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結続  作者: 安吐~&
第一部 
8/16

第一部8

**8**


数日の静養を挟んで、阿琉斗の学校生活は再開した。

目の腫れは大方引き、顔を覆う包帯の面積も減っていた。


学校に着くとクラスメイトが群がって口々に「大丈夫―?」「怖かったー?」とか聞いてきた。

「怖かった。みんなも気をつけてね」とあっさりと返答する。


心配されることも苦手だった阿琉斗が危惧していたのは、自身の担当、ミチサネとの再会だった。


「おはようっと、阿琉斗ぉ!久しぶりだな。顔傷だらけじゃないか。不用意に野犬なんかにいたずらするからだぞー」


と隣の教室にも聞こえるような声で言ってくる。


前から3列目の俺に言う声量じゃないだろ。


 登校前の恐ろしい予想は的中し、一時間目を全部潰し質問攻めにあった。



 自分の親を含め、俺は野犬に襲われたことになっていた。加害者が秘匿されるべき存在だったからだ。


 阿琉斗を襲った人間は『シガリロ』という。出生は不明。これまでに12人の女性が襲われており、いずれも喉を切られ遺体となって見つかっている。

 被害者には無数の切り傷が残されており、体内からシガリロのものと思われる体液が検出された遺体もあった。加えて肺の損傷も確認された。これらのことから快楽殺人として重要事件に指定される。

 遺体はいずれもこの国でのみ見つかっていたことから、テンマンの『黒』に協力要請が行われたが、国の運営に関わるため報道はされず迅速な『処理』が黒に課せられた。


「そして今回は私が狙われたわけか」


「そうみたいです。何度も先輩のことを聞かれました」


「話さなかったのだな」


「みたいです。誰かが傷つく前に、自分のところで止めておけて良かった」


「それでそんなにボロボロになってしまっては」


「後悔はしていません。力のない今の僕には、誰かを守るにはそれしかなかった」


「偉いんだな」


と肩に手を置く。


「次があるのなら『阿良紀(あらぎ)』と言え」


「阿良紀?」


「あぁ私の家族の名だ」



 みっちり一時間分。やっとミチサネからの質問攻めが終わった。


作られた仮のシナリオのため、思い返すと矛盾点が多々あり肝が冷えるが、幸運にもそこが指摘されることはなかった。


一息つく暇もなく「なぁ」と少年が声を掛けてくる。


「なに、ゲンジ」


「誰にやられたんだよ、それ」


なるほど、馬鹿にしに来たというわけか。確かにそうだ。目の敵にしている人間がボロボロになっているんだ。嬉しくないわけがないだろう。


「誰にって、野犬だよ。さっき聞いてただろう。俺のことは殴ってもいいけど、あれには気をつけろよ」


「人か」


動きが止まる。


「え」


「今、有名だろ。何人も襲われてるって。噂でよく聞く」


「いや、野犬だって」眉尻が下がる。


もはや説得になっていた。


「そうか」そういってゲンジは去った。


すれ違うときに見たゲンジの目は、怯えではなく怒りが籠もっていたように思えた。



 事件が起きたのは、その会話のあと、太陽が地に八回ほど沈んだ日だった。


 

 シガリロに遭遇した日から阿琉斗は、阿々紀に稽古をつけてもらっていた。

基礎体力は幼少期の外遊びで付いていたので、体運びや呼吸の仕方、視線の向ける方等々を教えてもらっていた。


ほぼ毎日。授業が終わったら、だだっ広い演習場に向かう。大抵の場合、阿々紀が先に着いている。


その日は、永遠と地面に叩きつけられる稽古だった。

『阿々紀発案』。この言葉が阿琉斗は大の苦手だった。


「ぁあああ…ッッ」


呼吸ができなくなる。たまらず天を見上げながら腰を反る。


「教えた通りの呼吸を保て。死んでしまうぞ」


冷淡だが突き放すようには聞こえない。そこが阿々紀の不思議なところだ。


「んなこと…言われても…ッ」


今日は空が一段と朱かった。


稽古はいつもこんな感じ。痛いし辛い。阿々紀発案の日は大体死にかける。


一度休んでしまおうと思った日、家の前のベンチで賭場のおっちゃんの話を聞いている阿々紀がいた。

「お、待っていた。行くぞ」


とこちらを見つけ、口の端を少し上げる。目の形は相変わらず。久々に見た阿々紀の笑顔。


なんというタイミング。怒られることは無かったのだが、叱責で済むならそちらのほうが良いと思った。


「…。はい」


考えたことは何度もあるが、怠惰を実行したこの一回だけ。



 入学して数ヶ月が経った頃、阿琉斗の母は病状が悪化し家にいなかった。稽古の帰りに病院へ寄り顔を見せに行っていた。病床に伏す母を見るたび、「強くなりたい。」という思いは大きくなっていった。だから辛いことにも耐え続け、挑み続けた。

 殺人鬼に襲われたあとも、もちろん母に会いに行った。例により野犬と戦ったことになっていたが、それでも母は心配で泣いてしまった。



「だいぶ呼吸ができるようになってきたな。すごい」


阿々紀の感嘆は聞き慣れないが耳に馴染む。肩で呼吸する阿琉斗の顔が弛緩する。


「ありがとうございます。そろそろ俺も、光、出せますかね」


「まだだ」


「そうですか」


阿琉斗には守るものがある。それは自分の帰りを待ってくれているもので、その人達の泣き顔は自分のよりも見たくないものだった。


稽古場はテンマンの演習場の一角を借りている。敷地が広大すぎるので、校舎から見物されることもない。おかげで集中して取り組める。


わざわざ校舎を経由して帰宅すると遠回りになるので演習場にある裏門を使う。使う人がいなかったので蔦や虫の集合住宅と化していたのを二人で取り除いた。


裏口から出ることで、阿々紀が「帰りの距離が遠くなっているのだが」と文句を言わないので今日も使う。


 裏口から帰ると農地にあたる。水田が広がっており上も下も朱に染まる。目の奥に刺さるようなこの色が好きだ。寂しさの中に言い表せない激情を感じるようだった。



だからこそ、それを見たとき、躊躇はなかった。


知っている二つの顔。


一つは楽しそうに。もう一つは抗うように。


一つは上に。一つは下に、地面と触れ合う。


「ゲンジ!」


ありったけの声を絞り出す。声が裏返る。その声に反応したのは上の顔、シガリロだった。


 あの狂気を孕んだ丸い目がこちらを捉える。遠目に見てもシガリロの広角が上がる。

口の端が耳に付きそうだ。


ザッと足を踏み出したとき、横に風が吹き抜けた。次の瞬間には前から衝撃の波が来る。


阿々紀が先制打を仕掛けていた。


阿々紀の足はシガリロの交差した腕に受け止められた。


あの足が見切られたのを初めて見た。


シガリロは鋒を向け、振る。


目に追えたのはそこまでだった。


ゲンジの救出に向かったというのもあったが、二人の動きは目に見えなかった。


速い。


だが所作は丁寧なのが分かる。

この場面においての丁寧とは即ち、一挙一挙が確実に相手を殺そうとしている、ということである。


阿々紀の上手いところがここで現れる。交戦中の二人ととゲンジの距離が離れていっているのだ。


ゲンジに触れることが出来た。


「大丈夫か。離れるぞ」


傷口が塞がったばかりの肩にゲンジの腕がまわる。


直接的な感謝の言葉こそないが、体格に比べ軽く感じる重心のかけ方が、阿琉斗の気持ちを少し和らげた。


「なんで」息を上げながらゲンジに問いかける。

その後はなんだろう。なんであそこにいたんだ、なんで襲われてたんだ、なんで逃げなかったんだ。


いや、違うな。


「なんで俺のことを嫌うんだ」


一瞬ゲンジが阿琉斗を見やる。後ろでは『殺し合い』が行われており、心做しかその空間が拡大している雰囲気もある。


「お前のお父さん、薬屋なんだって」


あのときと、初めて声をかけられた、阿琉斗が廊下で血を流したあの日と同じ質問をする。


「そうだね」


あのときと同じように返す。


「俺の家は、昔から漢方の、自然から取れる薬を売ってんだ」


ゲンジの家のことを聞くのはこれが初めてだった。


まさか。「家の商いが同じだったと」


「あぁそうだ。お前の、阿琉斗の家が薬屋を始めてから、生活が少しずつ苦しくなっていってんだ。父ちゃんと母ちゃん、特に母ちゃんは俺に心配をかけたくないから、俺の前ではいつも笑顔で、でも家が段々苦しくなっているのを、二人が話しているのを聞いちゃって」


声に震えが出てくる。言葉の区切りが歪になる。それがゲンジの心からの言葉だと裏付けていく。


「だから嫌っていたのか」


「そうかも知れない。分かってる。こんなことしても、何も解決しないし、殴りつける俺すらも、スッキリしているのか分からない。でも阿琉斗。お前のことが許せない。嫌いだ。」

消えそうな声だった。それでも続ける。


「分かってる。阿琉斗は悪くない。何も悪くない。でもお前の顔を見る度に、母ちゃんの寂しそうな顔も浮かんでくるんだ。辛いんだ」


「分かるよ。俺にもその気持ちは分かる」


「分かるわけない」


「分かるよ」


声が震えてくる。


「俺も母さんに会いたい。元気なってほしい。また一緒に、お菓子を、食べに行きたい」音が、頭から段々と小さくなっていく。でも続ける。


「自分を守れなかった、自分が、憎い」声が震えてくる。言葉が途切れ途切れになっていく。それが阿琉斗の心からの言葉だと裏付けていく。



「なんでシガリロに会ったんだ」


「…ッ」


「答えろよ。助けてあげてんだから」


少し間が空き、白状をする。



「お前を、お前を殴っていいのは、俺だけだ」



この男は、なんと真っ直ぐなのだろうか。


敵だから攻撃していい。だがそれは、使命のある自分だけだと。そう答えた。


「すげえな」


「は?何がだ」


「なんでもない」


「おい、阿琉斗」


「元気になったら思う存分殴り合おう」


離れたところにゲンジを下ろす。阿々紀の様子を確認したいところだが、人を呼んでくるのが先だと思われた。


「なぁゲンジ」


「なんだよ」


「その思いも、俺に負わさせてくれないか」


「はぁ?」


「どうしようもなくて辛いんだろう。俺も背負うから、一緒に生きようぜ」


ちょっと待ってろ、と町に向かって走り出した。


戻った頃には、ゲンジと阿々紀が一緒にいた。アイツはいなかった。


「すまない。逃がした。傷はつけたんだが」


そこには顔に血を付け服に切り跡が残る阿々紀と、目を腫らしたゲンジがいた。


町の人と、数名の学生が来る。『赤』と色付けされたテンマン所属の救護班だ。


阿々紀自体に目立った傷は無かったが、ゲンジは念の為搬送されることとなった。



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