76.夜明け前
「我が君、お加減はいかがですか?」
スキュロスはそう言って、ベッドに横たわるメガラに顔を向けた。
「よい……とは言えないな」
メガラの体調は快復していなかった。
むしろ、さらに悪化していた。
何もしていないのに体は疲弊し、自分一人で立ち上がることもおぼつかない状態だった。
「今は体を休めることを第一にお考え下さい。案ずることはありません。きっとよくなりますゆえ……」
「そう……だな。それでスキュロスよ、何か見つかったか?」
「いいえ、アルゴという少年の痕跡は何も」
「そうか……。無事だとよいのだがな……」
スキュロスは何かを考えこむように黙り込むが、やがて口を開いた。
「一つ、お尋ねてしてもよろしいでしょうか?」
「かまわん」
「何故それほどまでに、人族の子供のことを気にするのでしょう?」
「……ここまでの道中、あいつには助けられたからな。あいつがいなければ、余は今頃死んでいたかもしれん。それに、あいつは余の契約者だ。そう簡単に捨て置けるものでもない」
「しかし我が君、相手は人族ですぞ」
「お前は変わらんな。確かに我らは人族に負けた。憎きアルテメデス帝国の人族どもにな。だがな、人族を一括りにするな。人族にも色々いるのだ。魔族と同じようにな」
「私には、分かりかねます……」
「よい。お前はそれでよいのだ。余はお前の考えを矯正などせん。それはそれで一つの答えよ。だが、お前とは違う答えを持った者も確かに存在する。それを……心に……とめて……」
メガラは最後まで言い切ることができなかった。
迫りくる睡魔に負け、深い眠りについてしまったのだ。
スキュロスはメガラの寝顔をじっと眺め、囁くように言った。
「我が君よ、貴方様は変わりませんな。高潔なその御心は、何一つ変わっておりません。それゆえに……残念でございます」
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まだ薄暗い夜明け前の時間。
アルゴは目覚めた。
横になったまま視線を漂わせる。
狭い部屋。家具はない。
だが、きちんと清掃はされている。
ここが他人の家だと理解するのに約五秒かかった。
そうだ、そうだった。
と頭の中で現状を整理し、起き上がって歩き出した。
部屋の扉を開けて、廊下へ出る。
静かだった。この家の者たちはまだ寝ているのだろう。
ここは二階。
二階から一階へと下りる。
居間を通り過ぎ外へ。
アルゴを迎えたのは、朝の静けさ。澄んだ空気。
アルゴは息を吸い込み、肺に綺麗な空気を取り込む。
肺と頭をクリアにし、散策を開始した。
外に出ている者はいなかった。
この集落の住人は、アルゴに警戒心を向けている者が殆ど。
シュラの口利きでどうにか滞在は許されているが、下手な事をすれば追放されてしまうかもしれない。
可能なかぎり住人を刺激しないようにしなければ。
ゆっくりと集落の様子を眺めることができるのは今しかない。
集落の規模は小さい。
特段目新しいものはないが、それでも気になってあちこちに目を走らせる。
木造の小さな家が並んでいる。二階建てが多いが、一階建ても存在する。
教会は見当たらない。あるのは住居だけ。
シュラから聞いた話では、この村の者たちは魚を獲ったり、森に入って動物を狩るなどして食料を確保しているらしい。
食料を確保するのは自分たちのため。
売る、という考えはなく、またその必要もない。
商人はおらず、商売という概念もない。
巨大な湖に、豊かな森。
なるほど、これならば食料には困らない。
そう納得していると、水晶の光が強まりつつあることに気付いた。
そろそろ戻るか。
アルゴは体を翻して足を速めた。
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家に戻ると、ルイサが起きていた。
「まあ、びっくりした。起きてたのね、アルゴくん」
「あ、はい。ちょっと散歩に。驚かせてすみません」
「え、ええ……いいのよ。朝食の準備をしているから、適当に寛いでてちょうだい」
ルイサは優しかった。
自分に親切にしたところで、ルイサには何の得もないはずだが。
アルゴは、その親切さに感謝した。
「俺、なにか手伝います」
「いいのよ。君はゆっくりしていてちょうだい」
「いえ、なにか手伝わせてください」
「……そう?」
「はい」
「それじゃあ……」
アルゴはルイサの指示を聞いた。
短剣を磨き、食材を切り分けていく。
「へえ、手際がいいわね」
「でしょうか?」
「ええ、エマなんかよりもよっぽど」
「ははは……」
と苦笑を交えて笑っていると、背後から声が聞こえた。
「誰がガサツだって?」
エマがそう言いながら近づいてきた。
「あら、エマ。ガサツだなんて言ってないわよ。そう聞こえたのなら、それはあなたがそう思っているからでしょ? もっと精進なさい」
「はいはい」
と頭をかいて、エマは居間に置いてあった棒切れを手に取った。
「朝食までには戻るから」
そう言って、どこかに行ってしまった。
「まったくあの子は……」
ルイサは大きな溜息をついた。
エマ本人から聞いたが、エマは毎朝棒切れを振って修行をしているらしい。
ここは平和な村だ。
外敵はおらず、争いもない。
武力は一部の者だけが持っていればいい。
女であるエマが強くなる必要はないのだ。
ルイサはそう考えているようだった。
「アルゴくん、君にこんなことを言うのは変かもしれないけど、何かあった時はエマのことをよろしく頼むわね」
ルイサはエマのことを心配していた。
我が道を行くエマは頼もしい反面、見ていて危なっかしいところがある。
「はい! 勿論!」
ルイサの不安をかき消すように、アルゴは力強く言い放った。




