67.海と森
アルテメデス帝国直轄、東部領軍事防衛拠点。
通称ヴィラレス砦。
マティアス・アルヴェーンは、指令室へと通じる通路を進んでいた。
マティアスの歩調に合わせて、白い毛がわずかに揺れる。
人の毛ではない。獣の毛だ。マティアスは、狼の頭部を持つ獣人である。
マティアスは指令室の扉の前で足を止め、軽く身なりを整えた。
そして、軽く咳払いをして声を上げた。
「閣下! マティアスです!」
マティアスがそう呼びかけると、中から反応があった。
「どうぞー!」
マティアスは扉を開けて中に入った。
羊皮紙にペンを走らせる音が聞こえた。
その音は、クリストハルトが職務を全うしている証拠。
マティアスは、執務机に齧りつくクリストハルトの姿を確認し、わずかに眉を持ち上げた。
最近、クリストハルトの様子がおかしい。
真面目に事務仕事をしているクリストハルトの姿を見るのは、何年ぶりだろうか。
熱心に仕事に取り組む姿勢は是とされるべきだが、ことクリストハルトに関しては喜ぶべきか心配をするべきか、マティアスの胸中は少し複雑であった。
クリストハルトは、視線を机に落としたままマティアスに尋ねた。
「それでマティアスくん、何か見つかったかい?」
「はっ。見つかったのは、二十代と思われる男と年老いたの男の死体です。……人族の少年と魔族の少女の死体はあがっておりません」
「ふーむ。よろしい、捜索を続けたまえ」
「あの……閣下」
「なにかな?」
「何故、その二人に拘るのでしょう? 閣下は何を気にされているのですか?」
「言っただろ? 彼らはヴァルナーくんを倒せるほどの実力者であり、アルテメデス帝国に対して反抗心を抱いている危険思想の持主。見過ごすわけにはいかないよ」
「それは……」
それは嘘だ。
マティアスはそう確信している。
確かに、狂獣ヴァルナーを倒せるほどの実力は驚嘆に値する。
しかし、それだけでは理屈に合わない。
今まで黎明の剣という反抗勢力を放置してきたクリストハルトが、今は二人の子供の生死に拘っている。
どう考えてもおかしい。
何かあるのだ。人族の少年と魔族の少女には何かがある。
「閣下、私にも……教えてくださらないのですね……」
「マティアス……」
クリストハルトはペンを止めて述べる。
「この件は非常に大きな問題なんだ。私は私の勘を信じているが、確証は得られていない。だからもう少し、待っていてくれ……」
「……畏まりました。それが閣下の御意思ならば」
「ありがとう」
クリストハルトは少しだけ笑い、その後、またペンを走らせた。
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「うっ……」
アルゴは、ゆっくりと目を開けた。
まず感じたのは、眩い日光。
次に、舌の上でざらつく違和感。
「うっ……なんだこれ」
渋い顔をして、口の中に入った異物を吐き出す。
口には濡れた砂が入っていた。
唾液と共に砂を追い出し、口元を手で拭った。
その後アルゴは上体を起こし、周囲を見回した。
波打つ海。白い砂浜。
砂浜を挟んで海と反対の位置には森林。
アルゴは、顔に着いた砂を払いながら立ち上がった。
今アルゴが立っているのは砂浜。
視線の先には、鬱蒼と樹木が生い茂る森林があった。
見たところ、人の気配はない。
周囲には誰一人いなかった。
アルゴの心臓が飛び跳ねる。
メガラがいない。メガラの姿を確認できない。
「メガラ!」
と叫ぶが、それに応える者はいない。
メガラはどこにいった?
縄で自分とメガラの体を括りつけたはずだが、離れ離れになってしまった。
アルゴは海の方へ視線を移した。
「嘘だろ……メガラ」
メガラは海の中。そう考えるのが自然。
荒波に揉まれ、縄がほつれてしまったのだろう。
自分は運よくこの砂浜に流されたが、メガラはここまで辿り着けなかった。
だとすれば、メガラが生存している可能性は……。
「い、嫌だ!」
アルゴは海に向かって砂浜を駆けた。
砂に足を取られながら走り、海に足を入れた。
膝の位置まで海水に浸かった時、足を止めた。
「無理だ……」
この広い海の中、泳げない俺が探せるわけがない。
絶望。
真っ暗な闇が押し寄せる。
アルゴは膝から崩れ落ちた。
海水が口に入り、不快な塩味を感じた。
「くそっ!」
海水に思いっきり拳を叩きつけた。
しかし、その行動は何も意味を為さない。
落ち着くのだアルゴ。そして考えろ。
周囲を観察し、打開策を探れ。
お前の目と頭は、飾りではないのだろう?
不意に、アルゴの頭にそんな台詞が響いた。
メガラがここにいたら、きっとこんな風に言うのだろう。
「……わかったよ、メガラ」
アルゴは、注意深く周囲を観察した。
砂浜には船の破片と思われる木の板や、杭、鉄板が散らばっていた。
その破片の中で、ある物を見つけた。
「縄だ……」
その縄を拾い、よく観察する。
縄の結び目には見覚えがあった。
素人が結んだと思われる無茶苦茶な結び方。
間違いない。
これは、自分とメガラの体を括るときに使った縄だ。
縄の結び目と反対の位置に、縄が切られた痕跡があった。
鋭利な刃物で切り裂いたような切り口だった。
これが何を意味しているのか。
しっかりと考えてみる。
ふむ、縄が刃物で切られているな。
誰かが縄を切ったのだろう。
では、何故切ったのか、それを考えよう。
余とアルゴを引き離すため、あるいは余とアルゴの状態を確認するため。
そう予想しよう。
しかしだ。お前はこの場に放置され、余はこの場にはいない。
情報が少ないが、無理やり繋げてみよう。
縄を切った何者かは、余だけに用があった。
ゆえに、縄を切り、余をここから攫った。
「なるほど……」
問題は、余がまだ生きているかどうかだな。
アルゴよ、お前はどう思う?
「勿論、生きてるさ」
アルゴは歩き出した。
海の方ではなく、今度は森林の方へと。




