼は短く返事をする。


 弁護士は資料を指し示しながら、裁判の結果や、彼の今後の選択肢について説明を始める。受刑者は時折、眉をひそめたり、考え込んだりしながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


「もし控訴するなら、証拠を再検討する必要があります。あなたの無実を証明するために、私たちができることはまだあります」


 弁護士が力強く言うと、受刑者は一瞬目を輝かせる。しかし、すぐにその表情は曇り、彼はため息をつく。


 弁護士は優しく微笑みながら、「まだ遅くはありません。私たちが一緒に戦えば、道は開けるかもしれません」と励ます。


 受刑者は彼女の言葉に少しだけ心を動かされ、再び彼女の目を見つめる。


 面会の時間が迫る中、二人は真剣な表情で話し続ける。外の世界とは隔絶されたこの場所で、彼らの間には一瞬の信頼と希望が生まれているようだった。


「早見さん、あなたの裁判結果について判決は予想以上に厳しいものでした。控訴を考えるべきです」


「控訴? もういいんだ。佐藤さん、あなたは自分の仕事をきちんとなさった。何も不満は無いよ」


 佐藤は彼の目を見つめ、力強く言った。


「あなたと被害者の吉野瑠奈さんはとても親しい関係ですよね」


「そうだね」


「私も何度か彼女に会っていますが、彼女は一貫してあなたの無実を主張している。あなたが諦めてしまったら、本当に何も変わりません。あなたには権利があります。無実を証明するために戦う権利が。私たちが一緒に戦えば、状況は変わるかもしれません」


 早見はしばらく沈黙したまま、視線を落とした。冷たいコンクリートの床を見つめながら、彼の胸にはいくつもの思いが渦巻いていた。罪悪感、自責、そしてほんのわずかに残る希望のかけらが心の奥底で交錯していた。佐藤の言葉はまっすぐに心を刺し、重い空気の中にほんの一筋の光をもたらしていた。


「瑠奈……」と早見は低く呟いた。その声には苦しさと懐かしさが滲んでいた。


「彼女がまだ、俺を信じてくれていると?」


 佐藤は頷いた。


「はい。彼女は何度も面会に来ましたが、あなたの無実を訴えるために証言を続けています。彼女の言葉には信念があります。早見さん、あなたのために彼女は戦ってくれるでしょう」


「そうは言っても小学生だからな」


 早見は拳を握りしめた。その手は震えていたが、彼の表情にはこれまでにない決意が浮かび上がってきた。


 面会室の外で、監視官が小さな時計をちらりと見やり、あと数分で面会時間が終わることを告げるかのように一歩近づいてきた。だが、佐藤はその時間を無視するかのように、早見の目を見つめたままだった。


「あなたに選択肢は二つしかありません。ここで終わりにするか、もう一度立ち上がるか。あなたが戦う意思を見せれば、私たちは必ず助けを見つけ出せます」


 早見は唇を噛みしめ、無精ひげの下で表情を引き締めた。面会室の冷たい空気が次第に彼の心を包んでいたが、佐藤の言葉がその冷たさを少しだけ和らげたように感じられた。


 面会時間を告げるベルが響くと、二人は立ち上がった。透明なアクリル板越しに、二人の視線が交わる。決して完全に交わることはないが、その瞬間、確かに信頼と希望が芽生え始めていた。


 面会室を出る時、早見はもう一度振り返り、佐藤の背中に目をやった。彼の目には、これまでにはなかった光が宿っていた。


 早見は佐藤の背中を見つめたまま、再び思いに沈んだ。記憶の中で、吉野瑠奈の笑顔がはっきりと浮かび上がった。彼女はいつも、無邪気で明るく、その笑顔がどれだけ彼を救ってきたかを思い出すと、胸が痛んだ。彼が囚人としてここにいる理由は、彼女を守るためだった。


 その瞬間、二人で過ごした穏やかな時間が脳裏を駆け巡る。青い空の下での笑い声、静かな夕暮れに語り合った夢、すべてが今は遠い過去のものとなっていた。彼女の信頼と愛情がどれほど大きかったかを、彼は痛感していた。


 佐藤が立ち去ろうとする寸前、早見はもう一度声をかけた。


「佐藤先生」


 彼女は振り返り、彼の表情を見つめる。そこには一瞬の迷いと確信が同居していた。


「俺は控訴しないことにする。これ以上彼女を巻き込んで、辛い思いをさせたくないんだ。でも……あなたがここまでしてくれたことには、本当に感謝している」


 佐藤は目を見開き、その言葉に驚きを隠せなかったが、すぐに理解を示すように頷いた。


「そうですか……。その決意も、あなたの選択です。ただし、覚えておいてください。私たちは、いつでもあなたを支える準備ができています」


 早見は小さく微笑んだ。それは儚いが、真実の微笑みだった。


「ありがとう、佐藤先生。これで心が少し楽になった気がする」


 面会のベルが再び鳴り響き、二人は別れのときを迎えた。佐藤は静かに退室し、面会室に残された早見はひとり、淡い光が差し込む部屋で立ち尽くしていた。彼の心には、悲しみと共に、深い感謝と過去への決別の思いが静かに染み渡っていた。

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