62.赤き涙の館にて
下級市民区画。酒場『赤き涙の館』。
酒場は、かつてないほど賑わっていた。
ある男が杯を掲げ、叫び声を上げた。
「我らが英雄に乾杯!」
その叫びを切っ掛けに、歓声が沸き起こる。
歓声と拍手が酒場内に響く。
アルゴは誰かに背中を押された。
「―――とッ」
アルゴはバランスを崩し、前に押し出された。
そのアルゴの様子を見て、誰かが叫んだ。
「おっと! 我らが英雄のお出ましだ!」
再び歓声と拍手が鳴り響いた。
この歓声と拍手は、全てアルゴに向けられている。
衆目に晒されたアルゴは、居心地が悪そうに周囲を見回す。
そして、どうにか台詞を絞り出した。
「あの……俺たちが優勝できたのは、皆さんのお陰です」
その台詞を聞いて、酒場内が沸き立つ。
「おいおい、俺たちの英雄様は随分と謙虚だな!」
「いいぞ、アルゴ! これからも贔屓にしてやる!」
「流石は私のアルゴよ!」
と、口々に言葉が投げかけられた。
アルゴは苦笑を浮かべながら思う。
というか、誰なんだよこの人たちは。
アルゴには、酒場で騒ぐ者たちが誰なのかまったく分からなかった。
名前すら知らない、今日初めて会った者たち。
だが、この者たちはアルゴのことを知っている。
何故なのか。
それは当然、闘技大会でアルゴの活躍を目にしたからだ。
アルゴは助けを求めるため、見知った顔を必死に探す。
しかし、見つけることができない。
この酒場には、メガラ、リューディア、チェルシー、マルリーノ、フエルコも居るはずだが、酒場の客たちに視界を遮られ、見つけることができなかった。
まいったな。
アルゴは心の内でそう呟き、無理やり笑顔を作った。
この場に居る者たちにも様々な思惑があるのだろう。
この者たちから向けられる好意が、純粋なものではないことはアルゴとて理解している。
それでも、自分に好意を向けてくれているのは事実。
流石のアルゴも空気を読んだ。
アルゴは、引きつった笑顔を作り続けた。
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酒場は静けさを取り戻していた。
真夜中を過ぎ、酒場内で眠りこける者たちが大勢存在する。
客たちの包囲網からようやく抜け出せたアルゴは、隅の席に居た。
「ふぅ……」
アルゴは溜息を吐いた。
そして、机の上に置いてあった杯を手に取り、口元に運んだ。
「うッ……まず」
酒が入っていた。
酒は不味い。苦手だ。
「ウフフッ。随分とやつれたわね、アルゴ少年」
リューディアが楽し気にそう言った。
「からかわないでください、リューディアさん。本当に、疲れました……」
「あらあら、ごめんなさいね。本当にお疲れさま。それと、優勝おめでとう」
リューディアはアルゴを優しく労い、隣に視線を向けた。
視線を向けられたメガラは、怪訝な表情を浮かべた。
「なんだ?」
「メガラ嬢からも何かないの?」
「何かとはなんだ。どういう意味だ?」
メガラがそう尋ねるが、リューディアは笑みを浮かべるだけ。
メガラがちらっとアルゴの様子を窺うと、アルゴは期待の眼差しを浮かべていた。
メガラは顔をそむけ、ポツリと言う。
「まあ、そうだな。アルゴよ、よくやった。褒めて遣わす」
「あ、う、うん。ありがとう」
と返事し、アルゴは笑みを浮かべた。
メガラもまた、笑みを見せた。
「フッ」
「ははッ」
二人は顔を合わせ笑みを交わした。
お互いに、相手のことを思っていた。
その思いは、まぎれもなく純粋な好意だった。
リューディアは優し気に笑い、アルゴにそっと耳打ちした。
「こう見えて、随分と君のことを心配していたのよ」
「え、そうなんですか?」
アルゴがそう尋ねた時、メガラは顔を真っ赤にさせて声を張り上げた。
「リュ、リューディア!」
「あら、聞こえちゃった?」
「お前は! このッ、とぼけエルフめ!」
「フフッ。なによそれ」
リューディアが柔らかく笑い、メガラは眦を吊り上げる。
その様子を見てアルゴは笑う。
そうして、夜が更けていった。




