72.地下の集落
アルゴとエマは、森の中を歩いていた。
エマは軽快な足取りで森を進む。
アルゴはエマの後ろを歩く。
エマ曰く、魔物が近寄ってこない安全なルートがあるのだとか。
エマは体の正面をアルゴに向けながら、後ろ向きに歩く。
「ねえ、それって本当? 地上には耳の長い種族とか、獣の姿をした人間とか、そんなのがいるの?」
「うん、そうだよ」
「すっごいわね! えっと、じゃあ、地上の人たちは何を食べるの?」
「別に、普通の物だよ。動物の肉とか、パンとか、スープとか」
「パン? パンってなに?」
こんな風に、アルゴは質問攻めにあっていた。
エマから聞いた話では、エマはダンジョン生まれダンジョン育ち。
ダンジョンから出たことは一度もないそうだ。
この先に魔族の集落があり、エマはそこで暮らしているとのこと。
「ねえアルゴ、聞いてるの!?」
「え? あ、うん、ごめん。なんだっけ?」
エマは頬を膨らまし声を張り上げた。
「パンよ! パンってなに?」
「ああ、うん……」
難しい質問だった。
小麦などの穀物を粉にし、水を加えて発酵させた食べ物。
簡潔に説明すればこんなところだろうか。
だが、これをそのままいう訳にはいかない。
きっと、じゃあ小麦ってなに? 発酵ってなに?
と質問を重ねられるにきまっている。
エマとは今日出会ったばかりだが、エマの性格は概ね把握した。
明るく人当たりのよい性格で、好奇心が並みはずれて強い。
それはいいのだが、質問を重ねられるのは中々に辛いものがある。
知らない、と答えてエマを落胆させたくない。
何故だか、そんな気持ちになった。
それに、今のアルゴにとってはエマだけが希望だった。
「あ、あのさ、パンのことは後で教えるよ。それで、もう一度確認いいかな?」
「え、何?」
「ドラゴンフライのことだよ。エマは見たことがないんだよね?」
「うん、ないよ」
「でも、エマのお爺さんが知っているんだよね?」
「そうそう。確か昔、爺ちゃんが言ってた気がする」
言ってた気がする、では困るのだが、他に手掛かりはない。
今はエマに頼るしかないのだ。
「で、アルゴ、パンよ、パンのことを教えて!」
すごい食いつきだ。
アルゴは観念した。
出来るだけ分かりやすく、且つ、質問を重ねられないような説明を頭で考える。
アルゴが頭の中で説明を組み立てていたその時、エマが声を上げた。
「あ、着いたよ!」
そう言って、エマは体を回転させた。
アルゴは、視線をその方向へ向けた。
青く澄んだ湖が広がっていた。
アルゴは湖というものを初めて見た。
天井から降り注ぐ光を反射し、湖は光り輝いていた。
綺麗だ。
素直にそう思った。
湖の傍に集落があった。
遠目で見る限り、文明レベルは高いとはいえない。
規模は、サルディバル領のリコル村と同じかそれ以下。
その場所こそが、エマが暮らす集落だった。
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アルゴは遠くから集落を眺めていた。
集落で暮らす者の正確な人数は分からないが、見たところ二百人前後といったところか。
村民たちの顔には笑顔が浮かんでいる。
穏やかで平和な村。アルゴは、そういった印象を持った。
ここはダンジョンだが、周囲に魔物の気配はない。
エマがいうには、ここは魔物が寄り付かない安全地帯だそうだ。
しばらくするとエマが戻ってきた。
「爺ちゃん出かけてるってさ」
「どこに出掛けたのかな?」
「あー、うん。森の奥に……」
森の奥、というのが何処を指すのかアルゴには分からなかった。
「森の奥? どこ?」
「あっちの方向」
と言ってエマはその方向を指し示した。
「分かった。行ってみるよ。ここまでありがとうエマ」
「え、ちょっと待って、森の奥は危険だよ。ここで待ってた方がいいって」
「俺は大丈夫。というか、お爺さんは大丈夫なの?」
「あ、うん、爺ちゃん強いから」
「そっか」
と返事して「じゃあ行くね」とエマに言う。
エマの言う通りここで待っていた方が安全なのだろう。
だけど、居てもたっても居られなかった。
早く手掛かりが欲しい。
それに、考えたくはないが、エマのお爺さんが魔物に殺されてしまう可能性はゼロではない。
「待って待って!」
エマが慌てたように声を上げた。
「ん?」
「分かった分かった。わたしも行くよ」
「え、でも危険じゃない?」
「案内役が必要でしょ? それに、もしもの時はアルゴが守ってくれればいいよ」
確かに、案内役は必要だ。
「そうだね。じゃあお願いしようかな?」
「うん!」
エマは顔を綻ばせている。
屈託なく笑うエマを見てアルゴは思う。
随分親切だな。
思えばエマは、初めからそうだった。親切で、こちらに対して好意的だった。
集落の者たちが全員そうであるのかと問われれば、答えはノーだ。
エマが言うには、村民たちは俺のことを敵視するかもしれないとのこと。
当然といえば当然。余所者で人族である俺を、そうすんなり受け入れられるはずがないのだ。
ゆえに、エマは特殊な存在だということになる。
あるいは、変わり者、ともいえるのかもしれない。
「エマ、ありがとう……本当に」
アルゴは、心から感謝を込めてそう言った。
「い、いいっていいって!」
頬を赤らめながら、エマは慌てるように返事した。




