63.魂の色
ザムエルはチェルシーを探していた。
チェルシーと会って話をしたかった。
たった一言、おめでとうと言いたかったのだ。
ザムエルは、噂を頼りにチェルシーの居場所をつき止めた。
下級市民区画の酒場、赤き涙の館に、アルゴと共に居るという情報を掴んだ。
赤き涙の館は、それなりに大きな酒場だった。
大通りに面した位置に存在し、下級市民区画で最も賑わう酒場。
下級市民区画の者たちは、そういった認識を持っている。
ザムエルは、酒場の窓から漏れる明かりを確認した。
もう真夜中を回っているが、酒場はまだ開いているようだ。
「間に合いましたか」
そう呟き、ザムエルは酒場の扉に手を伸ばした。
すると、手が扉に触れる前に、中から扉が開いた。
酒場の中から現れたのは、茶髪の少年アルゴだった。
「おや」
「あ……」
少し気まずそうにするアルゴに対し、ザムエルはニッコリと笑みを作った。
「これはこれは、アルゴ殿。先の闘い、見事でした」
「あ、その……ありがとうございます」
「どうか堂々と胸を張ってください。貴方たちは真の英雄なのですから」
「そんな、俺は英雄なんかじゃないですよ……」
「フフフッ、謙虚なのですね。―――ところで、チェルシー殿はいらっしゃいますか?」
「あー、チェルシーさんは……居ません。気が付いたら酒場から居なくなってました。リューディアさんが言うには、多分、避難したんじゃないかって……」
「フフッ、そうですか。あの方らしいですね。しかたがありません、出直すとしますか……」
ザムエルが諦めて帰ろうとした時、酒場の中から声が聞こえた。
「アルゴ少年、誰と話しているの?」
アルゴの後ろからそう尋ねたのはリューディアだった。
リューディアはアルゴの後ろから覗き込み、ザムエルの姿を視認。
「あら、君は……」
「麗しのエルフの君よ。私はザムエル・ゴードンと申します。以後、よしなに」
「ご丁寧にどうも、ザムエル氏。闘技場での君の闘い、拝見させてもらったわ。素晴らしい魔術だった。君に称賛を送るわ」
「ありがたき幸せ。これ以上ない喜びです。これからも―――」
これからも精進いたします。
ザムエルはそう言おうとした。
だが、言えなかった。
途中で言葉が止まった。
それは何故か。
見たからだ。
リューディアの背中で眠る、幼い子供の姿が目に入った。
水色の髪の、ツノの生えた少女。
まぎれもなく魔族。
その少女のことを一目見た瞬間、ザムエルは固まってしまった。
「あの、ザムエルさん?」
不思議そうに首を傾げてアルゴが尋ねた。
ザムエルは、僅かに声を震わせながら言う。
「そ、その子は……」
「え? その子ってメ―――」
「アルゴ少年!」
リューディアがアルゴの発言を遮った。
「なんでしょうか?」
「ほら、この子をベッドに寝かせたいし、早く宿に戻りましょう!」
「あ、はい、そうですね」
「うんうん。ということで、失礼するわね、ザムエル氏」
リューディアは、そう言ってアルゴの手を引いて歩き始めた。
ザムエルは、引き留めようとした。
だが、出来なかった。
遠ざかっていくアルゴたちの背中を、見つめることしか出来なかった。
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ザムエルは、赤き涙の館のカウンター席に座っていた。
酒場内は静かだった。
客はそこそこ居るが、そのほとんどが眠っていた。
酒場側からすると迷惑極まりないが、酒場のマスターは「今日ぐらいは大目に見てやる」と言っていた。
ザムエルは杯に口を付け、酒を呷った。
真紅の葡萄酒。ほどよい苦味と酸味。旨い。
この酒を飲みすぎて涙さえも赤くなった、という誰かの与太話を聞いたことがある。
ザムエルは飲み続けた。
しらふではいられない。
頭がおかしくなりそうだった。
先程自分の目で見たことが信じられなかった。
額の第三の目。この目でしかと見た。
「あれは……」
と呟いた時、右隣りの席に誰かが座った。
「あれ~、アルゴくんは居ないのかい?」
酔っ払いだった。
顔を真っ赤にして、目の焦点があっていない。
激しくうねった若葉色の髪。三十代ぐらいの男。
カウンターの奥に居るマスターが、その男に言った。
「アルゴならもう帰ったよ。お客さん、残念だったね」
「ええ? 帰っちゃったの!? しまったなー、遅かったか」
言葉の内容とは裏腹に、男は楽しそうに笑っていた。
男は葡萄酒を呷ると、ちらりと隣を覗き見た。
「んん? そっちの君はまさか……」
そう声を掛けられ、ザムエルは答えた。
「ええ、闘技大会でアルゴ殿、チェルシー殿と闘ったザムエル・ゴードンです」
「おお! まさかこんなところで出会えるとは! 俺は君にも会いたかったんだ!」
「あの、失礼ですが貴方様は?」
「おっとすまない! 俺はクリス―――いや、見ての通り、ただの飲んだくれさ」
「そう……ですか」
「ところで君、何かあったのかい? 随分と青い顔をしているじゃないか」
「肌が青いのは元からですよ……」
「ハハハッ! 冗談だよ! すまないすまない!」
そう言ってクリストハルトは酒を一口飲み、少しだけ声の調子を落として尋ねた。
「で、どうしたんだい? 俺でよければ聞こう」
ザムエルは少し悩むも、ついつい漏らしてしまった。
「死んだ者が蘇る。貴方様は、それを信じることができますか?」
「……詳しく、聞かせてくれるかな?」
「はい。私のこの第三の目は、ただの目ではありません。他の目とは違うものを見ることができます。森羅万象を見通す……というわけではありませんが、特別なのです。幽世、神域、黄泉、そう呼ばれる領域の一端を覗き見ることができます」
「ほう、魔族の中にはそういった権能を持つ者がいるというのは聞いたことがあるが……」
「ええ、その一人が私です」
「それで、具体的にはどういう風に見えるのかな? いや、何が見えるんだい?」
「魂、霊魂、魂魄。そういった物の類が見えます。魂は実際にあります。私には見えているのです。そして魂は、その者固有の色を持ちます」
「固有の色……か」
「はい。今しがた私は見ました。あの苛烈な紅蓮の色を見間違えるはずがありません」
「うん、理解したよ。君はその色を以前見たんだね? だが、その魂を持つ者は既に亡くなっている。で、あるはずなのに―――同じ魂を持つ者を君は再び目撃した」
「そうです。その者は確実に死にました。これは私の勘違いではありません。そして、あの魂の色を見間違えるはずもない。ですから、死者が蘇った。そうとしか考えられないのです」
「ずばり、その者の名は?」
「それは……敢えて言わないでおきましょう」
「えー、教えてくれよ」
「きっと貴方様も聞いたことがある名ですよ。有名人ですから。あとは本人に聞いてみてください。そうだ、それがいい。私の代わりに是非本人に聞いてみてください」
「ふーむ。それで、その者はどこに?」
「それは分かりません。ですが、彼女は茶髪の少年と共にいます。彼女は魔族の子供です。どうか、探してみてください」
「ハハッ、なにかの謎かけみたいだね」
「フフッ」
と笑い、ザムエルは立ち上がった。
クリストハルトは尋ねる。
「おや、もう帰るのかい?」
「ええ、話を聞いて頂いてありがとうございました。お陰で落ち着きました」
「それは良かった」
「では、私はいきます。貴方様との巡り会わせに感謝を」
「こちらこそ感謝を」




