83.竜殺し
「くッ……に、人間風情が……」
邪竜の顎が地面に衝突。
地面が激しく揺れ、土埃が舞い上がる。
邪竜はもう戦える状態ではなかった。
全身から血を流し、地に伏せる邪竜。
アルゴは、顔面に付着した血を手の甲で拭った。
「まだ死なないのか……流石は竜」
邪竜の生命力に驚いた。
百回以上斬り付けたはずだが、まだ息がある。
しかし、その邪竜の命も風前の灯。
邪竜の瞳は未だアルゴへの敵意と憎悪を宿しているが、すでに瀕死の状態。
死を迎えようとしている邪竜にアルゴは言う。
「……ごめん」
「人間め……儂を憐れむか……」
「別にそういうわけじゃない。ただ、お前にはお前の事情があったのかもしれない……。いまさらだけどそう思った」
「……フンッ、塵芥の人間めが。ああ……悔しいぞお……人間。人間どもの怨嗟、憤怒、憎悪、悲壮……ああ、なんと美味か。儂に喰わせろ、腹が減った……儂に……」
アルゴは認識を改めた。
一方的に蹂躙してしまい少し不憫に思ったが、この竜はまぎれもなく邪悪な存在。
「邪竜……か」
「ハハハハハハッ! そうだ! 儂は邪竜エレボロアス! 儂はここで死ぬが、勝った気でいるなよ、人間!」
「どういう意味だ?」
「お前は儂の血を浴びすぎた。それは人間にとっては猛毒よ。お前の命もそう長くはない。さあ、あの世でもう一度殺し合おうぞ!」
邪竜は最後の力を振り絞り、長い首を持ち上げた。
「ハハハハッ! 先に逝ってるぞ!」
その言葉を最後に、邪竜の瞳から光が消え失せる。
何千年と生きた邪竜は、この日、永遠の眠りについた。
その時、邪竜の口から何かが飛び出した。
細長い体躯に透き通る四枚の羽。
ドラゴンフライ。別名、幻視虫。
驚きつつも、アルゴは素早く動いた。
絶対に逃せない。
地面を蹴り上げてドラゴンフライに接近。
ドラゴンフライの羽を指で掴む。
殺さないように気を付けながら、麻の小袋に入れた。
「や、やった……」
捕まえた。これでスキュロスのお題はクリアだ。
邪竜も退治できた。
あとは帰るだけ。
「あれ―――」
目眩がした。
アルゴは頭を抑えてしゃがみこんだ。
不調に襲われる。
頭が割れそうなほどの頭痛。呼吸困難。酷い倦怠感。
休めば治るような生易しいものじゃない。
どれもが耐えがたい苦痛。
明らかな状態異常。
「まずい……」
お前は儂の血を浴びすぎた。それは人間にとっては猛毒よ。
邪竜はそう言っていた。
「帰らなきゃ……」
アルゴは己を奮い立たせた。
立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
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ダンジョン内の集落。湖の畔にて。
「まさか、まだ生きてたとはなあ……スキュロス」
「ふん、それはこちらの台詞だ」
会話を交わしているのはスキュロスとシュラだ。
スキュロスはメガラと共にダンジョンに訪れた。
目的はアルゴを探すためだが、ダンジョン内を闇雲に探すわけにもいかない。
情報収集のため、まずはダンジョン内の集落へ足を向けたというわけだ。
シュラは湖に視線を向け、小さく溜息を吐いた。
「なんて間の悪い……」
「何のことだ?」
「ああ……さっきはエマの手前、言えなかったがよお。アルゴは……」
「なんだ? 小僧は森に修行に行ったわけではないのか?」
「ちげえ」
「ではどこに行った? はっきりと言え」
「邪竜退治だよ」
「なに?」
「お前も見ただろ? エマの首の紋章を。アルゴはエマを救うため、邪竜退治に行ったんだよ」
「馬鹿な。邪竜をどうやって殺すというのだ? 死にに行ったのか?」
「俺も同じようなことをアルゴに言ったさ。けどよ、あいつの決意は固かった。それに、あいつのあの気迫は……本気だった」
「なんということだ……。では、儂は我が君になんとお伝えすればよいのだ?」
「知るかよそんなこたあ」
スキュロスは指先で眉間を押さえ、呻くように呟いた。
「ああ……我が君よ、申し訳ありません……」
「なんだお前さん、何故悩む?」
「何故? それは儂が聞きたい。何故か我が君はあの小僧に御執心だ。小僧が死んだと知れば、我が君がどう思われるか……。ああ……我が君よ……」
「だから、何で悩んでんのか分んねえんだよ。それはアルゴが死んだ時に考えればいいじゃねえか」
「貴様、ふざけているのか?」
「あ? どのへんがだよ?」
「……小僧はもう帰ってこん。邪竜に勝てるはずがない。それとも何か? 道中怖くなって引き返してくるとでも?」
「ちげえちげえ。アルゴは勝つさ。生きて帰ってくる。約束したんだ」
「とうとうボケたか。生きて戻ってくるはずがない」
「ボケてねえよ。それに何度も言わせるな。あいつは帰ってくる」
「もういい。お前と話していても時間の無駄だ。しかたがない、儂は我が君に報告を―――」
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
「エマ! 待ちなさい!」
ヴァンの叫び声だった。
ヴァンはエマの背中に向かって叫んでいる。
エマは全速力で走っていた。
ただならぬ様子のエマ。
シュラはその気配を遠くから感じ取った。
スキュロスはシュラに問う。
「何事だ?」
シュラは笑う。
「分からねえか?」
盲目のシュラには見えなかった。
だが、何が起きたかは分かり切っている。
駆けるエマ。そのエマの首もとから紋章が消え去っていた。
その様子を思い描いたシュラは、笑みを深めて言う。
「ドラゴンスレイヤーの誕生だ」




