9.燃える家
魔物肉でたっぷり腹を満たしたアルゴは、腹を擦りながら大きく溜息を吐いた。
「……食いすぎた」
土のような味の魔物肉。
二口目にはすっかり食欲が失せていたが、メガラが残さず全て食えというものだから、無理やりに胃の中に押し込んだ。
魔物肉は、もう当分いいや……。
そんな感想を浮かべ、窓の外へ視線を向けた。
雨は未だに降り続けている。
今は昼時。日の位置は高い。
このまま夜まで降り続けるのだろうか。
アルゴは、窓から外を眺めるメガラに声をかけた。
「ねえ、いつ出発するの?」
「そうだな。このまま雨脚が弱まらなければ、もう一泊してもいいかもな」
「そっか」
「なんだ、えらく素直だな」
「うん、なんかもういいや。というか、腹が膨れすぎて動ける気がしない」
メガラは首を振って、溜息を吐いた。
「やれやれ。我が騎士はだらしがないな」
メガラは続けて述べる。
「まあいい。ではこの時間を使って、我が騎士の教育をしようか」
「教育?」
「ああ。時にアルゴよ、読み書きは出来るのか?」
「まあ、多少なら」
「ほう。どこで覚えた?」
「どこって、教会だよ」
「教会で読み書きを教えるのか?」
「うん。メガラの国は違うの?」
「違うな。ルタレントゥムでは、子供たちは学校で学習することになる」
「学校? なにそれ?」
「読み書きや計算、歴史学、魔術などを学ぶ場所。子供のための教育施設だ」
「へー。でも子供といっても、そこに行けるのは上流階級の子供だけなんでしょ?」
「いいや。ルタレントゥムでは、出自や貴賤に関係なく、全ての子供たちが平等に教育を受けることが出来る。まあ、無償というわけにはいかんが、それでも庶民の生活を圧迫するほどの額ではない」
「全ての子供たちが? そりゃあすごい」
「だろう? 我が祖先が、その制度を整えたのだ。エウクレイア一族が成した偉業の一つでもある」
「へー」
メガラは顎に手を置いて、少し思案する。
「それにしても、読み書きはできるのだな……。ふむ、では魔術だな」
「ん?」
「魔術だ。魔術をお前に教えてやろう」
「え? 俺、魔術使えるの?」
「それはお前の才能次第だ」
メガラは、ゆっくりと歩きながら説明を始める。
「まずは魔力について話そう。今のお前ならば分かるだろう。魔力の存在を感じているはずだ。己に内在する魔力を知覚し、使いこなすには才能が必要だ。どうやら、お前にはその才能があるようだな」
「うん。正直なんとなくでやってるけど……」
「それこそが才能というやつだろう。魔力を用い、身体能力を強化する技法。それは、万人が成せるわけではない。なんとなくでやってのけるお前は、常識から外れているといえるな。そして魔術。魔術については、また別の才能が必要になる」
「別の才能?」
「魔術とは、魔力を用い、奇跡を呼び起こす技法。そしてその真髄は、心象を具現化する力。それ即ち、想像力」
「なんだか難しいね」
「難しくはない。炎の魔術ならば、燃え盛る炎の姿を想像せよ。風の魔術ならば、突き抜ける突風を想像せよ。ただそれだけだ」
「ふーん」
「まあ、言うは易しだがな。それに、魔術の才は個人による差が大きい。才のない者がどれだけ鮮明に炎を思い描こうとも、ほんの小さな火ですら生み出せぬであろう」
「へー」
「魔術を覚えるのに効果的なのは、まず実物を見ることだな。本物を見れば、想像もし易いと言うもの」
「本物?」
「そうだ。前置きが長くなったが、余が本物を見せてやろう。以前にもダンジョンで見たはずだが、今度は漫然と見ずに、覚えることを意識しろ。しかと目に焼き付けるのだぞ」
メガラはそう言うと、窓の方へ歩き出した。
そして、窓を全開にし、外へ右手の掌を向けた。
「アルゴよ、今の余の魔力量では、日に一発が限度だ。瞬きは許されぬぞ」
「わ、分かった」
アルゴは固唾を呑んで見守る。
メガラは、前方に建つ朽ちた民家に標準を定めた。
メガラの体の内側で、魔力が活性化する。
意識を右の掌に向け、心の眼で思い描く。
それは、燃え盛る炎。全てを焼き尽くす灼熱の火球。
「フレイムボール!」
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雨が降りしきる中、女が声を発した。
「これは……どういうことなの?」
その女は、美しい容姿をしていた。
黄金の長い髪に、碧い瞳。
そして最たる特徴は、長い耳。
その耳は、決して人族の耳ではない。
エルフ。そう呼ばれる種族の特徴そのものであった。
「どうするよ? リューディア」
エルフの女をリューディアと呼んだのは若い男であった。
その男はリューディアとは違い、耳は人族のものだ。
つまりは人族の男。短く刈り込んだ青い髪に、茶色い瞳。
精悍な顔つきで、屈強な体躯。
エルフの女と人族の男が、雨の中周囲の状況を窺っていた。
リューディアは口を開いた。
「このまま帰るわけにはいかない。調べてみましょう」
リューディアはそう言って、顔をしかめた。
鼻を刺激する腐臭と、何かが焼け焦げた臭い。
周囲に散らばる魔物の死骸。
そして、黒焦げとなった何か。
「了解だ」
二人は、周囲を警戒しながら歩き出した。
慎重に歩みを進めながら、集落を観察。
この集落に人の気配はない。
あるのは古い木造の民家と、魔物の死骸と、黒焦げた何か。
「おいこれ……」
「ベイン? どうしたの?」
ベインと呼ばれた青髪の男は、しゃがみ込んで黒焦げの何かを観察している。
ベインは顔を上げて、リューディアに言う。
「こいつは……焦げた死体だ。そんで間違いねえ。これは、レインズの……指輪だ」
「―――なッ!」
絶句するリューディアにベインは言う。
「この指輪に描かれた模様……レインズから何度も自慢されたから分かる。これは、好いた女と同じもの……なんだとよ……」
「そんな……それじゃあ、あちこちに散らばる焦げた死体は、私たちの同胞……?」
「そういう……ことになるな」
「くッ! なんでッ! なんでよッ!」
拳を握りしめ、体を震わせるリューディア。
そんなリューディアにベインは言う。
「落ち着けリューディア。今は、何が起きたかを調べなきゃならねえ」
「そう……ね」
リューディアは冷静さを取り戻し、思案を始める。
魔物の死骸と、黒焦げとなった同胞。
同胞たちは、襲い来る魔物たちと戦った。
そして、争った結果同士討ちとなった。
そこまでは想像つくが、同胞たちが黒焦げになっている理由が分からない。
偶然、この集落を訪れた何者かが、同胞たちの死体を焼いた?
それなら理屈は通ってる。しかし、何故燃やした?
野ざらしとなった死者を放っておけなかったのか?
リューディアがそこまで考えた時だった。
約二十メートル前方に、朽ちた民家があった。
突然、その民家の壁が爆ぜ、燃え上がった。
リューディアが声を上げた。
「一体なにッ!?」
リューディアとベインは顔を見合わせた。