悪役令嬢の計画
ルーカスは、まだ少年だった頃に公爵家に拾われた孤児だった。
最初の記憶は暗い路地裏。浮浪者や孤児がたむろする場所で、いつも腹を空かせていたことだけは覚えている。親の顔も覚えていないが、あそこではそう珍しいことでもなかった。
運悪く足を痛め、食料を探しに行くこともできずに蹲っていたある日のことだ。
大通りの方から誰かが近づいてくる足音がした。それが複数人のものであったことから、幼いルーカスは目をつけられぬよう目線を伏せる。
ここではなんでもない理由で痛めつけられることなどざらだった。少しでも存在を消し、災難が過ぎるのを待つ。
「あなた、大丈夫?」
地面を見つめていた視界に、やけに上等な靴が入り込んだ。色鮮やかな赤のエナメルが艶やかな林檎のようだ。ルーカスはそう思いながら、思いもしなかった柔らかい声に思わず顔をあげてしまった。
「この子を屋敷に」
「お嬢様!?」
子供の声と大人の声。大人は驚いているようだったが、ルーカスはその内容がわからない。いや、意味はわかるが、状況と意図が掴めなかった。
「大丈夫よ」
それだけ告げられて、あたたかい外套に包まれ馬車に乗せられていた内に、孤児であったルーカスは体力と気力の限界から気を失った。
「——その後、少年は公爵家の下働きとして仕事と飯にありつき、今では公爵令嬢の従者にまでなった……。とまあ、今語っても俺とお嬢様の出会いは涙あふれるものでしたね」
「涙をあふれさせるべきあなたがその言い草。随分と元気になったものだわ」
心地よい暖気の中、場所は公爵家の庭園だ。青空の元でルーカスの淹れた茶を飲むヴィクトリアが、ため息混じりに従者に苦言をこぼした。
まるで劇団のストーリーテラーのように仰々しく語ってみせたルーカスの話。それはなんてことはない、彼自身の身の上話だ。
しかし登場人物であるヴィクトリアは決していい気分ではない。
それは彼に救いの手を伸ばしたヴィクトリアを崇めるかのように、しかし白々しい態度をとるルーカスに原因があった。
「お嬢様は確かに俺に人としての道を与えてくださいましたが……単なる善意からじゃありませんもんね」
「う……」
——そう、ルーカスは知っていた。
ヴィクトリアがあの日、『かわいそうな路地裏の孤児』を拾った理由を。
公爵令嬢ヴィクトリア・ペンフォードには、前世の記憶があった。
現代日本と呼ばれる世界で、ごく普通の一般人として、ごく普通の学生生活を送っていたのだ。そんな彼女の楽しみはといえばゲームだ。その中でも、とあるシミュレーションゲームにどハマりしていた。
ゲーム『君の祈りは世界を救う』は、貴重な魔法の使い手として国に保護された主人公が、貴族が多く通う学園に通う王道ストーリーだった。
学園では様々なキャラクターと出会い、思い思いの関係性を築いていく。プレイヤーは主人公となり、恋愛も友情も好みで楽しむことができるのがこのゲームの魅力だった。
そのゲームに登場するキャラクターの一人に、『ヴィクトリア・ペンフォード』という令嬢がいる。
彼女は王子アーネストに想いを寄せており、婚約者に選ばれることを望んでいた。王家ひいては王子に保護される主人公に嫉妬し、嫌がらせをしてくる悪役だ。そんな悪役令嬢の行いがきっかけで主人公とキャラクターが絆を深める展開もあり、彼女はゲームにおいての舞台装置だった。
当然、その展開の先には〝破滅〟が訪れている。
……もはやみなまで言う必要もない。
幼い日に前世の記憶を得たヴィクトリアは、己がこの世界において悲惨な末路が用意されている『悪役令嬢』だと自覚してしまった。
記憶の濁流により知恵熱で倒れた幼少のヴィクトリアは、家族が心配する中、ベッドの中で必死に考えた。
記憶の中の〝破滅〟は家族も巻き込んでいる。忙しい身で熱にうなされるヴィクトリアの側に寄り添ってくれる優しい家族だ。この人たちを悲しませることはしたくないと幼心に思ったのは鮮明に覚えていた。
自分に何ができるのかを考え尽くしたヴィクトリアは、体調が回復するのを待って己が取るべき行動をまとめた。
考えた末に最も重要なのは『婚約者に選ばれず、悪事もせず、令嬢として普通の人生を送る』ことだと考えた。早速計画を練った。
——そうして理解する。
「……こんなの一人じゃ無理よ!!」
ペンフォード公爵家は、国内でも有数の勢力を誇る家だった。その一人娘であるヴィクトリアに、大多数の令嬢が送るであろう『令嬢として普通の人生』はむしろ難易度が高い。ある意味それは公爵家の立場では無責任とも取れる行動だった。高位なる立場にはそれなりの立ち振る舞いが求められる。……それこそ、王子と婚約し嫁ぐことも当然含まれた。
いくら家門が破滅するからといって、公爵家の発展に反する行動をとれば不審がられる。……かといって、こんな話を家族に告げたとしても信用してくれるだろうか。熱でうなされた少女の、不安からくる夢物語だと慰められて終わりはしないだろうか。
人ひとり分の人生の記憶も得たヴィクトリアは、年相応の子供よりは人間の思考がある程度わかっていた。今のまま、ヴィクトリア一人が声をあげたところで解決に繋がらないことは確信できる。
(となると、自分だけの手足が要るわ)
貴族ともなれば何をするにも人を使う。手紙を書くのも出かけることすら一人ではできないし、しない。
さらにヴィクトリアが取ろうとしている行動は、知られれば周りに止められるものばかりだ。あくまでも公爵家に生かされている令嬢の身では、人を使って妙な行動をとればいつ公爵家の当主である父に報告されてしまうかわかったものではない。
そう思ったヴィクトリアは、街へ外出するふりをして屋敷の外に人材を求めた。自分だけが囲える、自分の言うことを第一に聞く駒を。そのためには理由と忠誠心が要る。
貴族であるヴィクトリアがそれを得るには、存外多くの手段があった。
——そうして見つけたのが、孤児ルーカスである。
「この子を屋敷に」
「お嬢様!?」
その時連れていた従者の顔には、「わざわざ慈悲をかけなくとも」という本音がありありと浮かんでいた。
違う。そうではない。ヴィクトリアは、未来のため、自分のために今にも倒れそうな孤児の少年に手を伸ばすのだ。恩を売り、ヴィクトリアに救われたという理由も背負わせて、一人の人間を己の手足としようとしている。
馬車に揺られる内に気を失ってしまった少年を見て、ヴィクトリアは罪悪感と使命感を天秤にかけられる思いだった。
「——いいんです。ご安心くださいヴィクトリア様。受けた恩の分は働いてお返しします。衣食住と職どころか、お嬢様の手足として今や立派にやれていると自負していますよ」
「……ええ、それはそうね」
過去のことを語り合っていたルーカスが、ヴィクトリアのカップに新しい紅茶を注ぐ。適度な温度で湯気を立てるそれを見ながら、ヴィクトリアは頷いた。
下働きから始まり、従者としての作法や仕事を学んだルーカスは、思っていた以上に仕えてくれている。それはルーカスがヴィクトリアに恩を感じたからに他ならないし、彼自身の能力が優れていた点にもあった。
年齢と経験を重ね、ルーカスがヴィクトリア専属の従者兼護衛の立場にまで収まった頃には……ヴィクトリアは己の『記憶』と『計画』の全てを打ち明けていた。
するとどうだろう。
屋敷内での人間関係も良好に築いていたルーカスは、手紙の手配など本来ならメイドがやるようなちょっとしたことでも周りに知られないように動いてくれるし、未来に備えるための、一見すると意味がわからない準備もそつなくこなしてくれる。先日ヒロインであるセルマに迫られた時に助け舟を出してくれたのもそうだ。
これこそ自分が望んでいたものだ!
思う通りに動いてくれる人材を見つけたヴィクトリアは、これで破滅の未来に備えることができると安堵したのだった。……ただ、まあ。
「それに何より……」
それは一つの〝予想外〟を除いて……の話ではあるが。
「お嬢様一人では、『計画』の立案も遂行も絶対に無理でしょうからねぇ……」
「う、ううっ……! うるさいわよ!」
……ルーカスは優秀だった。ヴィクトリアの意図を汲み、手足になってくれるのも重宝している。それはいい、ヴィクトリアにとってそれは喜ばしいものなのだが。
「だってお嬢様。再三お聞きしている未来の記憶……それに備えるためご自身で立案された計画にいくつ穴があったとお思いで?」
「うっ」
「ご家族に怪しまれたことも何度あったか」
「うう」
……そう。自分の破滅を回避するために画策しているヴィクトリアだが、その計画にいまいち精度がないことはこの数年で散々自覚していた。
社交会においては、一見何事においても難なくこなしてみせる気丈なヴィクトリアだが、その内面は実は気弱である。今もこうして従者にからかわれ、ピシャリと言い返せないほどには。
そんなヴィクトリアに、人の裏をかく計略を立てる能力は全くなかった。
一人の人生とゲームの記憶を得たとはいえ、貴族社会という腹の底が知れない怪物が跋扈している世界では、ヴィクトリアは無力な少女だった。王家に近い公爵家ならばなおのこと。そこに生来の気弱さが加わってしまえば、立てる計画からすでに気弱な姿勢が見える。
自分の懐に誰かを招き入れることはできるが、自分や他人を使って無情に立ち振る舞うのは大の苦手。お人好しとも言えるだろう。
そんな妙なところで踏みとどまってしまうヴィクトリアの言動をうまく是正し、サポートしてきたのがルーカスであった。
その長年のサポートの結果が、何かにつけて「あれでよかったのか」「ちゃんとできていたか」とルーカスに確認を取る姿なのだが……まあそれは当人たち以外知らないことだ。
「お嬢様は肝心なところでポンコツですからね……」
「う、うう……!」
お人好しも環境においてはそう言える。それはヴィクトリアもわかっていた。しかし主人に向かってポンコツだなんて。暴言とも取れる発言をするなどあんまりではないか。
「ッルーカスあなた、物言いの度が過ぎると減給するわよ!?」
「え? いいんですか? お嬢様一人の都合で拾ってきた、元孤児の俺に減給を?」
「ぐ……!」
「お嬢様の手足は俺しかいないのに、待遇を下げてもよろしいのですか。忠誠心が揺らいでしまうかも?」
「〜〜〜ッルーカスのバカ!」
「あ、流石に言いすぎましたね……。泣かないでくださいクッキーです」
まるで幼子を慰めるかのように物で釣ってくる従者は、大真面目にクッキーを差し出してくる。そうじゃないでしょう! キッと睨みあげるヴィクトリアにも、ルーカスはどこ吹く風だ。
「だって……だって! よくあるパターンなのよ! 小さい頃から周りに優しくしておいたり助けておけば、原作がはじまってからもいざという時に助けてくれると思ったのに!」
「一応事情を知ってるとはいえ、それ俺に言っちゃってよかったやつですか?」
そういうところがポンコツなのではないだろうか。そう思うも、今度ばかりは空気を読んだルーカスはそれを口にしない。
「お嬢様の優しさは使用人みな知っておりますよ。何もなくともお嬢様の力になりたいと思うのは一緒です」
「ルーカス……!」
「まあ俺はその中でも立場を利用して給金が増えればいいなと思っています」
「やっぱり減給してやるんだから!」
一人で落ち込み始めた主人を励ますためとはいえ、軽口を叩きすぎたようだ。そう判断したルーカスは、改めて忠誠の言葉を告げる。まあおまけという名の金の虫も顔を出したがご愛嬌だろう。
——弱気で心配症で強がりなヴィクトリア。
その綺麗で気丈な「外面」が剥がれないようにしながら、ルーカスは今日もこうして主人の思惑の手助け(?)をしていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。