6.死臭
森を抜けた先には、広大な牧草地帯が広がっていた。
地面には青々とした牧草と、背の低い樹木がまばらに生えている。
日の位置は低い。日没まで、あと数刻といったところか。
アルゴとメガラは、ミュンシア王国の領内に入っていた。
港町に辿り着くためには、ここから更に南下しなければならない。
「あれを見ろ」
メガラはそう言って、人差し指を前方へ向けた。
アルゴは目を細めて、その方向へ目を向ける。
「あれは……」
視線の先には、複数の建築物。
遠目であるため詳細は不明だが、木造建築の民家がまばらに建っている。
「あれは集落だね」
「そうだ。あそこへ行くぞ」
「え? 何で?」
「アルゴ、考えろ。このまま旅を進めるには、水と食料が足りん。ゆえに、補給が必要だ」
「それは分かるけど、それと集落の関係は?」
「ここまで言って分からんか? あの集落の者から、水と食料を分けてもらえばいい」
「いや、それは無理なんじゃないかな」
「何故だ?」
「何故って……。俺たちのような部外者に、貴重な水と食料を分けてくれる人なんて居ないんじゃないかな?」
「そうなのか?」
「そうだよ」
メガラは顎に手を当てて思案する。
しばらくして口を開いた。
「ならば買えばいい。幸い、ここに銅貨十枚ある」
メガラはそう言って、銅貨が入った革袋を揺らした。
「そっか。それなら、まあ……」
「分かったなら行くぞ」
そして二人は歩き出した。
この時、メガラは考えていた。
集落の人間から、水と食料を購入できなかった場合のことを。
集落の人間から、集落に立ち入ることすらも断られた場合のことを。
その時のために、我が騎士を上手く動かす方法を考えておかねばな。
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辺りには、腐臭が充満していた。
「これは……」
メガラは顔をしかめながら、周囲を見回した。
周囲には、簡素な木造の民家。
少し離れた位置には、小さな教会。
人の気配はない。
少なくとも、見える範囲では人の姿を確認できない。
確認できる生者の数はゼロ。
しかし、死者は複数。
周囲には、複数の死体が転がっていた。
アルゴは、不安気な表情でメガラに尋ねた。
「ねえ、早くここから離れた方がよくない?」
「確かにな。これは只事ではない。だが……」
メガラは死体に近付いて、死体の観察を始めた。
「ふむ。だいぶ腐敗が進んでいるな」
死体は酷く傷み、腐臭を漂わせていた。
「見たところ男で、装備を見るに……荒事を生業にする者?」
「ね、ねえ」
「これは……咬み傷? 魔物にでも襲われたか?」
「ねえってば」
「しかし……子供の死体が見当たらないな。何故だ?」
「ねえ! メガラ!」
「ああ、もう! うるさいな、お前は!」
「いや、早くここから離れた方がいいって!」
「アルゴ、しっかり考えろ。おそらくだが、この集落は魔物に襲われたのだ。死体の傷跡から予想するに、鋭い牙を持つ魔物にな。しかし今、魔物の姿は見えない。人を喰いあさり、満足したので巣に帰っていったのだろう。死体の腐敗がかなり進んでいるということは、この集落が魔物に襲われたのは、三日以上前と予想できる。死体はこうして三日以上放置されているのだ。であれば、ただちに何かが起きるというものでもなかろう」
「そ、そうかなあ……。また魔物がここに戻ってくるかもしれないじゃないか」
「その可能性はある。だとしても問題なかろう?」
「なんで?」
「余が何のためにお前に力を与えたと思っている。魔物が襲ってきたのならば、返り討ちにしてやればいい。お前ならそれができる」
「できる……かな?」
「できる。自信を持て」
メガラはそう言って歩き出した。
「それに、この集落の者たちには悪いが、我々にとっては都合がいいではないか。誰にも邪魔をされず、隅々までこの集落を物色できる。きっと食料が残っているはずだ」
「う、うん。まあ……」
そして、アルゴとメガラは、集落の物色を開始した。
それから約二時間が経過した。
「ば、馬鹿な……」
住人不在の民家一階で、メガラはそう呟いた。
メガラは大きな溜息をつき、木製の椅子に腰を下ろした。
そして、木製のテーブルに突っ伏した。
「何故だ……何故、食料の一つも見つからない」
集落を散々荒らしまわったが、パンの一欠片すら見つからない。
あり得ないことが起きている。
いや、考えろ。事実を事実として受け止めろ。
起きた事象から、起き得る可能性を考察しろ。
「他の何者かに先を越されたか……」
我々より先にこの集落に訪れた何者かが、食料を根こそぎ奪っていった。
その可能性が一番高そうだ。
「しかしな……」
それにしたって、只の一つも食料が見当たらないとは不思議だった。
この規模の集落であれば、それなりに備蓄があったはず。
それを全て奪っていった。
もしそうだとしたら、単独では不可能。徹底的に奪い取るには、かなり人数をかけたはずだ。
「ふーむ」
なにか腑に落ちない。
むしろ、こう考えた方が腑に落ちる。
初めから、この集落に食料は無かった。
だとしたら、それは何故か?
表に転がっている死体と結びつけて考えてみる。
死体を観察した時、違和感があった。
どの死体も、村人、という印象は受けなかった。
装備や恰好から考えて、戦いに身を置く者たち、という印象を受けた。
ならば、こじつけるとしたらこうか。
この集落は、何らかの理由で放棄された。
放棄する集落に、食料を残しておく理由はない。
物資は全て、村人自身の手で持ち去られた。
その後、もぬけの殻となった集落に、間抜けにも野盗どもが押し寄せた。
その野盗どもが、表で転がっている死体であろう。
野盗どもは、不運に見舞われた。
それは魔物だ。野盗どもは、不運にも鋭い牙を持つ魔物に襲われたのだ。
そして、今に至る。
「だから……」
メガラはそう呟き、机から顔を上げた。
「だから何だと言うんだ!」
何が起きたか考察したとて、食料が無い事実は変わらない。
頭を使った分、余計に腹が減ったではないか。
メガラは自分自身に憤り、拳を机に打ち付けた。
その時、家の外から少年の声が聞こえた。
「おーい! メガラー!」
メガラは、家の扉を開けて外に出た。
「何か見つかったか?」
「いーや、何も」
「そうか……」
「で、これからどうする?」
「そうだな……」
メガラは空を見上げた。
既に夕暮れ。もうすぐ夜になろうとしていた。
「残念だが、食料は無かった。そう割り切るしかない。しかし、雨風凌げる寝床ならある」
「え……それって……」
「今日はこの集落で夜を明かす」
「いやー、それは流石に……」
「何だ? 怖いのか?」
「怖いって言うか……嫌じゃない?」
アルゴは死体に目を向けてそう言った。
「まあ、気持ちは分かるが、時に図太さは必要だぞ? 我が騎士よ」
「うーん。でもなー」
「そんなに不安か? よし分かった」
「ん?」
「特別だぞ。今宵は余が添い寝してやろう。どうだ? 永久の魔女と寝床を共にするは誉の極み。涙を流し、感嘆の声を上げよ」