第一部9
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ゲンジは二日後に学校に復帰した。
復帰を果たしたその日から、阿琉斗の復讐が始まった。
「ゲンジ、昼飯食うぞ」
「なんでだよ。一人で食えよ」
「いいじゃん食べようぜ」
「ゲンジ、次の教室まで一緒に行こうぜ」
「別のやつと行けよ」
「俺はゲンちゃんと行きたいの」
「おい、ゲンちゃんって言うな」
「肩組んだ仲じゃん」
「そういうことじゃないだろあれは」
執拗にゲンジと関わりを持とうと阿琉斗は動いた。ゲンジと阿琉斗は廊下での一件以来、最悪の関係と思われていた。
しかしそれが突然、友好を見せる。それも殴られた側から。そのためクラスメイトから気味悪がられた。だがそれすらも阿琉斗の計画通りだった。
予想外だったのは、クラスメイトの一部がゲンジをいじめ始めたことだった。阿琉斗が融和な態度を取ったことで、これまでゲンジに抱いていた漠然とした恐怖心が払拭されたと擬似的に勘違いを起こした生徒が、嫌な勇気を振り絞り成功体験を得てしまったのだ。
暴力などの直接関わるものは行われなかったが、陰口や物を隠すといった些細で発覚が事後的なものが横行した。
ゲンジはそれらを耐えていた。しかし我慢できなかったのは、ゲンジの事情をクラスで一番知っている阿琉斗だった。
ある日、ゲンジが大切に使っていた鉛筆が無くなった。ずっと探していたのを阿琉斗は周りから聞いていて、そして本人に尋ねるも「何でもない」と言うばかりだった。
阿琉斗がこっそり鉛筆を探してあげているとき、どうも不気味な笑顔を仲間内で浮かべている三人組がいた。
これまたこっそりと聞き耳を立てていると、馬鹿、アイツ、笑っちゃうと、と嘲笑が聞こえた。
「あんなに必死になって探しちゃって」
「そうそう。たかが鉛筆一本で」
「貧乏なんじゃないの。ゲンジのやつ」
と口々に言っていた。
阿琉斗はいたって冷静な人間だ。少なくとも他の学生からそう思われている。
だが守るべきものが出来た阿琉斗を、止めることは簡単ではなかった。
ゲンジが次に見た光景では阿琉斗が大きな声を上げていた。
「なんでそんなことするんだ」
「だ、だって阿琉斗ー。嫌がらせされてたじゃん」
「だからなんだ」
「悪いことした奴に悪いことして何が悪いんだよぉ。されてもしょうがいなだろぉ!」
「現に言い返してこなかったしさぁ」
「仮にそうだったとしても、お前らがすることじゃないし、大勢の人間で一人を罰することが正しいことなのかよ」
「そ、それは」
「鉛筆、どこにやったんだよ」
「も、森に投げた」
「はぁ!?」
「森に投げた!」
てめぇ、と握った拳を
「阿琉斗!」と廊下にいたゲンジが制した。
声を聞くと途端に阿琉斗は振り向いて、ゲンジの手を掴んで早足で外に向かう。
「おい、どこ行くんだよ」
「探すんだよ。お前の鉛筆」
「いいよ。あれくらい」
「良いわけないだろ。入学のときからずっと大事そうに使っていたのに。ポケットの中に入れて持ち歩いていたのも知ってるぞ」
「いいって」
「俺が良くない」
ゲンジと関わることによって、自分もいじめられてしまうのではないか。そんなこと、阿琉斗は露にも考えなかった。
むしろそれすらも背負って戦ってやろう、それが今の自分にできる方法だと、阿琉斗は信じていた。
ズンズン森へ向かい、中に入っていく。前日が雨だったため地面がぬかるみ、靴が汚れ湿っぽくなる。
「おい、阿琉斗」
「うるさい」
そうして靴を汚しながら、爪の中に土が入っても顔に泥がついてもお構いなしに、鉛筆を探す。
話を聞いたミチサネも来て声をかける。それに対しても「後で怒られるからー」といなしてしまう。
ゲンジは阿琉斗その様子を見て、これまでの自身の行いを酷く後悔した。それは自身がいじめの対象になるよりもずっと効果的な復讐となっていた。
あの時に殴りつけた拳が今になって痛んできた。今になって足が震えてきた。今になって、この少年のことを理解した。
母を悲しませまいと堪えてきた涙が溢れてきた。何度も、何度も拭った。
辛かった。あぁ辛かったよ。阿琉斗、わがままだけど―。
「あったー!!」
森に阿琉斗の声が木霊した。
泥だらけの少年が、まるで友達と水田の中で相撲を取ったような泥だらけの少年が、楽しそうに爽やかに森の奥から駆けてきた。
「…。何やってんだよ!」
ゲンジが思わず吹き出した。
阿琉斗はゲンジにニカッと笑いかけた。
その日から阿琉斗とゲンジは友だちになった。