55.三人の王子
闘技大会一日目が終了した。
王都バファレタリアは、闘技大会の話題で持ちきりだった。
獅子の魔物が闘技場に現れ、闘士たちを殺しまくった。
しかし、闘士たちは生き残った。
闘技場には、二人の英雄がいたからだ。
茶髪の少年と仮面の女。その二人が獅子を打ち倒した。
獅子を相手に立ち回る二人の動きは鮮やかだった。
少年と女は軽やかに動き、鋭く剣を叩き込んだ。
その姿は、絵物語に登場する英雄のようであった。
話題の殆どはアルゴとチェルシーのことであったが、時折、別の話題を口にする者もいた。
それは、闘技大会の主催者、セオドア・ブルファレースのことだ。
セオドアは王家が定めていた制限を破った。
獅子を闘技場に召喚し、多くの死をもたらした。
この事実は、王子と言えども立場を危うくするには十分だった。
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フレムベルク王宮、とある一室。
煌びやかな室内にて、第一王子セノールド・ブルファーレスは、拳を机に叩きつけた。
「どういうつもりだ! セオドア!」
セノールドの怒声。
セノールドから放たれる気迫は、なかなかのものだった。
並みの戦士ならば怯んでいたかもしれない。
しかし第三王子セオドアは、涼しい顔で受け流す。
セオドアは怯んでいない。それはセオドアが剛の者であるからではない。
セノールドへの対抗意識が、セオドアを奮い立たせたのだ。
セオドアは胸の内に巣くう黒い感情を見せぬよう、飽くまで冷静に返した。
「落ち着いてください、兄上」
「貴様、落ち着けだと? 自分が何をやったのか分かっているのか?」
「勿論分かっていますとも。私がマンティコアを闘技場に召喚しました」
「セオドア、貴様すでに正気ではないのか?」
「いいえ、兄上。私は正気ですよ。私は正気のままで、あれを為したのです。兄上も感じておられるでしょう? この都市に満ちる熱気を。民は望んでいたのです。本当の血と暴力を。それを求めるのは人の本能。私は、その求めに応えたのです」
「何を言っている? そんなことをして貴様に何の得がある!」
「兄上も理解しているでしょう? 民たちに不満が募っています。この都市の歪な構造に対する反感、厭悪。一部の特権者たちが富を独占し、下々の者にはわずかな施しさえ与えられない。この歪みは、いずれ都市を崩壊させるかもしれません」
「民たちの不満を解消するため、過激な催しを演出したと? ぬけねけと言えたものだな。貴様も富を独占する者の一人だ。真にこの都市を憂うのなら、まずは貴様の全財産を民に配ればよい」
「分かっていませんね、兄上。そんなことをしても、ほんの一時凌ぎにしか過ぎません。今後百年、この都市の繁栄を願うならば、そんなことでは駄目なのです。本当に必要なのは、熱なのです。心を奮い立たせる熱。真に生死を懸けた闘士たちの闘いを目の当たりにして、みな熱き血潮を感じることでしょう。その熱は、成り上がるための原動力。そういった者たちが沢山現れれば、きっとこの都市はよくなりますよ」
「言ってることが支離滅裂だ。話にならない」
セノールドは頭を振って立ち上がった。
「セオドア、貴様の罪については追って沙汰を下す。覚悟しておけ」
セオドアはセノールドの様子を眺めながら思った。
分かってはいたが面倒だな。
王宮ではこのセノールドが大きな力を持っている。
いまや王でさえセノールドの言う事に耳を貸す。
私にはアルテメデス将軍の後ろ盾がある。
そう簡単に失脚することはないだろうが、このままでは少々厄介だな。
いっそのこと、ここで始末するか……。
そうだ、そうすればいい。そもそもこいつさえいなければ……。
セオドアは衣服の内側に隠した短剣に手を掛ける。
立ち上がり、背後からセノールドに近付いた。
セオドアは気が大きくなっていた。
クリストハルトに気に入られたことで、アルテメデス帝国の威光でさえ振り翳せる気になっていた。
そんなものは、全てまやかしであるとも知らずに。
セオドアが殺しを決意した時、ある男が部屋に入ってきた。
「聞かせてもらいましたよ、兄上」
そう言って部屋に入ってきたのは、小太りの男だった。
第二王子セルビスである。
セルビスはセノールド、セオドアとは違い、醜男だった。
セノールドは少し怪訝な様子でセルビスに言う。
「セルビスか。丁度いい、貴様の意見を聞かせろ」
「では兄上、結論からいいましょう。此度のセオドアの行い、無罪でよろしいかと」
「貴様まで……我が兄弟はいかれているのか?」
「お聞きください兄上。私には分かっております。そこにいるセオドアは、アルテメデス帝国の大将軍、クリストハルト殿と懇意にしていると聞きます。あのお方は大層変わり者だと聞きます。きっと今回の件、あのお方の入れ知恵でしょう」
それを聞いてセオドアが声を上げようとするが、セルビスは手でセオドアを制した。
「いや結構ではありませんか。これからの時代、世界を牽引するのはアルテメデス帝国です。かの国の上層部に近付くことは、我々の利になると私は思いますよ」
「セルビス、セオドア、やはり貴様らは正気ではないようだな。いいか、世界を照らし、人々を導くのはアルテメデス帝国ではない。それは、女神アンジェラにのみ許された御業だ。ゆえにアルテメデス帝国に心酔するな。彼らは所詮、人の子たち。信じるべき指針を見誤るな」
アッカディア教会が崇拝する女神アンジェラ。
セノールドは敬虔なアッカディア信徒であった。
セオドアは内心、うんざりとする思いだった。
なにが女神だ。馬鹿らしい。どれだけ祈っても、腹の一つも満たせやしない。
そんなものに縋っていても、何も変わらない。
セルビスは少し唸った。
「うーむ、そうですなあ。女神アンジェラこそが世界を照らす唯一神。では私は女神に祈りましょう。弟の無罪を。その代償として、私は私の命を差し出しましょう。今夜、私は女神アンジェラ像の前で首を掻っ切りましょうぞ」
セルビスのその宣言は、セノールドとセオドアを驚かせた。
「貴様、いよいよ正気ではないようだな」
「いいえ、私は本気です。私は今日、死ぬ覚悟です」
セノールドとセルビスは、視線を合わせ沈黙。
セノールドは相手の真意を測ろうとする。
セルビスは目で己の決意を語る。
やがて、セノールドは溜息を漏らした。
「……分かった。王家の者が自刃するなどあってはならん」
「おお……では」
「ただし、今回だけだ。セオドア、同じようなことがあれば、次は容赦はせん」
セノールドはそう言って、足早に退出した。
部屋にはセオドアとセルビスだけとなった。
セオドアは尋ねた。
「兄上、何故私を助けたのです?」
「そう警戒するな弟よ。お前の考えは分かっている。セノールドを打倒し、王の座に就きたいのだろう? 私は常々思っていたのだ。次の王はセノールドではなく、お前にこそ相応しいと」
「……」
「警戒するなと言っただろう? 今言ったことは本当だ。だから私が手を貸してやろう。お前が王位に就くためにな」
「兄上からそのような言葉が出てくるとは、予想外でしたね。まあ、いいでしょう。貴方に助けられたことは事実です。一先ずは感謝しておきますよ」
「それでいい。さあ、誓いの握手だ」
そう言って、セルビスは右手を差し出した。
セオドアは、少し間を置いてセルビスの右手を握った。
相手の右手を握りながらセオドアは考えていた。
何を考えているのか知らないが、お前など眼中にない。
まあいい、上手く利用してやる。
セルビスも考えを巡らせていた。
堅物の兄と馬鹿な弟。この二人を上手くぶつければ、都合のよいことが起きそうだ。
馬鹿な弟が最近になって活発に動くようになってきた。
これを利用しない手はない。
セオドアは心の内で強く意識した。
セルビスは内心ほくそ笑む。
次の王は私だ。




