85.これまでのこと
メガラとエマは湖の傍までやってきた。
天井の水晶を反射して湖が煌めいている。
透き通るような青い水面を眺めながら、メガラは言う。
「エマよ、余はまどろっこしいことは嫌いでな。余に言いたいことがあるのならば、はっきりと言え」
エマはゴクリと唾を飲み込んで言葉を放つ。
「わたし、あなたのこと好きじゃない」
「……だろうな」
メガラはエマの方へ振り向いて尋ねる。
「理由は?」
「それは……」
「いや待て。察しはつく。……アルゴのことか?」
「……アルゴは、優しくて、頑張り屋で、とっても強い。だけど、彼は普通の男の子だよ。すごく強いけど、本当に普通の……」
「ああ……そうかもな」
「けど、そんなアルゴをあなたは戦わせようとしている。あなたは自分の復讐のために、アルゴのことを利用している。それが……許せない」
「ああ、お前の言う通りだ」
「だ、だったら、アルゴのことを開放してあげて!」
メガラは返事をせず、再び湖に視線を向けた。
しばらくして、ポツリと言う。
「これまでのことを話そう。余とアルゴの出会いからこれまでのことをな」
「……」
エマは何も返事をしなかったが、メガラは構わず話し始めた。
メガラはアルゴと出会ってからのことを全て話した。
冒険者に買われ、ダンジョンに囮として連れていかれたことが切っ掛けだった。
ダンジョン内で魔物に襲われ、苦肉の策でアルゴと契約した。
契りを結べるのは、一生のうち一人だけ。
できれば歴戦の猛者と契約を結びたかったが、死がすぐそこに迫っていた。
背に腹は代えられない。
しかし、嬉しい誤算があった。
アルゴのことを、ただの少年だと思っていた。
だが、力を与えらえたことを切っ掛けに、アルゴは覚醒した。
今まで秘められていたアルゴの才能。
それは、生物を殺す才能だった。
アルゴは、理屈をすっ飛ばして理解する。
どう動けば相手を殺せるのか、どうすれば相手を蹂躙できるのか、それが分かる。
契約を交わしたことにより、アルゴの魔力量と身体能力は底上げされたが、それでもそれ自体は歴戦の猛者と呼ぶには程遠いものだった。
だがアルゴは、それを補って余りあるほどの才能を有していた。
リコル村で、黎明の剣の団員ベインとの戦いでアルゴはその才を遺憾なく発揮した。
ベインは剣の達人。
黎明の剣の中でも上位に食い込むほどの実力者だったが、アルゴはそのベインを圧倒した。
アルゴの恐ろしいほどの才能。
ベインは、無害そうな少年に恐怖心を植え付けられた。
それ以降もアルゴは敵を圧倒し続けた。
一つ目の巨人キュクロプス。
狂獣ヴァルナー・ルウ。
巨大な獅子マンティコア。
緋色の闘士チェルシー・メイ。
無双の戦士ランドルフ・オグエン。
その悉くをアルゴは圧倒した。
順調だった。
王都バファレタリアで開催された闘技大会で優勝し、アルゴはその実力を証明した。
もはや敵なし。そう思われた。アルゴという戦力がいれば、盤上をひっくり返せるかもしれない。
世界の情勢は何も変わっていないが、どうにかなるような気がしていた。
次は船でプラタイトへ。
プラタイトは、ルタレントゥム領内にある都市だ。
プラタイトから陸路で西へ。西端にあるイオニア連邦を目指す。
物理的な距離を考えれば、まだまだ道のりは遠い。
しかし、すでに目的地を捉えていた。
アルゴと共にならば、大した距離ではないように思えた。
だが、問題が発生した。
アルテメデス帝国軍の大将軍、クリストハルト・ベルクマン。
この男が突然立ち塞がった。
リューディアがクリストハルトの足止めを引き受けた。
その結果は分からずじまいだが、予想できることはある。
アルゴと共にバファレタリアの港から船に乗り込み、プラタイトを目指したが、海上で嵐に見舞われる。
嵐、というには些か不自然だった。
嵐は船を追いかけるように海を進んでいた。
まるで、船を破壊することが使命であるかのように。
不自然な嵐。
おそらくは、クリストハルト・ベルクマンの仕業だ。
アルテメデス帝国軍の大将軍たちは、おそろしい力を秘めている。
アルテメデス帝国との戦に敗れた主な原因は、大将軍たちの奮迅にある。
やつらは、この世の理屈を超えた巨大な力を振るう。
やつらに関する情報は少ない。調べても出てこない。
出生も出自も不明。
しかし、やつらの実力は本物。
アルテメデス帝国皇帝に認められた軍の最高権力者たち。
確認されている大将軍は、クリストハルトを入れて四人。
大将軍たちこそが、立ち塞がる最大の壁。
奴らを倒せるか否かが、対戦の勝敗を決める。
だが負けた。ルタレントゥム魔族連合は負けてしまった。
しかし、アルゴなら。
アルゴならやつらに勝てる。
「余は、そう思っている」
メガラはエマを真っ直ぐ見据え、そう言い放った。




