悪役令嬢と従者
愛すべき悪役令嬢と、その従者(主人公)の話です。
※ラブ関係のタグは主人公以外に対してです。
——俺はとある公爵令嬢に仕えている。
「ヴィクトリア様! 心ない振る舞いはもうやめてください!」
「まあ、セルマ様……。何をおっしゃっているのか、わたくしにはよくわかりませんわ」
パチン、と品良くも鋭く鳴ったのは、ヴィクトリアと呼ばれた令嬢が手にする扇だった。
閉じられた扇の向こうには不敵に目を細める美しい笑みがあり、その表情には貴族としての矜持と、彼女自身の自信が浮かんでいる。手入れの行き届いた長い髪は少しの動作でも軽やかに揺れ、ヴィクトリアの内外の美しさを引き立てていた。
それに比べ、最初に声を張り上げたのは、短い髪を可愛らしく跳ねさせた女生徒だ。
名をセルマと呼ばれた生徒は、己を奮い立たせるように両の拳を握り、地を踏みしめて立っている。まるで魔王に立ち向かう勇者のような面持ちで、セルマは眉をひそめヴィクトリアを見上げていた。
はたから見れば、セルマがヴィクトリアを糾弾しているように見えるだろう。現に、セルマの背後には数名の令嬢が彼女を支えるように立っていた。しかしそれらに一人で対峙しているヴィクトリアは、数の差を少しも気にしていない様子だ。
それもそのはずだ。
セルマは平民出身であり、背後の令嬢達も下級貴族の出自ばかり。
対して、国で屈指の勢力を持つペンフォード公爵家の令嬢であるヴィクトリアは、生まれてからすぐに人の上に立つ教育を受けている。
小鳥の集まりのような令嬢達が、可愛らしい声でさえずったとて、彼女にとってはアフタヌーンティーの茶葉種よりも些細なことだった。
「——ヴィクトリアお嬢様、次のご予定が迫っております」
その時、一人の従者が場に割って入った。
ヴィクトリアたちの会話を遮ることも気にせず、彼は仕えている主人を促す。セルマの後ろにいた令嬢達がその無礼にざわつくが、この場で最も権力を有するヴィクトリアは逆に微笑んでみせた。
「あら、そうね。ありがとうルーカス。行きましょうか」
「あっ……待ってください、ヴィクトリア様!」
従者の案内に応えたヴィクトリアを、セルマが呼び止める。それを聞き、背を見せていたヴィクトリアが半身だけ振り返った。
「そうそう、セルマ・クラウザーさん。あなたにもう一つだけ申し上げることがありますの。——わたくし、あなたにファーストネームを許した覚えはなくってよ」
そう言い、広げた扇ごしにセルマを睨みつける。真正面からそれを見たセルマはびくりと肩を震わせ俯いてしまった。それを横目で見送ってから、ヴィクトリアはその場を後にする。
途端にセルマを慰める声が上がったが、些細なことだ。
「ヴィクトリア様、先ほどは大事ございませんでしたか」
待たせていた公爵家の馬車に乗り込んですぐ。ヴィクトリアの従者——ルーカスは、先ほど私刑にあいかけていた主人を労った。
多くの従者たちに囲まれ敬われてきた公爵令嬢が、同年代の生徒たち複数人に詰め寄られたのだ。身分差を問わない原則がある学園でのこととはいえ、本来ならあってはならないことである。
「ええ、別になんのこともないわ。あなたも来てくれたことだしね」
はあ、とヴィクトリアは普段より少々大袈裟にため息を吐く。その煩わしそうな表情は、しつこい虫から解放された時と同じだった。
しかし馬車の入り口そばに控えるルーカスは、上座に座る主人の平然とした顔をなおも見つめ、再度問いかけた。
「何でもない、ですか」
「……そうよ」
「ヴィクトリア様……」
「……」
ルーカスが再度問うた途端、馬車の窓外を眺めていたヴィクトリアの顔が真顔になる。
馬車の中が、しばし無言に包まれた。場を沈黙が支配してしばらく。真っ直ぐ窓の外を眺めていたヴィクトリアが、徐々に顔を俯かせていく。
そして次の瞬間、ガバッと顔をあげ声高らかに叫んだ。
「〜〜〜ッッッルーカス、聞かせて! あなたどこから見ていたの!? わた、私……〝ちゃんと〟やれていた!? 声は震えてなかった? 目線もウロウロしてなかったかしら!? ああもう! そもそも、緊張しすぎて何を言ったのかすら覚えてないのよ!」
顔をあげたヴィクトリアは、その勢いのまま令嬢らしからぬ物言いでルーカスに詰め寄った。
先ほどまでの余裕はどこへやら。
両手で自分の頬を包み、まるで世紀の大失敗を犯したかのような落ち込みぶりでヴィクトリアはかぶりを振る。
それらを冷静に見守っていたルーカスは、ヴィクトリアが落ち着く頃合いを待ち、答えた。
「安心してください。ヴィクトリア様のお立ち振る舞いはなんの問題もありませんでした。普段通り〝ちゃんと〟できておりましたよ」
「ほ、本当に……?」
不安げに、なんなら涙目にすらなりながら、ヴィクトリアがようやく顔をあげる。
ここに先ほどのセルマや令嬢たちがいたら、目を見開いてこれが夢か現実かを確認しはじめるだろう。
美しくも鋭い刃のような赤薔薇の令嬢だったヴィクトリアが、今ではまるで月下美人のように不安げに目を潤ませ、必死になっているのだ。身に付いていた仰々しくも丁寧な口調もどこかへ行ってしまっている。
普段の彼女を知る者が見れば、顔が同じ別人だと言われた方がまだ説得力があるだろう。
対して、そんなヴィクトリアの様子を一人受け止めているルーカスは少しの動揺もせず、安心を求める彼女に迷いなく頷いてみせた。
「はい。特に去り際の一撃は見事でした」
「え、私なにかしたの?」
「セルマ嬢に『お前如きが気安く私の名を呼ぶな』と宣言してましたね」
「え……!? 本当に!?」
ヴィクトリアが両手を口に添え、信じられないという感情を全面に出す。ちょっと盛った気はするが、まあ間違いではない。
——ここまでくれば明白だ。
その美しさと気位で社交会でも一目置かれているヴィクトリアは、その実、非常に気弱な性格をしていた。
日々公爵令嬢として求められる振る舞いをこなしてみせながら、その影では「あれでよかったのか」「ちゃんとできていたか」と不安に駆られ、今のようにルーカスに問いただしてばかり。
しかし彼女の優秀なところは、不安に揺れがちな心情に関わらず、その場の対処を完璧にしてみせることだった。マナーも受け答えも、知識も完璧。
それゆえ、一見何事においても難なくこなしてみせる気丈なヴィクトリアが……まさか、実はこんな気が弱い一面があるとは誰も思いもしないだろう。
「はあ……。全く、何度も言いますが、ヴィクトリア様は気弱すぎです。もう少し自信を持ってくださいよ」
「ルーカス! そ、そんなこと言ったって……」
従者にしては無礼なほど気安くなったルーカスの物言いに対し、ヴィクトリアは咎めない。それどころか手痛い指摘にダメージを喰らい、言葉を淀ませている。
——気弱な主人と、慇懃無礼な従者。
身分差を考えれば処分ものの光景は、しかし彼女と彼にとっては日常だった。
その証拠に、しょんもりと肩を落としてしまったヴィクトリアに、ルーカスは宥めるように優しく笑いかける。その表情には親しみが浮かんでおり、まるで年下の妹をあやすような困った笑みを隠しもしなかった。
「ほらほら、しっかりしてくださいヴィクトリア様。今日みたいなことだって予想していなかったわけではないでしょう? うまく対処できたのならいいじゃないですか」
「う……。そ、そうね。——私の『計画』がうまく行ってるなら、それでいいのよね!」
ルーカスの励ましに、ヴィクトリアはようやく明るくなった表情で小さくガッツポーズをしてみせた。その拳には、彼女が計画する道筋への希望が握り込まれている。
(今日はこのくらいで回復したか)
ヴィクトリアに笑いかけた表情のまま、ルーカスはそう判断した。
何か不安ごとができる度、こうして従者に泣きついてくる主人のあしらいにはすっかり慣れてしまっている。
おかげでつい「チョロ……いや素直な人だな」という考えを抱きなんなら小さく呟いたが、その呟きは馬車の走る音にかき消されたのだった。
読んでいただきありがとうございました。
ネタが浮かびまくるので手が追いついていません。
加えて5月イベントの原稿〆切がやばい。